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【完結編】天に在らば比翼の鳥
4.教育《前編》
「綾瀬はありすに甘過ぎる」
桐生邸のダイニングで篤郎がそう言い放った。
白いエプロンをかけ、形の悪い目玉焼きが乗ったお皿を持っている。
ダイニングテーブルでは、ありすがトーストを齧り、その横で綾瀬は新聞を読みながらコーヒーを飲んでいる。
最近綾瀬は、朝、起きるようになった。
ありすが来る前まで、アル中になるんじゃないかと心配になるほど深酒が続いていたが、それもなくなった。
そのことだけでも、篤郎はありすが来て良かったと思っている。
ありすは、人生に倦んで退廃気味だった綾瀬から、少なくとも「退屈」を取り除いてくれた。
綾瀬はありすのことなど気にかけていないという振りを装い、実際ベタベタと甘やかすことはしないが、こうしてありすが朝食をとるテーブルに、並んで座っているだけでも、たいしたことだと篤郎は思う。
この程度でも、これが綾瀬の気遣いなのだ。
ありすもわかっているのか、嬉しそうに椅子から浮いた足をぶらぶらさせている。
それにしてもこの少女の綾瀬に対する懐きようは不思議だった。
まず綾瀬は子供から慕われるような人間ではない。
ところがありすははじめて会ったその日から、綾瀬に好意を示し、綾瀬だけに従順だった。
高谷の言うように、綺麗な男が好きなオンナゴコロというのもあるかもしれないが、篤郎は、ありすがヒエラルキーに敏感な子供なんじゃないかと感じている。
桐生邸で綾瀬を味方にすれば、怖いものがない。自由に、好き勝手に振る舞える。
ありすの頭の良さは、生きることにも発揮されているような気がする。
だが、この少女は自由奔放に過ぎる。
躾は必要だ。
だいたい、何故か篤郎の雑用が増えたことには納得がいかない。
「家政婦をクビにする度に、なんでオレがこんなことしなきゃなんないの」
ありすの前に目玉焼きの皿を置きながら、思い出したように文句を言うと、綾瀬に言い返された。
「ロリコンだなんだと、若いやつらを追い出したのはおまえだろ」
ありすが来るまで、桐生邸には住み込みの若い組員が数名いて、綾瀬の食事の世話や掃除なども担っていた。
今も昼間は滞在するし、夜間の警備はするが、寝起きする場所は、篤郎が近所のアパートを一棟借り上げ、そこでするように追い出した。
篤郎としては、預かった大事な娘に何かされたら困るという配慮をしたつもりだ。
結果、現在、広い桐生邸に住んでいるのは、綾瀬とありすと、そして泊まり込みをしている篤郎だけで、家政婦がいないと、朝食作りは自然と篤郎の役目になる。
「違う、問題はそれじゃなくて、躾のことだった。ちゃんと、悪いことは悪いことって教えなきゃ。あと、礼儀とかも」
新聞を読んでいる綾瀬は眼鏡をかけている。
美貌に知的さが加わって、エリートビジネスマンのようだ。
その眼鏡越しの目で篤郎を見つめる。
「悪いこと、っていうのは、盗みをするなとか、暴力を振るうなとか、そういうことか。どの口が、そんなこと言えんだ。人にそんな説教出来る立場だと思ってんのか、てめえ」
もっともな反論をされて、篤郎は口籠もってしまった。
「そ、それは…。だけど、躾とか教育とか、大事でしょうが」
「ありすには必要ない。日本の規格にはめなくていい」
ありすは楽しそうに二人のやり取りを聞きながら、篤郎が作った目玉焼きを食べている。
「篤郎、これ、ちょっと硬すぎる」
目玉焼きに文句を言う。
「ほら、これ。せめて、最低限の礼儀は教えようよ」
「必要ないって言ってるだろ」
ありすは綾瀬の言葉に嬉しそうな顔をして、篤郎には舌を出して見せた。
ありすが学校に行ってから、篤郎はまだ、言い募っている。
「ありすには聞かせたくなかったから言わなかったけど、もし、葉月さんが見つからなかったら、ありすは日本で生きていかなきゃいけなくなるんだよ。綾瀬だって、ありすをずっとこの世界に置いておくつもりはないでしょう。だったら、人並のことは教えないと」
綾瀬も、その可能性を考えていないわけではなさそうだった。
それでも、きっぱり言った。
「あれは、頭がいい。教えても教えなくても同じだ。必要なことは自分で習得してくる」
「楽観的なんだね。自分の子供じゃないからなの」
「おまえの子供でもないだろ」
「そう、だけど…」
ありすに対して、篤郎もはじめは興味がなかった。
厄介ごとが増えたと、面倒に思っていたくらいだ。
けれど、綾瀬の命令で世話を焼いているうちに、簡単に情が移って、この頃では責任を感じるようになった。
ありすをちゃんとした、一人前のレディにしなければならない、と思っている。
桐生邸から若い男たちを追い出したのも、突然芽生えたそんな親心のせいだった。
ただし、ありすの方は篤郎のことなど下僕としか思ってなさそうだった。
桐生邸のダイニングで篤郎がそう言い放った。
白いエプロンをかけ、形の悪い目玉焼きが乗ったお皿を持っている。
ダイニングテーブルでは、ありすがトーストを齧り、その横で綾瀬は新聞を読みながらコーヒーを飲んでいる。
最近綾瀬は、朝、起きるようになった。
ありすが来る前まで、アル中になるんじゃないかと心配になるほど深酒が続いていたが、それもなくなった。
そのことだけでも、篤郎はありすが来て良かったと思っている。
ありすは、人生に倦んで退廃気味だった綾瀬から、少なくとも「退屈」を取り除いてくれた。
綾瀬はありすのことなど気にかけていないという振りを装い、実際ベタベタと甘やかすことはしないが、こうしてありすが朝食をとるテーブルに、並んで座っているだけでも、たいしたことだと篤郎は思う。
この程度でも、これが綾瀬の気遣いなのだ。
ありすもわかっているのか、嬉しそうに椅子から浮いた足をぶらぶらさせている。
それにしてもこの少女の綾瀬に対する懐きようは不思議だった。
まず綾瀬は子供から慕われるような人間ではない。
ところがありすははじめて会ったその日から、綾瀬に好意を示し、綾瀬だけに従順だった。
高谷の言うように、綺麗な男が好きなオンナゴコロというのもあるかもしれないが、篤郎は、ありすがヒエラルキーに敏感な子供なんじゃないかと感じている。
桐生邸で綾瀬を味方にすれば、怖いものがない。自由に、好き勝手に振る舞える。
ありすの頭の良さは、生きることにも発揮されているような気がする。
だが、この少女は自由奔放に過ぎる。
躾は必要だ。
だいたい、何故か篤郎の雑用が増えたことには納得がいかない。
「家政婦をクビにする度に、なんでオレがこんなことしなきゃなんないの」
ありすの前に目玉焼きの皿を置きながら、思い出したように文句を言うと、綾瀬に言い返された。
「ロリコンだなんだと、若いやつらを追い出したのはおまえだろ」
ありすが来るまで、桐生邸には住み込みの若い組員が数名いて、綾瀬の食事の世話や掃除なども担っていた。
今も昼間は滞在するし、夜間の警備はするが、寝起きする場所は、篤郎が近所のアパートを一棟借り上げ、そこでするように追い出した。
篤郎としては、預かった大事な娘に何かされたら困るという配慮をしたつもりだ。
結果、現在、広い桐生邸に住んでいるのは、綾瀬とありすと、そして泊まり込みをしている篤郎だけで、家政婦がいないと、朝食作りは自然と篤郎の役目になる。
「違う、問題はそれじゃなくて、躾のことだった。ちゃんと、悪いことは悪いことって教えなきゃ。あと、礼儀とかも」
新聞を読んでいる綾瀬は眼鏡をかけている。
美貌に知的さが加わって、エリートビジネスマンのようだ。
その眼鏡越しの目で篤郎を見つめる。
「悪いこと、っていうのは、盗みをするなとか、暴力を振るうなとか、そういうことか。どの口が、そんなこと言えんだ。人にそんな説教出来る立場だと思ってんのか、てめえ」
もっともな反論をされて、篤郎は口籠もってしまった。
「そ、それは…。だけど、躾とか教育とか、大事でしょうが」
「ありすには必要ない。日本の規格にはめなくていい」
ありすは楽しそうに二人のやり取りを聞きながら、篤郎が作った目玉焼きを食べている。
「篤郎、これ、ちょっと硬すぎる」
目玉焼きに文句を言う。
「ほら、これ。せめて、最低限の礼儀は教えようよ」
「必要ないって言ってるだろ」
ありすは綾瀬の言葉に嬉しそうな顔をして、篤郎には舌を出して見せた。
ありすが学校に行ってから、篤郎はまだ、言い募っている。
「ありすには聞かせたくなかったから言わなかったけど、もし、葉月さんが見つからなかったら、ありすは日本で生きていかなきゃいけなくなるんだよ。綾瀬だって、ありすをずっとこの世界に置いておくつもりはないでしょう。だったら、人並のことは教えないと」
綾瀬も、その可能性を考えていないわけではなさそうだった。
それでも、きっぱり言った。
「あれは、頭がいい。教えても教えなくても同じだ。必要なことは自分で習得してくる」
「楽観的なんだね。自分の子供じゃないからなの」
「おまえの子供でもないだろ」
「そう、だけど…」
ありすに対して、篤郎もはじめは興味がなかった。
厄介ごとが増えたと、面倒に思っていたくらいだ。
けれど、綾瀬の命令で世話を焼いているうちに、簡単に情が移って、この頃では責任を感じるようになった。
ありすをちゃんとした、一人前のレディにしなければならない、と思っている。
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