黒き花嫁

咲 カヲル

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#3

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鼻血を出した次の日。
葉菜の膝に縛られた様な痣があるのを見付け、博文は、鷹志の帰りに合わせて、葉菜を自室に帰し、極力、リネン室にも行かなくなった。

「焦るな。僕らが焦っても、葉菜さんが辛くなるだけだ」

頭では、博文の言ってる事を理解しても、想いは、今すぐ、ちゃんと謝りたいと思い、久孝の中で、多くの感情がグチャグチャになっていた。

「でも…俺…どうしたら…」

勝ち気で、いつも胸を張り、背筋を伸ばして、自分を強く見せていた久孝が、肩を落とし、背中を丸めるのを見て、文太は、紺の手帳を取り出した。

「明後日。父さんが出掛ける事になってる。その時にでも、ちゃんと話せば良い」

「…わかった」

久孝が素直に頷き、博文は、掴んでいた手を離し、書類に視線を戻した。

「ところで、この歳だと、学校に通わなきゃならないですよね?」

「…俺ちゃんと行ってるし」

「お前じゃない。彼女だ」

文太が葉菜の年齢を指差し、久孝に見せた。
久孝は、その書類を奪い取り、目の前まで持ち上げた。

「18!?」

「みたいだな」

「ウソだろ?何かの間違いじゃないのかよ」

「遼君が、ここでミスする様な人じゃないだろ」

遼は、1度、何かをやり始めると、とことん、突き詰める性格で、自分で納得出来ないと、何度でも、やり直しをする。

「つまり、彼女は、お前の一つ上だ」

唖然としている久孝の手から、書類が抜き取られた。

「それにしても、学校にも行けないとなると、かなりの事情がありそうですね。奥村さんからの報告は、まだなんですか?」

「今晩には、報告が来るはずだ」

「なら、また夜に続きをしましょう。このままだと、父さんに気付かれてしまいます」

「そうだな。これは、お前に預けとくぞ」

書類を置いたまま、文太が出て行くと、博文は、クローゼットから、何かを取り出して、久孝に差し出した。

「これだろ?」

それは、当初の目的だったCDで、久孝は、その存在をすっかり忘れていた。

「あぁ。有り難う」

それを受け取り、久孝も出て行くと、博文は、書類に視線を戻し、色々な事を考えていた。
父親が生きていれば、葉菜は、高校に行き、友達と楽しく過ごし、勉強に打ち込み、恋愛で泣いたり、笑ったりと、普通の生活をしてたのかもしれない。
母親が入院していなければ、苦しいかもしれないが、今よりも、マシな生活をしてたのかもしれない。
そう考えると、今の葉菜は、学校にも行けず、家の中で1日を過ごして、鷹志に良いように使われている。
これは、葉菜の事情や状況に同情してるだけで、更には、それを解決出来るのは、自分ではなく、文太である。
だが、葉菜の年齢なら、博文にも、出来る事がある。
棚に並べているキャンバスの裏に書類を隠してから、博文は、羽鳥を探しに出た。

「羽鳥さん。僕が使ってた高校の教科書や参考書って、何処にありますか?」

執事室の前で、呼び止められ、早口で聞かれ、遼は、驚きながら、博文に視線を向けた。

「でしたら、裏庭の倉庫のございますが」

「そうですか。呼び止めてしまい、すみませんでした。有り難うございました」

遼を置いて、足早に自室に戻ると、真新しいシャーペンや消しゴムを用意したが、それを入れる物がない。
時計を見ると、まだ7時前で、博文は、ジャケットを手にして、また遼の所に向かった。

「羽鳥さん。バイクのキーを貸して頂けますか?」

「はい。お出掛けでございますか?」

「えぇ。ちょっと買い物に。ついでに、外で食べて来ますから、夕飯は、要りませんので。それでは、行ってきます」

「かしこまりました。行ってらっしゃいませ」

その場で別れを告げると、急いで、ガレージに向かい、シートを外して、愛車を撫でてから、ヘルメットを被った。
白のボディーに、青と緑の曲線が、描かれただけのシンプルなバイクを門の外まで押し、雑貨屋に向かって走らせたが、途中で、行き付けの文房具店に向かった。

「今晩は」

古い造りの店構えのドアを開けると、カランカランと、乾いたベルの音が響き、奥から、年老いた店主が出てきた。

「行ってらっしゃいませ。川瀬カワセ様。本日は、何をお探しでございますか?」

「実は、ある人に贈り物をしたいと思いまして」

店主が首を傾げ、不思議そうに、ポカンとしていると、博文は、恥ずかしそうに頬を赤くした。

「どの様な物をお考えで?」

博文は、苦笑いしながら、葉菜の外見を説明した。

「可愛らしい方なのですね」

「そうですね。あと、掃除や洗濯が好きで、花が好きらしいんです。色は、空の色や夕陽の様な色が…」

嬉しそうに話す博文を見つめ、店主は、優しく微笑んで、何度も頷きながら、その話を聞いていた。

「すみません。ベラベラと話してしまって」

「いえ。あまりにも、楽しそうでしたので、私も、聞き入ってしまいました。そんな素敵な方でしたら、こちらは、如何でしょうか?」

店主が、小さな白い花が描かれたオレンジ色のシャーペンを取り出した。

「良いですね」

「こちらも、その方にお似合いになるかと」

スカイブルーに、雲の様な絵が描かれたシャーペンを隣に並べた。

「そうですね。あとは、色ペンも欲しいのですが」

「でしたら、こっちが良いかと」

ちょっと太めだが、赤、青、黄、黒が一本になって、小さなホウキとちりとりが、散りばめられていた。

「彼女らしい。それから、それらを入れる物は…これが良いですね」

ショーケースに並ぶペンケースの中で、明るい黄緑のシンプルな物を指差し、店主が、全てを並べて見せると、博文は、とても満足して、微笑んだ。

「ん。イイ感じですね。では、これで」

「かしこまりました。お包み致しますか?」

「お願いします」

小さく微笑み、店主が、背中を向けて、選んだ物を包み始めると、博文は、足りなくなっている絵具や鉛筆なども見て、何個か手に取った。

「お待たせ致しました」

「すみません。これも、一緒の会計でお願いします」

「かしこまりました。では、少々お待ちください。こちらになります」

素早く、計算機を叩き、表示された金額を支払うと、店主は、博文の前に小さな鈴のストラップを差し出した。

「これは?」

「オマケでございます。お持ち下さい」

「有り難うございます。また来ます」

「有り難うございます。次回は、彼女様とのご来店、お待ちしております」

葉菜を彼女と呼ばれ、博文の頬が真っ赤になったが、それを否定せず、黙ってバイクに乗り、逃げるように走り出した。
何故、否定しなかったのかは、博文自身も分からない。
ファストフードで、軽く食事をしてから、屋敷に戻るのが、なんとなく、イヤだった博文は、バイクを走らせ、何の目的も持たず、ただ、一人でドライブをしていると、ジャケットの内ポケットで携帯が震えた。

〈文兄が呼んでる。早めに帰って来いって〉

久孝からのメールで、博文は、屋敷に向かった。
誰もが眠りに落ち、静かな屋敷は、少し不気味でもあった。
そんな中、微かな音が聞こえ、博文は、足音を消すように歩き、その音を辿った。
完全にしまっていないドアには、隙間があり、そっと、中を覗いた博文は、持っていた袋を落としそうになった。
そこには、強い力で引き裂かれ、ボロボロになった服に身を包み、肩を抱いて、すすり泣く葉菜の姿があった。
唇を噛み締め、声を殺し、ポロポロと流れる涙が、頬を濡らし、床に大きなシミを作る。
純白の翼から羽根をむしり取られ、大きな闇が、その体を包み、今にも絞め殺そうとしている。
博文の目には、そんな風に見え、腹の奥底から、怒りが沸き上がった。
だが、博文は、何も見なかったかの様に、静かにドアを閉め、足早に自室に向かった。

「遅かったな」

博文の部屋には、文太達だけでなく、幸雄と遼もいた。

「すみません。久々に走らせたら、ドライブしたくなってしまいまして」

クローゼットに持っていた袋を仕舞い、ベットに座る二人の前の椅子に座った。

「では、二人の報告を聞かせてくれ」

経過報告だと思っていたのが、最終報告である事に驚いたが、博文の中では、さっき見た葉菜の姿を思い出し、早く終わらせたかった。

「では、私から。一葉様と藤崎さんのお母様のご関係ですが…」

遼から始まり、幸雄の報告を聞き、久孝は、膝の上の拳を震わせ、博文は、文太を見つめていた。

「友人の娘に手を出すなんて、どんな神経してんだよ」

葉菜の母親と一葉は、学生時代からの友人で、学校や近所では、姉妹のように仲が良かった。

「母さんは、出てったんじゃなかったんですね」

5年前、親戚や肉親のいない葉菜の母親は、一葉に葉菜をお願いした。

「なんで、連れて来なかったんだろ?」

「さぁな。それは、母にしか分からない事だ」

「でもさ。なんで、俺らにも、言わなかったんだろ?」

「それは、久孝に問題があったんじゃないか?」

「俺に問題って何だよ」

「あの時の久孝は、恥ずかしがり屋だったじゃないか」

「んな事ねぇし」

「兄さんの彼女が来た時も、顔、真っ赤にして、部屋に籠ってただろ」

「あれは、彼女の露出が激しくて」

「そんなに、露出してなかったと思うけど?」

「そんな事言ってたら、博兄にも、問題あったじゃねぇかよ」

「僕の問題?」

「あの頃、女に過剰反応してただろ」

「そんな事なかったよ」

「それこそ、文兄の彼女の事、変な目で見てたじゃないか」

「そんな目で見てない。キレイな方だとは思ったが、兄さんには、もう少し…」

「話を戻しても良いか?」

「あぁ。すみませんでした」

脱線した話を戻し、一葉と暮らしてからの経緯が語られ、葉菜が屋敷に来た理由を知った。
これで、葉菜が、隠そうとしてる事が明らかになった。

「…アイツ。人を何だと思ってるんだよ」

久孝の考えには、そこにいた全員が同意し、何度も大きく頷いた。

「兄さん。何とかならないんですか?」

「そうだな」

顎に指を添え、目を閉じた文太を見つめ、博文は、組んでいる指に力が入った。

「全てを譲り受ける」

文太の言ってる意味が、理解しきれず、久孝は、首を傾げていたが、博文の瞳は、大きくなった。

「父が、素直に応じてくれるでしょうか?」

「無理だろうな」

「なら、どうするんですか?」

文太の提案は、あまりにも、危険な事であった。

「大丈夫なのかよ。下手したら親父が…」

「あんな奴…消えても構わない」

どんな事も冷静で、あまり感情を剥き出しにしたことのない博文が、無表情にで、小さく呟く。
今まで見た事がなかった博文に、久孝は、背筋が凍る様な感覚に身震いし、頬が引き吊った。

「で…でもさ。いくら、憎いからって、もしもの事があったら、疑われるのは、葉菜ちゃんだろ?」

「なら、僕がやる」

「博兄!!」

「兄さん。彼女が、疑われない方法はないんですか?」

「ない事もないが…彼女が、傷付く可能性もあるぞ?」

「そうしなきゃ、彼女は、ずっと、傷付いて生きなきゃないんです。彼女も、もう耐えるのが辛いはずです」

「何かあったのか?」

博文が、帰りに見た葉菜の様子を話すと、遼が、何かを思い出した。

「そういえば…前にも、彼女の部屋から、微かに泣いてる様な音がしてました」

「その時も、きっと、彼女は、酷い仕打ちを受けたんですよ。兄さん。教えて下さい。彼女が、疑われない方法は、どんな方法なんですか」

「…あの人の性格を利用するんだ」

「どんな風に?」

文太が説明すると、それは、確かに、葉菜は、疑われる事がなく、安全な方法でもあったが、一か八かの賭けでもあった。

「やりましょう」

「良いのか?下手したら、父は、本当に帰らない人になるかもしれないんだぞ?」

「それだけの罪を犯したんです。それの位の罰を受けるべきです」

「…分かった」

見つめ合い、文太が、優しく微笑み、力強く頷くと、博文は、久孝に視線を向けた。

「久孝は、どうする?」

「…俺もやるよ」

久孝も、力強く頷くと、幸雄と遼に視線を移した。

「我々も、お手伝いします」

「有り難うございます」

博文が、二人に頭を下げると、文太は、何処か満足そうに頷き、静かに目を閉じてから、真剣な顔付きになった。

「良いか?この作戦を成功させるには、3つのポイントがある。まずは、彼女が普段通り…」

それから、需要ポイントを確認し、それぞれの役割を決めた。
作戦決行は明後日。
鷹志が帰宅してからになった。

「どうぞ」

「失礼します」

部屋から出て行ってから、暫くして、ノックの音が聞こえ、博文が、返事をすると、遼が戻ってきた。

「博文様」

遼は、ポケットから、何かを取り出し、博文に差し出した。

「書斎の方に落ちておりました」

「これは?」

「藤崎さんの落し物でございます」

「葉菜さんの…ネックレスじゃなくて、懐中時計でしたか」

「いえ。こちら、懐中時計を手直しした様でございます」

垂れ下がる紐に対して、トップが、異様に、大きく、横に小さな突起があるが、異様に軽かったので、遼は、中身を確認していた。

「手直し?」

遼が、黙って、突起を押すと、貝殻の様に上下に開いた。

「これは…」

その中には、色褪せた古い写真と真新しい写真があった。

「…羽鳥さん。お願いがあるのですが」

「はい」

博文は、開いたトップを閉じ、遼に、ある事を頼んだ。

「かしこまりました」

「なるべく、早くお願いします。出来れば、明後日の夜までに」

「畏まりました」

遼が急いで出て行き、再び、一人になってから、博文は、クローゼットの中を漁った。
要らなくなったネックレスから、なるべく、細めのチェーンを外し、葉菜のネックレスを直すと、無くならないように、大事に仕舞い、ベットに大の字に横たわった。
疲れていた様で、博文は、すぐ夢の世界へと誘われた。
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