【日曜更新】ライク・アン・エクリプス【完結】

幻奏堂

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トラック9

SIDE.MIHIRO 間奏

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 俺は普通じゃなかった。
 でも、普通に育てられた。
 小さい頃から目が悪く、聴覚・嗅覚は異常に良かった。
 運動神経も良く、体も早く大きく成長した。
 満月の日は苦い薬を飲まなければいけなかった。

 母さんに理由を聞くと、少し迷うように目を泳がせてから、「あなたには狼の血が混ざっているのよ」と言った。
 父親は物心ついた時にはいなかった。あまり話したくなさそうな母さんに気を遣い、言及しないようにしていた。

 それからしばらくは父親が狼なのだと思い込んでいたが、小学生になる頃にそれを知った母さんが詳しく説明してくれた。
 俺の父親はシルバークロスという組織の人間で、生まれてくる子供をVAMPという悪魔と戦わせる為、狼に似るよう改造しているらしい。
 母さんもそれに同意したのだが、生まれたての俺を見て気が変わった。心底後悔した、と言っていた。

「子供を犠牲にするなんて間違ってる。すぐに計画を中止するよう話したけど、駄目だった。あの人はどうかしてる」

 それで父親と別れ、1人で俺を育てることにしたらしい。

「海央は普通に生きなさい。普通に生きて、幸せになるの」

 それが母さんの口癖だった。

 普通じゃないのに、普通に生きるのは大変だった。
 異臭がする度に目眩がしたし、街は騒音だらけで頭痛に苦しんだ。陰口は全部聞こえていた。
 担任の先生をふざけ半分で軽く叩いたつもりが、突き飛ばして怪我をさせてしまったこともあった。
 幸い、そんな俺でも慕ってくれるクラスメイトは多く、学校生活はそれなりに楽しかった。



 小学6年生の時の運動会。
 俺は全員リレーのアンカーに選ばれ、出番を待っていた。もちろん6年連続アンカーで、学年混合の選抜リレーでもそうだった。

 1人半周ずつ、アンカーだけが1周する。俺のクラスはトップから半周以上遅れていた。
 他の種目で好成績を収め、学年優勝まであと1歩だったが、さすがに厳しいと思われた。というか、その頃の俺はある程度手を抜くことで、反感を買わないようにする術を身に付けていた。

「海央、頼む!! 優勝して卒業しようぜ!!!」

 トラック内で待機しているクラスメイトの1人が叫んだ。澄んだよく通る声に、力がみなぎるのを感じた。
 狼だったら、全身の毛が逆立っていただろう。

 俺は全力を出した。
 走って走って走って——自分が風そのもののように感じた。

 気付けば大歓声と共に、クラスメイトに囲まれていた。

「すっげー海央!! 1位だよ!!」
「速すぎて見えなかった!!」
「海央くん、ありがとう」
「オリピク確じゃね?」
「っしゃー!! 勝ち逃げグッバイ優勝!!!」

 嬉しそうにはしゃぐみんなを見て、俺まで笑顔になる。久しぶりに全力を出せたことも嬉しかった。

 しかし、視界の端がずっと気になっていた。俺に追い抜かれた、トップだったクラスのアンカーだ。
 ゴール地点でうずくまり、励ますクラスメイトを一瞥もしない。ひどく落ち込んでいるようだ。

海央「大丈夫?」

 退場の音楽が鳴っても立ち上がろうとしない少年に、俺は駆け寄った。
 少年は俺の声に、初めて顔を上げた。真っ赤な目で、俺を睨む。

少年「大丈夫じゃねーよ。お前のせいで」

 失敗した。そう思った。

少年「⋯⋯お父さんと約束したんだ。絶対1位になるから見に来てって。お母さん死んじゃって、お父さんは仕事で忙しいのに、来てくれたのに」

 震える声でそう話す少年に、胸が痛くなった。
 仕事どころか、数日家を空けることも少なくない母さんのことが思い浮かんだ。俺には、その寂しさがとてもよくわかった。

少年「放課後死ぬほど練習したのに⋯⋯あんなの、反則だろ⋯⋯っ」

海央「そうだよ、反則だ」

 思わずそう口走っていた。

少年「え⋯⋯?」

海央「俺には狼の血が流れてる。だから運動神経がいいんだ。本当の1位は、お前だよ」

 怒りも忘れて呆気に取られている少年を見て、今日は失敗ばかりだと思う。

海央「ごめん。誰にも内緒ね」

 俺はそう言って、退場していくクラスメイトの後を追いかけた。



 翌日。教室に入るなり、再びクラスメイトに囲まれる俺。

「ねえ、海央が狼って本当?」
「1組の奴らが言ってたんだよ。海央はズルして勝ったって」
「俺言ってやった。『狼は走っちゃダメ』なんてルールねーじゃん!って笑」
「なんでそんなカッケーこと黙ってたわけ?」
「尻尾生えてる?」

 少年が言いふらしたらしい。まぁ無理もないと思った。あの状況で話してしまった俺が悪い。

 MYCAN——この呼び方を母さんはなぜか嫌がるのだが、とにかく俺が人間でないことは他言しないよう言われていた。ただ、なぜ話してはいけないのかはよくわかっていなかった。
 単純に気持ち悪がられるだろうから言わないようにしていた俺は、みんなの意外な反応は素直に嬉しかった。

海央「みんな、ごめん。ありがとう。でも本当は秘密だから、知らない人には言わないでほしい」

「えーまじなんだ」
「オッケー、3組の最重要機密事項な!」
「せっかくだから秘密結社結成せん?」

 軽い調子でそう続けるクラスメイトに、俺は一抹の不安を覚えた。だがそれは具体的な脅威とは結び付かず、すぐに薄れていく。
 念の為、1組の子たちも口止めしておこうと、かろうじて考えた。



 数ヶ月後、9月8日。夜8時ごろ。
 クラスメイトの男子から、「緊急事態につき学校集合!」と連絡があり、俺は母さんに内緒で家を抜け出した。
 夜空には、か細い月が浮かんでいる。ぼんやりとそれを眺めながら校門前に辿り着くと、俺を呼び出した男子の他に2人いた。

男子A「教室にさ、絵本忘れちゃって。付いてきてほしい」

海央「絵本? 明日でいいだろ」

男子A「っ今じゃなきゃダメなんだよ! うちの妹、あれ読んであげないと寝ないから!」

海央「お前妹いたっけ?」

男子A「⋯⋯いるんだよ。脳内には」

海央「おい笑」
「てかそれ何?」

男子B「あっ⋯⋯」

 もう1人の男子が、片手に持っていた巨大なクラッカーを慌てて隠す。明らかにパーティーグッズだ。

男子C「え、あれよな? 警備員とエンカした時にかます用」

海央「かましすぎだろそれは笑」

 様子のおかしい3人に、大体の察しがつく俺。
 今日は俺の誕生日だった。毎年登校するとみんなに声をかけられていたが、今年は普段あまり話すことのないクラスメイトからしか祝われなかった。
 サプライズしたかったからだと思うと納得がいく。でもまさか夜の学校に忍び込むなんて無茶するなぁと、俺は苦笑いを浮かべた。


男子A「ちょっと先俺ら行ってクリアリングしてくるから笑、ここで待ってて」

 校門を乗り越え、予め鍵を開けておいたらしい理科室の窓から忍び込み、4年生から6年生の教室がある3階に辿り着いた。ちょうど階段を上り終えたところで、足止めされる。

海央「FPSかよ笑。てかそれなら俺の役目でしょ」

男子A「いーからいーから笑」

 悪戯っぽく笑いながら教室に入っていく後ろ姿を見送る。平和だなと思った。

「え?」
「ぅわっ」

——パァン!!

 3人が教室に入ってすぐ、微かな声の後に大きな破裂音が響いた。そう、まるでクラッカーを鳴らした時のような⋯⋯。
 次いで何か重いものが倒れる音が、3回。鳥肌が立った。

海央「おい、大丈夫か⋯⋯?」

 ただふざけ合っているだけかもしれない。そうであることを願いながら、俺はぎこちない足取りで歩き出した。

 校内は消灯している。緑色の非常灯だけが暗闇を不気味に彩っている。

?!

 教室の手前に来たところで、異臭が鼻をついた——血の匂いだ。しかも、相当な量の。

 心臓が早鐘を打つ。耳を澄ましても、物音ひとつ聞こえない。衣服の擦れる音さえも。絶対におかしかった。

 俺は恐怖をかなぐり捨て、走り出した。
 みんなの笑顔が脳裏にこびりついていた。今なら間に合うかもしれない。

 依然潜んでいるであろう脅威については考えられなかった。考えたくなかった。もうどうなってもいいと思っていたのかもしれない。

 勢いよく教室のドアを開ける。室内はある一点を除いて、真っ暗だった。でも、俺には全て見えた。

 手作りのガーランドで飾り付けられた壁。中心に配置された、9つの机から成るテーブルの上では、カラフルなお菓子や炭酸飲料が奪われた出番を待ち続けている。

海央「みんな⋯⋯、なんで⋯⋯」

 生徒が10人ほど、倒れていた——みな心臓を貫かれて。

 血の海だった。俺は吐き気をもよおし、口を押さえた。すごい匂いだ。頭が割れそうだ。
 まだ間に合うかもしれないなんて甘えは、一瞬にして崩れ去った。

「お前だな?笑 カスクロのクソみてーな計画の産物は」

 火薬の匂いと共に、頭のすぐ後ろで声がした。次いで、殺意、それに伴う気配の揺れ。

「うっ?!」

 声を上げたのは俺じゃなかった。

 気付くと、手にした金属製の定規で——悪魔の首を切り落としていた。
 入室した際に前方のホワイトボードから、半ば無意識に拝借したものだ。

 立っているのは俺だけだった。まるで全部俺がやったみたいだ。
 いや、実際そうだった。

 赤い染みだらけのショートケーキの上で『HAPPY BIRTHDAY MIHIRO』の文字が、今にも消えそうな蝋燭の下で踊っていた。



 俺は学校に行けなくなった。何もかもが恐ろしくなった。自分さえも。
 いくらVAMPといえど、一切の躊躇なく他者の命を奪ったのだ。そんな自分が嫌だったし、そんな自分を生み出した現実も嫌だった。

 ただ、母さんは根気強く俺と向き合ってくれた。「海央は悪くない」「普通でいれば必ず幸せになれる」だとか、そんなようなことを繰り返した。

 普通。その言葉は呪いのように俺に絡みつき、責め立てる。どうしたって、普通になんかなれないのに。


 半年くらい経って、俺は少しずつ日常を取り戻し始めた。
 母さんの言葉に納得したわけじゃない。ただ、これ以上母さんを苦しめるのも、恐ろしくなっただけだ。
 いつか積み重なった後悔に押し潰される、そんな確信があった。

 ちょうど中学生になることもあって引っ越しをし、環境がガラリと変わったせいもある。むやみに事件のことを思い出さずに済んだ。

 ちなみに犯人は逃走したということになっているらしい。しばらく放心状態で事情聴取があったかどうかすら覚えてないが、VAMPのことは話さなかったのだと思う。何を話したって、みんなは戻ってこない。
 俺の指紋とVAMPの血が付いた定規、そしてその遺灰がどう解釈されたのかはわからない。どうでもよかった。

 母さんは他のVAMPが俺を襲わないか心配していたが、単独犯だったのかそのような気配はなかった。でもそれも、どうでもよかった。
 もう俺の正体が蒸し返されることはないように思う。かつての同級生も、大多数は本気にしていないだろうし、大人になればなるほど子供の冗談だと考え直すだろう。

 事件があったことで、俺は他人との関わり方を変えた。というか、変わってしまった。
 なるべく深く関わらないよう、表面上だけの付き合いに止めるようになった。
 誰かに笑顔を向けられる度、失ってしまった、奪ってしまった笑顔がフラッシュバックした。二度とあんな思いはしたくなかった。

 しかし反面、VAMPの影は色濃くなっていった。今思えば都心に引っ越したことで、単純に渋谷に近づいたからだと思う。
 血生臭い輩とすれ違うことは日常茶飯事、干からびたような遺体を発見することも少なくなかった。

 1人1人に特別な人生があって、それを強引に奪われたのだ。遺体を目の当たりにする度、俺の中で何かが変わっていった。
 生きづらい世界、重くなるばかりの後悔。それら全てがその衝動を後押しした。



海央「ねぇ、なんでVAMPの事件はニュースにならないの?」

 ある日。俺は夕飯を頬張りながら、母さんに疑問をぶつけた。

 母さんはシルバークロスで職員として働いている。
 元々父親と同じ開発部だったが、離婚を機に交渉部というところに異動したらしい。

母「⋯⋯『混乱を生むから』らしいけど、実際どうだかね」

海央「警察が揉み消してるってこと?」

母「警察というか⋯⋯って、そんなの海央は気にしなくていいから。早く食べちゃって」

 母さんが話はこれで終わりとばかりに俺を急かす。しかし、俺の箸は動かなかった。

海央「⋯⋯俺がLYCANになったら、みんな死なないで済むの?」

 母さんの顔色が変わった。

母「っ自分が何言ってるかわかってる!? 死ぬかもしれないんだよ!?!?」

海央「でも誰かが戦わないと、誰かが死ぬでしょ。俺だったら、人間より強いし」

母「⋯⋯ちゃんとそういう部隊が別にあるから。LYCANなんて元々必要なかったの」

海央「じゃあなんで死んでるの? 機能してないじゃん。俺、父さんのことは嫌いだけど、気持ちはわからないでもないよ」

 母さんは驚きと悲しみの入り混じった目で俺を凝視したかと思うと、静かに箸を置き、深いため息をついた。

母「あなたのお父さんは再婚してね、また息子をLYCANにしようとして、失敗したの」

海央「失敗⋯⋯?」

 胸騒ぎがした。俺に義弟がいる?

母「陸翔っていって今6才だけど、生まれてからずっと入院してる。陸翔くんだけじゃない、あの人のせいで苦しんでる子が大勢いるの」

 生まれてからずっと——重すぎる言葉だった。
 自分が6才の頃を思い返す。生きづらさはあったが、それを上回る気力があり、毎日が新鮮で楽しかった。

母「陸翔くん、ずっと狭い病室に閉じ込められてるからか鬱っぽいけど、かわいい子だよ。それでもあの人の気持ちがわかるって言える? もしも陸翔くんが健康に生まれていたとして、VAMPと戦わせたいと思うの?」

 思うわけがなかった。陸翔——血の繋がった弟。名前しか知らないのに、既に愛おしくて、守りたいと思う。
 そして陸翔のような子供が他にもいるという事実。残酷すぎる現実。
 父親への微かな共感が憤りに塗り替えられる。絶対に許せない。

母「⋯⋯私も同じ気持ちなの。わかってほしい」

 俺の心中を察して、母さんの表情が和らぐ。
 俺は「ごめん」とだけ声を絞り出すと、大盛りの白米をかき込み始めた。



 中学3年生になって、周囲が一気に受験モードになった。
 特にやりたいことがなかった俺は就職も考えた。俺が稼げるようになれば、母さんがシルバークロスを辞められると思ったからだ。
 職員といえど危険がないわけではない。単身での出張も多い部署らしく、心配だった。

母「ダメ。やりたいことがないなら、見つかるまで勉強しなさい」

 ある休日の昼下がり。リビングでくつろぐ母さんに提案してみるが、すぐに撥ね付けられる。
 勉強が得意でない俺は、苦々しげな表情を浮かべた。正直、働く方が楽だと思ったこともある。

母「大丈夫。海央なら何があっても乗り越えられるから。普通⋯⋯いや普通以上に幸せになれる! 私が保証する!」

 母さんはそう息巻いて、俺の肩を強く叩いた。俺と目が合うと、ニッと笑って見せる。

 俺には幸せになる資格はないと思うけれど——この笑顔を守る為なら、どんな罪を背負ってでも幸せになってやる。そう思った。

海央「じゃあ進学したらシルクロ行ってもいい? 陸翔が会ってやってもいいって」

母「それとこれとは話が別!」

海央「え~!!」

 陸翔とは母さんを介して連絡先を交換した。毎日欠かさず複数回、メッセージを送っている。
 初めは10回に1回くらい返ってくれば良い方だったが、最近はなんと3回に1回は返ってくる。もう俺のことが大好きに違いない。

 早く会いたいが、母さんがなかなか許してくれない。
 母さんの笑顔を守る為でも、こればかりは諦められない。一生をかけて、辛抱強く交渉していくしかない。



 今年も9月8日が来た。1年で1番、憂鬱な日だ。

母「ごめんね、また出張で」

海央「ううん、大丈夫。気を付けてね」

 俺は寝ぼけ眼を擦りながら、スーツケースを手に玄関に立つ母さんを見送る。
 ふと、母さんが持っているビニール袋に、ラッピングされたお菓子の詰め合わせが入っているのが透けて見えた。

海央「なにそれ。もらったの?」

母「ああこれ? あげるの、取引先の娘さんに。とってもかわいくてね~娘がいたらよかったのになぁっていつも思う」

海央「ふぅん⋯⋯」

母「あっごめんごめん笑、『も』ね。娘も、いたらよかったなって」

 不服そうな俺を見て、慌てて訂正する母さん。

海央「ぶっ冗談だよ笑。今度連れて来てよ、俺も会ってみたい」

母「んん~ちょっと親御さんが気難しくて、無理かな笑」

海央「ふーん、苦手なタイプだ?笑」

母「こら笑、そういうこと言わない。もう行くからね」

海央「うん、いってらっしゃい」

 母さんは名残惜しそうに、何度も俺を振り返りながら出て行った。その様子に思わず笑みがこぼれる。変な母さん。

 あの事件の翌年から、俺の希望で誕生日のお祝いはなくなった。
 それでも母さんは毎年欠かさず、ゼフィランサスという花を買ってくる。9月8日の誕生花だ。
 無言で飾られるそれを見ると——不思議と心が安らいだ。


 俺は歯を磨き、軽く朝食を食べると、受験勉強に取り掛かった。今年はこれがあるから、気が紛れて良いかもしれない。
 難解な問題に行き詰まる度に、窓際のゼフィランサスに目を移す。
 降り注ぐ陽光の中、小ぶりながら懸命に咲く白い花——どこか母さんに似ているような気がした。

 俺も今年は花でも贈ってみようかなと考える。きっとまた、あの笑顔を見せてくれるに違いない。


——ガシャン!

 いつの間に眠ってしまったのだろうか。鋭い物音に俺は目を覚ました。

海央「え、なんで⋯⋯」

 窓辺から花瓶が落ち、ゼフィランサスが無惨に散らばっている。
 濡れた床、割れたガラス——まるで殺人現場みたいだと、なぜかそう思った。

 窓の外はもう暗くなっている。時刻は0:11。
 夕方までの記憶はある。それにしても、寝過ぎた。

 俺は割れたガラスを拾いながら、母さんのことを思い浮かべる。
 これを見たらガッカリするだろうなぁ、朝になったらおしゃれな花瓶でも買いに行こうかな、などと思案する。

 後片付けを終え、広げたままの参考書の山の前に座り直す。今日はもう寝られないだろう、徹夜だ。

 テーブルの上には、ひとまず大きな鍋に差したゼフィランサス。充分な高さのある容器がこれしか見つからなかった。
 これでも母さんの笑顔を引き出せそうだと、俺は満足げに微笑んだ。



 翌日の夜。夕方に帰るはずの母さんが帰ってこなかった。
 俺はPA3を何度も確認しながら嘆息する。何かあったのだろうか。

 窓辺では真新しい住処を得たゼフィランサスが、暗い窓辺を彩っている。

 その時——ひとつの花が揺れ、傾いた。

♪♪♪♪

 着信音が鳴る。知らない番号からだ。

海央「っもしもし?」

「っあ、海央さんですか?」

海央「はい」

「お世話になっております。こちらシルバークロスソサエティでございます。お母様についてなのですが⋯⋯」

 その先を聞いている途中で、声が途切れた。

 気付いたら——PA3を握り潰していた。割れた画面に血が流れ込み、床に滴る。

ガン!!

 俺はそれを壁に叩き付け、声にならない声で吠えた。
 壁に大きな穴があき、雷光のような火花が散った。

海央「うぁぁあああぁぁぁぁ!!!!!」

 ——もう何も考えられない。

 獣のように、手当たり次第に破壊していく。無限に溢れ出る感情が、俺をどこまでも強くする。
 壊す音、壊される音。木の匂い、血の匂い。痛みは感じない。
 怒りと悲しみで、頭がはち切れそうだ。そうなればいいのにと、心から思った。

 壊して壊して、全部壊れたら、最初から何もなかったことにできる気がした。
 こんなに苦しいなら、何もいらなかった。俺も、母さんも、みんな。
 誰もいなくてよかった。誰も傷付かず、失われなかった。みんなも、それがよかったよな。

 やがて自分が誰なのかすらわからなくなってくる。初めての感覚。
 怖いけど、心地良かった。全てから解放されたかった。
 それでも感情は消えなくて、俺は叫び続けながら、無力な肉塊を削り続けた。

バンバン! バンバンバンバン!

 誰かがドアを叩いているような気がするが、壊れ合う音で聞こえない。

 ——どうでもいい。放っておいてくれ。うるさいなら、どっかに行ってくれ。どうせもうすぐ終わる。そうだ、それでなかったことにできる。せめて、俺の中では。

 その時、出かける直前の母さんの顔がフラッシュバックした。名残惜しそうに、俺を見つめる瞳。

 なんで引き止めなかった? なんでもっと早く、辞めさせなかった?

海央「あぁ⋯⋯あ、ぁぁあぁ⋯⋯」

バン!!

 何か大きな物音がしたが、どうでもいい。

 身体が変貌する——何かが俺の中で目を覚ました。もう止められない。

 母さん、ごめん。俺はもう駄目みたい。

?!

 背後に気配を感じたかと思うと、急激に視界が歪み、暗転した。


海央「ん⋯⋯?」

 目を覚ますと、知らない部屋の中にいた。いや、知っている——俺がメチャクチャにしたリビングだ。
 そうとわからないほど、なにもかもが破壊されている。これを、俺がやったのか?

「起きたか。ひどい怪我だ、うちの病院で診てもらう。行くぞ」

 声の主を見上げる。でも見上げる前から、わかっていた。普通じゃないせいで。
 憎いほど、この身に染み付いた——、

海央「俺も、戦いたい」

 差し出された手を取る代わりに、ずっと押し殺していた願いを口にする。

 もうこの衝動を止められる者はいない。失ってしまった、永遠に。
 『普通』という呪いも奪われ、俺は殺伐とした現実に投げ出される。獣に成る。

 これは誰しも少なからず持つ個性であり、異常であり、宿命なんだ。
 逃げようとしても、必ず同じ場所に戻される。罪と後悔が重なるだけ。
 ここで、戦うしかない。

「⋯⋯当然だ」

 無感情にそう返す親父。どうかしている。


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