HEAVENーヘヴンー

フジキフジコ

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【第三章】HEAVEN'S DOOR

6.離婚届け

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死んだと思っていた真理と馨が実は生きていたというニュースは、大輔にとっていろんな意味でショックだった。
もちろん、二人の無事は嬉しかった。
よかったと、安堵もした。
けれど同時に、悪い予感がしてならなかった。

「あーあ」
寝不足のだるい体をひきずって、大輔は真理と馨が暮らす家を訪ねた。
事故が原因で記憶を失っているという真理に、自分のことがわかってもらえるか定かではなかったが、大輔にはどうしても彼に会わなければならない理由があった。

瀟洒な戸建てが整然と立ち並ぶ閑静な住宅街で、目的の家の前で立ち止まり、ポケットの中からくしゃくしゃになった薄っぺらい紙を取り出して、破らないようにそっと広げる。
震えた文字で書かれた杏理の名前を見て、大輔はまた深いため息を吐いた。
「なんでかなあ…」
予感が現実となってしまったことを示すその紙を、大輔はじっと見つめた。



***



久し振りに会った真理は以前に比べてずっと小さく頼りなく感じられた。
玄関で大輔を見上げる不安そうな瞳は、かつては強い輝きを放って、人々を魅了していた。
それほど遠い過去のことではないのに、懐かしいという気持ちに胸がつまる。
自分の知っている水波真理はもういないのだと、唐突に大輔は感じた。

「真理君…あの、久し振り…です」
戸惑いながら、声をかけた。
「えっと…あの、オレは…」
「…大輔、だろ」
真理に正しく名前を呼ばれて、少しほっとする。
取りあえず、話は出来そうだ。
「わかるの?」
真理は微笑んで、大輔に「上がって」と言ったあと、先導して歩きながら言う。
「馨からいろいろ聞いたし、ビデオとかも見て、覚えたんだ」
ああ本当に記憶がないんだ、そう思うと寂しさに胸が痛む。
今は立場も状況も全く変わってしまったとはいえ、真理と一緒に過ごした歳月は、大輔にとっては大切な、一番輝いていた頃の思い出だ。

通されたリビングは、馨の好みなのかヨーロッパ調の家具で統一されたいかにもセンスの良い部屋だった。
そういえば二人の部屋に来たのはこれがはじめてだ。
不破の渡米のせいで活動を休止していた最中、真理の自殺未遂や、真理と馨の同性愛報道で大輔もマスコミに追いかけられて、とても二人と接触出来る状態ではなかった。
落ち着いたら遊びに行くから。
そう約束したけれど、結局、今まで来る機会はなかった。
そして、この部屋に来ることはもう二度とないだろう。

「あの…何か用?馨に?」
そう問う真理の瞳は、大輔のなかに自分の記憶に関する何かを探しているようだった。
心身ともに弱りきってる真理を追いつめるようなことはしたくなかったが、杏理のことを思うとそうも言ってられない。

「ううん、君にっていうか、不破君にこれ、渡して欲しくて。杏理から預かってきたから」
テーブルの上に何度も見たその紙を置き、細い指がそれを広げるのをじっと見つめる。
真理の顔が一瞬にして強張った。

「…離婚届け。どうして…」
小さく呟くと、真理はそれっきり黙って俯いてしまった。
「どうしてって…それは、オレが聞きたいくらいだよ」

杏理が、泣きながらサインした離婚届けを目の前にして震えている真理の小さな肩はやはり頼りなくて、大輔は感じている怒りをどこにぶつけたらいいのか分からなくなった。
テーブルの上に置かれた離婚届けをぼんやり見ながら、大輔は不破と杏理の二人の間に起こったことを思い出していた。

真理と馨が無事でいることがわかってしばらくして、不破は杏理に別れを切り出した。
その頃、杏理がひどく塞いでいたこともあって、たまたま遊びに来ていた大輔はそのやり取りを聞いてしまった。

「別れるって…不破君、なに冗談言ってるの」
黙って話を聞いている杏理に耐えかねて、大輔は二人の話に口を出してしまった。
「あいつにはオレが必要なんだ」
苦々しくも、どこか確信に近い強い口調で不破は言った。

焦る大輔に比べて杏理の方は、こういうことが起こることを知っていたように落ち着いていた。
「あいつって、真理君のこと?だって、真理君には馨君がいるじゃん」
「真理はオレでないとダメなんだよ」
「そんなの、尊の思いこみよ」
突き放したような冷めたい口調で杏理が言った。
強がっていても、本当は追いつめられて精一杯緊張しているのだということが大輔にはわかった。
「…杏理」
「真理が尊を必要としてる?どうしてそう思うのよ?尊のことだけ思い出したから?それがなんなの?どうかした?!」
杏理は錯乱したようにそう叫んで、あとはただ泣きじゃくるばかりだった。

大輔は愕然とした。
不破と真理の関係は知っていたが、まさかこんな結果になるとは思ってもいなかった。
「サイアクだよ…」
いつか見た不破と真理の姿を思い出して、大輔は小さく呟いた。

「私はイヤよ!絶対に別れないから」
頑として言い張る杏理に「よく考えてくれ」と言い残して、不破は部屋を出て行った。
その日から大輔は杏理が心配で、今までずっと側にいた。

「君と不破君がずっと付き合ってたのはオレも知ってたよ。でも仕方ないのかなって、思ってた。要するに、不倫みたいなもんじゃない。そういうのって、なんか、どうしようもないもんね。杏理はそれでも不破君のことを好きで、一緒にいたいみたいだったし、オレには何も言えなかった」
目の前の小さな身体がピクリと動く。
「不破君は、いつかきっと杏理のところに戻ってくるんだろうと、オレは単純に思ってたんだ。実際、君たちが死んだと思って落ち込んでいた不破君を支えてたのは杏理だったし、はじめこそ偽装結婚だったけど、結局、二人はちゃんと入籍もしたわけだし」

不破の度重なる説得に怒って、叫んで泣いて喚いて、暴れてボロボロになっていく杏理を目の前にして、大輔は理不尽でしょうがなかった。

誰が、どんな権利があって、こんなにも人を傷つけるのだろう。
自分たちの愛だけが真実で尊く、貫く価値があると思いこんでいるような不破の言動に、大輔は怒りを感じずにはいられなかった。

「真理君にこんなこと言うのは卑怯だと思うけど、不破君をその気にさせているのは君なんだよ。ねえ、そんなに不破君が大事?不破君がいないと生きていけないくらい?」
はっとしたように真理は顔を上げたが、俯いて頭を振った。
「オレは…わからない…」
「オレね、本当は不破君の気持ちは、少しだけわかるんだ。人間は勝手だし、そんなに力もないから、自分の大事な人を守るだけで精一杯で、他のことは考えられないんだよね。オレも、杏理が一番大事で、杏理を守るためならどんなことでもしてあげたいって思うから、だから、不破君の気持ちはわかるよ」

過去の記憶がない真理を、責めても仕方ないと思う。
だけど、真理がこんなにも頼りない状態だから不破は真理を放っておけないと思ったのだろう。
それはやっぱり真理の責任でもあるはずだ。

「わかるけど、でも、許さない。二人のこと、許さないから」
何を言われても、真理は反論するつもりはないようだ。
罪を認めて、ただ大人しく罰を受けてる罪人のように俯いている。

「……杏理は?」
真理の気遣いの中には自らの罪の意識が感じられた。
「精神的にだいぶまいっていて、今は、病院に通ってる。でも、杏理のことは心配しなくていいよ。オレが、ついているから。君たちはもう杏理に関わらないで。これ以上、傷つけないでよ。君たち二人は、二人の好きにすればいいから」
1日も早く杏理を立ち直らせたい、今の大輔にはそれ以外の望みはない。

「……大輔」
大輔の突き放すような言い方に、真理は寂しげな顔をする。

けれど自分の意思がまったく感じられない、まるで傍観者のような真理の煮え切らない態度に、大輔は苛立った。
「オレ、真理君のこと、ずっと好きだったよ。芸能界に入った頃はオレなんか全然子供で、世話になったこと、感謝もしてる。真理君がいなければ、芸能界で仕事をしている今のオレはいないと思う」
感謝の言葉を述べる大輔の口調は、あまりに冷たかった。
一瞬、黙ったあと、大輔は言った。
「だけど、オレは、君に幸せになって、とは言えない。こんなに人のこと傷つけておいて、それで自分だけ幸せになっていいのかなって思う」

その言葉には、真理に対する決別の意味が込められていた。
真理は、自分が馨だけでなく、大輔も、そして実の妹の杏理も失ったのだと知った。
たとえ記憶がなくても、同じ時を共に生きた大切な仲間だということは理解していたので、それをただ寂しいと感じた。

なにひとつ、自分で選んだことでないとは言え、自分はすべてを捨てて、不破の元にいく。
帰る場所も、戻る場所もない。
真理にはもう不破しかいなかった。



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