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三
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その後、二人の朝食は、穏やかな雰囲気だったが、使用人達は、アスベルトを迎える準備とエルテル公爵を迎える準備に追われ、バタバタと、忙しく走り回っていた。
「お嬢様。本日のお召し物は」
「装飾品を少なくして、あまり派手にならないようにお願いします」
「かしこまりました」
侍女とも打ち解け始め、少しずつ、明るくなったリリアンナが、要望を伝えると、ニコッと笑った。
「では、始めさせて頂きます」
髪に香油を付け、侍女が、優しく梳かし始めると、リリアンナは、ローズのように甘く、ゼラニウムのように爽やかな香りに、瞳を閉じて、頬を緩ませながら、ニコニコと笑った。
「…良い匂い…」
文句を言われることも、怒られることもなくなり、侍女達は、着せ替え人形のように、リリアンナに、様々なドレスを着せた。
「出来ました」
あのお茶会の日にも着ていた薄緑色のドレス。
だが、スカート部分のボリュームが絞られ、裾に白いレースがあしらわれていた。
「…素敵。手直ししてくれたんですか?」
「はい。前に、お召になっていた時に、お嬢様なら、こちらの方が良いかと思いまして」
「ありがとうございます。ローダン」
夫人に八つ当たりされたメイドが、ニコッと笑うと、リリアンナも、ニコッと笑って、クローゼットに視線を向けた。
「ねぇローダン。このドレスなら、どうしたらいいですか?」
リリアンナが、鮮やかなピンクのドレスを差し出すと、メイドは、それを受け取り、前後ろを確認し、スカートの中や襟元、袖口などを見回した。
「そうですね…色合いが、鮮やかですので、少しボリュームを控えて、レースやサテンを合わせるとかは、いかがですか?」
「お願いしてもいいですか?」
「宜しいのですか?」
「出来るなら、全部、手直ししてほしいのだけど」
「全部ですか!?」
クローゼットのドレスを見て、メイドが、口元に手を当てると、リリアンナは、目尻を下げて、眉を八の字にした。
「やっぱり、いやですか?」
「え~っと~」
メイドが視線を向けると、侍女達は、何度も大きく頷いた。
「…分かりました。やってみます」
「ありがとうございます。ローダン」
リリアンナが、パーっと明るい笑顔を浮かべると、メイドも侍女達も、少し困ったような、嬉しいような、複雑な笑顔を浮かべた。
〈コンコン〉
「リリアンナ。皇太子が到着したようだから、一緒に出迎えようか」
「は~い。それでは、行って参ります」
「はい。行ってらっしゃいませ。お嬢様」
扉が開くと、アルベル公爵は、手直しされた薄緑色のドレスに、髪を下ろして、レースと同じ、白いカチューシャを着けたリリアンナを見下ろした。
「お待たせしました。お父様」
リリアンナは、ドレスの裾を広げて、頭を下げたが、アルベル公爵は、ボーッと見つめていた。
「…お父様?」
「え?あぁ、すまない。我が娘ながら、あまりにも素敵でね。見惚れてしまったよ」
「はい。ローダンが、手直ししてくれたようで、本当に、素敵なドレスになりました」
「…そういう意味ではないのだが…」
コテンと首を傾げると、侍女の一人が、リリアンナの耳に顔を寄せた。
「今のお嬢様が、とても素敵なレディだという意味です」
リリアンナが、ジーッと見つめると、アルベル公爵の頬が、ほんのり赤くなった。
「ありがとうございます。私も、少しは、お母様のようになれましたでしょうか?」
「リリアンナは、そのままでも充分だよ」
和やかな父娘の会話に、使用人達も、ほんわか和んでいると、慌てた執事が走って来た。
「旦那様。皇太子様の馬車が、到着されました」
「あぁ、そうだった。では行こうか。リリアンナ」
「はい。お父様」
手を繋いで、並んで歩き、アルベル公爵と一緒に出迎えに向かうと、そこには、デュラベルとローデンに挟まれるようにして、モーガンが、馬車の横に立っていた。
「…お父様。何故、王子様達がいらっしゃるのですか?」
「さぁ?私にも分からない」
作り笑顔を浮かべたまま、リリアンナが、瞳を点にして、コテンと首を傾げると、アルベル公爵も首を傾げた。
「…リリアンナ」
二人に気付いたモーガンが、歩み寄ると、繋がれていた手が離れた。
「ようこそ、おいで下さいました。モーガン王子殿下」
アルベル公爵が、胸に手を当て、お辞儀をすると、リリアンナも、スカートの裾を広げて、頭を下げた。
「いえ。そんなに堅苦しい挨拶は結構です」
「ありがとうございます」
「久しぶりだね。リリアンナ」
「ご無沙汰しております。モーガン王子殿下、ローデン公子、デュラベル公子」
「あぁ」
「久しぶり」
「それで?皆様、本日は、どのような、ご用でいらっしゃったのでしょうか?」
気まずい雰囲気で、三人が、視線を合わせるのを見て、アルベル公爵は、小さなため息をついた。
「申し訳ございません。三人は、私が来るのを知って、慌てて駆け付けたのだと思います」
馬車から降り立ったアスベルトが、頬を赤らめながら、困ったよう微笑むと、リリアンナも、困ったようだが、愛おしそうに瞳を細めた。
「突然の訪問をお許し頂き、ありがとうございます。アルベル公爵、リリアンナ公女」
「いえ。わざわざ、ご足労頂き、ありがとうございます。アスベルト皇太子様」
互いに頭を下げ、挨拶を交わすと、アスベルトは、ニコッと笑った。
「本日も、お美しく、ドレスが、よくお似合いです。リリアンナ公女」
「ありがとうございます。皇太子様のお召し物も、とてもよくお似合いです」
ニコニコと微笑み合う二人を見て、アルベル公爵は、指先で唇を撫でた。
「ご気分は、いかがですか?」
「ご覧頂いた通り、元気にございます。皇太子様も、朝から、馬車での移動で、お疲れではございませんか?」
「この程度の移動、疲れる程ではございませんよ」
「でしたら、少し散歩はいかがですか?今、庭の花が見頃を迎えておりますので」
「素敵ですね。お手をお預かりしても?」
モーガンの前で、優雅に、手を差し出したアスベルトを見て、リリアンナは、クスクスと笑った。
「大変、光栄ではございますが、人目も多いですので、またの機会に、お願い致します」
「そうですか。少し残念ですが、次を楽しみにしていますね」
二人のやり取りを見つめていたアルベル公爵は、フッと小さく笑った。
「お父様?」
「すまない。父達の気持ちが、なんとなく分かったら、ちょっと複雑でね」
二人が視線を合わせて、首を傾げると、アルベル公爵は、優しく微笑んで、リリアンナの隣に膝を着いた。
「私の可愛いリリアンナ、今は、この父の手を取ってはくれないか?」
アルベル公爵が手を差し出すと、アスベルトは、ケタケタと大きな声で笑い、リリアンナは、困ったような顔をした。
「お父様ったら、そんな事してたら、お母様に叱られますよ?」
「しかし」
「申し訳ないです。私が、少し、堅苦しくなり過ぎましたね。どうぞ、ご令嬢の手は、公爵が、お取り下さい。私達は、後を追いますので」
ウッと、言葉を詰まらせたアルベル公爵の手に、リリアンナが、手を乗せると、ほんのり頬を赤らめながらも、嬉しそうに瞳を細めた。
「では、行こうか。皆様も、どうぞ、こちらに」
アルベル公爵とリリアンナが、並んで歩く後ろ姿を見つめ、アスベルトも、嬉しそうに、微笑みながら歩き始めた。
「…なんだか、俺らだけ蚊帳の外にいる感じだな」
「まぁ、仕方ないよ」
「でも、公女は、モーガンの婚約者なのに」
「おーい。来ないのかい?」
慌てて、三人が追い掛けると、リリアンナの隣に並んで歩くアスベルトを見つめ、デュラベルとローデンは、眉間に眉を寄せて、目尻を釣り上げて、睨むように見つめ、モーガンは、不安そうに瞳を揺らしていた。
「素晴らしい庭園ですね」
「ありがとうございます。ツツジというらしく、とても心地よく、素朴な香りですが、どこか、落ち着く香りなんです」
「本当に、素敵な香りですね」
「皇太子様は」
「どうぞ、私のことは、“アス”と呼んで下さい」
ニコッと笑い、胸に手を当てて、顔を上げたまま、お辞儀をしたアスベルトを見て、リリアンナは、クスッと笑った。
「でしたら、私のことは、“リリ”とっ!!」
繋いでいた手を引かれ、よろけながらも、リリアンナが、顔を上げると、アルベル公爵は、不満そうに眉を寄せた。
「私でも、愛称で呼んでないのに、他には、呼ばせるのかい?」
リリアンナが、パチパチと、何度も瞬きをすると、アスベルトが、クスッと笑った。
「ちょっと失礼します。こうゆう時は…」
「…え…そんな恥ずかしいこと…」
「大丈夫ですよ。一度でも言ってしまえば、後は、慣れますから」
リリアンナは、頬を赤らめながら、チラチラと、アルベル公爵を見上げていたが、スーハーと、深呼吸して、意を決したような顔を向けた。
「えっと…私は、いつでも、大好きな“パパ”に、呼んで、ほしい…よ?」
アルベル公爵が、凍り付いたように固まると、リリアンナは、怒ったように、顔を真っ赤にして、アスベルトに振り返った。
「やっぱり、こうなったじゃありませんか!」
「おかしいですね。父親は、娘に、“パパ”と呼ばれたら、どんな我儘も聞いてくれるのだと、聞いていたのですが」
「皇太子殿下」
「どうぞ、公爵も、“アス”とお呼び下さい」
「…アスベルト殿下、何故」
「もっと、気楽にお話下さい」
「ならば、本音で話そうではないか。アスベルト殿下」
「私は、いつでも本音ですよ?アルベル公」
「白々しい。“リリ”の前だからと、畏まっても、下心が丸見えだぞ」
アルベル公爵が瞳を細めると、アスベルトは、片頬を引き上げ、ニヤッと笑った。
「やっぱり、相手が公爵だと、そう簡単にはいかないか」
アスベルトの口調が変わると、アルベル公爵の雰囲気も変わった。
「それで?何故だ」
「何が?」
「父親の話だ」
「母上が言ってたんだよ。父親ってのは、娘に甘いから、ちょっと特別な呼び方すれば、結婚だって、好きに出来るって」
「殿下の母君は、悪い女のようだな」
「そんなことないよ?僕の母上は、ルアンダ大国一の美人で通ってた公爵令嬢だから」
互いに、ニコッと笑ってはいるが、その間では、バチバチと、火花が散っているような雰囲気に、リリアンナは、不安そうに瞳を細めた。
「とりあえず、僕も、愛称で呼びたいんだけど」
「駄目に決まってるだろ。殿下は、帝国の皇太子なんだから」
「別に皇太子だからって、愛称で呼んじゃダメなんて、ただの差別だよ?もう少し、寛大になってもいいんじゃない?」
「これでも、私は、寛容なんだよ」
「どこが?子供相手に張り合って。大人げないよ?」
「大人げなくて結構だ。リリは、私の娘なんだから」
「ただ愛称で呼び合うのに、娘も息子も関係ないと思うよ?それに」
「もう!!いい加減にして下さい!!」
間に挾まれていたリリアンナが、顔を真っ赤にして、大声を出すと、二人は、ピタッと動きを止めて黙った。
「王子様達もいるのに、何やってるんですか。アスベルト殿下は、ウィルセン帝国の皇太子で、お父様は、サイフィス国の三大公爵なんですから、そんな些細な事で言い合わないで下さい。そもそも、私のことなのに、お二人が、そんな醜い言い争いしないで下さい。聞いてて恥ずかしいです」
リリアンナが、顔を向けると、アルベル公爵は、瞳を大きくさせて、一歩後ろに下がった。
「子供の発言に、いちいち、過剰にならないで下さい。いい大人なんですから」
「しかし、ここは、大人の威厳を」
「威厳を示すならば、別のやり方がありますでしょ。言い訳がましいです」
アスベルトが、クスッと笑うと、リリアンナが、目尻を釣り上げて、怒った顔を向けた。
「殿下も、いちいち、上げ足をとるのは、お止め下さい。皇太子でありながら、何をしてるのですか」
「別に、上げ足を取ってたつもりは」
「本当のことであっても、人を弄るような言い方は、良くありません。それでは、味方が減りますよ」
「僕は、ただ、愛称で呼びたいから、お願いして」
「だから、殿下は」
「分かりました!!では、今後、私のことは、リリとお呼び下さい。私も、殿下のことはアス、お父様のことはパパとお呼びしますから。それで、二人ともいいですね?」
二人が何度も頷くと、リリアンナは、フーっと、大きく息を吐き、モーガン達に振り返り、頭を下げた。
「お見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ございません」
「いや。大丈夫だよ。ね?」
「あ?あぁ。別に、気にしねぇから。な?」
「君も、大変だね」
ローデンやデュラベルでさえ、ぎこちなく微笑むと、リリアンナは、顔を上げて、困ったように微笑んだ。
「気を取り直しまして、本日は、天気も良いですから、ガゼボに、お茶を準備しておりますので、ご案内します」
「…リリ」
リリアンナが手を離すと、アルベル公爵は、寂しそうに瞳を細めて、目尻を下げた。
「あ~あ。リリ、怒っちゃった。アルベル公のせいだからね」
「殿下が、反発しなければ良いだけだ」
「そこまで。とりあえず、今だけは、仲良くしてくれないかな?」
「僕は、仲良くしようとしてたよ?アルベル公が」
「また、彼女の雷が落ちるよ?」
アスベルトが、グッと押し黙ると、アルベル公爵が、フンと鼻で笑った。
「それで、よく、皇太子をやってるもんだ」
「アルベル公爵も、家族だからって、やり過ぎると、嫌われてしまうよ?」
モーガン達に嗜められ、二人が、グッと言葉を飲み込むと、リリアンナが振り返り、首を傾げた。
「どうかなさいましたか?」
「なんでもないよ。ほら、早く行こう」
モーガンが、アスベルトの肩を押し、ローデンとデュラベルが、アルベル公爵と並んで歩き、リリアンナの後を追い、ガゼボに向かった。
「どうぞ、お召し上がり下さい」
円卓を囲んで座り、リリアンナが、ニコッと笑うと、全員がカップを手に取った。
「頂きます」
モーガンとアスベルトが、口を付けると、アルベル公爵達も、それぞれ、カップに口を付け、デュラベルが、瞳を大きくして、キラキラと瞳を輝かせた。
「これ、グリーンロゼじゃん」
「はい。デュラベル公子は、紅茶が苦手だと、お聞きして、ちょうど、グリーンロゼの花茶がありましたので、お出ししてみました」
「よく知ってたね?」
「これでも、ちゃんと、お勉強しておりますのよ?ローデン公子は、カナリアンピーチがお好きだとか」
執事が、ローデンの前に一口サイズのパイを乗せた皿を置いた。
「どうぞ、お召し上がり下さい」
ニコッと笑うリリアンナを見て、ローデンは、キラキラと、瞳を輝かせながら、パイを頬張り、嬉しそうに微笑んだ。
「リリアンナは、本当に凄いね」
「そんなことありません。私は、当たり前のことをしているだけです」
「そんな謙虚になることないよ?色んなことを学ぶのは、とても大変なことなんだから」
「そうですね。ですが、知らないことを知るのは、とても楽しいと、私は、感じておりますので、苦と思いませんから」
「確かに、知らないことの中には、楽しいと思えることもあるよね」
「…つまらない…」
穏やかな雰囲気の二人を見つめ、アスベルトが、ボソッと呟いた時、使用人が走って来て、執事に耳打ちをした。
「旦那様。領地から、早馬が送られて来たそうです」
アルベル公爵は、こめかみを押さえて、大きなため息をついた。
「アレは、少しも、大人しくしてられないのか」
「いかが致しますか?」
「今は」
「お行き下さい」
アルベル公爵が視線を向けると、リリアンナは、困ったように微笑んだ。
「お義母様のことで、何かあったのでしょう?どうぞ、お行き下さい」
「しかし、リリを一人にする訳には」
「私は、大丈夫ですから」
「…すぐ戻る。セバス」
「はい。こちらに」
執事と一緒になって、席を離れて、屋敷に向かうアルベル公爵の背中を見つめ、リリアンナは、一瞬、寂しそうに瞳を細めた。
「お騒がせいた」
「疲れない?」
リリアンナが、カップを持ったまま、首を傾げると、アスベルトは、困ったように微笑んだ。
「そんなに、ガッチガチのご令嬢様って、気張ってて疲れない?」
「別に、そんな気張っていてるつもりは」
「僕は、リリに会いに来たんだ。公爵令嬢に会いに来たんじゃないよ?」
「でも、身分の違いを、そう簡単には」
「確かにね?そうかもしれないけど、僕は、アスベルトっていう、ただ一人の人で、リリだって、公爵令嬢かもしれないけど、リリアンナって、一人の女の子でしょ?僕は、普通に、リリと仲良くなりたいなと思ったんだ」
頬杖を付いて、ニコッと笑うアスベルトを見て、リリアンナは、困ったような顔をした。
「リリは、いつでも素敵だよ?でも、自由に歌ってた時みたいに、素直な君が一番だと、僕は思うな」
困ったように、瞳を細めながら、ニコッと笑ったリリアンナが、カップに口を付けると、アスベルトも、同じようにカップを傾けた。
「それにしても、この前のお茶会でも思ったんだけど、この国って、お茶の種類が凄く多いよね」
「そうなの?」
「帝国ともなれば、もっと多いのでは?」
「それなりだよ。紅茶の種類だって、王道の数種類だし、花茶なんて、香りが良いバラとか、ハイビスカスくらいだし」
「そんな少ないの?」
「それだけだと、お茶会も楽しくないだろ」
「お茶会や晩餐会なんて、自分達の威厳維持と、新勢力の牽制に使うだけだからね。こうして、楽しむよりも、会話戦術を駆使しての弾圧合戦、時には、誰が一番なのかを知らしめる為の手段でしかないよ」
「それは、とても虚しいですね」
「そうだね」
「帝国ともなれば、国内貴族だけじゃないからね。同盟国や、周辺諸国の国交をする時は、大抵が貴族相手だし。まだ、同盟も条約も交わしてないような国なら、余計、最初が肝心だからね」
「なるほどな」
「だから、あんな事したんだ」
「何かあったのですか?」
「お茶会の時にちょっとね」
「ちょっと?君にとっては、アレが、ちょっとのことなの?」
「ただの悪ふざけじゃねぇか」
「それを王子が、いちいち気にしてたら、キリがないでしょ」
「甘いね。あの手の奴らは、何も言われないことを良いことに、図に乗って、その内、国政にまで口出しするようになるんだから。そうゆうのは、早い内に叩かないと」
「でも、それは、国王や父上達の仕事だろ」
「君らは、将来、それを担うんだろ?今から、あんなに馬鹿にされてたら、継いだとしても、いい傀儡にされるだけだよ」
「この国は、王家と三大公爵家が、一丸となって」
「あのさ、ハッキリ言うけど、君らが、王家とか三大公爵とか、門家や血筋に頼ったような考えしてるから、下の貴族が図に乗るんだよ」
カップを置いて、テーブルに肘を着いて、指を組むと、アスベルトは、真剣な顔をした。
「王家や公爵家なら、ある程度、自由に結婚相手を選べるけど、下の貴族は、そうじゃない。そしたら、彼らは、どうすると思う?君らは男だ。娘がいる貴族なら、なんとしても、自分の娘を嫁がせようと画策する。薬なんか使われて、子供を作られたら、どうするんだい?権力を使って握り潰す?そんな事したら、国民から反感を買ってしまうよね?そしたら、それまで築いた信頼は失われて、一気に門家が傾くんじゃない?それに、その子供が男児なら、跡取りとして必要なんじゃないの?そう考えたら、卑怯な手を使われたとしても、相手を自分の隣に据えなきゃいけなくなるんだよ?王家なら正妃として、公爵家なら正妻として、迎え入れなきゃなくなる。もし、婚約者がいたら、相手はどうなる?婚約を破棄するか、側室や第二夫人、愛人にでもするの?それで、納得してくれる人なら良いかもしれないけど、全く幸せじゃないよね?一人の女性も幸せに出来ないような人が、多くの人の平和を守れると思う?」
アスベルトを中心に、フワリと、風が舞い上がると、モーガン達は、ゴクッと喉を鳴らして、唾を飲み込んだ。
「人の上に立つのなら、自分の身の振り方一つで、多くの人の幸せが左右されることもあるんだ。君らは、そうゆうのを理解した方がいいよ?」
アスベルトが、カップを持ち上げ、口を付けると、モーガン達は、気まずそうに視線を下げた。
「…別に、人の家庭の事情に、首を突っ込むつもりはないけど、あまりにもひどいなら、相応の決断をしたほうがいいよ?アルベル公」
アスベルトの後ろに立ち、フルフルと、拳を震わせるアルベル公爵を見て、リリアンナは、慌てて立ち上がった。
「おとう」
「リリ、こうゆう時は、普通の父娘になってあげたほうがいいよ?家族の前では、身分なんて関係ないんだから」
アスベルトが、カップを置いて、顔を上げると、リリアンナに向かって、ニコッと笑った。
「リリは、公爵家の娘じゃなくて、あの人の娘なんだからさ」
アスベルトが視線を下げ、カップを持ち上げると、リリアンナは、アルベル公爵に視線を向けて、静かに近付いた。
「…パパ?大丈夫?」
リリアンナが、そっと腕に触れると、アルベル公爵は、瞳を細めて、その小さな体を抱きしめた。
「…すまない…苦労ばかり掛けて」
「大丈夫よ。私は、いつまでも、パパの味方だからね」
リリアンナが、優しく微笑みながら、アルベル公爵の背を撫でると、それを見ていた執事や侍女達の目に涙が溜まった。
「…モーガン殿下。ついでだから、僕の本音を言うよ」
一口、花茶を飲んでから、カップを置いて、視線を向けたアスベルトを見つめて、モーガンは、首を傾げた。
「本気じゃないなら、リリとの婚約を破棄してくれないかな?」
ニコッと笑ったアスベルト以外、誰もが、驚きで、ピタッと動きを止めた。
「…何故」
「あれ?違った?リリは、神託によって、生まれる前から王家、モーガン王子の正妃として嫁ぐことが決まっていて、先日、婚約することが決まって、リリがデビュタントをしたら、正式的な婚約式を行うって、流れだったと思うんだけど」
〈ガタガタガタ〉
モーガンが立ち上がると、デュラベルの剣先が、アスベルトの喉元に突き付けられ、杖を持ったローデンが、庇うように立ち、剣の柄を握ったアルベル公爵が、リリアンナを抱えた。
「そんな警戒しなくても大丈夫だよ。僕しか知らないから」
「二人の婚約は、国家の極秘事項のはずだ」
「そうらしいね」
「どこから聞いた」
「神殿とか、この国の貴族とか。いくら、国の極秘事項だからって、人の口は、そう簡単に塞げないんだよ」
喉元の剣先に、アスベルトの指が触れると、パキパキと音を発て、一瞬にして、デュラベルの手や足が凍り付いた。
「多くの人が集まれば、反発したくなる人もいるんだよ。ちょっと、探りを入れたら、ベラベラと、聞いてもいないことも話されてさ」
静かに立ち上がり、モーガンに歩み寄りながら、アスベルトが手を振ると、突風が吹き抜け、ローデンが茂みに飛ばされた。
「王家に生まれたというだけで、多くのことに恵まれ、己の身一つさえ守れない王子。これが、この国の貴族達から聞いた君だよ」
モーガンは、腰に下げた剣に触れてはいるが、ブルブルと、膝を震わせて、その場に立っていた。
「これで分かったかな?君は、彼らにとって、とても扱いやすく、王位継承をしたら、いい傀儡になるからと、狙われてること。因みに、リリを虐めてた女も、その親も、色々と策を練ってるようだから、気を付けるんだよ?」
鼻先まで顔を近付けて、ニコッと笑ったアスベルトに、モーガンは、ただ小さく頷いた。
「さて、ここからが本題ね?今の君の状態を踏まえた上で、婚約の継続をする理由ってある?」
「それは」
「もちろん、王子だから、王家の為には必要かもしれない。じゃ、モーガン殿下は?殿下自身は、リリのこと好き?」
モーガンは、リリアンナに視線を向けたが、すぐに反らした。
「神託だし、親が決めた縁談だけど、容姿も整ってるからいっか。って、軽く考えてたなら、僕に譲ってよ」
「僕の一存じゃ、どうにも」
「なら、国王が納得すればいい?帝国の属国の王女や公爵級の令嬢とかならいいかな?なんなら、僕の義妹を紹介してもいいね。見た目も悪くないし、年も近いし、何より皇帝の娘だし。悪くない話でしょ?」
「義妹って」
「因みに、僕は皇帝と皇后の実子。向こうは母上の姉、僕からすると叔母の娘。つまりは、従兄妹ね?結構似てるから、実の妹って言われても疑われないかな」
茂みから抜け出したローデンが、杖を振ると、デュラベルの氷が砕けた。
〈ビュン〉
〈パチン〉
デュラベルの剣を避け、アスベルトが、指を鳴らすと、二人の立つ地面が崩れた。
「真剣な話をしてるのに、割り込まないでほしいな」
「何が真剣な話だ」
「失礼極まりないです」
「そう?貴族の統制が取れないなら、帝国との繋がりを持ったほうが、自分の身も安全でしょ?」
「ふざけるな!」
「モーガンは王子なんです!」
「もう。なんで、君らは、分からないかな」
アスベルトは、デュラベルの剣をヒラヒラと避け、ローデンの魔法を相殺した。
「これまでは、王家と三大公爵で、国の均衡を保っていたんでしょ?アルベル公爵家には、後継者がいないのに、どうやって、それを保つのさ」
「うるせぇ!」
完全に頭に血が上ったデュラベルが、乱暴に剣を振り抜くと、ローデンが放った風がぶつかり、リリアンナの方に弾かれた。
「リリアンナ!!」
「いい加減にしなよ」
アルベル公爵が剣を抜くよりも速く、アスベルトが、二人の前に立ち、手のひらを向けると、風が打ち消された。
「一体、いつまで、そんな風に、凝り固まった考えでいるの?いつまで、門家を頼ってるの?いつまで、真実から目を背けるの?」
アスベルトは、静かに腕を下ろして、モーガンを見据えた。
「傷付けたくないなら、自分が傷付いても、守るんだってくらいの覚悟しなよ。覚悟もないのに、周りに流されてたら、お互い傷付くだけだよ?」
「…アス、もういいよ」
「良くない」
「もういいよ」
「良くない!」
アスベルトは、勢い良く振り返り、リリアンナの前に膝を着いて、その頬を包むように触れた。
「なんで、君だけが、辛い思いしなきゃないの?なんで、君だけが、一人で抱えなきゃないの?なんで、君だけが」
「大丈夫よ。それに、辛いのは、私だけじゃないから」
寂しそうに、ニコッと笑うリリアンナを見て、アスベルトは、グッと唇に力を入れた。
「…ねぇ、リリ、僕と一緒にウィルセンに行こう?もちろん、公爵も、執事も、メイドも、全部連れてさ。君が望むなら、領民も受け入れるくらい」
「アス、人は、簡単に、生き方を変えられないのよ」
「でも」
「大丈夫。少しずつ、変えればいいの。少しずつ、みんなが笑えるように…ね?」
リリアンナが手を取り、優しく握ると、アスベルトは、目尻を下げながら、唇を尖らせた。
「…いつまで待てばいい?」
「それは、今後のアス次第じゃない?」
「そんな気長じゃないんだけど」
「そしたら、ずっと、このままかな」
「リリのイジワル」
「パパをイジメた仕返し。私、乱暴者は嫌いよ?」
「ホントのこと言っただけだよ」
「意地悪な言い方するからでしょ?」
「そんなことないよ」
「アス?」
「ごめんね?もう、こんなことしないから、許して?」
「どうしよっかな」
「なんでもするよ?」
「じゃ、暴れた分、元に戻してくれる?」
「いいよ」
スッと立ち上がり、モーガン達に向き直ると、アスベルトは、両手のひらを向けて、瞳を閉じた。
キラキラと、光の粒と風が舞い、時間が巻き戻るように、全てが元通りに戻っていくのを見て、モーガンは、ギュッと唇をキツく結んだ。
「…できた。これでいい?」
「ダメよ?ちゃんと、謝らないと」
「でも」
「アス」
リリアンナが立ち上がると、アスベルトは、目を伏せながら、唇を尖らせて、アルベル公爵の前に正座した。
「…勝手なことして、ごめんなさい」
素直に謝るアスベルトを見て、アルベル公爵は、パチパチと何度も瞬きをした。
「パパ、アスも反省してるし、許してくれるよね?」
「…そうだな。だが、次はないからな」
「はい」
「んじゃ、次」
リリアンナに腕を引っ張られて、アスベルトは、立ち上がって、渋々、モーガン達の方に向かった。
「乱暴なことして、ごめんなさい」
「…いいよ。悪いのは、ローデンとデュラベルだから」
「ちょ!!」
「モーガン!?」
「だって、普通に話してたのに、二人が、暴れたから、殿下が応戦しただけでしょ?」
「でも、コイツ」
「ここにいる人は、みんな知ってるのだから、そんなに焦る必要ないでしょ?」
「でも、あれは国の」
「漏れちゃったんだから仕方ないよ。それに、婚約を国の極秘事項にまでして、隠さなきゃいけないのは、僕に、王になる素質がないからでしょ」
モーガンが、寂しそうに瞳を細めると、ローデンとデュラベルは、グッと言葉を詰まらせた。
「僕は、サイフィス国王の一人息子なのに、未だに王子のまま。それに比べて、ウィルセン帝国の一人息子のアスベルト殿下は、もう皇太子になって、隣国に来訪までしてる。僕の方が、生まれも、デビュタントも、先なのに」
「…嘆くくらいなら、やってみなよ」
下を向いていたモーガンが、顔を上げると、アスベルトは、視線を泳がせた。
「嘆いてばかりで、足踏みしてても、何も変わらないんだから、なんでもいいから、やってみればいいんだよ。そしたら、なんとかなるもんだから」
「ありがとう。殿下」
パーっと明るい笑顔を浮かべたモーガンを見て、アスベルトは、フンと鼻を鳴らした。
「今から頑張ったところで、僕に追い付けないだろうけどね」
「そんな言い方しないの」
デュラベルが握った拳を掴んで、モーガンが苦笑いすると、リリアンナが、アスベルトの腕を抓った。
「痛っ!だって、ホントのこと」
「アス」
「全部ホントのことじゃん!」
「だからって、酷い言い方しないの。せっかく、和やかになったのに」
「でも」
「そうゆうの嫌い」
「でも」
「そんな我儘なアスベルト皇太子様は嫌いです」
リリアンナが、プイッと顔を反らすと、アスベルトは、慌てて顔を近付けた。
「ごめん。もう我儘言わないし、言い方も、ちゃんと直すから」
更に顔を背けると、覗き込むように、アスベルトが、リリアンナに体を近付けた。
「ねぇリリ、そんな怒らないでよ。ね?ちゃんと直すから。ね?ね?ねぇ、リリ~」
リリアンナが、完全に背中を向けると、アスベルトは、シュンと肩を落とした。
「…僕、リリに嫌われたくないよ」
「なら、もう少し優しくして」
「優しくしてるよ?リリになら」
「私だけじゃなくて、みんなに優しくして」
「…分かった。優しくするから。だから、嫌わないで」
リリアンナの指先を掴んで、上目遣いで見つめるアスベルトの姿は、皇太子の威厳はなく、好きな子を振り向かせようと、必死になる男の子、そのままで、アルベル公爵は、クスッと笑った。
「…笑わないでよ…」
「すまない。私のリリには、無敵の皇太子殿下も敵わないらしい」
「それは」
「パパだって、ママには、敵わなかったでしょ?」
「そうだね。男は、惚れた女には、弱いのだよ」
誰からともなく、再び、ガゼボで円卓を囲んで座った。
「なんだ。公爵も、同じなんだ」
「…まさか、皇帝も?」
「そうだよ?父上が、まだ皇太子だった時に行ったルアンダで、母上に一目惚れして、半ば強制的に、王族との婚約を破棄させて、迎え入れたんだよ」
「それって、良いのかよ」
「良いも何も、母上も、腑抜けた王族に嫁ぐくらいなら、父上と駆け落ちしてでも、逃げたかったらしいし」
「殿下の母君は、かなり聡明な人らしいな」
「それに、父上が、あまりにも必死だったから、可愛く思えたのよね~。って、母上も、一緒に過ごしてる間に惚れたらしいし」
「皇帝が、公爵令嬢に夢中になるなんてな」
「パパは、人のこと言えないでしょ」
グッと喉を鳴らして、一つ咳払いをしてから、アルベル公爵は、カップを傾けたが、中身の熱さに驚いた。
「リリ、気を付け」
「アッチ!」
アルベル公爵が声を掛ける前に、デュラベルが、乱暴にカップを傾けていたようで、大声を出した。
「熱すぎた?おかしいな。こんなもんだと思ったんだけどな」
「温め直したの?」
「まぁね。お茶って、あったかいほうが美味しいでしょ?」
「にしても、温めすぎだろ。何にも適度ってもんが」
「仕方ないじゃん。広範囲に魔力を流しての細部修正って、結構難しいんだよ?」
「そうなのか?」
「僕は、まだ、そこまで出来ないから」
「アルベル公は?」
「私は、この手の魔法が使えないよ」
「…もしかして、コイツって、すげぇの?」
リリアンナが驚いた顔を向け、ローデンが冷ややかに瞳を細め、モーガンとアスベルトは、苦笑いを浮かべた。
「今更?」
アスベルトが、ポリポリと頬を掻き、困ったような苦笑いを浮かべると、ローデンが、首を振りながら、大きなため息をついた。
「デュラベルは、魔法が使えないから、よく分からないんでしょ?てか、そもそも、駆け出しだとはいえ、デュラベルの剣筋まで見切って、全部避けてたでしょ?」
デュラベルは、呆れたように、瞳を細めているローデンを指差した。
「そう。それな」
「それでいて、僕の魔法まで相殺してたんだからね」
「そうなのか?」
「…モーガン殿下、家臣は、本気で選んだほうがいいよ?」
「また、生意気なこと」
「僕も、そう思い始めたよ」
「ちょっ!モーガン、どうしたんだよ」
「デュラベル、今は、黙ってたほうがいいよ」
「なんでだよ」
「いいから、黙りなって」
「だから、なんでだよ」
ローデンが、ため息をつくと、デュラベルが、頬を膨らませた。
「デュラベル、今ここで、アスベルト殿下の凄さを理解してないのは、君だけだよ」
「理解してるだろ」
〈バン〉
「どこがだよ!魔剣士の公爵でさえ広範囲魔法は使えないんだぞ!?それをアスベルト殿下はやって見せただろ!大体!お前の剣を避けながら僕の放つ魔法を相殺してた時点で気付けよ!この前のお茶会で広範囲の攻撃系魔法も見せられたのに分かんないのかよ!」
顔を赤くし、ローデンが、テーブルを叩きながら立ち上がり、デュラベルに迫ると、モーガンは、頬をポリポリと掻いた。
「ローデン、そこまでにしといてくれるかな。デュラベルも、あまり、ローデンを刺激しないで」
「すみません。取り乱しました」
「なんで、俺まで怒られんだよ」
「お前が!」
「もう頭が痛い」
頭を抱えて、背中を丸めたモーガンを見て、二人が首を傾げると、アルベル公爵とアスベルトは、ケタケタと大きな声で笑い、リリアンナも、口元を隠しながら、クスクスと笑った。
「お嬢様。本日のお召し物は」
「装飾品を少なくして、あまり派手にならないようにお願いします」
「かしこまりました」
侍女とも打ち解け始め、少しずつ、明るくなったリリアンナが、要望を伝えると、ニコッと笑った。
「では、始めさせて頂きます」
髪に香油を付け、侍女が、優しく梳かし始めると、リリアンナは、ローズのように甘く、ゼラニウムのように爽やかな香りに、瞳を閉じて、頬を緩ませながら、ニコニコと笑った。
「…良い匂い…」
文句を言われることも、怒られることもなくなり、侍女達は、着せ替え人形のように、リリアンナに、様々なドレスを着せた。
「出来ました」
あのお茶会の日にも着ていた薄緑色のドレス。
だが、スカート部分のボリュームが絞られ、裾に白いレースがあしらわれていた。
「…素敵。手直ししてくれたんですか?」
「はい。前に、お召になっていた時に、お嬢様なら、こちらの方が良いかと思いまして」
「ありがとうございます。ローダン」
夫人に八つ当たりされたメイドが、ニコッと笑うと、リリアンナも、ニコッと笑って、クローゼットに視線を向けた。
「ねぇローダン。このドレスなら、どうしたらいいですか?」
リリアンナが、鮮やかなピンクのドレスを差し出すと、メイドは、それを受け取り、前後ろを確認し、スカートの中や襟元、袖口などを見回した。
「そうですね…色合いが、鮮やかですので、少しボリュームを控えて、レースやサテンを合わせるとかは、いかがですか?」
「お願いしてもいいですか?」
「宜しいのですか?」
「出来るなら、全部、手直ししてほしいのだけど」
「全部ですか!?」
クローゼットのドレスを見て、メイドが、口元に手を当てると、リリアンナは、目尻を下げて、眉を八の字にした。
「やっぱり、いやですか?」
「え~っと~」
メイドが視線を向けると、侍女達は、何度も大きく頷いた。
「…分かりました。やってみます」
「ありがとうございます。ローダン」
リリアンナが、パーっと明るい笑顔を浮かべると、メイドも侍女達も、少し困ったような、嬉しいような、複雑な笑顔を浮かべた。
〈コンコン〉
「リリアンナ。皇太子が到着したようだから、一緒に出迎えようか」
「は~い。それでは、行って参ります」
「はい。行ってらっしゃいませ。お嬢様」
扉が開くと、アルベル公爵は、手直しされた薄緑色のドレスに、髪を下ろして、レースと同じ、白いカチューシャを着けたリリアンナを見下ろした。
「お待たせしました。お父様」
リリアンナは、ドレスの裾を広げて、頭を下げたが、アルベル公爵は、ボーッと見つめていた。
「…お父様?」
「え?あぁ、すまない。我が娘ながら、あまりにも素敵でね。見惚れてしまったよ」
「はい。ローダンが、手直ししてくれたようで、本当に、素敵なドレスになりました」
「…そういう意味ではないのだが…」
コテンと首を傾げると、侍女の一人が、リリアンナの耳に顔を寄せた。
「今のお嬢様が、とても素敵なレディだという意味です」
リリアンナが、ジーッと見つめると、アルベル公爵の頬が、ほんのり赤くなった。
「ありがとうございます。私も、少しは、お母様のようになれましたでしょうか?」
「リリアンナは、そのままでも充分だよ」
和やかな父娘の会話に、使用人達も、ほんわか和んでいると、慌てた執事が走って来た。
「旦那様。皇太子様の馬車が、到着されました」
「あぁ、そうだった。では行こうか。リリアンナ」
「はい。お父様」
手を繋いで、並んで歩き、アルベル公爵と一緒に出迎えに向かうと、そこには、デュラベルとローデンに挟まれるようにして、モーガンが、馬車の横に立っていた。
「…お父様。何故、王子様達がいらっしゃるのですか?」
「さぁ?私にも分からない」
作り笑顔を浮かべたまま、リリアンナが、瞳を点にして、コテンと首を傾げると、アルベル公爵も首を傾げた。
「…リリアンナ」
二人に気付いたモーガンが、歩み寄ると、繋がれていた手が離れた。
「ようこそ、おいで下さいました。モーガン王子殿下」
アルベル公爵が、胸に手を当て、お辞儀をすると、リリアンナも、スカートの裾を広げて、頭を下げた。
「いえ。そんなに堅苦しい挨拶は結構です」
「ありがとうございます」
「久しぶりだね。リリアンナ」
「ご無沙汰しております。モーガン王子殿下、ローデン公子、デュラベル公子」
「あぁ」
「久しぶり」
「それで?皆様、本日は、どのような、ご用でいらっしゃったのでしょうか?」
気まずい雰囲気で、三人が、視線を合わせるのを見て、アルベル公爵は、小さなため息をついた。
「申し訳ございません。三人は、私が来るのを知って、慌てて駆け付けたのだと思います」
馬車から降り立ったアスベルトが、頬を赤らめながら、困ったよう微笑むと、リリアンナも、困ったようだが、愛おしそうに瞳を細めた。
「突然の訪問をお許し頂き、ありがとうございます。アルベル公爵、リリアンナ公女」
「いえ。わざわざ、ご足労頂き、ありがとうございます。アスベルト皇太子様」
互いに頭を下げ、挨拶を交わすと、アスベルトは、ニコッと笑った。
「本日も、お美しく、ドレスが、よくお似合いです。リリアンナ公女」
「ありがとうございます。皇太子様のお召し物も、とてもよくお似合いです」
ニコニコと微笑み合う二人を見て、アルベル公爵は、指先で唇を撫でた。
「ご気分は、いかがですか?」
「ご覧頂いた通り、元気にございます。皇太子様も、朝から、馬車での移動で、お疲れではございませんか?」
「この程度の移動、疲れる程ではございませんよ」
「でしたら、少し散歩はいかがですか?今、庭の花が見頃を迎えておりますので」
「素敵ですね。お手をお預かりしても?」
モーガンの前で、優雅に、手を差し出したアスベルトを見て、リリアンナは、クスクスと笑った。
「大変、光栄ではございますが、人目も多いですので、またの機会に、お願い致します」
「そうですか。少し残念ですが、次を楽しみにしていますね」
二人のやり取りを見つめていたアルベル公爵は、フッと小さく笑った。
「お父様?」
「すまない。父達の気持ちが、なんとなく分かったら、ちょっと複雑でね」
二人が視線を合わせて、首を傾げると、アルベル公爵は、優しく微笑んで、リリアンナの隣に膝を着いた。
「私の可愛いリリアンナ、今は、この父の手を取ってはくれないか?」
アルベル公爵が手を差し出すと、アスベルトは、ケタケタと大きな声で笑い、リリアンナは、困ったような顔をした。
「お父様ったら、そんな事してたら、お母様に叱られますよ?」
「しかし」
「申し訳ないです。私が、少し、堅苦しくなり過ぎましたね。どうぞ、ご令嬢の手は、公爵が、お取り下さい。私達は、後を追いますので」
ウッと、言葉を詰まらせたアルベル公爵の手に、リリアンナが、手を乗せると、ほんのり頬を赤らめながらも、嬉しそうに瞳を細めた。
「では、行こうか。皆様も、どうぞ、こちらに」
アルベル公爵とリリアンナが、並んで歩く後ろ姿を見つめ、アスベルトも、嬉しそうに、微笑みながら歩き始めた。
「…なんだか、俺らだけ蚊帳の外にいる感じだな」
「まぁ、仕方ないよ」
「でも、公女は、モーガンの婚約者なのに」
「おーい。来ないのかい?」
慌てて、三人が追い掛けると、リリアンナの隣に並んで歩くアスベルトを見つめ、デュラベルとローデンは、眉間に眉を寄せて、目尻を釣り上げて、睨むように見つめ、モーガンは、不安そうに瞳を揺らしていた。
「素晴らしい庭園ですね」
「ありがとうございます。ツツジというらしく、とても心地よく、素朴な香りですが、どこか、落ち着く香りなんです」
「本当に、素敵な香りですね」
「皇太子様は」
「どうぞ、私のことは、“アス”と呼んで下さい」
ニコッと笑い、胸に手を当てて、顔を上げたまま、お辞儀をしたアスベルトを見て、リリアンナは、クスッと笑った。
「でしたら、私のことは、“リリ”とっ!!」
繋いでいた手を引かれ、よろけながらも、リリアンナが、顔を上げると、アルベル公爵は、不満そうに眉を寄せた。
「私でも、愛称で呼んでないのに、他には、呼ばせるのかい?」
リリアンナが、パチパチと、何度も瞬きをすると、アスベルトが、クスッと笑った。
「ちょっと失礼します。こうゆう時は…」
「…え…そんな恥ずかしいこと…」
「大丈夫ですよ。一度でも言ってしまえば、後は、慣れますから」
リリアンナは、頬を赤らめながら、チラチラと、アルベル公爵を見上げていたが、スーハーと、深呼吸して、意を決したような顔を向けた。
「えっと…私は、いつでも、大好きな“パパ”に、呼んで、ほしい…よ?」
アルベル公爵が、凍り付いたように固まると、リリアンナは、怒ったように、顔を真っ赤にして、アスベルトに振り返った。
「やっぱり、こうなったじゃありませんか!」
「おかしいですね。父親は、娘に、“パパ”と呼ばれたら、どんな我儘も聞いてくれるのだと、聞いていたのですが」
「皇太子殿下」
「どうぞ、公爵も、“アス”とお呼び下さい」
「…アスベルト殿下、何故」
「もっと、気楽にお話下さい」
「ならば、本音で話そうではないか。アスベルト殿下」
「私は、いつでも本音ですよ?アルベル公」
「白々しい。“リリ”の前だからと、畏まっても、下心が丸見えだぞ」
アルベル公爵が瞳を細めると、アスベルトは、片頬を引き上げ、ニヤッと笑った。
「やっぱり、相手が公爵だと、そう簡単にはいかないか」
アスベルトの口調が変わると、アルベル公爵の雰囲気も変わった。
「それで?何故だ」
「何が?」
「父親の話だ」
「母上が言ってたんだよ。父親ってのは、娘に甘いから、ちょっと特別な呼び方すれば、結婚だって、好きに出来るって」
「殿下の母君は、悪い女のようだな」
「そんなことないよ?僕の母上は、ルアンダ大国一の美人で通ってた公爵令嬢だから」
互いに、ニコッと笑ってはいるが、その間では、バチバチと、火花が散っているような雰囲気に、リリアンナは、不安そうに瞳を細めた。
「とりあえず、僕も、愛称で呼びたいんだけど」
「駄目に決まってるだろ。殿下は、帝国の皇太子なんだから」
「別に皇太子だからって、愛称で呼んじゃダメなんて、ただの差別だよ?もう少し、寛大になってもいいんじゃない?」
「これでも、私は、寛容なんだよ」
「どこが?子供相手に張り合って。大人げないよ?」
「大人げなくて結構だ。リリは、私の娘なんだから」
「ただ愛称で呼び合うのに、娘も息子も関係ないと思うよ?それに」
「もう!!いい加減にして下さい!!」
間に挾まれていたリリアンナが、顔を真っ赤にして、大声を出すと、二人は、ピタッと動きを止めて黙った。
「王子様達もいるのに、何やってるんですか。アスベルト殿下は、ウィルセン帝国の皇太子で、お父様は、サイフィス国の三大公爵なんですから、そんな些細な事で言い合わないで下さい。そもそも、私のことなのに、お二人が、そんな醜い言い争いしないで下さい。聞いてて恥ずかしいです」
リリアンナが、顔を向けると、アルベル公爵は、瞳を大きくさせて、一歩後ろに下がった。
「子供の発言に、いちいち、過剰にならないで下さい。いい大人なんですから」
「しかし、ここは、大人の威厳を」
「威厳を示すならば、別のやり方がありますでしょ。言い訳がましいです」
アスベルトが、クスッと笑うと、リリアンナが、目尻を釣り上げて、怒った顔を向けた。
「殿下も、いちいち、上げ足をとるのは、お止め下さい。皇太子でありながら、何をしてるのですか」
「別に、上げ足を取ってたつもりは」
「本当のことであっても、人を弄るような言い方は、良くありません。それでは、味方が減りますよ」
「僕は、ただ、愛称で呼びたいから、お願いして」
「だから、殿下は」
「分かりました!!では、今後、私のことは、リリとお呼び下さい。私も、殿下のことはアス、お父様のことはパパとお呼びしますから。それで、二人ともいいですね?」
二人が何度も頷くと、リリアンナは、フーっと、大きく息を吐き、モーガン達に振り返り、頭を下げた。
「お見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ございません」
「いや。大丈夫だよ。ね?」
「あ?あぁ。別に、気にしねぇから。な?」
「君も、大変だね」
ローデンやデュラベルでさえ、ぎこちなく微笑むと、リリアンナは、顔を上げて、困ったように微笑んだ。
「気を取り直しまして、本日は、天気も良いですから、ガゼボに、お茶を準備しておりますので、ご案内します」
「…リリ」
リリアンナが手を離すと、アルベル公爵は、寂しそうに瞳を細めて、目尻を下げた。
「あ~あ。リリ、怒っちゃった。アルベル公のせいだからね」
「殿下が、反発しなければ良いだけだ」
「そこまで。とりあえず、今だけは、仲良くしてくれないかな?」
「僕は、仲良くしようとしてたよ?アルベル公が」
「また、彼女の雷が落ちるよ?」
アスベルトが、グッと押し黙ると、アルベル公爵が、フンと鼻で笑った。
「それで、よく、皇太子をやってるもんだ」
「アルベル公爵も、家族だからって、やり過ぎると、嫌われてしまうよ?」
モーガン達に嗜められ、二人が、グッと言葉を飲み込むと、リリアンナが振り返り、首を傾げた。
「どうかなさいましたか?」
「なんでもないよ。ほら、早く行こう」
モーガンが、アスベルトの肩を押し、ローデンとデュラベルが、アルベル公爵と並んで歩き、リリアンナの後を追い、ガゼボに向かった。
「どうぞ、お召し上がり下さい」
円卓を囲んで座り、リリアンナが、ニコッと笑うと、全員がカップを手に取った。
「頂きます」
モーガンとアスベルトが、口を付けると、アルベル公爵達も、それぞれ、カップに口を付け、デュラベルが、瞳を大きくして、キラキラと瞳を輝かせた。
「これ、グリーンロゼじゃん」
「はい。デュラベル公子は、紅茶が苦手だと、お聞きして、ちょうど、グリーンロゼの花茶がありましたので、お出ししてみました」
「よく知ってたね?」
「これでも、ちゃんと、お勉強しておりますのよ?ローデン公子は、カナリアンピーチがお好きだとか」
執事が、ローデンの前に一口サイズのパイを乗せた皿を置いた。
「どうぞ、お召し上がり下さい」
ニコッと笑うリリアンナを見て、ローデンは、キラキラと、瞳を輝かせながら、パイを頬張り、嬉しそうに微笑んだ。
「リリアンナは、本当に凄いね」
「そんなことありません。私は、当たり前のことをしているだけです」
「そんな謙虚になることないよ?色んなことを学ぶのは、とても大変なことなんだから」
「そうですね。ですが、知らないことを知るのは、とても楽しいと、私は、感じておりますので、苦と思いませんから」
「確かに、知らないことの中には、楽しいと思えることもあるよね」
「…つまらない…」
穏やかな雰囲気の二人を見つめ、アスベルトが、ボソッと呟いた時、使用人が走って来て、執事に耳打ちをした。
「旦那様。領地から、早馬が送られて来たそうです」
アルベル公爵は、こめかみを押さえて、大きなため息をついた。
「アレは、少しも、大人しくしてられないのか」
「いかが致しますか?」
「今は」
「お行き下さい」
アルベル公爵が視線を向けると、リリアンナは、困ったように微笑んだ。
「お義母様のことで、何かあったのでしょう?どうぞ、お行き下さい」
「しかし、リリを一人にする訳には」
「私は、大丈夫ですから」
「…すぐ戻る。セバス」
「はい。こちらに」
執事と一緒になって、席を離れて、屋敷に向かうアルベル公爵の背中を見つめ、リリアンナは、一瞬、寂しそうに瞳を細めた。
「お騒がせいた」
「疲れない?」
リリアンナが、カップを持ったまま、首を傾げると、アスベルトは、困ったように微笑んだ。
「そんなに、ガッチガチのご令嬢様って、気張ってて疲れない?」
「別に、そんな気張っていてるつもりは」
「僕は、リリに会いに来たんだ。公爵令嬢に会いに来たんじゃないよ?」
「でも、身分の違いを、そう簡単には」
「確かにね?そうかもしれないけど、僕は、アスベルトっていう、ただ一人の人で、リリだって、公爵令嬢かもしれないけど、リリアンナって、一人の女の子でしょ?僕は、普通に、リリと仲良くなりたいなと思ったんだ」
頬杖を付いて、ニコッと笑うアスベルトを見て、リリアンナは、困ったような顔をした。
「リリは、いつでも素敵だよ?でも、自由に歌ってた時みたいに、素直な君が一番だと、僕は思うな」
困ったように、瞳を細めながら、ニコッと笑ったリリアンナが、カップに口を付けると、アスベルトも、同じようにカップを傾けた。
「それにしても、この前のお茶会でも思ったんだけど、この国って、お茶の種類が凄く多いよね」
「そうなの?」
「帝国ともなれば、もっと多いのでは?」
「それなりだよ。紅茶の種類だって、王道の数種類だし、花茶なんて、香りが良いバラとか、ハイビスカスくらいだし」
「そんな少ないの?」
「それだけだと、お茶会も楽しくないだろ」
「お茶会や晩餐会なんて、自分達の威厳維持と、新勢力の牽制に使うだけだからね。こうして、楽しむよりも、会話戦術を駆使しての弾圧合戦、時には、誰が一番なのかを知らしめる為の手段でしかないよ」
「それは、とても虚しいですね」
「そうだね」
「帝国ともなれば、国内貴族だけじゃないからね。同盟国や、周辺諸国の国交をする時は、大抵が貴族相手だし。まだ、同盟も条約も交わしてないような国なら、余計、最初が肝心だからね」
「なるほどな」
「だから、あんな事したんだ」
「何かあったのですか?」
「お茶会の時にちょっとね」
「ちょっと?君にとっては、アレが、ちょっとのことなの?」
「ただの悪ふざけじゃねぇか」
「それを王子が、いちいち気にしてたら、キリがないでしょ」
「甘いね。あの手の奴らは、何も言われないことを良いことに、図に乗って、その内、国政にまで口出しするようになるんだから。そうゆうのは、早い内に叩かないと」
「でも、それは、国王や父上達の仕事だろ」
「君らは、将来、それを担うんだろ?今から、あんなに馬鹿にされてたら、継いだとしても、いい傀儡にされるだけだよ」
「この国は、王家と三大公爵家が、一丸となって」
「あのさ、ハッキリ言うけど、君らが、王家とか三大公爵とか、門家や血筋に頼ったような考えしてるから、下の貴族が図に乗るんだよ」
カップを置いて、テーブルに肘を着いて、指を組むと、アスベルトは、真剣な顔をした。
「王家や公爵家なら、ある程度、自由に結婚相手を選べるけど、下の貴族は、そうじゃない。そしたら、彼らは、どうすると思う?君らは男だ。娘がいる貴族なら、なんとしても、自分の娘を嫁がせようと画策する。薬なんか使われて、子供を作られたら、どうするんだい?権力を使って握り潰す?そんな事したら、国民から反感を買ってしまうよね?そしたら、それまで築いた信頼は失われて、一気に門家が傾くんじゃない?それに、その子供が男児なら、跡取りとして必要なんじゃないの?そう考えたら、卑怯な手を使われたとしても、相手を自分の隣に据えなきゃいけなくなるんだよ?王家なら正妃として、公爵家なら正妻として、迎え入れなきゃなくなる。もし、婚約者がいたら、相手はどうなる?婚約を破棄するか、側室や第二夫人、愛人にでもするの?それで、納得してくれる人なら良いかもしれないけど、全く幸せじゃないよね?一人の女性も幸せに出来ないような人が、多くの人の平和を守れると思う?」
アスベルトを中心に、フワリと、風が舞い上がると、モーガン達は、ゴクッと喉を鳴らして、唾を飲み込んだ。
「人の上に立つのなら、自分の身の振り方一つで、多くの人の幸せが左右されることもあるんだ。君らは、そうゆうのを理解した方がいいよ?」
アスベルトが、カップを持ち上げ、口を付けると、モーガン達は、気まずそうに視線を下げた。
「…別に、人の家庭の事情に、首を突っ込むつもりはないけど、あまりにもひどいなら、相応の決断をしたほうがいいよ?アルベル公」
アスベルトの後ろに立ち、フルフルと、拳を震わせるアルベル公爵を見て、リリアンナは、慌てて立ち上がった。
「おとう」
「リリ、こうゆう時は、普通の父娘になってあげたほうがいいよ?家族の前では、身分なんて関係ないんだから」
アスベルトが、カップを置いて、顔を上げると、リリアンナに向かって、ニコッと笑った。
「リリは、公爵家の娘じゃなくて、あの人の娘なんだからさ」
アスベルトが視線を下げ、カップを持ち上げると、リリアンナは、アルベル公爵に視線を向けて、静かに近付いた。
「…パパ?大丈夫?」
リリアンナが、そっと腕に触れると、アルベル公爵は、瞳を細めて、その小さな体を抱きしめた。
「…すまない…苦労ばかり掛けて」
「大丈夫よ。私は、いつまでも、パパの味方だからね」
リリアンナが、優しく微笑みながら、アルベル公爵の背を撫でると、それを見ていた執事や侍女達の目に涙が溜まった。
「…モーガン殿下。ついでだから、僕の本音を言うよ」
一口、花茶を飲んでから、カップを置いて、視線を向けたアスベルトを見つめて、モーガンは、首を傾げた。
「本気じゃないなら、リリとの婚約を破棄してくれないかな?」
ニコッと笑ったアスベルト以外、誰もが、驚きで、ピタッと動きを止めた。
「…何故」
「あれ?違った?リリは、神託によって、生まれる前から王家、モーガン王子の正妃として嫁ぐことが決まっていて、先日、婚約することが決まって、リリがデビュタントをしたら、正式的な婚約式を行うって、流れだったと思うんだけど」
〈ガタガタガタ〉
モーガンが立ち上がると、デュラベルの剣先が、アスベルトの喉元に突き付けられ、杖を持ったローデンが、庇うように立ち、剣の柄を握ったアルベル公爵が、リリアンナを抱えた。
「そんな警戒しなくても大丈夫だよ。僕しか知らないから」
「二人の婚約は、国家の極秘事項のはずだ」
「そうらしいね」
「どこから聞いた」
「神殿とか、この国の貴族とか。いくら、国の極秘事項だからって、人の口は、そう簡単に塞げないんだよ」
喉元の剣先に、アスベルトの指が触れると、パキパキと音を発て、一瞬にして、デュラベルの手や足が凍り付いた。
「多くの人が集まれば、反発したくなる人もいるんだよ。ちょっと、探りを入れたら、ベラベラと、聞いてもいないことも話されてさ」
静かに立ち上がり、モーガンに歩み寄りながら、アスベルトが手を振ると、突風が吹き抜け、ローデンが茂みに飛ばされた。
「王家に生まれたというだけで、多くのことに恵まれ、己の身一つさえ守れない王子。これが、この国の貴族達から聞いた君だよ」
モーガンは、腰に下げた剣に触れてはいるが、ブルブルと、膝を震わせて、その場に立っていた。
「これで分かったかな?君は、彼らにとって、とても扱いやすく、王位継承をしたら、いい傀儡になるからと、狙われてること。因みに、リリを虐めてた女も、その親も、色々と策を練ってるようだから、気を付けるんだよ?」
鼻先まで顔を近付けて、ニコッと笑ったアスベルトに、モーガンは、ただ小さく頷いた。
「さて、ここからが本題ね?今の君の状態を踏まえた上で、婚約の継続をする理由ってある?」
「それは」
「もちろん、王子だから、王家の為には必要かもしれない。じゃ、モーガン殿下は?殿下自身は、リリのこと好き?」
モーガンは、リリアンナに視線を向けたが、すぐに反らした。
「神託だし、親が決めた縁談だけど、容姿も整ってるからいっか。って、軽く考えてたなら、僕に譲ってよ」
「僕の一存じゃ、どうにも」
「なら、国王が納得すればいい?帝国の属国の王女や公爵級の令嬢とかならいいかな?なんなら、僕の義妹を紹介してもいいね。見た目も悪くないし、年も近いし、何より皇帝の娘だし。悪くない話でしょ?」
「義妹って」
「因みに、僕は皇帝と皇后の実子。向こうは母上の姉、僕からすると叔母の娘。つまりは、従兄妹ね?結構似てるから、実の妹って言われても疑われないかな」
茂みから抜け出したローデンが、杖を振ると、デュラベルの氷が砕けた。
〈ビュン〉
〈パチン〉
デュラベルの剣を避け、アスベルトが、指を鳴らすと、二人の立つ地面が崩れた。
「真剣な話をしてるのに、割り込まないでほしいな」
「何が真剣な話だ」
「失礼極まりないです」
「そう?貴族の統制が取れないなら、帝国との繋がりを持ったほうが、自分の身も安全でしょ?」
「ふざけるな!」
「モーガンは王子なんです!」
「もう。なんで、君らは、分からないかな」
アスベルトは、デュラベルの剣をヒラヒラと避け、ローデンの魔法を相殺した。
「これまでは、王家と三大公爵で、国の均衡を保っていたんでしょ?アルベル公爵家には、後継者がいないのに、どうやって、それを保つのさ」
「うるせぇ!」
完全に頭に血が上ったデュラベルが、乱暴に剣を振り抜くと、ローデンが放った風がぶつかり、リリアンナの方に弾かれた。
「リリアンナ!!」
「いい加減にしなよ」
アルベル公爵が剣を抜くよりも速く、アスベルトが、二人の前に立ち、手のひらを向けると、風が打ち消された。
「一体、いつまで、そんな風に、凝り固まった考えでいるの?いつまで、門家を頼ってるの?いつまで、真実から目を背けるの?」
アスベルトは、静かに腕を下ろして、モーガンを見据えた。
「傷付けたくないなら、自分が傷付いても、守るんだってくらいの覚悟しなよ。覚悟もないのに、周りに流されてたら、お互い傷付くだけだよ?」
「…アス、もういいよ」
「良くない」
「もういいよ」
「良くない!」
アスベルトは、勢い良く振り返り、リリアンナの前に膝を着いて、その頬を包むように触れた。
「なんで、君だけが、辛い思いしなきゃないの?なんで、君だけが、一人で抱えなきゃないの?なんで、君だけが」
「大丈夫よ。それに、辛いのは、私だけじゃないから」
寂しそうに、ニコッと笑うリリアンナを見て、アスベルトは、グッと唇に力を入れた。
「…ねぇ、リリ、僕と一緒にウィルセンに行こう?もちろん、公爵も、執事も、メイドも、全部連れてさ。君が望むなら、領民も受け入れるくらい」
「アス、人は、簡単に、生き方を変えられないのよ」
「でも」
「大丈夫。少しずつ、変えればいいの。少しずつ、みんなが笑えるように…ね?」
リリアンナが手を取り、優しく握ると、アスベルトは、目尻を下げながら、唇を尖らせた。
「…いつまで待てばいい?」
「それは、今後のアス次第じゃない?」
「そんな気長じゃないんだけど」
「そしたら、ずっと、このままかな」
「リリのイジワル」
「パパをイジメた仕返し。私、乱暴者は嫌いよ?」
「ホントのこと言っただけだよ」
「意地悪な言い方するからでしょ?」
「そんなことないよ」
「アス?」
「ごめんね?もう、こんなことしないから、許して?」
「どうしよっかな」
「なんでもするよ?」
「じゃ、暴れた分、元に戻してくれる?」
「いいよ」
スッと立ち上がり、モーガン達に向き直ると、アスベルトは、両手のひらを向けて、瞳を閉じた。
キラキラと、光の粒と風が舞い、時間が巻き戻るように、全てが元通りに戻っていくのを見て、モーガンは、ギュッと唇をキツく結んだ。
「…できた。これでいい?」
「ダメよ?ちゃんと、謝らないと」
「でも」
「アス」
リリアンナが立ち上がると、アスベルトは、目を伏せながら、唇を尖らせて、アルベル公爵の前に正座した。
「…勝手なことして、ごめんなさい」
素直に謝るアスベルトを見て、アルベル公爵は、パチパチと何度も瞬きをした。
「パパ、アスも反省してるし、許してくれるよね?」
「…そうだな。だが、次はないからな」
「はい」
「んじゃ、次」
リリアンナに腕を引っ張られて、アスベルトは、立ち上がって、渋々、モーガン達の方に向かった。
「乱暴なことして、ごめんなさい」
「…いいよ。悪いのは、ローデンとデュラベルだから」
「ちょ!!」
「モーガン!?」
「だって、普通に話してたのに、二人が、暴れたから、殿下が応戦しただけでしょ?」
「でも、コイツ」
「ここにいる人は、みんな知ってるのだから、そんなに焦る必要ないでしょ?」
「でも、あれは国の」
「漏れちゃったんだから仕方ないよ。それに、婚約を国の極秘事項にまでして、隠さなきゃいけないのは、僕に、王になる素質がないからでしょ」
モーガンが、寂しそうに瞳を細めると、ローデンとデュラベルは、グッと言葉を詰まらせた。
「僕は、サイフィス国王の一人息子なのに、未だに王子のまま。それに比べて、ウィルセン帝国の一人息子のアスベルト殿下は、もう皇太子になって、隣国に来訪までしてる。僕の方が、生まれも、デビュタントも、先なのに」
「…嘆くくらいなら、やってみなよ」
下を向いていたモーガンが、顔を上げると、アスベルトは、視線を泳がせた。
「嘆いてばかりで、足踏みしてても、何も変わらないんだから、なんでもいいから、やってみればいいんだよ。そしたら、なんとかなるもんだから」
「ありがとう。殿下」
パーっと明るい笑顔を浮かべたモーガンを見て、アスベルトは、フンと鼻を鳴らした。
「今から頑張ったところで、僕に追い付けないだろうけどね」
「そんな言い方しないの」
デュラベルが握った拳を掴んで、モーガンが苦笑いすると、リリアンナが、アスベルトの腕を抓った。
「痛っ!だって、ホントのこと」
「アス」
「全部ホントのことじゃん!」
「だからって、酷い言い方しないの。せっかく、和やかになったのに」
「でも」
「そうゆうの嫌い」
「でも」
「そんな我儘なアスベルト皇太子様は嫌いです」
リリアンナが、プイッと顔を反らすと、アスベルトは、慌てて顔を近付けた。
「ごめん。もう我儘言わないし、言い方も、ちゃんと直すから」
更に顔を背けると、覗き込むように、アスベルトが、リリアンナに体を近付けた。
「ねぇリリ、そんな怒らないでよ。ね?ちゃんと直すから。ね?ね?ねぇ、リリ~」
リリアンナが、完全に背中を向けると、アスベルトは、シュンと肩を落とした。
「…僕、リリに嫌われたくないよ」
「なら、もう少し優しくして」
「優しくしてるよ?リリになら」
「私だけじゃなくて、みんなに優しくして」
「…分かった。優しくするから。だから、嫌わないで」
リリアンナの指先を掴んで、上目遣いで見つめるアスベルトの姿は、皇太子の威厳はなく、好きな子を振り向かせようと、必死になる男の子、そのままで、アルベル公爵は、クスッと笑った。
「…笑わないでよ…」
「すまない。私のリリには、無敵の皇太子殿下も敵わないらしい」
「それは」
「パパだって、ママには、敵わなかったでしょ?」
「そうだね。男は、惚れた女には、弱いのだよ」
誰からともなく、再び、ガゼボで円卓を囲んで座った。
「なんだ。公爵も、同じなんだ」
「…まさか、皇帝も?」
「そうだよ?父上が、まだ皇太子だった時に行ったルアンダで、母上に一目惚れして、半ば強制的に、王族との婚約を破棄させて、迎え入れたんだよ」
「それって、良いのかよ」
「良いも何も、母上も、腑抜けた王族に嫁ぐくらいなら、父上と駆け落ちしてでも、逃げたかったらしいし」
「殿下の母君は、かなり聡明な人らしいな」
「それに、父上が、あまりにも必死だったから、可愛く思えたのよね~。って、母上も、一緒に過ごしてる間に惚れたらしいし」
「皇帝が、公爵令嬢に夢中になるなんてな」
「パパは、人のこと言えないでしょ」
グッと喉を鳴らして、一つ咳払いをしてから、アルベル公爵は、カップを傾けたが、中身の熱さに驚いた。
「リリ、気を付け」
「アッチ!」
アルベル公爵が声を掛ける前に、デュラベルが、乱暴にカップを傾けていたようで、大声を出した。
「熱すぎた?おかしいな。こんなもんだと思ったんだけどな」
「温め直したの?」
「まぁね。お茶って、あったかいほうが美味しいでしょ?」
「にしても、温めすぎだろ。何にも適度ってもんが」
「仕方ないじゃん。広範囲に魔力を流しての細部修正って、結構難しいんだよ?」
「そうなのか?」
「僕は、まだ、そこまで出来ないから」
「アルベル公は?」
「私は、この手の魔法が使えないよ」
「…もしかして、コイツって、すげぇの?」
リリアンナが驚いた顔を向け、ローデンが冷ややかに瞳を細め、モーガンとアスベルトは、苦笑いを浮かべた。
「今更?」
アスベルトが、ポリポリと頬を掻き、困ったような苦笑いを浮かべると、ローデンが、首を振りながら、大きなため息をついた。
「デュラベルは、魔法が使えないから、よく分からないんでしょ?てか、そもそも、駆け出しだとはいえ、デュラベルの剣筋まで見切って、全部避けてたでしょ?」
デュラベルは、呆れたように、瞳を細めているローデンを指差した。
「そう。それな」
「それでいて、僕の魔法まで相殺してたんだからね」
「そうなのか?」
「…モーガン殿下、家臣は、本気で選んだほうがいいよ?」
「また、生意気なこと」
「僕も、そう思い始めたよ」
「ちょっ!モーガン、どうしたんだよ」
「デュラベル、今は、黙ってたほうがいいよ」
「なんでだよ」
「いいから、黙りなって」
「だから、なんでだよ」
ローデンが、ため息をつくと、デュラベルが、頬を膨らませた。
「デュラベル、今ここで、アスベルト殿下の凄さを理解してないのは、君だけだよ」
「理解してるだろ」
〈バン〉
「どこがだよ!魔剣士の公爵でさえ広範囲魔法は使えないんだぞ!?それをアスベルト殿下はやって見せただろ!大体!お前の剣を避けながら僕の放つ魔法を相殺してた時点で気付けよ!この前のお茶会で広範囲の攻撃系魔法も見せられたのに分かんないのかよ!」
顔を赤くし、ローデンが、テーブルを叩きながら立ち上がり、デュラベルに迫ると、モーガンは、頬をポリポリと掻いた。
「ローデン、そこまでにしといてくれるかな。デュラベルも、あまり、ローデンを刺激しないで」
「すみません。取り乱しました」
「なんで、俺まで怒られんだよ」
「お前が!」
「もう頭が痛い」
頭を抱えて、背中を丸めたモーガンを見て、二人が首を傾げると、アルベル公爵とアスベルトは、ケタケタと大きな声で笑い、リリアンナも、口元を隠しながら、クスクスと笑った。
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