頬を撫でる唇

咲 カヲル

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十六話

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楽しい時間は、あっという間に過ぎ、子供達が寝てしまうと、佐々木夫妻と池谷夫妻は、帰ってしまい、その後は、四人で、のんびり、お酒を飲みながら、雑談をしていた。
そんな時、車の前で立ち止まっている人影が見え、もしかしたらと、淡い期待を抱き、一気に走り出すと、その人影も慌てたように動いた。

「待って!!」

そう叫んだ時、一瞬、人影が、振り向き、山崎さんだと分かった。
家の前に飛び出したが、その人影は、もういなかった。
携帯で時間を確認すると、夜中の二時。
三人の視線も気にせず、私は、ある事を確信した。
山崎さんは、毎日、帰ってきている。
しかも、私が寝てしまう時間を選んでいる。
腹立つ。
そんなに会いたくないのか。
そう思うと、更に、苛立っていく。
私は、庭に戻り、残りの缶チューを飲んで、煙草に火を点けた。
こうなると、意地でも捕まえて、話を聞き出したくなる。

「ガラ悪」

隣に立った龍之介に、煙草の煙を吹き付けた。
龍之介は、咳き込み、涙を目元に溜めて、顔の前で手を振り回した。
そんな龍之介を見て、祐介は、ゲラゲラと盛大に笑い、淳也は、口元を隠して笑っていた。

「くそが!!」

男達の追い掛けっこを見ながら、私は、その夜は寝ずに、山崎さんを待とうと思っていた。
家から離れて三時間後。
時刻は朝の五時。
合鍵で家に入り、リビングのドアを開け、キッチンに向かった。
家主を起こさないように、静かに、朝食の支度をしようと、スーツの上着を脱ぎ、イスの背もたれに掛けた。

「おはよう」

驚いたように、振り返った山崎さんは、少し窶れているように見えた。
私も、酷い顔になってる。
山崎さんの言葉を借りれば、お互い様なのだが、視線を反らされたのに、少しムカッとした。
だが、怒りたいわけじゃない。
ただちゃんと、話がしたい。
その思いで、リビングに入り、ドアを閉めてから、落ち着いて言った。

「何も言わないの?」

山崎さんの側まで、歩み寄り、真っ直ぐに見つめたまま、ずっと聞きたかった事を聞く。

「今まで、どこにいたの?」

「…ケイコの所ですよ」

「嘘。この前、ケイコさんに会ったけど、何も言ってなかった」

前髪の隙間から、私を見た山崎さんは、驚いた顔をしていた。

「なんで、嘘つくの?」

山崎さんは、溜め息をつくと、ジャケットを持って、私の横を通り過ぎようとした。
咄嗟に、その腕を掴んだ。

「お願いだから、ちゃん…」

掴んだ手を振り払い、ドアに向かって行く山崎さんの背中を見つめ、私は、泣き出してしまいそうだった。

「…教えてよ…教えてよ!!」

私が大声になると、ドアノブに手を掛けたまま、山崎さんは、突き放すように言った。
その背中は、何かを耐えているようだった。

「重いんですよ。そうゆうの」

冷静に、落ち着いて、ちゃんと話をしよう。
そう思っていたのが、山崎さんの言葉で、全てが、その思いが消えてしまった。

「重いって…私は、ちゃんと話を…」

「飽きたんですよ」

言い放たれた言葉に、ショックで、私は、何も考えられなくなった。
信じてた。
小さい頃から、ずっと、私を好きだと、言った山崎さんを信じていた。
だから、ちゃんと話をしようと思っていた。
それが、裏切られたように感じ、余計にショックだった。
それでも、信じたい気持ちが捨てきれない。

「…嘘…だよね?前に、飽きな…」

「人の感情なんて、簡単に変わるもんですよ」

振り返った山崎さんの微笑みは、仮面のように貼り付いた笑みだった。
その微笑みが、私が、必死に抱えていた全てを壊した。
粉々に砕けて、指の隙間から、バラバラに零れ落ちていく。
いくら、拾おうとしても、もう元には戻らない。
跡形もなく、崩れ落ちていく。
この時、私は、空っぽになる感覚がした。
消え始めた感情をしっかり拾っていれば、山崎さんの肩が、小さく震えていたのを知ることが出来たかもしれない。
だが、それを拾える程の気力が、私には、残っていなかった。
それ程、あの微笑みは、私にとって、ショックだった。

「鍵は、下駄箱の上に置いておきますので。それでは…さようなら」

その背中を呼び止めたくても、声が出ない。
その背中に触れたくても、体が動かない。
全てが、スローモーションに見えた。
この時、諦めずに追い掛けていれば、何かが変わったかもしれない。
それすらも出来ずに、山崎さんの背中を消すように、リビングのドアが閉まるのを見つめていた。
玄関の閉まる音が、微かに聞こえると、私の体から、力が抜けて、その場に座り込んだ。

「…嘘…つき…嘘つき…う…そ…つき!!」

叫びが空しく響き、その場で、顔を隠すこともせずに、大声で泣いた。
何があっても、こんな大泣きしたことがなかった。
それまで、期待しないようにしていたから、涙を流すだけで済んでいた。
期待すればする程、壊れてしまった時が、辛く、苦しく、悲しくなる。
分かっていた。
分かっていたのに、私は、与えられるものに、胸を踊ろらせ、あの微笑みとぬくもりに、次を期待していた。
その結果が、この有り様だ。
自分自身が、愚かすぎて、なんとも言えない自己嫌悪が、全てを支配していく。
やっと泣き止んだ時には、全てを奪われ、気力を失い、本当に、空っぽになっていた。
祖母が亡くなった時でさえ、こんな感覚にはならなかった。
私は、ヨロヨロと立ち上がり、仕事部屋に行き、椅子に座ると、天井を見上げた。

「私のバ~カ…」

自分で自分を否定し、自傷気味に鼻で笑い、パソコンに向かい、ただ指を動かした。
無心になり、目の前の仕事を片付けた時には、夕方になっていた。
二つの作品を完成させ、それぞれの事務所に持って行き、それを置いて、帰宅した。
リビングのソファーに、深々と座って、天井を見つめた。
正直、全てに疲れていた。
そんな時、ニコニコと笑いながら、私を覗き込む山崎さんの姿が、浮かんで見えた。
それから逃げるように、浴室に向かったが、そこにも、山崎さんの姿が浮かんだ。
必死に、それらの記憶から、逃げるように、シャワーを浴びたり、仕事部屋に向かったり、庭に出たりと、ウロウロと歩き回った。
だが、どこに行っても、山崎さんの残像は、私の後を追って来た。
いつもより、早く布団に入ったが、そこでも、山崎さんの残像が、浮かび上がった。
暖かさや優しさを感じられない事に、淋しさを覚え、今朝の哀しみを思い出してしまう。
とにかく、全てから逃げたかった。
それでも、山崎さんの残像は、私を逃してくれない。
どこに居ても、どこに行こうとも、あの優しくて暖かに微笑む山崎さんが、見えてしまった。
その度に、涙がこみ上げ、一人で涙を流した。
人を好きになるのが、こんなにも苦しくて、哀しいのだと改めて知った。
どうしようもない感情を持て余し、家から出ることも、食事をすることも出来なくなり始め、逃げ回るように、フラフラと歩き回るようになった。
何も出来ず、自分が分からなくなり、頭がおかしくなりそうで、逃げるように、全てを投げ出して、ある場所に逃げ込んだ。
その三日後。
龍之介、祐介、淳也は、貴子さんから連絡を受け、家の前に立っていた。

「ったく。何してんだよ」

何度も、チャイムを鳴らしていたが、玄関のドアが、開く気配もない事に、龍之介は、苛立っていた。

「こっちには、居ませんでした」

庭の方に回り、中の様子を確認して、淳也が、戻って来ると、祐介も首を傾げた。

「車あるけど…何処に行ったんだろ?」

「さぁ」

「開いてたりしてな」

龍之介が、ドアノブを回すと、素直に回り、驚きながら、ドアを引いた。
ゆっくりとドアが開き、三人は、顔を見合わせ、ゆっくりと家の中に入った。

「マコト?」

リビングのドアを開けると、カーテンが、閉められていた部屋の中には、色んな物が、メチャクチャになっていた。
クッションが散らかり、割られた食器やタバコの吸殻が、ばら撒かれ、椅子が倒れている。
その中には、愛用のマグカップや買った茶碗も、貼り合わせることも出来ない程、粉々に砕け散っていた。
ありとあらゆる物が、散らかっていて、足の踏み場もないリビングに、三人は、その惨状を見つめた。

「なに…これ…泥棒でも入った?」

祐介の呟きに、淳也は、首を傾げたが、龍之介は、走るように廊下を進んだ。

「ちょ!!龍之介!!」

二人も、小走りで追い、廊下を進んだ。
龍之介の手で、開け放たれる部屋の全てが、リビングのような、惨状になっていた。
仕事部屋も、風呂場も、洗面所も、寝室も、和室も、全てを壊すように、散らかっていた。
その光景が、何を意味しているのか。
三人が理解すると、どこからか、小さな音が聞こえ、龍之介は、祖母が使っていた部屋の襖を開けた。
当時のまま、綺麗に保たれた部屋は、何も変わりなかった。

「龍之介。あそこ」

祐介が、指差した押入れに近付くと、小さな音が大きくなった。
三人は、押入れの前に膝を着き、祐介が、ゆっくりと襖を開けた。

「マコトさん!!」

淳也は、驚いた顔をしていたが、龍之介と祐介は、悲しそうに顔を歪めていた。

「どうしたんですか?大丈夫ですか?何があったんですか?」

「淳也」

早口になりながら、淳也が、私の肩を揺らすと、その肩を掴み、龍之介が、首を振った。
膝を抱え、泣いている私の声だけが、部屋の中に響いた。

「…人を…好きになるって…こんなに…辛いなんて…知らなかった…」

涙で声を詰まらせながら、呟く私の声は、三人の不安を煽った。

「…好き…なのに…どうしたらいいか…分からないよ…」

本音を吐き出し、顔を上げると、淳也も、今にも泣き出しそうな顔になった。
そんな淳也が、今の自分を見ているようで、息苦しくなり、祐介と龍之介に視線を移した。
二人は、ずっと、私を想ってくれていた。
二人も、今の私と同じ気持ちだったのだと思うと、更に、苦しくて、哀しくなった。

「ごめん…本当に…ごめん…ね…」

言葉の意味を理解しながらも、三人は、優しく微笑んで、頷いてくれた。
ありがとう。
声には出さず、自分の中で、そう告げて、私は、ただ三人に甘えるように、ずっと泣いていた。
ある程度、落ち着いた私を押入れから、引きずり出すと、龍之介は、貴子さんに連絡した。
すぐに、巴さんが迎えに来ると、私を引き渡し、三人は、それぞれの家に向かって歩き出した。

「…やっぱ、ダメだよな」

そんな時、不意に、呟かれた龍之介の言葉に、祐介も苦笑いして、空を見上げて言った。

「てか、ずっと前にフラれてるじゃん」

「そうなんすか?いつすか?」

「高校入る少し前。中学の卒業後、少ししてから」

「マジすか」

「俺も祐介も、なんでか、同じ日に告ったら、同じ理由で、フラれた」

「ちゃんと、理由あったんすね」

「そうなんだけど…諦めらんなくてさ。僕も龍之介も、ずっと、マコトの側に居たんだ」

「…俺、今日、初めてフラれたっす」

「そらそうだ。気付かなきゃ、よかったのに。な?」

「バカだよね。淳也って」

「別にバカでいっすよ」

くだらない話をしながら、三人の目元には、薄らと、涙が溜まっていた。

「泣くんじゃねぇぞ。バカ共」

「お前もな」

泣きそうになりながらも、涙を溢さないように、上を向くように、真っ直ぐ自宅に向かって、歩いて行く。
そんな三人と別れ、巴さんの運転で、忍さんの病院に向かった。
空いていた個室のベットに座り、ボーッと外を見つめた。

「マコトちゃん」

湯気の上がる紙コップを持って、巴さんが、私の隣に腰を下ろした。

「どうぞ」

「ありがとございます」

差し出された紙コップを受け取り、ゆっくりと、胃に流し込む。
その暖かさに、強張っていた体が、解れていき、その甘さに、気持ちが落ち着く。

「どうしたの?」

巴さんの優しい声色に誘われ、私は、ゆっくり、自分を振り返るように、山崎さんとのことを全て話した。

「そうだったの。マコトちゃんも、大変だったのね」

「そんなことないです。私よりも、祐介や龍之介の方が、大変だったと思いますから」

「あの二人は、自分で、それを望んだのよ?その苦労だって、覚悟してたんだから、別に大変じゃないのよ。それより、マコトちゃん。このままでいいの?」

巴さんは、眉を寄せて、困ったような顔をしていた。
私は、その真意が理解出来ず、首を傾げた。

「まだ、何も伝えてないんでしょ?」

「まぁ…そうですけど…」

「辛くない?」

「ちょっと。でも、どこにいるのかも分からないので、仕方ないですよ」

「こうゆう時こそ、友達や知人を頼るべきよ?」

「彼と直接連絡出来そうな人が、いないですから」

「なら、私が探してあげようか?」

「大丈夫です。もう終わった事ですから。ココア、ありがとうございました」

紙コップをゴミ箱に捨て、巴さんに頭を下げてから、自宅に向かい、ゆっくり歩き出した。
いつもは、運転をしながら、なんとなく、見ていた景色の中を歩くと、様々な発見があった。
そんな小さな事を楽しみながら、帰宅して、すぐに掃除を始めた。
自分で散らかした部屋を片付けると、感情も片付いていく。
全てを片付けてから、仕事をしようと、パソコンに向かってみたが、哀しい結末ばかりが浮かぶ。
それでも、なんとか仕事を続けた。
そんな日々になってから一週間後。
突然、携帯が鳴り響き、画面を確認すると、圭子からだった。

『今すぐ来て下さい!!』

電話に出ると、すぐに早口の圭子の声が聞こえた。
焦ったような圭子の様子に、驚きながらも、私は、首を傾げて言った。

「ちょっと落ち着いて下さい。どこに…」

『ススムを助けた所です!!早く来て下さい!!』

「ちょ!!ケイコさ…切れちゃった…」

理由を聞く前に、切られてしまい、私は、首を傾げながらも、スウェットのまま、あの池に向かい、車を走らせた。
池に着き、車を降りて、圭子を探したが、見付からなかった。
その代わり、懐かしい横顔を見付けた。
その人も、誰かを探しているようで、私の姿を見ると、驚いたように、目を見開いた。

「マコトさん…どうして…」

「山崎さんこそ…なんでいるの?」

その時、互いの携帯から、メールの受信音が流れ、それぞれ、メールを確認した。

ちゃんと、話し合って下さい。

圭子からの短いメールに、私が、視線を上げると、山崎さんも、私を見て、瞬きをしながら言った。

「もしかして、ケイコからですか?」

素直に頷くと、山崎さんは、眉間にシワを寄せて、大きな溜め息をつき、ブツブツと文句を言い始めた。

「…あのさ。一つだけいい?」

小さな声で、独り言を言っているのに、そう声を掛けると、山崎さんは、無表情のまま、視線を上げて黙った。
そんな山崎さんに、私は、ずっと、胸に秘めていた想いを告げた。

「ずっと、言いたかったってか、言い出せなかった事があるんだよね…」

私と山崎さんの間を優しい風が流れ、その風に、背中を押されるように覚悟を決めた。

「好きよ」

ニッコリと笑い、そう告げると、山崎さんは、ただ私を見つめたまま、風に前髪を揺らされ、立ち尽くしていた。

「一緒にいれて楽しかった。嬉しかった。本当は、もっと、もっと一緒にいたかった。でも、山崎さんが、嫌になったのなら諦めるよ。だけど、私の気持ちは、知ってて欲しいかな。それじゃ…さようなら」

これで、終わりにしようと思った。
とにかく、溢れる想いを伝えた。
もう大丈夫。
もう平気。
もう誰も好きにならない。
前の私に戻ろう。
そう頭の中で、自分に言い聞かせ、山崎さんに背中を向けて、車に戻ろうとした。
だが、いきなり背中から、抱き締められ、驚きに、顔を横に向けると、山崎さんの唇が重なった。
強い風が、私の髪を拐い、山崎さんの前髪が揺れている。
葉の擦れる音が、遠くに聞こえる。
唇が離れると、肩に顔を埋め、山崎さんは、呟くように言った。

「…ズルい…ズルいですよ…」

「山崎さん?」

「これじゃ…諦められない…」

山崎さんの腕に力が入り、首筋を這うように、唇で撫でられた。
久々の感覚が、私の背中を走る。

「…大切にしたい。でも、マコトさんの周りには、いつも、沢山の人がいて、私の知らないマコトさんを知っている。それが、耐えられなかった」

山崎さんの囁きは、本当に苦しそうだった。

「長い間…マコトさんと一緒にいるのだから…当たり前なのに…嫉妬して…マコトさんに酷い事してしまう…そんなの…望んでないのに…でも止まらなくて…そんな私じゃ…一緒に…」

「いいよ」

私の呟いた答えに、山崎さんの肩が、ビクッと揺れた。
私は、そっと、山崎さんの頬にオデコを寄せた。

「どんな山崎さんも好きよ」

小さな声で囁き、オデコを擦り寄せると、山崎さんは、更に、私を抱き寄せた。

「本当にいいんですか?」

小さく頷くと、耳元に、山崎さんの唇が寄せられた。

「また、酷い事してしまうかもしれませんよ?」

「へぇ~。ちゃんと、分かってたんだ」

ククと喉を鳴らすように笑うと、ムッとした山崎さんに、耳を甘噛みされた。
首を縮めると、唇が頬を撫でた。
優しくて、暖かくて、私は、安心感を思い出し、静かに目を閉じた。

「分かってましたよ。だから、諦めようと…」

「あれ?飽きたんじゃなかったっけ?」

「それは、諦める為に言っただけで、私は、ずっと、マコトさんが好きです」

「でも、言ってたじゃん?」

「意地悪ですね」

「お互い様でしょ?」

久々に聞く山崎さんの優しい声色とくだらない会話は、私が、本当に欲しかったものだ。
優しくて、暖かくて、大好きな時間。
お互いが、素直でいれる時間。

「好きよ」

「私も大好きです」

優しく微笑み合い、どちらともなく、唇を重ねると、優しい風が、私たちを包んで、暖かな香りが流れていった。
想いが通じ合い、私は、喜びに浸っていたが、山崎さんは、ちょっと違っていた。
重ねていた唇を離そうとすると、肩に回されていた山崎さんの腕が離れ、頭を包んだ。
強引に、舌を割り込ませ、私の舌に絡ませる。
驚きつつも、久々の感覚に、素直に受け入れると、山崎さんの鼻息が荒くなった。
内心では、ヤバいと思いながらも、体は正直で、山崎さんと同調するように、熱くなっていく。
やっと唇が離れ、大きく息を吐き出すと、頭が麻痺したように、ボーッとしていた。
山崎さんの唇が、頬を撫で下ろし、首筋に顔を埋めると、スウェットの中に、手が侵入して素肌を撫でた。

「ちょ!!待って!!待って!!ダメ!!」

「どうして?」

甘えるような声色に、頬が熱くなり、山崎さんの吐息で、体が震えそうになる。
短い声が漏れそうになるのを耐えながら、横目で山崎さんを見つめて言った。

「ここじゃ…いや…帰って…から…」

「いやだ」

山崎さんは、意地悪で優しい微笑みを浮かべて、即答すると、首筋に吸い付いた。

「ふっ…ん…」

鈍い痛みが走り、チュっと音をさせながら、唇が離れると、舌先が耳の後ろまで、撫で上げた。
耳に噛み付き、クチュクチュと、湿った音が耳に響く。

「や…ちょっ…ん…」

「抱きたい」

濡れた耳に、息を吹き掛けるように、そう言われ、体が、敏感に反応してしまった。
熱を上げて、全身から力が抜けていくが、必死に耐えて、声を絞り出す。

「ここじゃ…イヤ…」

「なんで?」

「…見られたく…ない…」

「大丈夫。誰にも、見えないようにするから」

「違う…山崎さんの…顔…誰にも…見せたくない…」

自分で自分の言ってることが、分からない。
だが、好きな人が、私だけに見せる顔を誰かに見られるのが、嫌なのは本心だ。

「…私だけ…誰にも…見せたくない…」

自分で言っときながら、大胆なことを言ってると思った。
恥ずかしさで、耳まで熱くなり、山崎さんが、どんな顔をしてるのかすらも、見る事が出来なかった。

「…二人っきりならいい?」

優しくも、少し意地悪な声色に、ゆっくり頷くと、山崎さんの腕が離れた。
その場で膝を抱えるように、屈んで顔を隠すと、山崎さんも、隣に屈んだ。

「大丈夫ですか?」

「大丈夫じゃない。ばか」

「いつものことですよ」

「意地悪」

「お互い様ですよ」

少しだけ顔を上げ、髪の隙間から、山崎さんを見ると、優しく微笑んでいた。
その微笑みが嬉しくて、微笑みを返すと、山崎さんの顔が近付き、そっと触れるだけのキスをした。

「行きましょうか」

「へ?」

私の手を掴み、立ち上がった山崎さんに引き摺られるように、車に戻る。
ポケットを探る私を尻目に、山崎さんは、いつの間にか、キーケースを持っていた。

「なんで持ってんの」

「さぁ。何故でしょうね?」

「もういいや」

呆れながら、鍵を受け取ろうと、手を伸ばすと、助手席に押し込まれた。
運転席に乗り込み、エンジンを掛けた山崎さんの横顔を見て、首を傾げると、ニコニコと笑いながら言った。

「どうかしました?」

「なんで?」

「何がです?」

「運転、嫌がってたじゃん」

「時と場合によってですよ。今は、自分で運転した方が確実にですから」

「…え~と、何がかな?」

「とぼけてます?さっき、聞いたじゃないですか」

山崎さんが言ってたことを思い出し、頬の熱が戻ってきた。

「覚悟して下さいね?」

運転をしながら、ニコニコと笑っている山崎さんに、嫌な予感が過り、ブルッと肩を揺らした。

「その顔怖い」

「そうですか?普通ですよ?」

「ヤな予感しかしないんですけど」

「気のせいですよ」

「絶対、なんか企んでるし」

「そんな事ないですよ?ただ、久々に抱けるなって思うと、ちょっと興奮しません?」

「しないから」

「素直じゃないですね?」

「いやいや。素直だから」

「そうですか?私は、興奮するんですけど」

「変態」

「それはどうも」

「褒めてないし」

くだらない事を話ながら、車を走らせ、行き着いた先は、自宅近くのホテルだった。

「帰った方が早くない?」

「たまには、気分を変えてってやつです」

「なんか違うと思う」

「まぁ。実際は、もう我慢の限界なんです」

「たかが、十分足らずで、着くんですけど」

「もう無理です」

手を引かれ、変な会話をしながら、密かに笑い、受付を済ませて、一室のドアを開けた。
同時に、山崎さんに引き寄せられ、両手で、私の頬を包むと、唇を重ね、舌を絡ませてきた。
壁に背中を着け、ドアの閉まる音が、遠くに聞こえると、二人だけの空間になり、山崎さんの抑えていたモノが、爆発したようだった。
口内を舐め回し、スウェットの裾から、手を滑り込ませ、素肌を撫で上げられた。
冷めていた熱が戻り、荒くなる鼻息と共に、短い声を口の中で響かせた。

「敏感」

唇を離し、山崎さんは、いつも以上に、低い声で、そう呟き、首筋に顔を埋めた。
何度も唇を滑らせられ、短い声を交えながら、熱くなった息を何度も吐き出した。
足の力が抜け、壁を背中が、滑り落ちそうになった。

「辛い?」

小さく頷くと、山崎さんに、お姫様抱っこをされ、ベットに向かった。
ゆっくり降ろすと、覆い被さり、優しく微笑んで、体を抱き締めた。

「ずいぶん、敏感になったね」

「うる…さ…ぁ…ん…」

悪態を着きながらも、久々の重さと暖かさに、もう何も言えず、ただ喘ぎ声を上げるしか出来なくなった。

「力…抜いて」

「む…り…」

苦しい程の圧迫感に、背中が震え、視界が歪む。
背中を反らして、大声を上げると、山崎さんの顔が歪んだ。

「ん…くっ…きっつ」

あの日から、誰とも交わらずにいた為に、加減を忘れていた。
力強く打ち付けられ、耐えられずに、全身に力が入り、無意識に、山崎さんに抱き付いて、忘れていた感覚に、体を震わせた。

「ふっ…っ…ごめん…っく」

膣の奥に熱さを感じ、肩にオデコを押し付け、無言のまま、肩で息をし、熱を逃した。

「ごめん。加減が…」

「だいじょぶ…」

呟くように言って、腕を緩めると、逆に、山崎さんの腕に力が入れられ、膣の奥に、肉棒を押し付けられた。

「ちょ…」

「ごめん。止まんない」

厭らしい水音に、狂ったような吐息が、混ざり合い、求め合う声が互いを呼ぶ。
おかしくなりそう。
そう思い、見つめる互いの表情は、今までに見たことがない程、快楽に歪んでいた。
それが、ちょっと、嬉しいようにも思えたが、それよりも、感じ合う熱で、頭が追い付かなかった。

「あ!!あぁ!!まぁ!!あ!!まって!!まって!!」

「むり」

泣き叫ぶような喘ぎ声が響き、肩に爪が食い込む。
互いに抱き合い、それぞれが暴力的な熱を与え合う。

「やぁ!!ふ!!んーー!!」

塞ぐように、唇を重ねれば、その熱を全身で感じる。
痙攣するような感覚は、絶頂を招いて離さない。
処理しきれない熱は、もう何度目か分からない。
肉棒が小刻みに揺れ、苦しい程に、熱い体液が注ぎ込まれた。

「…くる…し…い…」

すがり付き、甘えるような声を抱き締め、子供をあやすように、頭に触れる。

「ごめん…大丈夫?」

互いに頬擦りをして、まだ収まらない熱を抱えたまま、ゆっくりと圧迫を解放する。
隣に倒れるように寝転び、互いに体を寄せる。
その時、微かに肩が震え、クスッと笑う声が漏れた。

「敏感過ぎですよ」

「仕方ないじゃん…久々なんだから…」

「あ~やっぱりですか」

「分かってんなら言わないでよ。ばか」

「はいはい」

向き合うように寝転び、どちらともなくキスをする。
穏やかで、暖かな時間は、互いの未来を予測していたように、ゆっくりと流れた。
隣には、互いに愛おしい人がいる。
それぞれの優しさで包まれ、淡い期待と少しの不安に、胸を踊らせて、時には、互いのことに肝を冷やした。
五年後。
小さな奇跡が訪れた。
だが、自分の物事を後回しにする性分の為、事後報告となった。

「先に言って下さいよ」

「ちゃんと言おうとしたもん」

「だからって、今、それを出しますか?」

「出させてくれなかったのは、そっちじゃんか」

「だからって…」

「嬉しくない?」

「…嬉しいですよ。一人で行ったんですか?」

「違う。貴子さんに連れてかれた」

「気付いてなかったんですか?」

「元々不順だったから、分からなかったの」

「何ヶ月ですか?」

「二ヶ月だって。てか、籍入れなきゃまずいよね?」

「ですね。ちょっと忙しくなりますけど、大丈夫ですか?」

「大丈夫。てかさ、今度、清彦さんと食事行くんだけど」

「なら、その時に報告出来るようにしますか」

「そうね。頑張って」

「私だけにって!!マコトさん!!」

不意に、あの夢を思い出す。

「そういえば、あの夢って、なんだったんだろ?」

「あ。それ、この前、ちょっと調べたんだけど、前世の記憶が、なんかの拍子に蘇ることがあるんだって」

「祐介。暇だろ?」

「そうゆう先輩だって、調べてたっすよね?」

「淳也!!」

「なんだ。龍之介も調べてたんだ」

「ちげぇし」

「お前ら、前世でもフラれてたのか」

「満さんって鬼だよな」

「俺が鬼なら、忍は悪魔だな」

「そうか。なら、殴り殺しても、大丈夫だな。ちょっと来い」

「ダメですよ。父親は、ちゃんといてもらわなきゃ」

「そうね。パパがいなくなったら、いっちゃんが泣いちゃうから、やめてね?それに、パパは、人のこと言えないんじゃないかな?」

「なんだ。お前もデキ婚かよ」

「マジすか!?」

「パパ~。お口チャク」

「え~。二人もデキ婚ってショック~」

「今どき、そんなだろ」

「確かにね。でも、忍さんは、そうじゃないと思ってたんだけど」

「元々、結婚する予定だったから、分からなかっただけよ」

「てか、なに。この会話。報告に来たのに、放置されない?」

「一応、報告は出来たので、いいんじゃないですかね」

「まぁね。てか、そろそろ次に行かなきゃ」

「そうですね」

「それじゃ、またね~」

手を振り合い、次に向かう。

「マコトちゃん!!大丈夫なの?」

「大丈夫ですよ」

「そう。ならいいんだけど」

「文子さんこそ、大丈夫ですか?」

「大丈夫よ」

「大丈夫じゃないです」

「先生の結婚発表から、電話が止まらないんですから」

「あ~…ごめんなさい」

「いいのよ。これで、また売上が伸びるわよ」

「売上よりも、休みが欲しいです」

「私も。クラブ行きたいです」

「そうね。んじゃ、今夜にでも行きましょうか」

「やった。頑張ろうね」

「うん。頑張る」

「それじゃ、お幸せにねぇ」

追い出されるように、次に向かう。

「マコトさん!!ススム!!」

「お久し振りです。ケイコさん…あの、なんで、ヒロセさんが?」

「実は、ケイコさんと、お付き合いすることになったんです」

「…なぬ!?」

「知り合いだったんですか!?」

「いえ。マコトさんのおかげで知り合いまして」

「…繋がらないんだけど」

「私もです」

「元々、同じ会社だったんです。私が、マコトさんの記事を見てたら、声を掛けられて」

「それで、話すようになったんですけど、だんだん、彼女に惹かれまして」

「…あれ?ってことは、ケイコさん、清彦さんも知ってるんですか?」

「はい。マコトさんのお父様だとは、分からなかったですけど」

「世の中、狭いですね」

「狭すぎでしょ。次が怖い」

「大丈夫ですよ。金山さん喜んでたので」

「そうですか…ねぇ」

「ダメです。行きますよ」

「え~」

「それじゃまた。お幸せに」

「二人も、お幸せに」

「ねぇ、やま…」

「ご自分のことですか?」

「もう!!分かってるくせに!!」

「ほら。早く行きますよ」

「待ってよ!!」

「走らないで下さい」

「なら置いてかないで」

手を繋ぎ、仲良く並んで、次に向かう。

「清彦さん!!」

「やぁ。久し振り」

「初めまして。山崎燕です」

「初めまして。父の清彦です」

「あれ?母さんは?」

「今来るよ」

「あなた~」

「…なに。あれ」

「最近、マコトが書いた雑誌の小説を読んだらしくてな」

「いやいやいや。だからって、あれはやり過ぎですよ」

「まぁいいじゃないか」

「でも…」

「あなた。お待たせ」

「いや。今来たところだよ」

「よかった」

「…帰りたい…」

「そう言わずに、少しの辛抱ですから」

「ストレスで、お腹が…」

「ダメです。ちゃんとしないと、笑われますよ」

「別にいいし」

「子供に嫌われますよ?」

「う…それはいやかも」

「なら、今だけ辛抱して下さいね?」

「はぁ~い」

「子供?」

「マコト…あなた…まさか…」

「今、二ヶ月」

「そうか。おめでとう」

「ありが…」

「うそ…そんな…」

「おっと。母さんには、刺激が強かったみたいだね」

「でしょうね。だから嫌だったんだよ」

「すみません」

「まぁまぁ。そっか。とうとう、お祖父ちゃんになるのか」

「母さんは、認めないでしょうけどね」

「仕方ないさ。少しずつだよ」

「お義母さんは、厳しい方なんですね」

「違うよ。理想が高いだけ高いから、自分の理想が崩れるのが嫌なだけ」

「マコトさん。そんな言い方しちゃダメですよ」

「だって、再婚の時だって、結婚式するんだって、騒いだ人だよ?てか、父さんと…」

「マコトさん」

「大丈夫だよ。全部、聞いてるから」

「そうなんですか?」

「あぁ。マコトが教えてくれたんだよ。盛大だったらしいね」

「ゴンドラやら馬車やら。お前は、どこぞのお姫様だ!!って、祖母が怒ったらしい」

「それを聞いた時は、首を括る覚悟をしたよ。まぁ、マコトのおかげで、そうならなかったけどね」

「何したんですか?」

「んなことやらりたいなら、海外のお偉いさんと結婚しろって言ったの。その時も、こんな風に気絶してた」

「気絶って…」

「この人の中じゃ、お偉いさんイコールおじさんだからね」

「それは…」

「まぁ、最近は、少しずつ良くなってるから、このまま、清彦さんに任せて、私達は帰るよ。それじゃ、母をお願いします」

「あぁ。お幸せに」

「はい」

二人で、帰るべき場所に帰ると、穏やかで、暖かな時間が流れた。
頬を撫でる唇が、互いの想い伝え合い、穏やかで、暖かな時間が、理想の家庭を築いた。

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