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12望んでいること
皇太子は幼馴染との再会に感無量といった様子で、人目も憚らずにハヤセを抱き寄せた。人の出入りが無くなった宮殿の中身は、がらんどうとはいったもののそれでも僅かに人がいる。事情を知らない人がこちらを見たら、きっとあることないこと勘違いしてしまうだろう。
「ようやく会えた」
頭上から降ってくる低い声には強さと慈しみが感じられた。ハヤセの肩を抱く武骨な手に力がこもっていく。
「心配したんだぞ」
「殿下……」
「いくら人を遣っても、ずっとお前の安否がわからなかったから。ずっと……消えて居なくなったのかと思ってた」
お互いの息遣いが聞こえてきそうなほどの距離。密着した面が燃えるような熱を孕んでいく。
「本当に心配したぞ…………」
目線を上に移動させると、どれだけ近くに皇太子の顔があるかがわかる。無邪気であどけなかった頃のものとは違った大人びた微笑み。彫刻のように磨かれた顔が、口角を上げてみるとこんなにも人間らしい温かな表情になるのかとハヤセは小さく驚いた。
「殿下、申し訳ありません。この半年間の内に一度でも便りを送ろうとしなかったのは私の浅はかさ故です」
「いいんだ。俺も俺でもっと身近なところに気をつけるべきだった。まさかハヤセが女官として出仕していたとはね」
ようやく肩を離されたとはいえ、外界の音を入れないためにも結局二人は近く添うようにしていた。軍服につけられた香油の匂いが鼻の奥に詰まる。
「今まで御存知ではなかったのですか?」
「留学中はまったく知らなかったよ。大陸に戻って来てからは噂をつまみながら、少しずつ」
ハヤセは意味が分からないというように首を傾げた。予想していた状況と違う。皇太子には、近侍やイザベル辺りが情報を共有しているものだとばかり思っていた。少なくとも目の前の男は自分の身の上を知っているだろうと、そうずっと意識していた。
「どうして女官になったんだい?」
相手は至極真っ当な問いを発してくる。それはそうだ。濃紺のロングドレスにフリルの付いた白い前掛け。かねてよりの男友達がこんな格好でいたら、どうしても気にせずにはいられないだろう。
「それは……」
「ああ、言いたくなければ言わなくても良い。ハヤセが選んだのならそれほど居心地がよかったのだろうね」
皇太子がさっと潔く制した。抱擁が解かれてから、ハヤセはキョロキョロと目だけを動かして周囲を確認している。それを相手はハヤセがモジモジと言い淀んでいるのだと勘違いしたらしかった。
なによりも今はただ時間が惜しい。
出戻ってきた兵士や使用人の姿はない。貴族も奥へと移動が完了している。あとは誘導が滞りなく進められているか、個室で別個に問題が生じていないか確かめる必要がある。とにかく身の上話をしている余裕など最初からないのだ。
ただ実際のところ、複雑な心境ではあった。自分が女装しているのを、幼馴染はどういう気持ちで見ているのかと。考えれば考えるだけ気恥ずかしくなってくる。元々の理由である、廃嫡の件をどういう顔で伝えるべきかわからなかった。
「あの殿下。そろそろ…………」
「時間が」と消え入りそうな声で呟くと、相手は伏し目がちになってしまった。ゆっくりと茶でも飲みながら語り合いたい。式典も貴族のことなんかも忘れて、今だけは昔日の面影を追っていたい。だがそんな我儘を言えるわけがなかった。
「そう……か。行かなければいけないんだったな」
「申し訳ありません。まともに時間もとれず」
「いやいいんだ。それにこれからは同じ建物の中だ。いつでもお互い会えるようになる。留学の話をお前にたっぷりと話してやるから覚悟しておけよ?」
明るく笑いながら、皇太子はまた自分の席に戻っていった。彼は騒ぎが止むまでここに居続けるらしい。その広い背中を一瞥してから、ハヤセもまた自分の持ち場へと急いだ。
~~~~~
無限に続くような長い廊下を突き進んでいく途中、部下の何人かと鉢合わせになればいちいち声をかける。問題がなければ何より。おかしいことがあったらすぐに大きな声で叫ぶようにと伝えておく。貴族たちが手薄な宮殿で何をしでかすかわかったものではない。
この指示を何回も繰り返し、二階、三階へと宮殿の中を巡回していくと、案の定どこからか甲高い叫び声が聞こえてくる。外の音をもろともしない歯切れのある響きだ。位置は二階であろう。ハヤセは飛ぶようにして全速力でそちらへ向かっていく。
「どこで問題があったの?」
「女官長!!あちらの廊下です。誘導に一向に従おうとしないのです」
何人かの女官がわざわざ階段で待機してくれている。皆が蒼白一色の顔をしているのにハヤセは気をやった。
「迷惑なお客には誰があたっていますか」
「イヴです。彼女がなんとか時間を稼いでくれています」
ハヤセは感嘆の声を漏らしてから、先ほどよりも落ち着いた足取りで進んでいった。部下が指し示す方向には確かに人がいる。
禿頭の男の頭が特に目立っている。それにあまりに近づきすぎると、男が怒りに任せて不平のようなものを隣りの女性にぶつけているのがわかってきた。
「いったいいかがなさいましたか?」
できるだけ柔らかい声で、丁度よい距離に立ちながら男に向かう合う。
「貴様は?」
「女官長代理、ハヤセ・レイフィールドでございます。ストロガノフ候爵でいらっしゃいますね?」
男はふんと鼻息を立てた。式の最前列にいたこの貴人を知らない者などいない。
「ようやくまともそうなのが来たわい。このヒヨッコでは相手にならなくてな」
イヴは唇を固く引き締め、涙を堪えるようにしていた。まるで叱りを受けた子どものように彼女は縮こまってしまっている。
「何か彼女に不手際がありましたか」
「それもあったが、問題はそこではないのだ女官長殿。なぜワシがあんな狭苦しい小部屋に押し込められなくてはいけないのか。無性に腹が立っておるのだ」
失望を滲ませながら男が自身の頭を撫でる。
「あの群衆を見たかね?とても式を再開するなどできんことだろう。うるさいったらありゃしない」
これにはハヤセ個人も同意見だった。短時間で解決するものでもなし、皇太子の人気ぶりを踏まえると今日一日はうるさいままであろう。だが女官としてはこれに同調することはできない。立場もある。どうぞ自由にお帰り下さいなどとは口が裂けても言えない。
「衛兵たちが鎮めている最中です。どうかしばらくの間だけ、我慢していただけると助かるのですが」
「そんなにワシを引き留めたければ、もっと十分にもてなしてくれないとだな。こちらとて時間を切り崩して来ているのだぞ?」
威圧的な物言いが続く。そもそも男にあてがった部屋は来賓用の寝泊まりに使う部屋だったはず。このような苦情を受けつけないために毎日精緻に整えられてあるものだ。批判されることすらおかしい。
ハヤセの後ろに控えていた女官たちの、ひゅっという呼気が聞こえてくる。彼女たちの顔面蒼白ぶりが見ずともわかる。
ストロガノフ侯爵の娘は、アルベール皇太子の許嫁である。それだから男の持つ権威に畏怖することは決しておかしいことではないのだ。
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