割込み王女に祝福を(婚約解消いただきました。ありがとうございました)

久留美眞理

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第十章

ホテルはリバーサイド

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第九章 ホテルはリバーサイド

 「二度目の婚約解消、ね。こうなれば三度目もあるかも。だからわたくし、もう結婚はいいわ」
 ブライトストーン子爵領に向かう馬車の中で、ベアトリックスは母に言った。
 母が
 「人の噂も何とやら。しばらくお父さまの領地に引っ込んでいれば、みんな忘れてくれるわよ。それにあなたの心の傷も、きっと癒えるわ」
 と言うと、ばあやは、ベアトリックスの帽子を直してくれながら
「そうですとも」
と相槌を打ち
 「日焼けをなさらないように、広めの鍔の帽子にされたのは正解ですわ。夏が近うございますから、涼しい子爵領に行けて、わたくしも嬉しゅうございます」
と言った。
 「だいたいね、仮に、あなたがエドワード・アーヴィンと何かあったとしてよ、それがどうだと言うの?過去に誰かを愛したことが『キズ』だなんて言う男、人として小さすぎるわ。それも自分と出会う前の話じゃないの。あなたの人生にどんな権利があって口を挟むのよ」
 と母クローディアは、いまだ怒りが収まらない、という感じで言った。
 「ありがとう、おかあさま。でももういいの」
 ベアトリックスはそう言うと、馬車の窓から外を見た。街の花屋の店先に並ぶ季節の花を、彼女は見るともなしに見ていた。

 母とばあやは、あの夜起こったことの全てを知らない。レイモンドが結婚式の日まで理性を保てず、ベアトリックスの意に反して関係を迫ったことと、ベアトリックスと前婚約者のエドワード・アーヴィンの仲を疑い、激しい嫉妬をぶつけた挙句、彼女を売女と罵ったことだけを二人は知っていた。ベアトリックスは身に覚えのないことで責められ、不当に怒りをぶつけられ、性的被害まで受けそうになった、彼女たちはそう思っていた。そのため、母もばあやも彼のことを心から憎み、軽蔑しているのだ。

 だが、レイモンドの心のタガをはずしたのはベアトリックスだ。裏庭でエドワード・アーヴィンとワルツを踊ったあと、ホールに戻ろうとした彼を引き止めた。そこで起きたことを彼女は誰にも告げることなく、心の中の秘密にしていた。

 (彼だけが悪者じゃないのはわかってる。だけど・・・)
娼館にツケをためている男が、婚約者にだけ純潔を求めたり、ましてや、愛がなくてもできる、などと言って強引に関係を迫ったり、思い出したくないことばかりで、ベアトリックスは思わず頭を抱え込んだ。
(彼は、とんでもない人だわ)
 あの夜、自分が味わった恐怖を思うと、とても、かつての婚約者を許す気にはなれなかったし、まして、母とばあやに対して、あの夜のことを打ち明けて彼を弁護する気になど、到底なれるはずがなかった。

 「お父さまに銃を突きつけられて、あの人、別邸に逃げ帰っていったそうね」
と、ベアトリックスは言った。
「夜中に早馬飛ばして、いい気味よ。銃で脅されたら、たちまち震えあがって・・・あんなに臆病で、いざという時、王家の方々を身を呈して守れるのかしらね。情けないったら。近衛隊もとんでもない兵士を入れたものだわ」
 と母はあざ笑うように言った。
 「馬屋番のヘンリーが申してましたわね。『ヤツァ、小便漏らしながら馬を借りにきやがったぜ』ですって」
 ばあやが言うと
「やめてよ、ばあや」
「そうよ。似すぎてるわ」
三人の高笑いが馬車の中に響いた。

 「それにしても、わたくしったら、どうしてあのとき、『エドワード!』なんて叫んじゃったのかしら。『助けて、お父さま』、って言えばよかったのに」
 ベアトリックスは苦笑した。
 「たぶんね、あなたが、心の奥で、一番頼りにしていた殿方が、エドワード・アーヴィンだったのよ」
 クローディアが言うのを聞いて、ベアトリックスは肯定も否定もしなかった。石畳を走る馬車の轍の音を聞きながら、母と娘は、自分たちが王都を離れ、新天地に向かっているのを実感していた。

 「王都を流れるこの川ともしばらくお別れよ、今夜はここで一泊しましょう」
川沿いの老舗ホテルの前で母は言った。
 母とばあやが、手続きをしている間、ベアトリックスはロビーのソファに座り、本を読みながら待っていた。
 ふと、書物から顔を上げた時だった。
 目の前に、女性二人が立った。
 「ベアトリックス、お久しぶりね」

 パトリシア王女と、その側近だった。

 「ご存じ?わたくし、結婚するのよ。フロラン国から招いたデザイナーの宿泊先がここだから、ウエディングドレスのデザインについて相談に来たの。お城に招くと大げさになるから、ひとまずお忍びでね」

 (ウエディングドレスの打ち合わせ・・・とうとうエドワードとの結婚が具体的に動き出したのね)
 
 ベアトリックスは胸の痛みをこらえながら、王女に笑顔を向けた。
 「おめでとうございます。王女殿下」
 
 「ベアトリックス、わたくしね、やっと結婚できるの。もうすぐ伯爵夫人よ」
とパトリシア王女は言った。

 「まあ、アーヴィン氏が男爵を飛び越して、子爵よりさらに上の伯爵に?」
驚くベアトリックスに

 「わたくし、どうやら、あなたが嫌いだったみたい。だから、あなたの物は取り上げたくなるの。あなたごときが持つなんて許されない、良いものは特にね」
と、王女は言われた。意外なことを聞く、とベアトリックスは思った。
 子爵家が没落してからも、貴族令嬢同士の集まりにはお声をかけてくださっていた王女、自分を案じてくださってのことではなかったのか。欠席の返事を出すたびに王女のご好意を無にしたようで胸が痛んだのを彼女は思い出した。

 「王女殿下、あなたさまは、わたくしにとって、常に思いやり深い優しい方でした。我が家が落ちぶれても変わらずお茶会にお誘い下さり、有り難く存じておりました。それがなぜ?わたくしに何か落ち度がありましたでしょうか?」
 ベアトリックスはそこで言葉を切った。王女の御尊顔を直視は出来ず、頭を垂れて王女の言葉を待ったが、二人の間には沈黙が流れただけだった。側近も間に入ってとりなそうとはしない。
 「姫さま、我が家門が傾いてからは、ほとんどお目にかかることもございませんでしたのに、王女さま主催で、婚約祝いのお茶会まで開いてくださったお気遣いに、あの頃どれほど感謝いたしましたことか・・・それに先日の我が家での新伯爵のお披露目にもご臨席くださったというのに」
 ベアトリックスは、黙ったままの王女に向かって、自分の偽らざる気持ちを吐露した。

 「没落した家の娘のくせに男運がよくて腹が立つの。わたくしにはろくな話が来ないのに、あなたには二度も良縁が持ち込まれて・・・」
 と王女はつぶやいた後、
「あのお茶会はね、仲間の令嬢たちとあなたを笑いものにしようとして呼んだのよ。ろくにマナーも知らないだろう成金の婚約者を見てみたかったし、彼と一緒に来るあなたの気落ちした顔も見たかったから。なのに、素敵な男性にエスコートされて颯爽とあらわれて、『やだー、イヤリングが落ちちゃったー』『アクセサリーくらいまた買ってあげるよ』なんて、わたくしの前でベタベタと」
王女は、はーっとため息を吐いて
 「それに、そうよ、あの時のお茶会でのあなた、臆することなく、まるで自分がずっと王宮の催しに呼ばれつけている貴族令嬢です、って態度で皆と対等に話していたわね。そういうのも見ていてイライラしたわ。エドワードが貢いだお金で借金を返して、そのうえ宝石だのドレスだの高価なものをいっぱい買わせて・・・弟には立派な馬、王都にも領地にもあなた方のために屋敷を新築しているとも聞いたわ」
 王女の怒りにまかせた言葉の数々を、ベアトリックスは黙って聞いていた。

 「ベアトリックス、あなた、魔性の女ってみんなに言われているのよ。そんな悪女が幸せになるなんて許せない。だから、あなたの物は取り上げたくなるの」

 (わたくしは、エドワー・アーヴィンに何一つ、ねだったことはありません。すべては、あちらのご厚意で・・・なんて言おうものなら火に油を注ぎそう)

 ベアトリックスは何も言わずに、とにかく空気を和らげようと少し微笑んだ。何を手間取っているのか、母もばあやも戻ってこないのがいらいらする。
(お化粧室にでも行ったのかしら?お母さまってば、化粧直しが長いのよね)

 顧客のプライバシーを最大限に尊重する一流ホテルで、客は上流階級の者ばかり、従業員も厳しい教育を受けた選ばれた者たちばかりの場所ゆえに、王女は周りを気にせず、本音でズケズケ喋っているのだろうが、それにしても人目をなんとも思わないのだろうか、とベアトリックスは感じ、せめて二人の間の不穏な空気を消そうと、またも笑顔を作った。
 「出たわ、不敵な悪女の笑みが。でもね、今日はあなたを絶望させてあげる。わたくしのお相手は、ミッドフォード伯爵よ。どう驚いた?これはもう決まったから。あなたが何と言って彼にすがっても無駄ですからね」
と、意地の悪い笑みを浮かべて言った。
 「どうぞ、これ。あなたにあげる」
 王女が顎をしゃくると、傍らの側近が、新聞を手渡した。一面には「王家の第三王女パトリシア殿下と、近衛士官レイモンド・バイロン・ミッドフォード伯爵の婚約決定」と書かれていた。
 「明日、出るのよ、この記事が」
王女は言うと
 「年上の男性って、頼もしくてすてきよ。残念ね、ベアトリックス。ミッドフォード伯爵って、ほんとうに立派な方。彼にはあなたの色仕掛けは通じなかったようね。『王室に忠誠を誓う近衛兵士のわたしは、親族に押しつけられたいとこのベアトリックスより、王女さま、あなたを選びます』、ですって」
と、さらに微笑んだ。これ以上ない満面の笑みである。
それから急に
 「ねえ、聞いてちょうだい」
と、さらに勢い込んで話し始めた。「嫌い」と言い放った相手に、何を期待してるのか、ベアトリックスはさっぱりわからなかったが、仮にも相手は王族、礼に則って
 「わたくしでよろしければ、おうかがいいたします」
 と言った。
 「エドワードはつまらない人だったわ。一緒にいるときも黙りこくって、わたしの話にろくに返事もしないのよ。手をつないで歩いたり、キスしたり、恋人らしいことは一度もなくて・・・『パトリシア王女殿下、なんて言わずにパティと呼んで』と甘えてみても、『そんな恐れ多いことは致しかねます』と言って、ずっと殿下って呼んでいたわ。挙句の果てに、新大陸に仕事で出かけるから、少なくとも半年は帰りません、なんて言い出したの。だから、わたくし、もう待てない、って言ってやったわ。二十五歳までに結婚するのが夢だったのに」
とため息をつき、なおも王女は
 「彼の教育係からも、アーヴィン氏はやる気がないので、婚約発表は先延ばしするように、って忠告されていたし。彼、いつも寝起きみたいな跳ねた髪でやってくるのだそうよ。フィル・ハーディーみたいに、額の見える髪型にして、ってお願いしても全然聞いてくれなかったの。おまけに講義の最中うとうと居眠りしてるそうじゃないの。あれじゃ、いつまで経ってもわたくしは花嫁になれないわ」
 王女は、拗ねたように顔を歪めて
 「あなたが、エドワードと婚約解消になっても、少しも落ち込んでなかったのは、彼がああいう人だったからなのね。そうそう、新大陸へ向かう彼の船は明日出航ですって。もう帰ってこなくていいわ。あんな男」
と言い捨てた。

 ベアトリックスは、王女の前でつまらなそうに黙り込むエドワード・アーヴィンのことを想像してみた。きっと心ここにあらず、というふうにため息をついたり、王女の話の腰を折って急に席を立ったりしたのだろう。苦手な女性を避け続けていた彼の、不機嫌そうな顔が思い浮かぶ。
 ふふっと笑いがこみあげてきた。

 「またも意外なお話をうかがいましたわ。エドワードは、わたくしのこと、ずっとベアティと呼んでくれてましたし、わたくしも彼をエディと呼んで、二人で一緒の時は話が尽きませんでしたわ。彼はユーモアがあって楽しい人でした。彼の髪はきれいなブロンドだから、髪が跳ねててもだらしなく見えるなんてこと、ありませんわ。おしゃれで素敵だと、わたくしは思いますけれど

 「それに・・・」とベアトリックスは言ってから
 「婚約解消のあと、わたくしが落ち込んだように見えなかったのは、ひとえに臣下としての礼儀ゆえですわ。わたくしが落胆した姿をお目にかけることは、王女さまの心のご負担になるかと存じまして、あえて明るくふるまっておりました」
 ベアトリックスの言葉を受け
 「まあ!・・・」
 と王女は絶句している。
 「もっとも、わたくしは子爵家の人間ですし、王室の方々とは立ち位置が全然違います。庶民に近いので彼も話しやすかったのかもしれません」
 ベアトリックスは、そこでいったん言葉を切ってから

 「ああ・・・高貴なご身分の方っておかわいそう。相手が勝手に距離を感じて、互いの心が近づくこともなく、恋も語り合えないなんて、ほんとうにお気の毒だわ。ご自分が相手にとって、高嶺の花すぎるって、どんなにか、おつらいでしょうね」
わざとらしく、ハンカチを目に当て、よよよ、と噓泣きをした。
(これくらいお返ししても、いいわよね)
 彼女は、瞼を押さえながら、心の中でそうつぶやくと
 
 「でも、災い転じて何とやら、ですわ。ミッドフォード伯爵こそ王女にふさわしい方。伯爵の親族の一人として断言させていただきます。彼は近衛士官として、公的にもプライベートでも殿下を守り抜く人ですわ。姫さま、どうかお幸せに」

 「あなたこそ、幸せになってね、ベアトリックス」
 王女は、言葉とは裏腹に怒りで吊り上がった目で彼女を見て
 「あなたが三度目の正直で誰かに出会ったら、もう、わたくし、その方を取り上げることはしなくってよ。ただ、二度の婚約解消を経験したあなたに、手を差し伸べる奇特な殿方がいれば、の話ですけれど」
と言って、ホホホと笑った。
 「大丈夫ですわ。王女さまの気まぐれで二度も婚約者を失った娘に、世間はむしろ同情的ですの。わたくし、次々と持ち込まれる縁談がむしろ煩わしくって、たいへん困っておりまして」
と言って、ホホホと笑い返して見せた。
 「まあ、なんですって」
と王女はいきり立ったが、側近が
 「伯爵を取られたベアトリックス嬢の負け惜しみですわ、殿下。もうお部屋で休みましょう」
と、とりなし、王女は「それもそうね」と機嫌を直していた。
 去っていく王女の後ろ姿を見ながら
 (王女さま、あなたさまはいつもわたくしのピンチを救って下さるわ。一度目は、あなたの婚約者略奪のお陰で多額の慰謝料がもらえて、子爵家の経済は潤ったし、今度は、ミッドフォード一族の恥を引き取ってくださった。助かりました。ほんとうにありがとうございます。王女がわたくしをお嫌いでも、わたくしは、あなたさまに感謝いたしております。ベアトリックス・ルチア・ブライトストーンは、王女さまと王家に永遠の忠誠を誓います)

 ベアトリックスは心でそう言った。

 母とばあやが戻ってきた。

 「今夜は、女三人でディナーパーティーよ。美味しいものをいっぱいルームサービスしてもらいましょう」
 ベアトリックスはそう言って笑った。
 部屋の窓から、ゆったりと流れる王都のシンボルと言える川が見える。
 (この川は海へと続いているのね。彼が渡る海へと)
 終わったことと思いつつも、ベアトリックスは、エドワード・アーヴィンの航海の無事を神に祈らずにはいられなかった。

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