鬼神百鬼

咲 カヲル

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西暦3010年

科学の発展が、更なる進化を遂げた世界。
全世界も大きく動き出した中、日本も大きな変化を遂げた。
大規模な法律改正により、帝国として生まれ変わた。
都道府県制や知事制度が撤廃された代わりに、セクターと呼ばれる都市番号が給付された。
各都市には、セクター管理施設が設置され、その中枢部として第一セクターに、通称MCと呼ばれるManagement Centerが設立された。
国の在り方が変わると、国民の生活も大きな変化が訪れる。
経歴や病歴などの個人情報が書き込まれたマイクロチップ。
国民は、それを体に埋め込む事が義務付けられた。
それは、全世界が足並みを揃えて実施された為、出入国や移住などの手続きを軽減化することに成功した。
その成功に、多くの人々が簡単に世界中を行き交うことを喜び、思い思いの地へと移住を始めた。
その流れに乗り、帝国にも多くの人々が流れ込み、帝国の経済も潤った。
だが、それと同時に多くの犯罪者も、世界中に散らばってしまった。
更なる犯罪が増えてしまい、各国の警察の対応が追い付かず、安全性が失われつつあった。
そんな中、帝国は、マイクロチップに犯罪歴も追加することで、犯罪者の早期発見、犯罪防止の対策を打ち出した。
全世界の合意の下、犯罪歴が更新されると、多くの国で多くの犯罪者が逮捕され始めた。
マイクロチップが活用され、帝国独自の文化も確立した。
電車やバスの代わりに、リニアが主な交通手段となった。
渋滞も緩和され、交通事故も減り、技術の進化が、多くの人々に豊かな暮らしを与えた。
老若男女を問わず、多くの人々が、リニアに乗り込み、それぞれの目的地を目指す。
変わりない日常。
彼女も、変わらない日常の中にいた。
この前まで新しい制服を着て、初々しかったはずが、もう一年が過ぎ、進級して、更に、数週間が過ぎていた。
この日は、彼女の誕生日だ。
普通の家庭なら、お祝いをするだろうが、彼女の家庭には、事情があった。
彼女は、仕方のない事だと思っていた。
今の生活が出来るのは、あの人が必死になって守っているから。 
慣れた道を早足に歩く背中には、少しの寂しさが滲んでいた。

「ただいま。おかえり」

寂しさを紛らわす為、彼女は、誰もいない家の玄関でそう呟く。
それが癖になってしまったのだろう。
だが、この日は、彼女の日常と違っていた。
あの人の靴があった。
急いで鍵を閉めた彼女は、リビングの戸を勢いよく開けた。
眩しい程の西日が、室内を反射して目が眩む。
そこに、あの人の姿はなかった。
キッチンを覗いても、食事の支度途中なだけで居ない。
首を傾げた時、二階から、カタンと、軽い音が響いて聞こえた。
小さく微笑んだ彼女は、急いで、二階に向かう。
洗濯が干されているテラス。
イタズラっ子のような笑みを浮かべて、そこにいるであろう人を笑ってやろうと思って、ガラス戸を勢いよく開けた。
次の瞬間、彼女の時間(トキ)が止まった。
赤黒い跡が床に散りばめられ、干されていた洗濯物が散乱している。
思い描いていた人の思っていた笑顔はなく、赤黒く染まった床の真ん中に無残な姿で寝転がっている。
彼女は、フラフラと近付き、その肩を揺すった。
ピクリとも動かず、冷たくなり始めていた体は、彼女の心をかき乱した。
日が暮れる中、彼女の悲痛な叫び声が、辺りに響いた。
異変に気付い人の通報で、警察が到着した時、彼女が鬼神となるきっかけになることが起こった。
だが、気が動転してる彼女は、運び出されるその人を何度も呼んだ。

「…さん…おかぁ…お母さん!!」

〈ピピピピ…ピピピピピピピピ…〉

鬱陶しい機械音が響き渡り、その根源を手探りで引き寄せる。

〈ピ…〉

あれから10年の月日が流れ、彼女もいい大人の年齢になったが、あの瞬間を忘れることはなかった。
時折、あの日が夢となり、忘れようも忘れられなかった。
時間を確認した彼女は、眠い目を擦りながら起き上がる。
大きなあくびをしながら背伸びをすると、バスルームに向かって歩き出す。
途中に掛けてあるタオルを手に取り、十分程度、熱めのシャワーを頭から浴びる。
いくら一人暮らしだとしても、女性とは、言い難い彼女の生活。
生活する上で、必要最低限のものしか置かれていない部屋。
体にタオルを巻き付けたまま、髪を少し乱暴に拭く姿は、女を捨てたようにも見える。
そのままで鏡を覗き込んだ彼女は、大きなため息をついた。
彼女は、少し荒れた程度だったら、このまま着替えて、部屋を出ようとしていたのだ。
だが、そうゆう訳にもいかない程、彼女の顔はひどかった。
顔全体が浮腫んでいる。
目元は、腫れぼったく、普段よりクマが、ハッキリと現れてしまっていた。
頬も、タオルが軽く当るだけでヒリヒリと痛み、唇は、完全に乾燥して、血が滲んだ痕がある。
極めつけに、白眼と鼻の頭が薄っすらと赤い。
彼女は、仕方ないといった様子で、タオルを頭に被ったまま、軽くメイクを始めた。

〈ピーピーピー〉

そんな時、彼女の腕時計から、けたたましい音が鳴り響いた。
スッと視線を向けた彼女は、大きな溜め息をついて、腕時計に優しく触れた。

「…なに」

掠れそうな声を発した彼女に、腕時計が反応した。

『起きてましたか?そろそろ時間ですよ』

腕時計は、通信機だったようだ。
相手を小馬鹿にしたような口調が、不機嫌な彼女を更に不機嫌にさせた。

「分かってるから」

『そうでしたか。ではお先に』

彼女は、乱暴に通信を切り、さっさと、メイクを終わらせると、乾いていない髪をそのままに、着替えを始めた。

西暦3018年

迅速な容疑者の確保が行われるようになったが、別の問題が浮き彫りとなってしまった。
犯罪率の増加により、警察官の人材と収容所の不足。
その為、多くの犯罪者を取り逃がしてしまい、また新たな犯罪行為が、多発していた。
そこで、帝国では、殺人罪のみに限定した特別な法案を打ち出した。
Criminal Dusting法。
通称ダスト法。
例え、逮捕が出来なかったとしても、容疑者不在のまま、裁判を行い、常習性や計画性、残虐性等を考慮し、悪質な場合に限り、死刑を求刑することが出来る。
この法案を巡り、様々な国と論争が行われた。
だが、それ以外に、現状の打開策が見つからなかった為、法案は、帝国内に限ることを条件に可決された。
それに伴い、刑務執行が許された特別保安部隊、通称安部と育成所が、各セクターに、支局が設置された。
本人の意思の下、育成所に入所することが出来た為、多くの被害者遺族が希望した。
彼女も、その内の一人だ。
育成所の訓練を終えると、個々に合わせた部署へと配属となる。
安部の情報は、全て、第一セクターにある中央支局が、管理している。
隊員の安全確保の為、常に制服と顔を隠すマスクの着用が義務付けられ、それぞれの所属部隊によって、制服の色が変わる。
嫌味な程の深紅と漆黒の制服は、執行部隊に所属の証である。
多くの隊員は、執行部に配属され、その制服を着ると、晴れやかな顔をしていた。
だが、朝の弱い彼女にとっては、鬱陶しく、最高潮に気分が悪くなる物だった。
着替えを終わらせ、ポケットに財布を押し入れた彼女は、無機質な廊下をただ真っ直ぐに歩く。

「おはようございます」

同じ制服を着た人とすれ違えば、普通に挨拶くらいする。
だが、今日の彼女は、その余裕すらない。
軽く手を上げるだけで、逃げるように歩いた。
自動ドアのところに人影が見えた彼女は、更に速度を早めた。
人影は、横を通り抜ける彼女と一緒に歩き出した。

「どうかしたんですか?」

「なにが」

「いつにも増して、不機嫌に見えますよ?」

「大きなお世話」

「そんなぶったれてたら、可愛い顔が台無しですよ?紅華」

黒田紅華(クロダベニカ)。
小柄な彼女は、ショートの黒髪が印象的な童顔。
よく学生に間違われるが、つい先日、二十七歳になったばかりだ。
性格的には冷静沈着。
だが、稀に凶暴化し、暴走する事がある。
それでも、人望は厚く、人に好かれやすい。
安部中央支局長兼SS部隊の隊長をしている。

「それは、お世辞のつもり?一騎」

龍崎一騎(リュウザキイチキ)。
強面で大柄な彼は、紅華と同じ二十七歳。
顔付は、多少老けて見えるが、金髪を立てている事で、それなりに若くも見える。
性格は温厚穏和だが、怒ると、笑顔で物騒な事を言う。
多くの人に慕われ、安部中央支局副局長兼SS部隊の副隊長をしている。

「もちろん、本音ですよ?」

「本音も冗談もないくせに」

階段を上がりながら、細やかに言い合う二人。
その様子は、兄妹の追いかけっこのようだ。
廊下を左に曲がる瞬間、一騎は、紅華の隣に並び、メイクをしてる事に気付き、その横顔を見つめた。

「どうしたんですか?」

「なにが」

「毎日、顔を合わせてるんですから、すぐに分かりますよ。何かあったんですか?」

紅華は、前を見据えるようにして、無言のまま歩いた。
一騎も黙って歩き、靴音だけが鳴り響いていた。
すれ違う人々も、次第に少なくなっていく。
目的の部屋の前に着き、二人は、扉の前で並んだ。
拳を軽く握った紅華は、その手を胸の前で止めて目を閉じた。

「…昔の夢を見た…」

今にも、消えてしまいそうな程の呟きは、とても聞き取りずらかった。
だが、一騎には、ちゃんと聞こえていた。
一騎は、紅華が、深呼吸してから扉をノックする中、密かに、拳を震わせながら、その横顔を黙って見つめた。

〈コンコン〉

「どうぞ」

黙ったまま、二人で扉を開ける。
椅子に座った男性と、デスクの前に立っている男性がいた。

「丁度だったな」

椅子から立ち上がった彼は、三神審司(ミカミシンジ)。
年齢不詳。
真面目で、物腰が柔らかく、それなりの年齢にも見えるが、笑うと幼い印象になる。
軽くパーマをかけた茶髪が、更に、分からなくさせている。
だが、安部総括長をしている事から五十代前後だろう。

「彼が、昨日話した新人の藤堂だ」

藤堂時雨(トウドウシグレ)。
今年、育成所を首席で卒業ばかりの十八歳。
長身細身で眼鏡をかけ、見るからに好青年。
紅華よりも、少し長めの焦茶色の髪を揺らして頭を下げる。
SS部隊は、執行部隊の中で最高峰。
育成所の訓練生にとって、SS部隊への配属は、とても名誉ある事とされている。
その為、多くの新隊員は、配属が決まると、その喜びを総括室(ココ)で爆発させる。
そして、意気揚々と、二人に歩み寄り、握手を求める。
だが、時雨は、仏頂面のままで、その場から動かずにいた。
内心、驚いていた二人は、並んで時雨の前に立った。

「初めまして。局長の黒田です」

それぞれで、握手を交わす。

「副局長の龍崎です。基本装備は?」

「刀と拳銃になります」

その応え方でさえ、時雨は、マニュアルやデータ入力された機械のようだった。
育成所では、マニュアルやデータを忠実に守り、迅速に、刑務執行を行う事を優先させる。
その為、機械のように、振る舞う事を教育される。
刑務執行の為ならば、一般人が居ても、平気な顔で執行する。
市民を巻き込む事も、躊躇わない。
その姿から、殺戮のアンドロイドや殺人ヒューマノイドと呼ばれる事もあった。
だが、隊員も生身の人間で、普段は、普通に生活している。
一般人と、なんら変わりない。
だが、市民は見えない壁を作り、安部を人として認めなかった。
紅華は、それが嫌だ。
それを何とも思わない隊員も、嫌いだった。
時雨も、嫌いなタイプであるのを感じ取り、紅華が、少し距離を取ると、三神が近付いた。

「それでは、今回の任務説明をする」

それぞれに資料を渡し、ホワイトボードに、一枚の写真を磁石で、留めると、ボード用のペンを持った。

「伊野さんは?」

「もう少しで、来ると思うんだが…」

「また?そろそろ、キツく言った方が、いいんじゃないですか?」

「あいつも忙しいんだ」

「甘い気がします」

「まぁ、そう言うな」

手元の資料をペラペラ捲る紅華に、詳細を書いている三神が、テンポよく、会話しているのを見て、時雨が首を傾げた。

「龍崎さん」

「はい?」

「局長と総括は、いつも、こんな感じなんですか?」

「そうですよ?他にも、色々、知りたいでしょうが、後にして、今は、任務に集中しましょう」

「分かりました」

三人が、資料を確認している間、三神は、ホワイトボードに詳細を書き終え、注目させる為、パンパンと、手を叩き、確認を止めさせた。

〈バン!!〉

その時、総括室の扉が、大きな音を発てて開いた。

「遅くなってすまん」

伊野秀(イノスグル)。
一騎に負けない程の大柄で強面。
口の周りには、無精髭が生えている。
人相も悪いが、性格も、大雑把な為、基本的に何でも適当だ。
その為、肩まで伸びた茶髪を後ろに結っているが、あまり綺麗じゃない。
それでも、安部情報課長をしている。

「あ~。もう説明終わった?」

総括である三神にも、タメ口で話す為、年齢は、同じと思われるが、顔のシワの数から、伊野の方が上に見える。

「これからだ」

階級的には、三神の方が上で、伊野を注意するべき立場だが、注意する事もせず、素直に、受け答えする。

「じゃ、俺がするわ」

三神が椅子に座ると、入れ替わるようにして、伊野が、ホワイトボードの前に立った。

【囚人No.91、城田淳(キダアツシ)】

現在二十六歳。
偶然、居合わせた一般人、五人を刺殺。
駆け付けた警察官三人を射殺。
計八人を殺害。
その後、通りかかったトラックに殺害時とは、別の拳銃を発砲し強奪。
その際の銃弾により、運転手は、現在、意識不明の重体。
状況から、城田は、複数の拳銃、及び、刃物を所持していると思われる。

「計画性はないが、残虐性が高く、又、再犯の可能性が考慮され、殺人罪で、容疑者不在裁判により、三日前に死刑が確定した。以上」

一気に伊野が説明をすると、紅華が、鼻で溜め息をついた。

「ややこしい。何がしたかったんだろ」

「いない奴に、文句言ってもしゃない」

頭をボリボリ掻きながら、そう言う伊野は、三神の隣に移動した。

「城田を発見し次第、速やかに、刑務を執行せよ」

三人は、それぞれで返事をすると、紅華を先頭にして、さっさと、総括室から出て行った。

「…あれ、大丈夫か?」

デスクの上に座りながら、そう言って、伊野は、ポケットから包みを取り出した。

「大丈夫。アイツなら、何とかするだろ」

「そんなに、押し付けてたら、その内、刺されるぞ?」

伊野が口に放り込んだ飴玉を転がし、横目で見ると、三神は、扉を見据えたまま、顔の前で、手の指を組んだ。

「これしか、俺には、出来ないんだ」

伊野も三神も黙り、総括室は、時計の秒針が刻まれる規則的な音と、時々、飴玉が歯にぶつかる音だけが響いた。

「まぁ、今は、あの新人に、賭けるしかないな」

飴玉がなくなり、伊野は、そう吐き捨て、軽く、三神の肩を叩くと、総括室を出て行った。
それを見送り、三神は、デスクの引き出しを開け、中に入っていた写真を取り出した。

「これでいいんだよな?…勇(オサム)…」

そこには、育成所の制服を着た三神らしき青年と、黒髪の青年が、肩を組んで、眩しいくらいに笑っていた。
総括室を出てから、廊下を戻るように歩き、時折、紅華と一騎が、話をしたり、微笑み合ったりしていた。
その様子を後ろで、じっと、見ていた時雨だったが、二人が、出入口とは、逆に向かった為、足を止め、顔だけを二人に向けた。

「どちらに向かうのですか?出口は逆です」

二人は、歩みを止め、時雨に振り返ると、一騎が、微笑みながら答えた。

「情報課に向かいます」

時雨は、一瞬、怪訝そうに目を細めた。

「何故ですか?情報なら、資料を見れば分かります。後は、刑務執行のみですから、情報課には、何もないはずです」

その考えで、紅華の機嫌が悪くなった。
時雨を睨み付けると、紅華は、何も言わず、背を向けて、先に歩き出した。
体を時雨に向けたまま、紅華の背中を見つめ続け、廊下を曲がって、その姿が見えなくなると、一騎は、ポリポリと、頬を掻きながら、時雨に向い、苦笑いを見せた。

「確かに、育成所では、総括から貰った資料だけで、任務を遂行するようにと、教えられますが、それだけでは、人を知る事は出来ません」

時雨は、一騎に向き直り、真っ直ぐに見据えた。

「何故、人を知る必要があるのですか?法律上、死刑が確定すれば、それを遂行するのが、安部の役目です」

一騎が、微笑んだまま、時雨を見据えた。

「…それは、マニュアル違反なのでは?」

向き合ったまま、一騎を見ていたはずが、時雨は、気付けば、視線を反らしていた。
ビクッと肩を揺らし、ゆっくりと、一騎に視線を戻す。
ずっと変わらない一騎の微笑みには、何も寄せ付けない程の威圧感があった。

「君は、安部が、何の為に存在するのか、理解されてますか?」

時雨の姿は、本当に綺麗で、本物のアンドロイドや、ヒューマノイドのようで、不気味でもあった。

「法律に反し、殺人を犯した者の死刑確定後、速やかに、刑務を執行する事を目的にし、忠実に、任務を行なう為の部隊です」

その言葉に、少し表情を崩して、一騎は、鼻から溜め息をつくと、静かに、時雨に背を向けた。

「完璧な答えだと思います」

何かを言おうと、口を開いた時雨より、先に、一騎は、少し大きな声を出した。

「だが、それだけではない」

口調が崩れたのと、予想していなかった一騎の言葉に、時雨は、戸惑いながらも、じっと、その背中を見つめた。

「法律に守られているだけで、僕らがしてる事は、彼ら、殺人者と何も変わらない。人を守る為にやってる事が、彼らと同じだと思われてる。非道な彼らと同じにされるなんて嫌だ。なら、少しでもいい。殺人者(カレラ)とは違うと示す。その“何か”を自身で、見付けなきゃいけない」

そう言って、一騎は、振り返る事なく、静かに歩き出した。
時雨は、動けずにいた。
だが、しばらくして、何かを感じ取ったかのように、一騎の後を追い、情報課に向かって、動き出した。
情報課に向かったのは、良かったのだが、時雨と一騎の間に会話はなかった。
拒絶される事もなく、大きな背中を見つめ、後ろを歩く。
その状況に耐えられなくなった時雨は、一騎に声を掛けた。

「龍崎さん」

「はい」

振り返りもせず、返事をする一騎に近付き、横に並び、その横顔を見上げた。

「局長とは、古くからのお知り合いですか?」

一騎は、横目で、時雨を見てから微笑んだ。

「実家が隣でした。だから、幼少期から、お互いの事は、よく知ってますよ?」

先を歩く一騎に合わせ、時雨も、早足になると、眼鏡がずれ、静かに位置を直した。
その様子を見て、クスクスと、一騎が笑った。

「何か変でしたか?」

「いえ」

歩きながらも、胸の前で、小さく手を振り、時雨が、首を傾げたのを見て、一騎は、速度を緩めた。

「気になりますか?紅華の事」

一瞬、フリーズしたように、真顔になった時雨は、頬を赤く染めて、前に視線を向けた。

「そんな事は…僕は、ただ、疑問に思った事を聞いただけで、別に、局長が気になる訳ではないです」

時雨は、歩く速度を少し早めたが、一騎の歩く速度が、元々、早かった為、結局は、並んで歩くような形になった。
廊下を曲がる瞬間、時雨は、横目で、一騎の表情を確認した。

「紅華は強い。そして、たくましい…だが、誰よりも臆病だ」

驚いた顔で、立ち止まった時雨に合わせ、一騎も、立ち止まり話を続けた。

「十年前までは、彼女も、普通の女の子だった。お洒落をしたり、友達と遊んだり、よく笑って…本当に、何処にでもいる女の子…でも、ある事件が、起こってから変わった」

「事件…ですか?」

「彼女の母親が、自宅で、強盗により殺害された。その日は、彼女の十七歳の誕生日だった」

目を大きく見開き、時雨の奥歯から、ギリっと、歯軋りの音が漏れた。

「彼女の家族は、母親だけだった。彼女は、一人ぼっちになってしまった。でも、それだけなら、まだ、立ち直る事が出来た。警察官の余計な会話が、彼女を変えたんだ。それから、彼女は、笑わなくなった」

「会話…ですか」

“娘さんの帰りが、後10分、早かったら助かったかもだってよ”

“マジでか。そりゃ、残念だったな”

一騎は、時雨の視線が床に落ち、拳を震わせるのを真顔で見つめた。

「そんな会話を偶然だったとしても、聞いてしまった紅華は、自分を責めるしかなかった。それから、彼女が、高校を辞め、育成所に入ったと聞いて、僕も、育成所に入りました」

重苦しい沈黙が流れ、時雨は、一度、深呼吸した。

「何故ですか?」

「何がですか?」

「何故、龍崎さんは、局長の後を追って、育成所に入ったのですか?」

じっと、見つめる一騎から、今度は、視線を反らす事なく、時雨も、その瞳を見つめ返した。
不意に、微笑んだ一騎が、また歩き出し、その後を追って、時雨も歩き出した。
何も言わずに歩き、気付けば、情報課のドアが見えた時、一騎は、そっと呟いた。

「好きだったからです」

ノブを持ったままで、視線を向けた一騎の表情は、少し曇っていた。
時雨は、ギリギリと、音がしそうな程、奥歯を噛み締めた。

「紅華が、好きだったからです」

ドアを開ける一騎を見つめ、今も好きなのかという、時雨の疑問は、聞こえた声によって、掻き消されてしまった。

「遅い!!」

仁王立ちした紅華が、腰に手を当て待っていた。

「いつまで待たせんのよ。こっちは、早く終わらせたいの。別の仕事がしたいの。分かってる?」

文句を言う紅華に、苦笑いしたまま、ポリポリと、頬を掻く一騎の隣で、時雨は、口を半開きにして固まった。

「分かってますよ」

「ほんとに分かってんの?」

睨み上げる紅華から、背中を反らし、一騎は、それを制するように、手の平を見せた。

「本当ですよ。思いの外、手こずってしまいまして」

「いつもなら、置き去りにして来るのに?今日に限って、何してたのよ」

「色々と。ね?」

時雨に顔を向け、ウィンクをして、一騎が、救いを求めたが、時雨は、口を半開きしたまま、何度も頷いただけだった。

「それくらいにしとけよ」

碧井拓都(アオイタクト)。
二十三歳の若さで、情報課第六班長を務める。
見た目は、その辺にいるような、お兄さんのようだが、パーマをかけた長めの銀髪が、ちょっと、厳つく見える。
色々と気が利くのだが、几帳面過ぎて、たまに面倒な人になる。

「そんな事してるヒマあるなら、さっさと、終わらせればいいだろ」

紅華は、頬を膨らまし、それ以上、言い返す事も、文句を言う事もせず、一騎から離れ、丸テーブルの所に行き、碧井の向かいに立った。
一騎は、ホッと、胸を撫で下ろし、驚きのまま、立ち尽くす時雨に、視線を向けた。
その姿に、小さく微笑み、その背中を優しく押して、丸テーブルを囲むように、立ち止まった。
そこには、現場写真付きで、資料が広げられ、碧井が、写真を指を差した。
首が、ザックリ切れてる女性だった。

「これが、最初の犯行と思われるが、時間的には大差ないから、あまり参考にはならないかな」

佐井満貴子(サイマキコ)。
四十二歳の主婦。
買い物帰りに、偶然、現場に通り掛かり、城田に、ナイフで左から切りつけられた。

「これが二件目」

下腹に、ナイフが突き刺さり、肩の側面には、切傷がある中年男性。
市松隆史(イチマツタカシ)。
四十八歳の会社員。
取引先から帰社する際、後ろから、右肩の側面を切られ、下腹部に、佐井を切り付けたナイフを突き刺された。

「このナイフからは、佐井の血痕も見付かってる。次」

今度は、脇腹、肩、太股に刺傷がある若い女性。
市野瀬麻利(イチノセマリ)。
十九歳の大学生。
バイトに向かう途中、正面から襲われた。

「この時に使ったと思われる包丁は、遺体の側に転がってた」

背中に、複数の刺傷と切傷がある男性。
蒼山明季(アオヤマテルキ)。
二十九歳のフリーター。
ビルから出てきた時、目の前で、市野瀬を刺した城田と遭遇、逃げようとしたところ、後ろから、サバイバルナイフで襲われ負傷。

「後ろから刺された後も、切り付けたり、刺したりしてるから、かなり損傷が激しかった」

最後は、頬、首、下腹、背中に、刺傷と左胸にサバイバルナイフ、首中央には、果物ナイフが刺さった男性。
霧夜真人(キリヤマコト)。
三十八歳の無職。
路地から出てきた城田とぶつかり、霧夜が、何か叫んだ直後、サバイバルナイフと果物ナイフで、刺された。
その怒鳴り声を聞いた近くの住人が通報。

「近くを巡回していた警官が、駆け付けるも、隠し持っていた拳銃を発砲し射殺。これが、その資料」

広げられてた資料の上に、また資料が置かれる。
射殺された警官は二人。
一人は胸部、もう一人は、頭を撃ち抜かれ即死。

「因みに、城田と被疑者たちには、何の接点もない。無論、この警官たちも接点なし。それで、これがトラックを奪われた運転手の資料」

碧井から、資料を受け取った紅華を挟むような形で、一騎と時雨も、資料を覗き込み、首を傾げた。

「城田と運転手の接点もないの?」

「ない」

「…あ。ちょっと待って下さい」

ペラペラと、資料を捲る紅華の手を止め、時雨が顔を近付けた。

「これって、ソーシャルゲームですよね?」

時雨は、ネット使用の情報欄の一番下を指差した。

「そうなの?」

「そういえば、今、巷で流行ってるゲームでしたね」

【バウンティ・ハンティング】

インターネット上で、複数のプレーヤーがチームを組み、指定された任務を行い、成功すると、報酬が貰えるという通信型のゲーム。
その任務内容は、その時々で違い、敵の追撃や獲物の確保など、難しいものから、迷子の捜索や虫退治など、簡単なものまで、色々な内容がある。
その報酬は、仮想通貨や高額商品から、日用品や玩具など、様々な物があり、国民の中で流行っている。

「そんなのあるんだ」

「紅華が、疎いだけじゃない?」

「大きなお世話です」

資料を返し、紅華は、膨れっ面のまま、部屋を出て行く。
それを追うように、時雨と一騎も、会釈しながら、情報課から出て行った。
手を振って、それを見送り、碧井は、テーブルの上に散らかった資料を集め、大きな溜め息をついた。

「碧井~。どうした?」

入れ違いに、伊野が、入って来たのを見て、碧井は、更に大きな溜め息をついた。

「頭痛の種が、来たと思いまして」

「まぁ、そう言うなよ」

棒付きの飴を舐めながら、伊野が近付くと、碧井が、手に持った資料を見て、ニヤリと笑った。

「来たか」

掠め取った資料をペラペラと、捲りながら、伊野が、そう聞くと、碧井は、吊り上がった目尻を更に吊り上げた。

「入れ違いで、出て行きましたよ」

資料を奪い取り、碧井が、保管庫に向かうと、伊野は、その背中を見つめた。

「新人君も来たか」

碧井が睨み付けると、伊野は、ふざけたように、ヘラヘラと、笑っていた。

「…一騎が連れて来ました」

ドアを開けながら、吐き捨てるように言い、呼び止めようとしてた伊野を無視し、乱暴にドアを閉めた。
薄暗い中で、碧井は、資料を抱き、ドアにもたれ掛かるようにして、その場に座り込んだ。

「…紅華…」

今にも、泣き出しそうな顔で、天井を見上げた碧井の口から、大きなため息が漏れた。
情報課から出て、また、出入口とは、逆に歩いていく。
行き止まりに着くと、重たそうなドアがあったが、そこが、何の部屋なのかを示すプレートはない。
施設内の地図を思い浮かべ、時雨は、首を傾げた。

〈ピー…ガチャン〉

紅華が、ドアのノブを握ると、電子音が響き渡った。
驚いている時雨を無視し、紅華がドアを開けると、そこに、階段が現れた。
紅華は、躊躇わず、その階段を降り始めた。
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