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第七章
三日目の茶会
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第七章 三日目の茶会
男爵位を受けたフィル・ハーディーのための茶会に、両陛下は出席しなかった。
父王の名代として、兄王太子が祝いの言葉を述べた後、公務を理由に退席し、パトリシアはお付きのウージェス伯爵夫人と共に部屋に残された。
(エドワード・アーヴィンに瓜二つの男と二人きりにされるなんて、たちの悪い冗談もここまでくれば立派なものだわ)
パトリシアは思いながら、フィル・ハーディーを前にして紅茶を飲んだ。
自分が先に手をつけないと、ハーディーはお茶を飲めないからだ。
「フィリップ・カルヴィン・ハーディングというのが本名でいらっしゃるのね」
「はい、殿下」
「このたびの叙爵おめでとう」
「有り難き幸せにございます」
フィル・ハーディー氏は、恭しい口調でそう言った。
「王子の役を何度も演じられているあなたですもの、お茶会の前の叙爵式でも緊張なさらなかったのではなくって?」
パトリシアがそう言うと
「自分が王子を演じる時は、王族らしくふるまおうとは思っていません。きっと、所作なども本当の上流社会の方々から見れば、間違ったことだらけでしょう。だから、わたしは、どんな人の中にもある普遍的な人の思いを、表現しようとして演じています。王も庶民も関係ない、身分を問わない感情と言いますか……」
「わかるわ」
パトリシアは同意を示し
「でも、あなたの所作は完璧よ」
と彼を褒め
「本物の王女パトリシアが受け合うわ。それに、あなたは、悲劇の王子ハムレットが当たり役なんですもの」
と言って微笑んだ。
そんなパトリシアに対し
「王女殿下には、恐れ多くも、再三再四に渡り、わたしの出演舞台をご覧になるため、王立劇場に足をお運び下さいました。このたび、国王陛下から爵位を賜った件につきましても、王女殿下のご推挙があったのではないかと思っております。誠に有難う存じます」
とフィル・ハーディーは言ってから
「ただ……」
と言い淀んで黙った。
「どうされたの?言いかけて黙るなんて……どうぞお続けなさいな」
「……ただ……一時は熱心に劇場に来ていただいていたのに、昨年あたりから、王女殿下のお成りがなく、心配いたしておりました。わたしの芝居がつまらなくなったのか、それともお体でもお悪いのかと」
「あなたのお芝居は、一流の芸術だわ。それにわたくしもすこぶる健康よ。劇場に行けなくなった理由は」
(エドワード・アーヴィンにそっくりなあなたを見たくなかったからよ)
パトリシアは自らの思いを押し殺して
「ミッドフォード伯爵との結婚が決まって、準備のために忙しくなったからなの。もっとも、それも破談になってしまって……ご存じよね、あなたも。あれだけ大々的にゴシップ紙に出たんですもの……ごめんなさい、こんな話をするつもりはなかったんだけど」
「こちらこそ、申しわけございません。わたしがよけいなことを申したばかりに」
フィル・ハーディーは恐縮している。
「いいのよ。劇場に来ないわたくしを思って、健康の心配をしてくださったんですもの。むしろ、有り難いわ」
自分をいたわるように見る、彼の目をパトリシアは見返した。
長い睫毛に縁どられた青い瞳、細くすっきりとした鼻梁。彼の整った容姿は二日目のお茶会で会ったエドワード・アーヴィンにそっくりだ。
「この世には、自分に似た人間が三人いると言うけれど……」
と言いかけたパトリシアに
「アーヴィン財閥の御曹司、エドワード氏のことでしょう。よく聞かれます。彼とふたごの兄弟なのかって。顔立ちだけじゃなく、背格好まで似ているって言われますから」
と、フィル・ハーディー氏が笑った。
その笑顔が、二日目のお茶会をまたも思い出させて、パトリシアは不快感を押し殺すのに苦労していた。
「興行で新大陸のフェアトレックスにある、ヘレン・アーヴィン劇場のこけら落としに行った時、客席にデニス・アーヴィン氏とその夫人、そして、エドワード・アーヴィン氏とその夫人も来られていて、周囲の観客が『フィル・ハーディーさん、出演するあなたがどうして客席にいるんですか?』って、エドワード・アーヴィン氏に口々に聞いたそうです。隣にいる彼の夫人に、『あなた、どうしてフィルの隣にいるの?』と怒って詰め寄った女性もいたとか」
フィル・ハーディーはそう言って笑うと、紅茶を飲んだ。
「良い香りですね。お目にかかるまでは、王女殿下の前では、緊張して、はい、いいえ、しか言えないと思っておりました。何かを出していただいても、緊張して味なんかわからないだろうとも……それがお茶をおいしく味わえるなんて。殿下の気さくで、お優しいお人柄の賜物ですね」
と言ってから
「やがて場内が暗くなって、幕が上がり、舞台にわたしが登場した時、客席がどよめいていましたよ」
と、笑顔になり
「いやー、わたしもエドワード・アーヴィン氏にあやかりたいです。将来、あの夫人のような美しくて優しそうな人を妻にしたいものですね」
と、照れるように言った。
「なんですって?ベアトリックスのような妻がほしい、ですって?どうして、あんな女を男たちは揃いも揃って褒めるわけ?あり得ないわ。あの取り澄ました顔の下に、どんな本性を隠しているか……」
「姫さま!」
これまで、何も言わず、陰のように控えていたメアリー・クレメンス・ウージェス伯爵夫人が言葉を制した。
王女が、臣民の悪口を第三者に言うなど、あり得ないことだった。
それも、国に貢献したことで子爵に叙されたデニス・アーヴィン氏の息子エドワード・アーヴィンの妻、ベアトリックスの悪口を、叙爵の祝いの茶会で、男爵となったフィル・ハーディーに言うとは。
だが、一度、口に出した言葉は吞み込めない。
「ご気分がお悪いのでございましょう?姫さま、退出しましょう」
ウージェス伯爵夫人が言うのを制して、パトリシアは
「退出するのは、あなたよ。メアリー」
と言い放った。
「出て行って。メアリー」
バタン、と大きな音を立ててドアを閉め、ウージェス伯爵夫人は部屋を出た。
常日頃、所作が完璧で、静かに動く彼女が騒がしく音を立てて退室、とは、いったいどういうことか、と、パトリシアは不思議に思ったが、言葉に出さず、目の前の彼に向き直った。
大きく目を見開いたまま、唖然としているフィル・ハーディーは、やがて、くすっと笑うと
「お気持ち、お察しします」
と言った。
「わたしも、同じ劇団に気に入らない俳優がいますが、人前で嫌悪感など露わに出来ませんから。インタビューの際に、彼をどう思うか聞かれたら、才能ある立派な先輩だと褒めていますよ」
「まあ……あなたでも?」
「人には、建て前と本音があるということ。ただそれだけです」
フィル・ハーディーは苦笑すると
「仲間の俳優だけじゃないですよ。ありがたい存在のファンの人たちに対してだって……舞台が終わって疲れている時に、サインをねだったり、花束を差し出してこられたりすると、申しわけないとは思いますが、『もういい加減にしてくれ』と、不快感を持つことがあります。早くうちへ帰って休みたいのに、と……王女殿下と自分とを一緒のように言うのは不敬すぎて気が引けますが、他人が期待する虚像を演じなくてはならないという点で、わたしたちは似ているのではないですか?」
フィル・ハーディーは、「パトリシア王女殿下は、正直なお方でいらっしゃる」と、やさしく言って
「侍女の方は出て行かれたので、ここには我々しかおりません。どうか、お心のうちをお話しください。わたくしでよければ……問題を解決はできませんが、お話をお聞きすることはできます。そして、お聞きしたことは、ここを出る時にきれいさっぱり忘れると、お約束いたします」
と、彼女を見つめた。
「じゃあ、聞くわ。男って皆、美人が好きなの?いいえ、あなた自身のことを聞くわ。あなたは、いつも綺麗な方と仕事をしているでしょう?あなたは、共演の女優さんを好きになったりするの?」
「共演した女優たちのことですか?仕事仲間のことは好きですよ」
と前置きして
「俳優というのは体力も神経も使う大変な仕事です。作中人物の気持ちを考え、役を作り上げていく過程では、わたくしも彼女たちも相当な苦労をします。人の心に敏感で、思いやりのある人でないと舞台は作れませんし、作中の人物になりきることもできない。この登場人物はなぜ、この場で、こんなことを言ったのか、というセリフ一つに納得できなくて、脚本家に詰め寄る役者もいる。皆、真剣なんです。歴史上の人物を演じるためには時代背景を勉強することも欠かせませんから。努力が嫌いな薄っぺらい人間には俳優はつとまりません。見た目が美しいというだけでは、とても続かない世界なんです」
フィル・ハーディーは、そこで言葉を切って、遠くを見るような目をした。
「女優というのは、女として優れているからそう表現されるのだな、と、わたしはいつもつくづく思っています。女神のように美しいのに、その美貌に甘んじることなく、ひたむきに努力を続ける……わたしは、そんな彼女を、いえ、彼女たちを心から尊敬しています」
フィル・ハーディーはそう締めくくった。
「そうよね。スターと言われる人は皆努力をしているものだわ。わたくし、よくお母さまに言われたの。優雅に水面に浮かんでいるように見える白鳥は、その水の下で必死に足掻いているものなのよ、って。王族は、どんなことがあっても、優雅に水面を滑る白鳥の如く生きなければならないと、それがお母さまの口癖なの。あなた方もそうなのでしょう?スターと呼ばれる人は、みっともないところを見せられないわ。人々の憧れの存在でいなくちゃいけないもの」
「湖面を優雅に行く白鳥ですか……なるほど……わたしは、殿下がおっしゃる白鳥のような存在になることを、自ら選びました。でも、殿下は違います。たまたま生まれ落ちた家が、王家であったというだけで、あなたは望みもしない運命を受け入れざるを得なかったのではないですか?」
自分に向けられた、あまりにもストレートな物言いに、パトリシアは驚いた。
一国の王女に、こんなふうに接してくる人間がいるとは。
と同時に、一般市民というのは今の彼のように、知り合って間がなくとも、率直に思いを伝え合うものかもしれないと感じ、今だけは自分自身も正直であろうと思ったのだった。
「そうなの。わたくしは、王族に向いてないの。いつも『恐れ多い』と言われるけれど、誰からも本当の意味での尊敬を向けられたことなんてないわ。王宮の家臣たちでさえ、『国王のわがまま娘』と、わたくしを面倒に思っているのがわかるから……」
パトリシアは泣きそうになった。
「わたくし、勉強だって嫌いだし。それに……お父さまがわたくしを外国へ嫁がせないのは、わたくしが二国間の『友好の懸け橋』というお役目を担うだけの器量が備わってないと知っておいでだからよ。外国でボロを出すのがわかっているから、王家の権威を振りかざせば何とか人を黙らせられる国内で、お人好しで世間知らずの青年貴族と縁付けて、自分の目の届く範囲で過ごさせられたら、ってそう思ってらっしゃるの」
パトリシアは、涙をこらえつつ言った。声が震えているのが恥ずかしい。
虚像を演じ続けるつらさ、に、共感してくれた人は彼が初めてだった。
「お泣きになればいい。ここでなら、大丈夫です」
フィル・ハーディーはそう言った。
ひとしきり泣いた後、気持ちが落ち着いてから、パトリシアは彼を見つめて言った。
「わたくしの話を聞いてくださってありがとう。あなたが、わたくしに話をさせてくださったのは、あなたも、胸に秘めた苦しみをこらえておられるからだと思うわ……先ほど、あなたがおっしゃっていた、女として優れている方、『彼女たち』と、あなたはおっしゃっていたけど……複数の方のことではないのでしょう?人の気持ちを思いやれて、努力家で、女神のように美しい女優さんのこと、聞かせていただけないかしら?」
パトリシアの言葉に、フィル・ハーディーは、
「まいったな……」と、つぶやくように言ったあと
「パトリシア王女殿下、わたしの言い間違いを気づかぬふりして、会話を流すこともできたはずです」
と、王女を見た。
「御尊顔を直視するのは失礼だから」、と、ほとんどの人は、彼女と目を合わせようとはしないのに、こんなふうにまっすぐな視線を投げかけてくる人がいる。そのことが彼女を驚かせていた。
「ご存じのように、わたくしは、あなたの大ファンなの。そのあなたが、女神のようだと讃える女性のことが気にならないわけがないわ。教えてくださる?大スター、フィル・ハーディーの心を捉えた女性のこと」
「殿下のお耳汚しになるかもしれない、つまらない話ですよ」
フィル・ハーディーは、彼女を見つめ返して
「わたしは十五の年に、その女性と出会いました」と言った。
「母を楽にしてやりたくて……王都に出たんです」
フィル・ハーディー氏は、当時を思い出すかのように、遠くを見るような目になった。
「母は、いつも幼い頃のわたしに『夢を持ちなさい。あなたは何にだってなれるのよ』と口癖のように言ってくれていました。決して裕福ではなかったのに、オモチャや本をたくさん買い与えてくれて……自分は口紅すら差すこともなく、ひっつめ髪でずっと内職をしていましたよ」
「そうなの……素晴らしいお母さまね。お父さまはどんな方だったの?」
「父の話はあまり……」
と、彼は言い淀んだあとで
「父は顔が良いだけの道楽者で、女にだらしがなくて……母は苦労の連続だったと思います。その父に似ていると言われるたびに、気分が落ち込みました」
と言った。
「あなたは、お父さま似なのね。だったら感謝しなくちゃ。どんなに道楽者でお母さまに苦労をかけたとしても、あなたにその顔とスタイルを授けてくれた人なんだから」
パトリシアがそう言って微笑むと、フィル・ハーディーは
「自分を美男だと思ったことなどないんですが……」と言ったあとで「でも、この容姿だから成功できたんだ、と言われたら否定はできないですね」と苦笑した。
「あなたは、お母さまが大好きだったのね」
「たいていの子どもはそうでしょう。わたしも母を幸せにしてやりたいと思いました。それには王都に出て、チャンスを掴むしかないと思ったんです。働くのが嫌いなオヤジ……いえ、父のせいで進学なんて夢見ることもできませんでしたが、役者になったらいいと村のおばちゃん……いえ、ご婦人たちに言われていたので、ダメ元で王立劇場のオーディションを受けました。わたしは、幸いなことに一度で合格できたのです。ある女優が弟役を探していて、わたしを推してくれたのだとあとで知りました。その女優こそが、わたしの運命の女性でした」
当時、二十三歳だった王立劇場の看板女優の弟役として、デビューした十五歳の少年フィル・ハーディーはたちまち観客の注目を集めた。
こうして、彼は下積みなど一切経験することなく、デビューと同時にスターになったのだった。そんな彼のことを人々はシンデレラボーイともてはやした。
「一夜明けたら、何もかもが一変している」という経験を彼はしたのだと言った。
「演技面でのつたないところは、姉役の彼女がカバーしてくれました。セリフを噛んだり、出番を間違えたりした時も、機転を効かせて助けてくれました。素人同然のわたしが一夜にしてスターになれたのは、彼女のお陰としか言えません。それなのに彼女は、わたしにチャンスを与えたことを恩に着せたことなど、一度もありませんでした。どんなインタビューでも、『フィル・ハーディーという逸材を発見したのは王立劇場の演出家です。彼と共演できてわたしは幸運でした』と語っていました」
フィル・ハーディーはそう言うと、瞳を伏せた。
「それで恋したの?」
「はい。恐いもの知らずだったわたしは、初日が終わった夜に告白しました」
「彼女は受け入れてくれたの?」
「本気にされませんでした。明るく笑って、『あら、ありがとう。十年後にわたくしがまだ一人だったら、その時お願いね』とかわされましたよ」
「まあ、そうでしょうね。八つも年下の、それも、自分の弟役を演じているような少年の、自分への憧れを本気の恋だと受け取れないでしょうから」
パトリシアはそう言って、二杯目のお茶を注いだ。使用人を呼ばず、自分で彼のティーカップにお茶を注ぐと、彼は焦ったような表情になったが
「ありがとうございます」
と普通に礼を言ってくれた。恐縮して、申しわけないと謝られるのではなく、お礼を言われたことが、パトリシアは嬉しかった。
「でも、『好きだ』『愛している』と、毎日言い続けたら、絆されてくれたのかな?千秋楽の夜には彼女のベッドにいました。あまりにも美しい人は、たいていの男にとって、手が届かない遠い存在のように思えるのでしょうか。彼女のこと、誰もがずっと遠巻きに見ていて、告白するような身の程知らずは、わたしだけだったようで……『ただまっすぐに好きと言われることが、こんなに嬉しいなんて』と言ってくれましたよ。わたしは文字どおり大きな星を手に入れた男でした。彼女は最高の女性だった……」
フィル・ハーディーは、また遠くを見るような目をして言った。
「それで?その女優さんが、奥さまってわけ?あ、あなた独身だったわね。事実婚?スターが結婚すると人気が下がるから、敢えて公にしない関係でいることって、よくあるのでしょう?メイドたちが言っていたわ」
「別れました。彼女にふられて」
「まあ……あなたでも、女性から、袖にされることがあるの?」
目を真ん丸にしてたずねるパトリシアに、フィル・ハーディーは
「自分は八つも年上だから、やがて老いて醜くなって、若い子に目移りしたわたしに捨てられると、そう言うんです。どっちも人気商売ですから、関係を公には出来ない。それもあって、彼女は不安がっていました」
「わかるわ……その気持ち。女性の立場からすれば、しっかり捕まえてほしいのに、仕事のためを言い訳にされて、結婚を後回しにされているように感じたんじゃないかしら」
「わたしは何度も結婚を申し込みましたよ。でも、スターになったばかりのわたしに女の影がちらついたら人気が落ちる、そう言って求婚を断り続けたのは彼女のほうです」
フィル・ハーディーはそう言って、肩を落とし
「それでいながら、わたしが劇団の後輩女優と話をしただけで、うちへ戻ってからすごい剣幕で怒鳴ったり……付き合って七年目に、とうとう決定的な諍いがありました。舞台を終えて、仲間と打ち上げで飲んでいただけなのに、隣に座った女優とのツーショットを取られ、それが新聞にデカデカと乗ってしまい……」
「まったく新聞ってのは、ろくなことをしないわね」
新聞は、次々と人の幸せを壊す。
知らなければ平和に終わることを、わざわざ暴いて見せて、それを眼前に突きつける。それが読み手には面白いのかもしれないが、当事者にとっては、たまったものではない。
パトリシアは、ミッドフォード元伯爵の「子猫の館騒動」を思い起こしつつ怒りに震えていた。
「当然、あなたは否定したんでしょう?」
「否定なんてできませんよ」
フィル・ハーディーは、寂しげに笑って
「女との噂がなさすぎるのも、同性愛者だと疑われて女性人気が下がるからと、劇団のマネージメントを行なっている男が仕組んだ記事でしたから。『彼女のことは、大切な友だちだと思っているが、未来のことはわからない、我々のことを温かく見守ってほしい』なんて言わされました。それに……あの場には複数の人間がいたはずなのに、わたしとその女性が二人だけでディナーをともにしたと書かれていて」
「女性の影がないと人気が出ないというなら、あなたが愛したその方との仲を公にすればよかっただけじゃないの。そして同じように『温かく見守ってほしい』って言えばよかったのに。わざわざ付き合ってもいない女性との仲を思わせぶりに報道して……ファンを騙すような嘘、どうして?」
「彼女が年上で、それも一つや二つじゃなく、八歳も違うことがネックになると言われて、交際をオープンにすることを反対されました。フィル・ハーディーのガールフレンドは、妹のような親しみやすい、可愛い女の子でないといけないそうです」
「ひどいわ」
「そして、彼女は去って行きました」
「なんてこと……でもね、そんなゴシップを信じている人なんていなくてよ。あなたは、王立劇場でずっと主演をし続けてきたこの国の宝だし、今回の叙爵に関しても、そんな嘘っぱちのスキャンダルを持ち出して反対する人なんて誰一人いなかったはず。だから、あなたは今ここにいるのよ」
「世間の皆がデマだとわかって、暇つぶしにすらならないようなくだらない記事だと読み捨てているのに、あれを真に受けて、誰よりも自分を信じてくれるはずの恋人がわたしを捨てたんです」
フィル・ハーディーは悲しそうに言った。
「その二か月後、新聞に、女優キャサリン・ワイルダーが、エーベル侯爵と結婚したことが大きく出ましたよ。スター女優と貴族との世紀のロマンスに世間は沸き立ちました」
「あのキャサリン・エーベルだったのね。あなたのデビューした舞台で姉役を演じたのは!残念ながら、わたくし、あなたの初舞台は見てないから、キャサリンを女優としてはよく知らないけど……結婚のため引退した、とは言っていたわ」
「キャサリン・ワイルダーを、女優としてではなく、個人的に、ご存じなのですか?」
「ええ、知ってるわ。キャサリンはエーベル侯爵と結婚して、貴族社会の一員となったんですもの。わたくしたちはね、貴族社会の人間関係を常に最新のものにしておく義務があるの。誰と誰が婚約した、結婚した、別れた、ってことをまとめた書面が月の初めに配られるのよ。それに目を通して、ちゃんと頭に入れておかなきゃならないの」
「なるほど……そうでしたか」
フィル・ハーディーは言ってから
「親子ほども年の違う、白髪の男性と彼女がにこやかに微笑み合っている写真を見て、一時は死にたいとまで思いました」
「あなたなら、女性なんていくらでもいるじゃない。あなたを捨てて他の男性に走った人のために命を捨てたくなるほど思い詰めるなんて……」
「あの頃のわたしにとっては、彼女が世界のすべてだったんです。それがあんな爺さんと……吐き気がしましたよ」
フィル・ハーディーはそう言ったあとで
「王女の前で、このようなことを……申し訳ありません」
と言った。
「謝らなくていいわ。わたくしが聞きたがったんですもの。『ひどい女もいたものね』とでも言って、今この場で、あなたに共感してあげてもいいけど」
パトリシアは、そこで言葉を切ってから、目の前の茶菓子をつまんあとで
「実はね、……エ―ベル侯はね、同性愛者なのよ。女性は愛せないの。だから跡取りに甥を指名したんだけど、貴族の当主が結婚しないのは外聞が悪いからと、いろんな人から縁談を持ち込まれて弱っていたのよ。彼が最も毛嫌いしていたのは、自分を売り込んでくる怪しい素性の女たちよ。かと言って、そんな女たちを遠ざけるためとはいえ、世間に、自分の性癖を告白するのは憚られるし、で、エーベル侯は悩んだ末に……金を積んで女優に妻の役をお願いしたんですって。確かによく考えたわよ、エーベル侯。あのキャサリン・ワイルダーから夫を奪ってやる、なんて女はいないでしょうから、自分の周囲をうろつく野心満々の腹黒女も一掃できたでしょうし。あの手の女は勝てない勝負はしない、ってメアリーも言ってたわね。もっとも、結婚後、ほどなくして侯爵は亡くなったわけだから……結果的には、偽装結婚なんて必要なかったのに」
と、パトリシアは言って
「今の話は、わたくしの母方のいとこから聞いたのよ。いとこは、亡きエーベル侯の甥と、結婚予定で、そのいとこが言っていたことだもの。嘘ではないわ」
「そうだったんですか」
「彼女は、あなたの将来のためを思って身を引いたの、そして、かねてから彼女に契約結婚を申し出てきていたエーベル侯爵の話を受け入れ、侯爵の形だけの妻となって、それを新聞に大々的に報道させたのよ。こうすれば、あなたが追って来ないと思って」
「わたしの将来……そんなもののために」
「ほんとうはね、あなたから捨てられるのが恐かったんだと思うわ。自分で身を引いた、ってことにすれば、まだ心が救われる。女ってそんなものよ」
と、パトリシアは言ってから
「まだ、彼女のことを愛していらっしゃる?」
とたずねた。
「まさか。終わった関係なんですから、気持ちもそこでおしまいです」
「今は、誰ともお付き合いはされてないの?あなたに告白してくる女性はたくさんいそうだけど」
「そういう女性は、わたしに愛を求めてきます。ですが、わたしは、もう、情熱をもって彼女たちに向き合えない。だから……受け入れるわけにはいきません。その人と誠意ある関係を築けないのがわかっていて、相手の求愛を受けたりするのは、ろくでなしのすることです。わたしは父のようにはなりたくありません」
「過去を吹っ切るためには、新しい恋をしろと言うじゃないの。あなたは、ただ、誰かと、深い関係になって、また傷つくのが恐いだけなんじゃないかしら?」
「そうです。殿下。わたしは臆病者ですので」
フィル・ハーディーはそう言った。
(この人が、また恋をすることがあるとしたら、相手は、どんな女性なのかしら?)
パトリシアは想像してみた。
フィル・ハーディーの名声や美貌に目を眩まされることなく、本当の彼を受け入れ、愛することのできる女性、そんな女性がいるものだろうか。
ファンからどれだけ憧れられ、賞賛されても、彼には、大事な「たった一人」がいない。
無名だった頃のように、素直な気持ちで人を見ることは、彼には、もうできないだろう。
ほとんどの人が、自分を利用価値のある人物、と見做して寄ってくるからだ。
有名人と親しくなって、周囲に自慢したい、虚栄心を満たしたい、そして金銭的にも得をしたい、と群がってくる者たちへの対応を、決して間違えてはならないのが、今のフィル・ハーディーの立場なのだ。
今回の叙爵で、彼は、今以上に不自由で、不幸になったとすら言える。
誰かを好きになったり、好きになられたりすること、気軽に言葉をかわす友人を作ることは、地位や富を得た人間には、逆に叶え難い夢となってしまうのだ。
(彼はまだましよ……わたくしなんか、生まれたときから……ずっと)
「さきほど、あなたは、おっしゃっていたわね。王族も庶民もない、普遍的な人の心を演じたいって。王女という身分なんか関係ないの。わたくしも女として、恋心の一端くらいはわかっているつもり。実らない恋ばかりだったけど」
パトリシアはそう言うと、そっと目を閉じ、しばらく心を別世界に行かせていた。
やがて、現実に戻ると
「若き恋人の未来のために身を引いた、年上の美人女優……切なくも美しい、束の間の恋……素敵だわ」
とつぶやき、そして
「この悲恋をお芝居にしないなんて、もったいないわ。いつまでもシェイクスピアにばかり頼ってるんじゃなくて、いえ、もちろん、あなたのハムレットやロミオは素敵よ。でもね、新作を世に出さないと飽きられるわ。この物語を上演しましょうよ。キャサリン・ワイルダー復帰第一作よ。侯爵が亡くなって彼女は未亡人なんだし、時間はたっぷりあるはず。遺産は甥っ子が総取りしたから、いくら、契約結婚をしたときに侯爵が彼女に払った謝礼金があるとしても、この先の長い人生を考えたら、舞台に立つしかないはずなの。何より、大女優キャサリン・ワイルダーを失ったままなんて、国家的損失よ」
パトリシアは、フィル・ハーディーを見つめて
「彼女の恋人の役は、あなたがやるのよ。あなたの演技力なら余裕でしょ?あなたは、かつての自分を演じることで、失恋の苦しみを乗り越えて、新しく生まれ変わるの。いいわね?」
そう言ってから
「脚本はわたくしが書きます!今まで、あなたの追っかけをしてきて、お芝居はたくさん見たから、素養はあるはずよ」
「いえ、殿下……観劇を楽しむことと、脚本を書くこと、それも名作を生み出すことの間には、大きな距離感があるというか……その……」
「わたくしには、優秀な側近もいるのよ。国語の家庭教師は『花舞う王都』の作者、ハロルド・モンティですからね。わたくし、何しろ王族ですもの、本人の出来は悪くても先生は一流なの。モンティ先生に教えを乞いながら、世の女の人たちが涙を絞るような切ないお芝居を作り上げてみせます。わかったわね?」
「いや、いくら何でも自分の私生活を舞台で演じるわけには……それに、キャサリンの復帰だって、彼女が首を縦に振るかどうか。すでに引退して、落ち着いた暮らしをしているであろうキャサリンを、表舞台に引っ張り出すなんて……そんなこと出来っこない、いや、するべきじゃないですよ」
二の足を踏むフィル・ハーディーに、パトリシアは
「黙らっしゃい!……キャサリンは、お飾りの妻だったとはいえ侯爵夫人だった人。既に貴族社会の人間なのよ。王女のわたくしに抗って、復帰したくないなんて言えるものですか」
そう言ってから、彼女はフィル・ハーディーを、しかと見据え
「キャサリンだけじゃないわ。あなたも覚悟を決めるのね。これは命令です。王立劇場で仕事をしているあなたが、フレデリック五世と、その愛娘パトリシア王女を敵に回したいなら話は別だけど。それとも、新大陸へでも行って、成金の建てた、ナントカ・アーヴィン劇場とやらで、金儲けの駒として働くおつもり?」
と、言ってのけた。
男爵位を受けたフィル・ハーディーのための茶会に、両陛下は出席しなかった。
父王の名代として、兄王太子が祝いの言葉を述べた後、公務を理由に退席し、パトリシアはお付きのウージェス伯爵夫人と共に部屋に残された。
(エドワード・アーヴィンに瓜二つの男と二人きりにされるなんて、たちの悪い冗談もここまでくれば立派なものだわ)
パトリシアは思いながら、フィル・ハーディーを前にして紅茶を飲んだ。
自分が先に手をつけないと、ハーディーはお茶を飲めないからだ。
「フィリップ・カルヴィン・ハーディングというのが本名でいらっしゃるのね」
「はい、殿下」
「このたびの叙爵おめでとう」
「有り難き幸せにございます」
フィル・ハーディー氏は、恭しい口調でそう言った。
「王子の役を何度も演じられているあなたですもの、お茶会の前の叙爵式でも緊張なさらなかったのではなくって?」
パトリシアがそう言うと
「自分が王子を演じる時は、王族らしくふるまおうとは思っていません。きっと、所作なども本当の上流社会の方々から見れば、間違ったことだらけでしょう。だから、わたしは、どんな人の中にもある普遍的な人の思いを、表現しようとして演じています。王も庶民も関係ない、身分を問わない感情と言いますか……」
「わかるわ」
パトリシアは同意を示し
「でも、あなたの所作は完璧よ」
と彼を褒め
「本物の王女パトリシアが受け合うわ。それに、あなたは、悲劇の王子ハムレットが当たり役なんですもの」
と言って微笑んだ。
そんなパトリシアに対し
「王女殿下には、恐れ多くも、再三再四に渡り、わたしの出演舞台をご覧になるため、王立劇場に足をお運び下さいました。このたび、国王陛下から爵位を賜った件につきましても、王女殿下のご推挙があったのではないかと思っております。誠に有難う存じます」
とフィル・ハーディーは言ってから
「ただ……」
と言い淀んで黙った。
「どうされたの?言いかけて黙るなんて……どうぞお続けなさいな」
「……ただ……一時は熱心に劇場に来ていただいていたのに、昨年あたりから、王女殿下のお成りがなく、心配いたしておりました。わたしの芝居がつまらなくなったのか、それともお体でもお悪いのかと」
「あなたのお芝居は、一流の芸術だわ。それにわたくしもすこぶる健康よ。劇場に行けなくなった理由は」
(エドワード・アーヴィンにそっくりなあなたを見たくなかったからよ)
パトリシアは自らの思いを押し殺して
「ミッドフォード伯爵との結婚が決まって、準備のために忙しくなったからなの。もっとも、それも破談になってしまって……ご存じよね、あなたも。あれだけ大々的にゴシップ紙に出たんですもの……ごめんなさい、こんな話をするつもりはなかったんだけど」
「こちらこそ、申しわけございません。わたしがよけいなことを申したばかりに」
フィル・ハーディーは恐縮している。
「いいのよ。劇場に来ないわたくしを思って、健康の心配をしてくださったんですもの。むしろ、有り難いわ」
自分をいたわるように見る、彼の目をパトリシアは見返した。
長い睫毛に縁どられた青い瞳、細くすっきりとした鼻梁。彼の整った容姿は二日目のお茶会で会ったエドワード・アーヴィンにそっくりだ。
「この世には、自分に似た人間が三人いると言うけれど……」
と言いかけたパトリシアに
「アーヴィン財閥の御曹司、エドワード氏のことでしょう。よく聞かれます。彼とふたごの兄弟なのかって。顔立ちだけじゃなく、背格好まで似ているって言われますから」
と、フィル・ハーディー氏が笑った。
その笑顔が、二日目のお茶会をまたも思い出させて、パトリシアは不快感を押し殺すのに苦労していた。
「興行で新大陸のフェアトレックスにある、ヘレン・アーヴィン劇場のこけら落としに行った時、客席にデニス・アーヴィン氏とその夫人、そして、エドワード・アーヴィン氏とその夫人も来られていて、周囲の観客が『フィル・ハーディーさん、出演するあなたがどうして客席にいるんですか?』って、エドワード・アーヴィン氏に口々に聞いたそうです。隣にいる彼の夫人に、『あなた、どうしてフィルの隣にいるの?』と怒って詰め寄った女性もいたとか」
フィル・ハーディーはそう言って笑うと、紅茶を飲んだ。
「良い香りですね。お目にかかるまでは、王女殿下の前では、緊張して、はい、いいえ、しか言えないと思っておりました。何かを出していただいても、緊張して味なんかわからないだろうとも……それがお茶をおいしく味わえるなんて。殿下の気さくで、お優しいお人柄の賜物ですね」
と言ってから
「やがて場内が暗くなって、幕が上がり、舞台にわたしが登場した時、客席がどよめいていましたよ」
と、笑顔になり
「いやー、わたしもエドワード・アーヴィン氏にあやかりたいです。将来、あの夫人のような美しくて優しそうな人を妻にしたいものですね」
と、照れるように言った。
「なんですって?ベアトリックスのような妻がほしい、ですって?どうして、あんな女を男たちは揃いも揃って褒めるわけ?あり得ないわ。あの取り澄ました顔の下に、どんな本性を隠しているか……」
「姫さま!」
これまで、何も言わず、陰のように控えていたメアリー・クレメンス・ウージェス伯爵夫人が言葉を制した。
王女が、臣民の悪口を第三者に言うなど、あり得ないことだった。
それも、国に貢献したことで子爵に叙されたデニス・アーヴィン氏の息子エドワード・アーヴィンの妻、ベアトリックスの悪口を、叙爵の祝いの茶会で、男爵となったフィル・ハーディーに言うとは。
だが、一度、口に出した言葉は吞み込めない。
「ご気分がお悪いのでございましょう?姫さま、退出しましょう」
ウージェス伯爵夫人が言うのを制して、パトリシアは
「退出するのは、あなたよ。メアリー」
と言い放った。
「出て行って。メアリー」
バタン、と大きな音を立ててドアを閉め、ウージェス伯爵夫人は部屋を出た。
常日頃、所作が完璧で、静かに動く彼女が騒がしく音を立てて退室、とは、いったいどういうことか、と、パトリシアは不思議に思ったが、言葉に出さず、目の前の彼に向き直った。
大きく目を見開いたまま、唖然としているフィル・ハーディーは、やがて、くすっと笑うと
「お気持ち、お察しします」
と言った。
「わたしも、同じ劇団に気に入らない俳優がいますが、人前で嫌悪感など露わに出来ませんから。インタビューの際に、彼をどう思うか聞かれたら、才能ある立派な先輩だと褒めていますよ」
「まあ……あなたでも?」
「人には、建て前と本音があるということ。ただそれだけです」
フィル・ハーディーは苦笑すると
「仲間の俳優だけじゃないですよ。ありがたい存在のファンの人たちに対してだって……舞台が終わって疲れている時に、サインをねだったり、花束を差し出してこられたりすると、申しわけないとは思いますが、『もういい加減にしてくれ』と、不快感を持つことがあります。早くうちへ帰って休みたいのに、と……王女殿下と自分とを一緒のように言うのは不敬すぎて気が引けますが、他人が期待する虚像を演じなくてはならないという点で、わたしたちは似ているのではないですか?」
フィル・ハーディーは、「パトリシア王女殿下は、正直なお方でいらっしゃる」と、やさしく言って
「侍女の方は出て行かれたので、ここには我々しかおりません。どうか、お心のうちをお話しください。わたくしでよければ……問題を解決はできませんが、お話をお聞きすることはできます。そして、お聞きしたことは、ここを出る時にきれいさっぱり忘れると、お約束いたします」
と、彼女を見つめた。
「じゃあ、聞くわ。男って皆、美人が好きなの?いいえ、あなた自身のことを聞くわ。あなたは、いつも綺麗な方と仕事をしているでしょう?あなたは、共演の女優さんを好きになったりするの?」
「共演した女優たちのことですか?仕事仲間のことは好きですよ」
と前置きして
「俳優というのは体力も神経も使う大変な仕事です。作中人物の気持ちを考え、役を作り上げていく過程では、わたくしも彼女たちも相当な苦労をします。人の心に敏感で、思いやりのある人でないと舞台は作れませんし、作中の人物になりきることもできない。この登場人物はなぜ、この場で、こんなことを言ったのか、というセリフ一つに納得できなくて、脚本家に詰め寄る役者もいる。皆、真剣なんです。歴史上の人物を演じるためには時代背景を勉強することも欠かせませんから。努力が嫌いな薄っぺらい人間には俳優はつとまりません。見た目が美しいというだけでは、とても続かない世界なんです」
フィル・ハーディーは、そこで言葉を切って、遠くを見るような目をした。
「女優というのは、女として優れているからそう表現されるのだな、と、わたしはいつもつくづく思っています。女神のように美しいのに、その美貌に甘んじることなく、ひたむきに努力を続ける……わたしは、そんな彼女を、いえ、彼女たちを心から尊敬しています」
フィル・ハーディーはそう締めくくった。
「そうよね。スターと言われる人は皆努力をしているものだわ。わたくし、よくお母さまに言われたの。優雅に水面に浮かんでいるように見える白鳥は、その水の下で必死に足掻いているものなのよ、って。王族は、どんなことがあっても、優雅に水面を滑る白鳥の如く生きなければならないと、それがお母さまの口癖なの。あなた方もそうなのでしょう?スターと呼ばれる人は、みっともないところを見せられないわ。人々の憧れの存在でいなくちゃいけないもの」
「湖面を優雅に行く白鳥ですか……なるほど……わたしは、殿下がおっしゃる白鳥のような存在になることを、自ら選びました。でも、殿下は違います。たまたま生まれ落ちた家が、王家であったというだけで、あなたは望みもしない運命を受け入れざるを得なかったのではないですか?」
自分に向けられた、あまりにもストレートな物言いに、パトリシアは驚いた。
一国の王女に、こんなふうに接してくる人間がいるとは。
と同時に、一般市民というのは今の彼のように、知り合って間がなくとも、率直に思いを伝え合うものかもしれないと感じ、今だけは自分自身も正直であろうと思ったのだった。
「そうなの。わたくしは、王族に向いてないの。いつも『恐れ多い』と言われるけれど、誰からも本当の意味での尊敬を向けられたことなんてないわ。王宮の家臣たちでさえ、『国王のわがまま娘』と、わたくしを面倒に思っているのがわかるから……」
パトリシアは泣きそうになった。
「わたくし、勉強だって嫌いだし。それに……お父さまがわたくしを外国へ嫁がせないのは、わたくしが二国間の『友好の懸け橋』というお役目を担うだけの器量が備わってないと知っておいでだからよ。外国でボロを出すのがわかっているから、王家の権威を振りかざせば何とか人を黙らせられる国内で、お人好しで世間知らずの青年貴族と縁付けて、自分の目の届く範囲で過ごさせられたら、ってそう思ってらっしゃるの」
パトリシアは、涙をこらえつつ言った。声が震えているのが恥ずかしい。
虚像を演じ続けるつらさ、に、共感してくれた人は彼が初めてだった。
「お泣きになればいい。ここでなら、大丈夫です」
フィル・ハーディーはそう言った。
ひとしきり泣いた後、気持ちが落ち着いてから、パトリシアは彼を見つめて言った。
「わたくしの話を聞いてくださってありがとう。あなたが、わたくしに話をさせてくださったのは、あなたも、胸に秘めた苦しみをこらえておられるからだと思うわ……先ほど、あなたがおっしゃっていた、女として優れている方、『彼女たち』と、あなたはおっしゃっていたけど……複数の方のことではないのでしょう?人の気持ちを思いやれて、努力家で、女神のように美しい女優さんのこと、聞かせていただけないかしら?」
パトリシアの言葉に、フィル・ハーディーは、
「まいったな……」と、つぶやくように言ったあと
「パトリシア王女殿下、わたしの言い間違いを気づかぬふりして、会話を流すこともできたはずです」
と、王女を見た。
「御尊顔を直視するのは失礼だから」、と、ほとんどの人は、彼女と目を合わせようとはしないのに、こんなふうにまっすぐな視線を投げかけてくる人がいる。そのことが彼女を驚かせていた。
「ご存じのように、わたくしは、あなたの大ファンなの。そのあなたが、女神のようだと讃える女性のことが気にならないわけがないわ。教えてくださる?大スター、フィル・ハーディーの心を捉えた女性のこと」
「殿下のお耳汚しになるかもしれない、つまらない話ですよ」
フィル・ハーディーは、彼女を見つめ返して
「わたしは十五の年に、その女性と出会いました」と言った。
「母を楽にしてやりたくて……王都に出たんです」
フィル・ハーディー氏は、当時を思い出すかのように、遠くを見るような目になった。
「母は、いつも幼い頃のわたしに『夢を持ちなさい。あなたは何にだってなれるのよ』と口癖のように言ってくれていました。決して裕福ではなかったのに、オモチャや本をたくさん買い与えてくれて……自分は口紅すら差すこともなく、ひっつめ髪でずっと内職をしていましたよ」
「そうなの……素晴らしいお母さまね。お父さまはどんな方だったの?」
「父の話はあまり……」
と、彼は言い淀んだあとで
「父は顔が良いだけの道楽者で、女にだらしがなくて……母は苦労の連続だったと思います。その父に似ていると言われるたびに、気分が落ち込みました」
と言った。
「あなたは、お父さま似なのね。だったら感謝しなくちゃ。どんなに道楽者でお母さまに苦労をかけたとしても、あなたにその顔とスタイルを授けてくれた人なんだから」
パトリシアがそう言って微笑むと、フィル・ハーディーは
「自分を美男だと思ったことなどないんですが……」と言ったあとで「でも、この容姿だから成功できたんだ、と言われたら否定はできないですね」と苦笑した。
「あなたは、お母さまが大好きだったのね」
「たいていの子どもはそうでしょう。わたしも母を幸せにしてやりたいと思いました。それには王都に出て、チャンスを掴むしかないと思ったんです。働くのが嫌いなオヤジ……いえ、父のせいで進学なんて夢見ることもできませんでしたが、役者になったらいいと村のおばちゃん……いえ、ご婦人たちに言われていたので、ダメ元で王立劇場のオーディションを受けました。わたしは、幸いなことに一度で合格できたのです。ある女優が弟役を探していて、わたしを推してくれたのだとあとで知りました。その女優こそが、わたしの運命の女性でした」
当時、二十三歳だった王立劇場の看板女優の弟役として、デビューした十五歳の少年フィル・ハーディーはたちまち観客の注目を集めた。
こうして、彼は下積みなど一切経験することなく、デビューと同時にスターになったのだった。そんな彼のことを人々はシンデレラボーイともてはやした。
「一夜明けたら、何もかもが一変している」という経験を彼はしたのだと言った。
「演技面でのつたないところは、姉役の彼女がカバーしてくれました。セリフを噛んだり、出番を間違えたりした時も、機転を効かせて助けてくれました。素人同然のわたしが一夜にしてスターになれたのは、彼女のお陰としか言えません。それなのに彼女は、わたしにチャンスを与えたことを恩に着せたことなど、一度もありませんでした。どんなインタビューでも、『フィル・ハーディーという逸材を発見したのは王立劇場の演出家です。彼と共演できてわたしは幸運でした』と語っていました」
フィル・ハーディーはそう言うと、瞳を伏せた。
「それで恋したの?」
「はい。恐いもの知らずだったわたしは、初日が終わった夜に告白しました」
「彼女は受け入れてくれたの?」
「本気にされませんでした。明るく笑って、『あら、ありがとう。十年後にわたくしがまだ一人だったら、その時お願いね』とかわされましたよ」
「まあ、そうでしょうね。八つも年下の、それも、自分の弟役を演じているような少年の、自分への憧れを本気の恋だと受け取れないでしょうから」
パトリシアはそう言って、二杯目のお茶を注いだ。使用人を呼ばず、自分で彼のティーカップにお茶を注ぐと、彼は焦ったような表情になったが
「ありがとうございます」
と普通に礼を言ってくれた。恐縮して、申しわけないと謝られるのではなく、お礼を言われたことが、パトリシアは嬉しかった。
「でも、『好きだ』『愛している』と、毎日言い続けたら、絆されてくれたのかな?千秋楽の夜には彼女のベッドにいました。あまりにも美しい人は、たいていの男にとって、手が届かない遠い存在のように思えるのでしょうか。彼女のこと、誰もがずっと遠巻きに見ていて、告白するような身の程知らずは、わたしだけだったようで……『ただまっすぐに好きと言われることが、こんなに嬉しいなんて』と言ってくれましたよ。わたしは文字どおり大きな星を手に入れた男でした。彼女は最高の女性だった……」
フィル・ハーディーは、また遠くを見るような目をして言った。
「それで?その女優さんが、奥さまってわけ?あ、あなた独身だったわね。事実婚?スターが結婚すると人気が下がるから、敢えて公にしない関係でいることって、よくあるのでしょう?メイドたちが言っていたわ」
「別れました。彼女にふられて」
「まあ……あなたでも、女性から、袖にされることがあるの?」
目を真ん丸にしてたずねるパトリシアに、フィル・ハーディーは
「自分は八つも年上だから、やがて老いて醜くなって、若い子に目移りしたわたしに捨てられると、そう言うんです。どっちも人気商売ですから、関係を公には出来ない。それもあって、彼女は不安がっていました」
「わかるわ……その気持ち。女性の立場からすれば、しっかり捕まえてほしいのに、仕事のためを言い訳にされて、結婚を後回しにされているように感じたんじゃないかしら」
「わたしは何度も結婚を申し込みましたよ。でも、スターになったばかりのわたしに女の影がちらついたら人気が落ちる、そう言って求婚を断り続けたのは彼女のほうです」
フィル・ハーディーはそう言って、肩を落とし
「それでいながら、わたしが劇団の後輩女優と話をしただけで、うちへ戻ってからすごい剣幕で怒鳴ったり……付き合って七年目に、とうとう決定的な諍いがありました。舞台を終えて、仲間と打ち上げで飲んでいただけなのに、隣に座った女優とのツーショットを取られ、それが新聞にデカデカと乗ってしまい……」
「まったく新聞ってのは、ろくなことをしないわね」
新聞は、次々と人の幸せを壊す。
知らなければ平和に終わることを、わざわざ暴いて見せて、それを眼前に突きつける。それが読み手には面白いのかもしれないが、当事者にとっては、たまったものではない。
パトリシアは、ミッドフォード元伯爵の「子猫の館騒動」を思い起こしつつ怒りに震えていた。
「当然、あなたは否定したんでしょう?」
「否定なんてできませんよ」
フィル・ハーディーは、寂しげに笑って
「女との噂がなさすぎるのも、同性愛者だと疑われて女性人気が下がるからと、劇団のマネージメントを行なっている男が仕組んだ記事でしたから。『彼女のことは、大切な友だちだと思っているが、未来のことはわからない、我々のことを温かく見守ってほしい』なんて言わされました。それに……あの場には複数の人間がいたはずなのに、わたしとその女性が二人だけでディナーをともにしたと書かれていて」
「女性の影がないと人気が出ないというなら、あなたが愛したその方との仲を公にすればよかっただけじゃないの。そして同じように『温かく見守ってほしい』って言えばよかったのに。わざわざ付き合ってもいない女性との仲を思わせぶりに報道して……ファンを騙すような嘘、どうして?」
「彼女が年上で、それも一つや二つじゃなく、八歳も違うことがネックになると言われて、交際をオープンにすることを反対されました。フィル・ハーディーのガールフレンドは、妹のような親しみやすい、可愛い女の子でないといけないそうです」
「ひどいわ」
「そして、彼女は去って行きました」
「なんてこと……でもね、そんなゴシップを信じている人なんていなくてよ。あなたは、王立劇場でずっと主演をし続けてきたこの国の宝だし、今回の叙爵に関しても、そんな嘘っぱちのスキャンダルを持ち出して反対する人なんて誰一人いなかったはず。だから、あなたは今ここにいるのよ」
「世間の皆がデマだとわかって、暇つぶしにすらならないようなくだらない記事だと読み捨てているのに、あれを真に受けて、誰よりも自分を信じてくれるはずの恋人がわたしを捨てたんです」
フィル・ハーディーは悲しそうに言った。
「その二か月後、新聞に、女優キャサリン・ワイルダーが、エーベル侯爵と結婚したことが大きく出ましたよ。スター女優と貴族との世紀のロマンスに世間は沸き立ちました」
「あのキャサリン・エーベルだったのね。あなたのデビューした舞台で姉役を演じたのは!残念ながら、わたくし、あなたの初舞台は見てないから、キャサリンを女優としてはよく知らないけど……結婚のため引退した、とは言っていたわ」
「キャサリン・ワイルダーを、女優としてではなく、個人的に、ご存じなのですか?」
「ええ、知ってるわ。キャサリンはエーベル侯爵と結婚して、貴族社会の一員となったんですもの。わたくしたちはね、貴族社会の人間関係を常に最新のものにしておく義務があるの。誰と誰が婚約した、結婚した、別れた、ってことをまとめた書面が月の初めに配られるのよ。それに目を通して、ちゃんと頭に入れておかなきゃならないの」
「なるほど……そうでしたか」
フィル・ハーディーは言ってから
「親子ほども年の違う、白髪の男性と彼女がにこやかに微笑み合っている写真を見て、一時は死にたいとまで思いました」
「あなたなら、女性なんていくらでもいるじゃない。あなたを捨てて他の男性に走った人のために命を捨てたくなるほど思い詰めるなんて……」
「あの頃のわたしにとっては、彼女が世界のすべてだったんです。それがあんな爺さんと……吐き気がしましたよ」
フィル・ハーディーはそう言ったあとで
「王女の前で、このようなことを……申し訳ありません」
と言った。
「謝らなくていいわ。わたくしが聞きたがったんですもの。『ひどい女もいたものね』とでも言って、今この場で、あなたに共感してあげてもいいけど」
パトリシアは、そこで言葉を切ってから、目の前の茶菓子をつまんあとで
「実はね、……エ―ベル侯はね、同性愛者なのよ。女性は愛せないの。だから跡取りに甥を指名したんだけど、貴族の当主が結婚しないのは外聞が悪いからと、いろんな人から縁談を持ち込まれて弱っていたのよ。彼が最も毛嫌いしていたのは、自分を売り込んでくる怪しい素性の女たちよ。かと言って、そんな女たちを遠ざけるためとはいえ、世間に、自分の性癖を告白するのは憚られるし、で、エーベル侯は悩んだ末に……金を積んで女優に妻の役をお願いしたんですって。確かによく考えたわよ、エーベル侯。あのキャサリン・ワイルダーから夫を奪ってやる、なんて女はいないでしょうから、自分の周囲をうろつく野心満々の腹黒女も一掃できたでしょうし。あの手の女は勝てない勝負はしない、ってメアリーも言ってたわね。もっとも、結婚後、ほどなくして侯爵は亡くなったわけだから……結果的には、偽装結婚なんて必要なかったのに」
と、パトリシアは言って
「今の話は、わたくしの母方のいとこから聞いたのよ。いとこは、亡きエーベル侯の甥と、結婚予定で、そのいとこが言っていたことだもの。嘘ではないわ」
「そうだったんですか」
「彼女は、あなたの将来のためを思って身を引いたの、そして、かねてから彼女に契約結婚を申し出てきていたエーベル侯爵の話を受け入れ、侯爵の形だけの妻となって、それを新聞に大々的に報道させたのよ。こうすれば、あなたが追って来ないと思って」
「わたしの将来……そんなもののために」
「ほんとうはね、あなたから捨てられるのが恐かったんだと思うわ。自分で身を引いた、ってことにすれば、まだ心が救われる。女ってそんなものよ」
と、パトリシアは言ってから
「まだ、彼女のことを愛していらっしゃる?」
とたずねた。
「まさか。終わった関係なんですから、気持ちもそこでおしまいです」
「今は、誰ともお付き合いはされてないの?あなたに告白してくる女性はたくさんいそうだけど」
「そういう女性は、わたしに愛を求めてきます。ですが、わたしは、もう、情熱をもって彼女たちに向き合えない。だから……受け入れるわけにはいきません。その人と誠意ある関係を築けないのがわかっていて、相手の求愛を受けたりするのは、ろくでなしのすることです。わたしは父のようにはなりたくありません」
「過去を吹っ切るためには、新しい恋をしろと言うじゃないの。あなたは、ただ、誰かと、深い関係になって、また傷つくのが恐いだけなんじゃないかしら?」
「そうです。殿下。わたしは臆病者ですので」
フィル・ハーディーはそう言った。
(この人が、また恋をすることがあるとしたら、相手は、どんな女性なのかしら?)
パトリシアは想像してみた。
フィル・ハーディーの名声や美貌に目を眩まされることなく、本当の彼を受け入れ、愛することのできる女性、そんな女性がいるものだろうか。
ファンからどれだけ憧れられ、賞賛されても、彼には、大事な「たった一人」がいない。
無名だった頃のように、素直な気持ちで人を見ることは、彼には、もうできないだろう。
ほとんどの人が、自分を利用価値のある人物、と見做して寄ってくるからだ。
有名人と親しくなって、周囲に自慢したい、虚栄心を満たしたい、そして金銭的にも得をしたい、と群がってくる者たちへの対応を、決して間違えてはならないのが、今のフィル・ハーディーの立場なのだ。
今回の叙爵で、彼は、今以上に不自由で、不幸になったとすら言える。
誰かを好きになったり、好きになられたりすること、気軽に言葉をかわす友人を作ることは、地位や富を得た人間には、逆に叶え難い夢となってしまうのだ。
(彼はまだましよ……わたくしなんか、生まれたときから……ずっと)
「さきほど、あなたは、おっしゃっていたわね。王族も庶民もない、普遍的な人の心を演じたいって。王女という身分なんか関係ないの。わたくしも女として、恋心の一端くらいはわかっているつもり。実らない恋ばかりだったけど」
パトリシアはそう言うと、そっと目を閉じ、しばらく心を別世界に行かせていた。
やがて、現実に戻ると
「若き恋人の未来のために身を引いた、年上の美人女優……切なくも美しい、束の間の恋……素敵だわ」
とつぶやき、そして
「この悲恋をお芝居にしないなんて、もったいないわ。いつまでもシェイクスピアにばかり頼ってるんじゃなくて、いえ、もちろん、あなたのハムレットやロミオは素敵よ。でもね、新作を世に出さないと飽きられるわ。この物語を上演しましょうよ。キャサリン・ワイルダー復帰第一作よ。侯爵が亡くなって彼女は未亡人なんだし、時間はたっぷりあるはず。遺産は甥っ子が総取りしたから、いくら、契約結婚をしたときに侯爵が彼女に払った謝礼金があるとしても、この先の長い人生を考えたら、舞台に立つしかないはずなの。何より、大女優キャサリン・ワイルダーを失ったままなんて、国家的損失よ」
パトリシアは、フィル・ハーディーを見つめて
「彼女の恋人の役は、あなたがやるのよ。あなたの演技力なら余裕でしょ?あなたは、かつての自分を演じることで、失恋の苦しみを乗り越えて、新しく生まれ変わるの。いいわね?」
そう言ってから
「脚本はわたくしが書きます!今まで、あなたの追っかけをしてきて、お芝居はたくさん見たから、素養はあるはずよ」
「いえ、殿下……観劇を楽しむことと、脚本を書くこと、それも名作を生み出すことの間には、大きな距離感があるというか……その……」
「わたくしには、優秀な側近もいるのよ。国語の家庭教師は『花舞う王都』の作者、ハロルド・モンティですからね。わたくし、何しろ王族ですもの、本人の出来は悪くても先生は一流なの。モンティ先生に教えを乞いながら、世の女の人たちが涙を絞るような切ないお芝居を作り上げてみせます。わかったわね?」
「いや、いくら何でも自分の私生活を舞台で演じるわけには……それに、キャサリンの復帰だって、彼女が首を縦に振るかどうか。すでに引退して、落ち着いた暮らしをしているであろうキャサリンを、表舞台に引っ張り出すなんて……そんなこと出来っこない、いや、するべきじゃないですよ」
二の足を踏むフィル・ハーディーに、パトリシアは
「黙らっしゃい!……キャサリンは、お飾りの妻だったとはいえ侯爵夫人だった人。既に貴族社会の人間なのよ。王女のわたくしに抗って、復帰したくないなんて言えるものですか」
そう言ってから、彼女はフィル・ハーディーを、しかと見据え
「キャサリンだけじゃないわ。あなたも覚悟を決めるのね。これは命令です。王立劇場で仕事をしているあなたが、フレデリック五世と、その愛娘パトリシア王女を敵に回したいなら話は別だけど。それとも、新大陸へでも行って、成金の建てた、ナントカ・アーヴィン劇場とやらで、金儲けの駒として働くおつもり?」
と、言ってのけた。
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