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【第10部】東の島国・トヨノクニ開国(物理)編 ~悪役令嬢、黒船になる。鎖国? ならば「開国(物理)」して、美味しいお米と温泉をいただきます
第082話 【新章・トヨノクニ編①】黒船来航(物理):鎖国? 玄関が閉まっているなら、壁ごと壊して「入国」しますわ
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無限に広がる、コバルトブルーの海原。
南の大陸サン・ルーチャ王国、そして南海の無人島を出立してから、幾日もの時が流れた。
照りつける太陽と、どこまでも続く水平線。普通の航海ならば退屈で気が狂いそうになる景色だが、わたしたちの旅は「普通」とは程遠い。
波を切り裂いて進むのは、常識的な船ではない。
かつて無人島を支配していた巨大な陸戦型クラーケンの強化骨格をキールとし、古代樹の大木を幾重にも組み合わせ、さらに全体を魔獣の墨と黒曜石を混ぜた特殊塗料で漆黒に染め上げた、異形の超巨大イカダ。
その甲板には、二階建てのログハウス(もはや豪邸と呼ぶべき威容だ)が鎮座し、家庭菜園の緑が茂り、あろうことか露天風呂から湯気が立ち上っている。
動力には古代ダンジョンから引き抜いてきた魔導タービンを搭載し、その推進力は現代の帆船を遙かに凌駕する。
魔導戦艦「ヴィータヴェン号」。
それが、今のわたしたちの「城」であり、世界を渡る旅の足だ。
「……匂うわね」
甲板に置いた愛用のデッキチェアに優雅に寝そべりながら、わたし、レヴィーネ・ヴィータヴェンは鼻をひくつかせた。
潮風に含まれる、独特の湿り気。
サン・ルーチャの甘ったるい果実の腐敗臭とも、帝国の乾いた土の匂いとも違う。
どこか懐かしく、胸の奥を締め付けるような、湿潤で豊かな緑と土の香り。それは、わたしの魂の奥底に眠る記憶を優しく撫でるような香りだった。
「匂い? 潮の匂いしかしないけど……レヴィちゃん、まさかお腹空いてるの?」
隣のチェアで、だらしなく手足を投げ出しているアリスが、けだるげに尋ねてくる。
彼女は今、南国で買った派手なアロハシャツのような柄の法衣(一体どんなセンスをしているのかしら)を身にまとい、顔には日焼け防止のキュウリパックを乗せている。かつての聖女の威厳は、太平洋の彼方に置いてきたようだ。
「失礼ね。わたしの胃袋は、常に適切な状態よ。……そうじゃなくて、気配の話」
わたしは顔にかかったサングラスを少しずらし、東の水平線を睨んだ。
その瞳には、まだ見ぬ地への期待と、ある種の確信が宿っている。
「近づいているのよ。……わたしの『魂の故郷』が」
トヨノクニ。
東の果てに浮かぶ島国。
前世の記憶にある「日本」と酷似した文化を持つとされる、未知にして既知の国。
わたしの脳裏に、鮮烈な映像がフラッシュバックする。
湯気を立てる白米。一粒一粒が真珠のように輝き、噛めば甘みが口いっぱいに広がる銀シャリ。
黄金色に輝く味噌汁。出汁の香りが鼻腔をくすぐり、五臓六腑に染み渡るあの一杯。
焦げた醤油の香ばしい匂い。
そして、出汁の染みた煮物。
それらは、病室で動けなかった前世のわたしが、夢にまで見た「生の象徴」だった。
点滴と流動食の日々の中で、焦がれ続けた味。食べることは生きること。その当たり前の幸福を、あの頃のわたしは享受することができなかった。
だが、今のわたしには、最強の肉体がある。無限の胃袋がある。
あの頃の夢を、現実として噛み締める準備は、万端以上に整っているのだ。
「待っていなさい、お米。待っていなさい、温泉。……今、迎えに行くわ」
わたしが低く唸ると、背後からドタドタと重い足音が近づいてきた。
「レヴィーネ様ァァァッ!! 見えました! 見えましたッ!!!」
見張り台代わりのヤシの木(甲板に直植えしてある)から、ミリアが転げ落ちるように降りてきた。
背中には、相変わらず自分の体積よりも巨大なリュックを背負っている。中身は当然、世界中から集めた調味料と商材だ。この子の背筋力はどうなっているのかしら。
「島影です! 水平線の向こうに、長細い島が見えます!」
ミリアの声に、わたしは弾かれたように立ち上がった。
鉄扇を開き、風を操って視界をクリアにする。
――そこにあった。
海と空の境界線に浮かぶ、霞がかった島影。
雲を頂いた高い山脈と、複雑に入り組んだ海岸線。
「……ああ。間違いないわ」
心臓が早鐘を打つ。
あそこには、わたしが求めてやまない「日常」がある。そして、わたしがへし折るべき「理不尽」もまた、待っているはずだ。
サン・ルーチャを去る時、耳にした噂を思い出す。『鎖国』『将軍による圧政』『飢える民』。そんな話を聞いて、黙っていられる性分ではない。
美味しいご飯を食べるためには、それを作る人々が笑顔でなければならないのだから。
「全速前進よ! エンジン出力最大! 今夜の夕食は、あの大地の上で炊きたての白飯を食べるわよ!」
「はいッ! 直ちに魔導タービンに薪をくべます!」
「やったー! 陸だー! お米だー!」
ミリアが機関室(ログハウスの地下)へ走り、アリスが顔のキュウリを放り投げて杖を構える。
ヴィータヴェン号が「ヌゥォオオオォォォォォン……」と腹の底に響くような唸りを上げ、黒い船体が波を砕いて加速した。
クラーケンの魔力を帯びた船体は、あたかも生き物のように海面を滑走する。
しかし。
感動の対面は、そう簡単にはいかないようだった。
◆◆◆
島影が大きくなり、港の様子が肉眼で見える距離まで近づいた時だ。
カンカンカンカンッ!!
港の方から、けたたましい半鐘の音が響いてきた。
海岸線に築かれた石垣の上には、豆粒のような人影が多数、慌ただしく動き回っているのが見える。
「……あら? 随分と熱烈な歓迎準備ですこと」
わたしは目を細めた。
彼らが構えているのは、花束でも歓迎の横断幕でもない。
弓矢。鉄砲。そして、旧式だが大口径の大砲だ。殺気立っているのが、ここからでもわかる。
平和的な来訪者に対する態度ではない。まるで、魔物の襲来に備えるかのような緊張感だ。
港からは、数隻の小舟がこちらに向かって漕ぎ出してくる。
木造の、小回りの利きそうな船――「関船」だ。乗っているのは、独特の結い髪をし、腰に刀を差した男たち。
「異国船に告ぐゥゥッ!!」
先頭の船に乗った侍が、竹筒のような拡声器を使って怒鳴り声を上げてきた。
「此処は神国トヨノクニである! 公儀の許しなき異国船の接近は、国法により固く禁じられておる! 直ちに回頭し、立ち去れいッ!!」
古めかしい言葉遣い。排他的な態度。
噂に聞いていた通りの「鎖国」だ。
外の世界を拒絶し、内側に閉じこもることで何かを守ろうとしているのだろうか。それとも、中の腐敗を隠そうとしているのか。
「うわぁ、問答無用だね……。ねえレヴィちゃん、どうする? 手続きとか、入国審査とか……」
アリスが不安そうにわたしを見る。
彼女は元聖女としての良識がまだ残っているのか、それとも単に揉め事を避けたいだけなのか。
わたしは鉄扇で口元を隠し、冷ややかに笑った。
「手続き? 入国審査? ……そんなもの、まともに取り合っていたら日が暮れてしまうわ」
わたしは一歩前に出た。
海風が漆黒のドレスの裾を揺らす。
「聞こえるか、トヨノクニの武士たちよ!」
わたしは身体強化で喉を震わせ、拡声器なしで声を轟かせた。
その音圧だけで、海面がさざ波立ち、空気がビリビリと震える。
「わたくしたちは怪しいものではありません! ただ、美味しいご飯と温かいお風呂を求めて、はるばる海を越えてきた善良な観光客ですわ!」
「問答無用ッ! 立ち去らねば撃ちかけるぞ!」
侍たちは聞く耳を持たない。彼らの顔には、未知の巨大船に対する恐怖と、義務感による焦りが張り付いている。
彼らもまた、上からの命令に縛られた哀れな駒に過ぎないのかもしれない。だが、わたしの食欲を邪魔するなら話は別だ。
「……撃つ、ですって?」
わたしのこめかみに、青筋が浮かんだ。
目の前に、愛しのお米がある。温かい温泉がある。
それを、こんな理屈の通じない壁一枚で遮られるなど、我慢がならない。食い物の恨みは恐ろしいと、教えてあげなくてはいけないようね。
「いい度胸ね。……客人を追い返すのが、あなた方の『おもてなし』なのかしら?」
「ええい、構わん! 撃てェッ! 異人の妖術船を沈めろォォッ!!」
侍の号令と共に、海岸線と小舟から、一斉射撃が開始された。
ヒュルルルル……!
空を覆い尽くす無数の火矢。
ズドン! ズドン!
黒色火薬の煙を吐き出し、鉄球を弾き出す大砲。
それは、交渉の余地のない、明確な殺意の雨だった。
「ひぃぃッ!? 本当に撃ってきた!?」
アリスが悲鳴を上げる。
「レヴィーネ様! 積荷の味噌樽に火がついたら大変です! 貴重な発酵菌が死滅してしまいます!」
ミリアがリュックを庇って叫ぶ。命より味噌が大事なのか、この子は。いや、商人としては正しい反応かもしれない。
わたしは、迫りくる死の雨を見上げ、深く息を吸い込んだ。
「……あーあ。穏便に済ませたかったのに」
わたしは鉄扇を閉じた。
そして、足を踏ん張り、腰を落とす。
甲板の木材がミシミシと音を立てる。
「わたしの食事時間を邪魔する奴は……神だろうが将軍だろうが、物理で黙らせるのが流儀よ!」
カッッッ!!
わたしは鉄扇を一気に開き、横薙ぎに一閃した。
「――『暴風・鉄扇』ッッ!!!」
ゴオオオオオオォォォッ!!!
扇ぐ、などという生易しいものではない。
身体強化フルパワーで繰り出された超高速のスイングは、大気を圧縮し、質量を持った衝撃波を生み出した。
それは見えない壁となって空を駆け上がり、飛来する火矢の群れを真正面から叩き潰した。
バキバキバキッ!
空中で矢がへし折れ、炎が吹き消され、逆風に乗って海へと叩き落とされる。
「な、なんだ!? 風が……矢を落としただと!?」
「馬鹿な! 人力で起こせる風圧ではないぞ!」
侍たちが驚愕に目を見開く。
だが、攻撃はまだ終わらない。大砲の弾丸――重い鉄球が、放物線を描いて船体へと迫る。
物理的な質量を持つ砲弾は、風だけでは止めきれない。
「アリス! 仕事よ!」
「もー! わかってるよぉ! ほんと、レヴィちゃんといると退屈しないよね!」
アリスが『星光の聖杖』を高々と掲げた。
杖の先端にある宝石が、太陽のように輝く。彼女の背後に、聖なる光の輪が出現する。
「聖なる光よ、我らを守る盾となれ! ――『聖域結界・物理反射』ッ!!」
キィィィン!!
船全体を包み込むように、半透明の黄金のドームが出現した。
着弾した砲弾は、結界の表面でボヨンと間抜けな音を立てて弾かれ、あるいは運動エネルギーを殺されて、ポチャリと海に落ちていく。
水柱が上がり、魚たちが驚いて飛び跳ねる。
「た、大砲も効かん!? 化け物だ……南蛮の妖怪だァッ!!」
恐怖が伝染し、侍たちの戦列が乱れる。
未知の力に対する根源的な恐怖。それが彼らの統率を奪っていく。
今だ。
わたしは船首に立ち、ミリアに向かって叫んだ。
「ミリア! タービン全開! リミッター解除!」
「はいッ! 魔石全部ぶち込みます! 捕まってください!!」
ヌゥォオオオォォォォォン…………!!
ヴィータヴェン号の船底から、腹に響くような駆動音が唸りを上げた。
魔導タービンが臨界点まで回転し、スクリューが海水をかき回す。
数百トンはある巨大な船体が、まるで生き物のように跳ね上がり、爆発的に加速した。
船首が波を砕き、白い飛沫を上げる。
「ま、待て! 止まれ! ぶつかるぞォォッ!?」
進路上の小舟の侍たちが、慌てて海に飛び込む。
わたしの狙いは、彼らではない。
その向こうにある、港の頑丈そうな石造りの岸壁だ。
「止まる? 冗談じゃないわ」
わたしは不敵に笑い、風になびく髪を押さえた。
潮風が心地よい。この風は、新しい時代の予感を含んでいる。
「扉が閉まっているなら、こじ開けるまで。……それが『来訪者』のマナーでしょう?」
黒い巨体が、港へと突っ込む。
減速なし。回避なし。
最短距離での、物理的な「入港」。
ズズズズズ……ドッ、ゴォォォォォォォォンッ!!!
轟音。
世界が揺れた。
ヴィータヴェン号の強化された船首(クラーケンの嘴を加工したものだ)が、岸壁に激突し、そのままコンクリートと石材を粉砕しながら陸地へと乗り上げた。
土煙が舞い上がり、倉庫が倒壊し、港の機能が一瞬で麻痺する。
石畳がめくれ上がり、瓦礫が雨のように降り注ぐ。
船は、港の広場のど真ん中まで滑り込み、ようやく停止した。
強引すぎる接岸。
いや、これはもう「接岸」ではない。「着弾」だ。
シーン……。
静まり返る港。
土煙が晴れていく中、腰を抜かした役人や侍たちが、信じられないものを見る目でこちらを見上げている。
彼らの目に映るのは、瓦礫の山の上に鎮座する、漆黒の要塞。
そして、その甲板から見下ろす、一人の美しい「悪役」。
わたしはタラップ(物理的に破壊した壁の残骸)を降り、石畳の上にヒールを鳴らして立った。
ドレスの埃を払い、鉄扇を開いて口元を隠す。
優雅に、傲慢に、そして最高に楽しげに。
「ごめんあそばせ」
わたしの声が、静寂を破って響き渡った。
「美味しい白米と温泉があると聞いて、国ごと頂きに来ましたわ。……さあ、『開国』の時間よ」
侍たちが震え上がる。
歴史書にあるどんな黒船よりも凶悪で、理不尽な「来航者」。
最強の悪役令嬢、レヴィーネ・ヴィータヴェン。
彼女の、トヨノクニでの大暴れが、今ここから幕を開ける。
南の大陸サン・ルーチャ王国、そして南海の無人島を出立してから、幾日もの時が流れた。
照りつける太陽と、どこまでも続く水平線。普通の航海ならば退屈で気が狂いそうになる景色だが、わたしたちの旅は「普通」とは程遠い。
波を切り裂いて進むのは、常識的な船ではない。
かつて無人島を支配していた巨大な陸戦型クラーケンの強化骨格をキールとし、古代樹の大木を幾重にも組み合わせ、さらに全体を魔獣の墨と黒曜石を混ぜた特殊塗料で漆黒に染め上げた、異形の超巨大イカダ。
その甲板には、二階建てのログハウス(もはや豪邸と呼ぶべき威容だ)が鎮座し、家庭菜園の緑が茂り、あろうことか露天風呂から湯気が立ち上っている。
動力には古代ダンジョンから引き抜いてきた魔導タービンを搭載し、その推進力は現代の帆船を遙かに凌駕する。
魔導戦艦「ヴィータヴェン号」。
それが、今のわたしたちの「城」であり、世界を渡る旅の足だ。
「……匂うわね」
甲板に置いた愛用のデッキチェアに優雅に寝そべりながら、わたし、レヴィーネ・ヴィータヴェンは鼻をひくつかせた。
潮風に含まれる、独特の湿り気。
サン・ルーチャの甘ったるい果実の腐敗臭とも、帝国の乾いた土の匂いとも違う。
どこか懐かしく、胸の奥を締め付けるような、湿潤で豊かな緑と土の香り。それは、わたしの魂の奥底に眠る記憶を優しく撫でるような香りだった。
「匂い? 潮の匂いしかしないけど……レヴィちゃん、まさかお腹空いてるの?」
隣のチェアで、だらしなく手足を投げ出しているアリスが、けだるげに尋ねてくる。
彼女は今、南国で買った派手なアロハシャツのような柄の法衣(一体どんなセンスをしているのかしら)を身にまとい、顔には日焼け防止のキュウリパックを乗せている。かつての聖女の威厳は、太平洋の彼方に置いてきたようだ。
「失礼ね。わたしの胃袋は、常に適切な状態よ。……そうじゃなくて、気配の話」
わたしは顔にかかったサングラスを少しずらし、東の水平線を睨んだ。
その瞳には、まだ見ぬ地への期待と、ある種の確信が宿っている。
「近づいているのよ。……わたしの『魂の故郷』が」
トヨノクニ。
東の果てに浮かぶ島国。
前世の記憶にある「日本」と酷似した文化を持つとされる、未知にして既知の国。
わたしの脳裏に、鮮烈な映像がフラッシュバックする。
湯気を立てる白米。一粒一粒が真珠のように輝き、噛めば甘みが口いっぱいに広がる銀シャリ。
黄金色に輝く味噌汁。出汁の香りが鼻腔をくすぐり、五臓六腑に染み渡るあの一杯。
焦げた醤油の香ばしい匂い。
そして、出汁の染みた煮物。
それらは、病室で動けなかった前世のわたしが、夢にまで見た「生の象徴」だった。
点滴と流動食の日々の中で、焦がれ続けた味。食べることは生きること。その当たり前の幸福を、あの頃のわたしは享受することができなかった。
だが、今のわたしには、最強の肉体がある。無限の胃袋がある。
あの頃の夢を、現実として噛み締める準備は、万端以上に整っているのだ。
「待っていなさい、お米。待っていなさい、温泉。……今、迎えに行くわ」
わたしが低く唸ると、背後からドタドタと重い足音が近づいてきた。
「レヴィーネ様ァァァッ!! 見えました! 見えましたッ!!!」
見張り台代わりのヤシの木(甲板に直植えしてある)から、ミリアが転げ落ちるように降りてきた。
背中には、相変わらず自分の体積よりも巨大なリュックを背負っている。中身は当然、世界中から集めた調味料と商材だ。この子の背筋力はどうなっているのかしら。
「島影です! 水平線の向こうに、長細い島が見えます!」
ミリアの声に、わたしは弾かれたように立ち上がった。
鉄扇を開き、風を操って視界をクリアにする。
――そこにあった。
海と空の境界線に浮かぶ、霞がかった島影。
雲を頂いた高い山脈と、複雑に入り組んだ海岸線。
「……ああ。間違いないわ」
心臓が早鐘を打つ。
あそこには、わたしが求めてやまない「日常」がある。そして、わたしがへし折るべき「理不尽」もまた、待っているはずだ。
サン・ルーチャを去る時、耳にした噂を思い出す。『鎖国』『将軍による圧政』『飢える民』。そんな話を聞いて、黙っていられる性分ではない。
美味しいご飯を食べるためには、それを作る人々が笑顔でなければならないのだから。
「全速前進よ! エンジン出力最大! 今夜の夕食は、あの大地の上で炊きたての白飯を食べるわよ!」
「はいッ! 直ちに魔導タービンに薪をくべます!」
「やったー! 陸だー! お米だー!」
ミリアが機関室(ログハウスの地下)へ走り、アリスが顔のキュウリを放り投げて杖を構える。
ヴィータヴェン号が「ヌゥォオオオォォォォォン……」と腹の底に響くような唸りを上げ、黒い船体が波を砕いて加速した。
クラーケンの魔力を帯びた船体は、あたかも生き物のように海面を滑走する。
しかし。
感動の対面は、そう簡単にはいかないようだった。
◆◆◆
島影が大きくなり、港の様子が肉眼で見える距離まで近づいた時だ。
カンカンカンカンッ!!
港の方から、けたたましい半鐘の音が響いてきた。
海岸線に築かれた石垣の上には、豆粒のような人影が多数、慌ただしく動き回っているのが見える。
「……あら? 随分と熱烈な歓迎準備ですこと」
わたしは目を細めた。
彼らが構えているのは、花束でも歓迎の横断幕でもない。
弓矢。鉄砲。そして、旧式だが大口径の大砲だ。殺気立っているのが、ここからでもわかる。
平和的な来訪者に対する態度ではない。まるで、魔物の襲来に備えるかのような緊張感だ。
港からは、数隻の小舟がこちらに向かって漕ぎ出してくる。
木造の、小回りの利きそうな船――「関船」だ。乗っているのは、独特の結い髪をし、腰に刀を差した男たち。
「異国船に告ぐゥゥッ!!」
先頭の船に乗った侍が、竹筒のような拡声器を使って怒鳴り声を上げてきた。
「此処は神国トヨノクニである! 公儀の許しなき異国船の接近は、国法により固く禁じられておる! 直ちに回頭し、立ち去れいッ!!」
古めかしい言葉遣い。排他的な態度。
噂に聞いていた通りの「鎖国」だ。
外の世界を拒絶し、内側に閉じこもることで何かを守ろうとしているのだろうか。それとも、中の腐敗を隠そうとしているのか。
「うわぁ、問答無用だね……。ねえレヴィちゃん、どうする? 手続きとか、入国審査とか……」
アリスが不安そうにわたしを見る。
彼女は元聖女としての良識がまだ残っているのか、それとも単に揉め事を避けたいだけなのか。
わたしは鉄扇で口元を隠し、冷ややかに笑った。
「手続き? 入国審査? ……そんなもの、まともに取り合っていたら日が暮れてしまうわ」
わたしは一歩前に出た。
海風が漆黒のドレスの裾を揺らす。
「聞こえるか、トヨノクニの武士たちよ!」
わたしは身体強化で喉を震わせ、拡声器なしで声を轟かせた。
その音圧だけで、海面がさざ波立ち、空気がビリビリと震える。
「わたくしたちは怪しいものではありません! ただ、美味しいご飯と温かいお風呂を求めて、はるばる海を越えてきた善良な観光客ですわ!」
「問答無用ッ! 立ち去らねば撃ちかけるぞ!」
侍たちは聞く耳を持たない。彼らの顔には、未知の巨大船に対する恐怖と、義務感による焦りが張り付いている。
彼らもまた、上からの命令に縛られた哀れな駒に過ぎないのかもしれない。だが、わたしの食欲を邪魔するなら話は別だ。
「……撃つ、ですって?」
わたしのこめかみに、青筋が浮かんだ。
目の前に、愛しのお米がある。温かい温泉がある。
それを、こんな理屈の通じない壁一枚で遮られるなど、我慢がならない。食い物の恨みは恐ろしいと、教えてあげなくてはいけないようね。
「いい度胸ね。……客人を追い返すのが、あなた方の『おもてなし』なのかしら?」
「ええい、構わん! 撃てェッ! 異人の妖術船を沈めろォォッ!!」
侍の号令と共に、海岸線と小舟から、一斉射撃が開始された。
ヒュルルルル……!
空を覆い尽くす無数の火矢。
ズドン! ズドン!
黒色火薬の煙を吐き出し、鉄球を弾き出す大砲。
それは、交渉の余地のない、明確な殺意の雨だった。
「ひぃぃッ!? 本当に撃ってきた!?」
アリスが悲鳴を上げる。
「レヴィーネ様! 積荷の味噌樽に火がついたら大変です! 貴重な発酵菌が死滅してしまいます!」
ミリアがリュックを庇って叫ぶ。命より味噌が大事なのか、この子は。いや、商人としては正しい反応かもしれない。
わたしは、迫りくる死の雨を見上げ、深く息を吸い込んだ。
「……あーあ。穏便に済ませたかったのに」
わたしは鉄扇を閉じた。
そして、足を踏ん張り、腰を落とす。
甲板の木材がミシミシと音を立てる。
「わたしの食事時間を邪魔する奴は……神だろうが将軍だろうが、物理で黙らせるのが流儀よ!」
カッッッ!!
わたしは鉄扇を一気に開き、横薙ぎに一閃した。
「――『暴風・鉄扇』ッッ!!!」
ゴオオオオオオォォォッ!!!
扇ぐ、などという生易しいものではない。
身体強化フルパワーで繰り出された超高速のスイングは、大気を圧縮し、質量を持った衝撃波を生み出した。
それは見えない壁となって空を駆け上がり、飛来する火矢の群れを真正面から叩き潰した。
バキバキバキッ!
空中で矢がへし折れ、炎が吹き消され、逆風に乗って海へと叩き落とされる。
「な、なんだ!? 風が……矢を落としただと!?」
「馬鹿な! 人力で起こせる風圧ではないぞ!」
侍たちが驚愕に目を見開く。
だが、攻撃はまだ終わらない。大砲の弾丸――重い鉄球が、放物線を描いて船体へと迫る。
物理的な質量を持つ砲弾は、風だけでは止めきれない。
「アリス! 仕事よ!」
「もー! わかってるよぉ! ほんと、レヴィちゃんといると退屈しないよね!」
アリスが『星光の聖杖』を高々と掲げた。
杖の先端にある宝石が、太陽のように輝く。彼女の背後に、聖なる光の輪が出現する。
「聖なる光よ、我らを守る盾となれ! ――『聖域結界・物理反射』ッ!!」
キィィィン!!
船全体を包み込むように、半透明の黄金のドームが出現した。
着弾した砲弾は、結界の表面でボヨンと間抜けな音を立てて弾かれ、あるいは運動エネルギーを殺されて、ポチャリと海に落ちていく。
水柱が上がり、魚たちが驚いて飛び跳ねる。
「た、大砲も効かん!? 化け物だ……南蛮の妖怪だァッ!!」
恐怖が伝染し、侍たちの戦列が乱れる。
未知の力に対する根源的な恐怖。それが彼らの統率を奪っていく。
今だ。
わたしは船首に立ち、ミリアに向かって叫んだ。
「ミリア! タービン全開! リミッター解除!」
「はいッ! 魔石全部ぶち込みます! 捕まってください!!」
ヌゥォオオオォォォォォン…………!!
ヴィータヴェン号の船底から、腹に響くような駆動音が唸りを上げた。
魔導タービンが臨界点まで回転し、スクリューが海水をかき回す。
数百トンはある巨大な船体が、まるで生き物のように跳ね上がり、爆発的に加速した。
船首が波を砕き、白い飛沫を上げる。
「ま、待て! 止まれ! ぶつかるぞォォッ!?」
進路上の小舟の侍たちが、慌てて海に飛び込む。
わたしの狙いは、彼らではない。
その向こうにある、港の頑丈そうな石造りの岸壁だ。
「止まる? 冗談じゃないわ」
わたしは不敵に笑い、風になびく髪を押さえた。
潮風が心地よい。この風は、新しい時代の予感を含んでいる。
「扉が閉まっているなら、こじ開けるまで。……それが『来訪者』のマナーでしょう?」
黒い巨体が、港へと突っ込む。
減速なし。回避なし。
最短距離での、物理的な「入港」。
ズズズズズ……ドッ、ゴォォォォォォォォンッ!!!
轟音。
世界が揺れた。
ヴィータヴェン号の強化された船首(クラーケンの嘴を加工したものだ)が、岸壁に激突し、そのままコンクリートと石材を粉砕しながら陸地へと乗り上げた。
土煙が舞い上がり、倉庫が倒壊し、港の機能が一瞬で麻痺する。
石畳がめくれ上がり、瓦礫が雨のように降り注ぐ。
船は、港の広場のど真ん中まで滑り込み、ようやく停止した。
強引すぎる接岸。
いや、これはもう「接岸」ではない。「着弾」だ。
シーン……。
静まり返る港。
土煙が晴れていく中、腰を抜かした役人や侍たちが、信じられないものを見る目でこちらを見上げている。
彼らの目に映るのは、瓦礫の山の上に鎮座する、漆黒の要塞。
そして、その甲板から見下ろす、一人の美しい「悪役」。
わたしはタラップ(物理的に破壊した壁の残骸)を降り、石畳の上にヒールを鳴らして立った。
ドレスの埃を払い、鉄扇を開いて口元を隠す。
優雅に、傲慢に、そして最高に楽しげに。
「ごめんあそばせ」
わたしの声が、静寂を破って響き渡った。
「美味しい白米と温泉があると聞いて、国ごと頂きに来ましたわ。……さあ、『開国』の時間よ」
侍たちが震え上がる。
歴史書にあるどんな黒船よりも凶悪で、理不尽な「来航者」。
最強の悪役令嬢、レヴィーネ・ヴィータヴェン。
彼女の、トヨノクニでの大暴れが、今ここから幕を開ける。
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※こちらの作品はカクヨムにも掲載しています。
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