丘を越えたり、下ったり(仮)

ムギオオ

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15 夏目 瞬

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 九月十日、八月の暑さが嘘のように涼しい。ついこの前までは夏の終わりが来る気配が全く感じられないくらいの暑さだったというのに。
 夏の終わりを告げるような涼しい曇り空の中、俺は人と会うために大和相国寺駅に向かっている。

 夏は恋人のいない人間には酷なイベントが多過ぎる。小学生位の時は昆虫採集やプールと夏が一番好きな季節だったが大人になってからは夏が一番嫌いになった。
 ただ単純に暑いからだと言う訳ではないのだが。夏を題材にした映画は大好きなのだが。クリスマスの時期を描いた映画も勿論好きだけれども。
 ようやく俺の嫌いな夏が終わるのかという嬉しい気持ちと結局この夏も何も良い事無く終わったという悲しい気持ちで駅に着き「ああ夏が終わったな」と独り言を呟いた。

 この二か月間、毎日精悍な身体と心を手に入れるべく、ヘトヘトになるまで身体を鍛える毎日だった。平日は南田屋敷に泊まり込みアルバイトと英語の勉強以外は武術の鍛錬と体力作りだけの日々だった。

 たまの土曜日はアパートに戻り深見さんと映画を観て過ごすくらいだった。深見さんと一緒に映画の話などをすることは、この二か月間の辛い南田屋敷特訓を続けるのに随分と気持ちの面で助けられた。

 昨日、汗だくになりながら腕立て伏せを繰り返していた俺に、
「大体基礎体力もついてきたから、もうそろそろ良いだろう。明日、ちょっとお使いに行ってもらいたい所があるのだがな」
 と腕組みしながら俺を見下ろし先生が言った。
 何がそろそろ良いのか、全く解らないのだが、腕立てを続けながら返事をするのがやっとで、その事は聞けなかった。

 言っておくが俺は、元々体力はある方だ。何故なら、彼女が出来るその日まで身体が弛まないように、密かに自己トレーニングをしていたのだから。

 お使いの内容は先生の知人の山村さんという人物に、大和相国寺駅で会って来いというだけの簡単な内容なのだが、何かが引っかかった。
 俺自身の特徴は先方に伝えてあるとは言われたが俺には山村さんの特徴など一切聞かされてはいない。南田先生の知人だと言うのだから変人なのは間違いない筈だ。そもそも会って来いと言われただけなのが不安でしょうがなかった。

 当然、約束の時間より早く大和相国寺駅に着きホームの階段を上がる俺に、二か月前の嫌な思い出が蘇る。駅の階段を上がりきると相変わらずの人混みの中、全くの手がかりのない人物を探す、というよりも見つけてもらうべくウロウロ歩いていると
「あれー、ひょっとして古川晴一くんじゃないの? 」
 山村さんかと思い、振り返ると夏目 瞬の野郎がニヤニヤして立っていた。馴れ馴れしいんだよ、このクソボケが!
「やあ、こんにちは」
 俺は山村さんとの待ち合わせが気になったので、素っ気なく挨拶だけ交わしてコイツをやり過ごそうとした。
「二か月ぶりだねえ。里香ちゃんと待ち合わせ? 」
 相変わらずニヤニヤしている夏目。
「そんなわけないだろボケが! 」と心の中で叫んだ。
 俺はこいつのお陰で彼女の携帯番号さえ知らない、それに人の恋人とコソコソ会ったりはしない、最後に何でこいつみたいな奴が秋吉さんみたいな素敵な人と付き合っているのだろうと、腹立たしさがあったが、そういった事は全て抑えて答えた。

「いや、違うよ。ちょっと用事があってね」
 あくまで冷静に怒りを殺して答えた。
「そう言えばこの前の事、俺の態度が古川君に失礼だって、里香ちゃんに物凄く怒られちゃって。そんな事無かったですよね? 」
 そう話しながらもニヤニヤしている夏目に俺の業、矛の地獄を一分間、可能な限り何百発と喰らわせて最後に天国で気絶させる想像をして、気分を落ち着かせた。

「うん、全然、大丈夫だよ。気にしてないよ、ホントに」
 俺は周りをキョロキョロ見回しながら、早くどっかに行ってくれという希望を込めて、努めて優しく言った。
「お前と喋っていると、山村さんが俺を見つけてくれないだろうが!  ボケ! 死ね! 」と心では思いながらも。

「ですよねー。だって、俺そんなに失礼なことは………」
 夏目は不意に話の途中に黙ってしまった。そして俺の背後を引き攣った顔で見つめている。
 俺も気になり振り返って見ると、ジャージを着た屈強そうな六人組の男たちが真っ直ぐこちらに向かって歩いて来る。あの中の一人が山村さん? な、わけないか。

 そのジャージの集団はまるでオリンピックへ飛行機で旅立つ前の選手達みたいに颯爽とこちらを目指して歩いて来た。
「おいっ! お前、よくこの辺りに顔出せたなもんだな」
 六人の誰かが夏目に怒鳴った。どうやら山村さんではないようだ。あっという間に六人に囲まれた夏目は、怯えた表情で何か言いたそうに俺を見ている。

 俺は今から夏目の身に起こるであろう事の成り行きを、歓喜と共に温かく見守る事にした。俺が黙っていると夏目は諦めたような顔で六人に向き直った。
「でも、大学に行くにはこの駅を使わないと」
 六人組に囲まれた哀れな男は、さっきまでの俺に対する態度と打って変わって、消え入るような小さな声で彼らに答えた。

「お前この前はよくも主将に恥じかかしてくれたな」「こいつ連れてってやっちまうか? 」
 俺の存在を完全に無視して夏目を強引に連れて行こうとする六人。
「でもあの人は勝手に恥をかいただけで、俺は本当の事を言っただけだよ」
 夏目は必死に抵抗しながら声を張り上げた。
「黙ってろボケが! 」「覚悟しろよ」「こいつ相変わらずムカつくな」
 全員各々が怒声を夏目に浴びせた。

 いい気味だとは思ったのだが、目の前で連れ去られる姿を見て俺は何か声を掛けようとした。
「この人達は知り合いで神奈関大学の空手部の人達だから。俺は大和大学なんだけど。俺は大丈夫だから、へへ」
 夏目は弱々しく笑った。
「うるせえっ! 黙ってろ! 」
 六人の空手部の誰かが夏目の背中を強く押した。空手部の何人かが俺を一瞥した後、「お前はここで大人しくしておけ」と言わんばかりに睨みを利かせて立ち去った。

 明らかに大丈夫ではない雰囲気なのだが奴なりに揉め事に俺を巻き込むのは悪いと思ったのだろうか。俺は少し夏目を見直した。
 夏目は小さな背をさらに丸め六人に囲まれた状態で歩いて行く。戦争中の捕虜はこんな感じで連行されるのだろうなと思いだがら奴の小さな背を見送った。
 哀れな夏目と厳つい空手部員たちは改札を出て階段を下りて行った。

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