地球防衛軍!

フジキフジコ

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【番外編】Cross Road

前編

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日曜の原宿。
立ち止まることさえ迷惑になりそうな雑踏の中で声をかけられて振り返った。
差し出された名刺を受け取ると、聞いたことのある大手芸能事務所の名前が印刷されていた。
「スカウト?マジで?」

素っ頓狂な声でおどけると、一緒にいた仲間たちが「終夜、スゲえじゃん!」と騒ぐ。
「君なら絶対に売れるよ。挑戦してみないか」
くたびれたスーツを着た三十代前半のスカウトマンは熱心にそう力説した。
「悪いようにはしない。信用して欲しい」

精一杯、誠実さをアピールしてくる男に、終夜は微笑んだ。
目の前の男の頭の中の大部分は、金の心配ごとで占められていた。
次の返済日、利息、取り立て。今日の競馬の結果。
目まぐるしく変化する思考の中、商品として終夜を値踏みすることも怠らない。

(顔とスタイルは申し分ない、最高ランク。高校生くらいか?もう少し若ければアイドルで売れたな。惜しい。舌打ち。この年だとモデルか俳優。待てよ、すでにどこかの事務所に入っているかも。滅多にいない上玉だ)

頭のてっぺんから足の先までを観察しながら、そっちの趣味でもあるのか、男の頭の中で終夜は裸にされていた。
おいおい、オレはそんなにケツ、デカくねーぞ。

心の中で醒めた溜息を吐きながら、終夜は言った。
「でもオレ、音痴なんですよ。演技も出来ないし、ね」

それは、嘘だ。
自分ほど演技の上手い役者はいないと終夜は思っている。
なにしろ日常のすべてが演技なのだから。

長年の研究の末、今風の軽薄でカッコいい人気者を演じるのが自分の容姿に合い、周囲に馴染むということがわかったので、今はそうしている。
ただし目立ち過ぎるというのが欠点だ。
街を歩いていてこんなふうに声をかけられるのは、はじめてではない。

「いいんだよ、演技なんてドラマの2つ3つ出れば、上手くなるから」

(そろそろレースの結果が出るな。どうだった。明日の支払いが出来るのか。取り立て、あいつら今度は会社に来るかな)

金の心配をしながら、必死で口説いてくる男を半ば同情するような目で見て、終夜は答えた。
「興味はあるんですけど、今は学校の勉強に専念したいんです」
「じゃあ、その名刺持ってて。その気になったらいつでも連絡して」
そう言う男を残し、終夜は背中を向けた。

人通りの多い場所で力を使ったために、雑音のような意識の洪水が流れ込んできて、頭が割れるように痛んだが、並んで歩く仲間に向かって笑顔を作り、中身のない会話を盛り上げる。
どんなに大勢の人間の中に埋もれるように歩いても、襲ってくる孤独感を拭うことは出来なかった。



***



3日ぶりに登校すると、教室に見慣れない顔があった。
「終夜、なんだよ、おまえ。サボリ?」
席についた途端に、クラスメートの一人がヘラヘラ笑いながら声をかけてきた。

「まあね。つーか、あれ、誰よ」
窓際の前から3番目の席を指差して、終夜は聞いた。
「ああ、おまえが休んでる間に来た転校生。名前は妃咲涼だって」
「へえ…。なんか随分、澄ましてるね」
「そうそう。ちょっと顔がいいからって、女子が騒いだんだけど、とっつきにくいっつーか、馴染もうとしない、ヘンなヤツなんだよ」

誰もが誰かと喋っている時間に、その転校生は、窓の外をぼんやり眺めていた。
制服が間に合わなかったのか、紺のブレザーの制服の中、一人だけ詰襟の学ラン姿というのも浮いているが、気軽に声をかけにくい容姿をしていた。
他人に興味を持たない終夜が、なぜかその転校生のことは一目見て気になった。

終夜は普段、自分の力に鍵をかけている。
子供の頃はそれが出来なかった。
あまりに普通に入ってくる他人の思考は、まるで耳で聞いているように自然で、聞かれる前に返事をしてしまうような失敗は何度もした。

実の両親には、歩くことが出来るようになる前に養育を放棄された。
腹が減って泣くのは赤ん坊の習性だが、母親がミルクの準備をしようと考えただけで泣きやむのは早過ぎた。
ベビーカーに乗せられ近所のスーパーに買い物に行く道でも、角を曲がる前に、犬を怖がって泣くもの同じだ。
常に勘の良すぎる赤ん坊は、若い父親と母親をパニックに陥らせた。

中学を卒業する寸前まで終夜は、田舎で祖父母に育てられた。
祖父が亡くなったあとは、祖母だけが終夜の家族だった。
祖母は変わった人で、終夜の能力には無頓着だった。
ただ、祖母も終夜が外で力を使うことには感心しなかった。

「いいかい。あたしの心を読むのは構わないけどね、家の外でその力を使ってはいけないよ。そうすることで一番傷つくのは、誰でもない、あんたなんだから」
祖母は事あるごとに、終夜にそう言って聞かせた。

けれど終夜が自分の力を制御する訓練をしたのは、祖母の言いつけを守ったというより、言いつけに背いたために、彼女の言った通りになったから、という方が正しい。
笑顔が可愛かった初恋の女の子は、同じクラスの人気者の女子にライバル心を燃やし、その心は彼女への悪意に満ちていたし、一番仲が良かった友達は、終夜に対して強い劣等感を抱いていたが、終夜が両親と離れて暮らしている理由を詮索し、同情することでその劣等感を帳消しにしていた。
人の心の中を覗いても、苦しくなるだけで、楽しいことなどなにもなかった。

指でシャープペンシルを回しながら、終夜は何気なく、転校生を見ていた。
終夜の席からは、真剣に黒板を見つめているらしい彼の後頭部が見えるだけだった。
妃咲涼、ねえ…。

興味本位で他人の頭を覗くことは普通はしない。
その結果、知りたくなかったことを知るだけだと経験で知っている。
それなのに、なぜか終夜はほとんど無意識のうちに妃咲涼の心を覗こうとしていた。

集中して、精神の波動を合せる。
そっと、寄り添うように。
次第に、彼の感じていること、考えていることが、クリアに自分の頭に入ってくる、はずだった。
え…?
終夜がおかしい、と違和感を感じた瞬間、妃咲涼が肩越しに振り返った。
その目はまっすぐ、終夜を見ていた。



***



「おい、待てよ!」
校門を出たところで、終夜は涼に追いついた。
立ちどまって振り返った涼は、自分を呼びとめたのが終夜だと認めて、何も言わずにまた歩き出した。
「待て、つってるだろ。妃咲涼!」
慌てて追いかけて隣に並んで歩くと、愛想のない声で「なんの用だ」と言った。

「つめてー。クラスメートがおまえとお近づきになろうと思って、一緒に帰ろうって誘ってんだ。ちっとは、ありがたがれよ」
「迷惑だ」

涼のもの言いに、終夜は面食らった。
確かにこの転校生は、クラスに馴染もうという気はないらしい。
ムカついたが、興味の方が勝った。

「なあ、制服、間に合わなかったのか。よかったら、オレの貸そうか。だけど、アレだな、そっちの学ランの方が、おまえには似合ってそうだな。なんか硬派でいいなあ」
返事が返ってこなくても、終夜は一方的に話しかけて歩いた。

川べりを30分近く歩いて、新築の高層マンションの前で涼が立ち止まった。
気づかずに先を歩いた終夜は隣に涼がいないことに気づいて振り返る。
「なんだ、着いたのか。おまえんち、ここ?シーサイドマンションってカンジの高そうなとこだな」
涼は威圧的な視線でさっさと帰れと言っている。
構わずにマンションに入れば、さすがの終夜も中まで着いていくつもりはなかったのに、妙なところが律儀な奴だなあと感じた。

「涼」
そのとき、涼を呼ぶ声がして、涼と終夜は一緒に振りかえった。
会社帰りといった風情のスーツ姿の男が、歩いてくる。
片手にはスーパーの買い物袋を提げていた。

「友達か」
二人の側まで来て、男が涼に聞いた。
「別に」
素気なく答える涼の声に被せるように終夜は言った。
「友達です。妃咲君のお父さんですか。僕は終夜タケルと言います」
「涼の父です。転校が多くてなかなか友人が出来ないんですが、よかったら仲良くしてやってください」
「そりゃあ、もう。まかせてください」
涼の父親はにこやかに目を細めて笑った。
眼尻と顎のラインが、涼によく似ていた。

「そうだ、終夜君、良かったら夕飯、食べていきませんか。すき焼きでもしようと思ってたところなんです」
手に持っていたビニール袋を持ち上げて言った。
袋からはネギが見えていた。
「男二人で鍋を囲むのも寂しいんで、ぜひどうぞ」
「え?いいんですか。じゃあ、遠慮なく」
チラッと横目で涼を見ると、盛大なため息を吐いていた。

部屋に入ると、涼は父親からスーパーの袋を受け取りキッチンに立った。
学ランの上着だけ脱いで、無造作にダイニングテーブルの椅子にかけ、制服のシャツのまま野菜を洗いはじめた涼に、終夜が驚く。

「おまえが作んの。出来るのか。とてもそんな風に見えねえんだけど」
「うるさい、黙れ」
終夜の懸念した通り、涼の包丁を持つ手つきは見ていてかなり危なかしいものだった。

「わっ!切る!指、切っちゃうって、そんなんじゃ!貸せ、オレがやる」
強引に涼の手から包丁を奪って、終夜は手際良く野菜を刻みはじめた。
室内着に着替えてきた涼の父親が、終夜の手元を覗き込んで「うまいねえ」と感心した。

「わたしと涼は、どっちも料理は不得手でね、いつもはスーパーの惣菜や出前ですませることが多いんですよ」
「オレは一人暮らしで自炊してるんで、料理慣れてるんですよ。ほら、ぼさっとしてないで涼も着替えて来いって。そんで、コンロの用意して。あ、お父さん、鍋はどこですか」
終夜は、他人の家のキッチンを完全に支配していた。

食事の間、親子の間には弾むような会話はなく、ほとんど終夜と涼の父親が話をした。
終夜は涼の父親が大学病院に勤める外科医だということや、妻とは離婚したこと、涼に弟がいて、弟は母親と暮らしていることなどを知った。
親子は言葉を交わさなくても、仲が悪いというのではなさそうだった。

涼は学校だけでなく家の中でも無口らしい。
言葉を交わさなくても、この親子の間には確かな信頼関係があった。
終夜は軽い失望を感じた。

なぜそんな風に思ったのかはわからないが、涼には自分と同じような孤独の匂いがした。
もしかしたら、涼も、自分と同じように家族がなく、天涯孤独なのではないか、そう思った。
けれどそれは間違いだった。
涼には家族がいて、家庭がある。
自分のように一人ぼっちではない。




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