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男前の医者

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「ロイ君、どうぞ!」

若い女が俺の名前を呼んだ。

お嬢が、俺を抱えて長椅子から立ち上がる。その隣には、お嬢付き侍女のクレアがいて、いつもと変わらない無表情を俺に向けた。

「お嬢様、私がお運びします」
「いいえ、ロイは私が運びます。貴女は毛布やオヤツを持って」

病院の待合室のようなところに連れて来られたと思っていたが、本当に病院だった。

猫、蜥蜴、犬、犬、猫、鼠……。

たくさんの動物達が、飼い主と共に待つそこから、俺はお嬢に抱えられ一室に入る。

「こんにちは。私は担当のジューク・リンダロンです」

若々しく凛々しい男が、レイチェル嬢とクレアの順で会釈をし、三人は俺が置かれた診察台を挟んで向かい合う。

「では、お預かりしますね」

ジュークという医師の言葉に、俺は垂れ耳を動かし、首も傾げた。

預かる?

俺は何か病気なのか?

入院というやつか?

「先生、本当に宜しくお願い致します。どうか、なるべく痛みがないように……」

お嬢が、俺の頭を優しく撫でてくれているのだが、そんなものはどうでもいいと思える発言をした。

痛み?

手術が必要な病気なのか?

いや、それならば普通、検査やら診察があってしかるべきで、いきなり手術はないだろう。だいたい、俺は自分がとても健康であるという自覚がある。

食欲もある。

うんこも毎日、きっかり二度。

睡眠もたっぷり。

散歩も運動もしっかりと取っている。

医師の背後の扉が開き、白衣の女が現れた。

看護師のようだ。

「では、お運びしますね」

看護師に抱えられた俺は、茫然としたまま運ばれる。扉が閉められる時、医師が二人に何やら説明を始めた。

「当院では痛みが少ない術法を……」

最後まで聞きたい……。

だが、運ばれる俺には不可能である。

この女を八つ裂きにして逃れる方法もあるが、それでは俺の正体が明るみにでる可能性が生まれる。

勇者を倒すまで、こっそりひっそりと犬として生活しなければならないのだ。

俺が魔王であると知られれば、あいつらは容赦ないから多対一の戦いを強いられる。

こっちは一人。しかも今は犬だ。身体能力は龍族であった時よりも低いのだ。

油断しているあいつらを、一人ずつ、後ろから、殺す。

魔王である俺が、人間ごときにこうまで慎重にならざるを得ないのは腹立たしいが、あいつらの強さをまずは認め、対応すべきである。

ガチャン! という音で俺は思考を止めた。

箱のような入れ物に入れられている。

檻だと分かった。

つまりこれが犬である俺の入院なのだと理解した。

チョチョイと魔法を発動させる。

開錠クリア

音もなく魔法は成功し、俺はオデコで檻の扉を押し開くと、下を窺う。

高い……。

俺の入れられた檻は、いくつもの檻の上段に位置しているようで、飛び降りるには勇気がいる高さである。

今さらながらに、己の小さい身体を呪う。

この程度の高さに、脚の震えがとまらないとは……。

飛行魔法の勉強、しておけば良かった。魔王時代は翼があったから怠った……。

音がする。

人の足音を、俺の優秀な耳が捉えた。

「あれ? 鍵、忘れてたっけ?」

 俺を運んだ看護師の声に、俺は耳を動かし「今、気付いたよ」という顔で彼女を見る。

「いい子ね。逃げなかったのね?」

逃げられなかったのです……。

鍵をかけられる。

仕方ない。おとなしくしておいてやろう。

……俺は一体、何の病気なのだろうか?



-・-翌日-・-



俺は今、とても悲しんでいる。

手術は無事に終わり、検査も異常なしだとお嬢に告げる医師の声に、俺は悲しみを増す。

お嬢付きの侍女クレアが、意気消沈している俺を籠に乗せた。両手持ちの大きなそれに収まった俺は、ズキズキとまだ痛む股間に涙を流す。

痛みが理由ではない。

玉を奪われた悲しみが、俺に涙を流させるのである。

そう、俺は病気では無かった。

去勢手術を受けさせられたのだ。

オスとして生きるなと、決められたのだ。

この屈辱、悲しみ、怒り、嘆きは、あの勇者ゴミに敗れた時以来だ。

善人面した医師が、お嬢にいろいろと話しているが、俺はもう、そんなものを聞きたくもなかった。

俺の玉を奪っておきながら、お前はどうして笑顔で話せるのだ!?

許せない……。

いや、お嬢がこの医師に依頼したから、俺は玉無しになってしまったのか?

お嬢……これは裏切りに等しい。

俺は睨んだつもりでお嬢を見上げた時、彼女は安堵の笑みを俺に向けていた。

「頑張ったね。偉い! 自慢のロイだよ」

優しい声と、可愛い笑みも、今の俺には効果ない。

お嬢への復讐はおいおい考え実行するとして、とりあえずは医者だ。

俺は、奴を俺と同じ目に遭わせてやろうと決めた。

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魔法はたちまち発動し、男前の医師はこれにかかった。

思い知るがいい!

役立たずになった己のものを前に、絶望しろ!

俺は不敵に笑ったのだが、それはクークーと鳴いたように人には取られる。

「痛い? ごめんね。お父様とお母様との約束だったの。ごめんね」

お嬢に背中を撫でられ、約束とはなんぞやとも思ったが、しかし今はどうでも良い。

医者への復讐を果たしたが、この喪失感を埋めてくれるものではなかった。
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