13 / 75
13去るもの来るもの
「とにかく、不平不満もありましょうが今だけは耐えてください」
ハヤセはこの一点張りで頑として譲らなかった。禿げあがった男がおでこに皺を寄せようが、怒りで声を荒げてこようが同じことを言う。権威を振りかざしてこようとも巧みに受け流し、絶対に退くことはしない。
喚くだけ喚かせてキリの良いところで相づちを打つ。これだけの動作でも、相手のすごい剣幕に気圧されそうになる。
「何の生産性もない時間を過ごしたくはないのだよ。わからんかね?」
女官がそれを聞いたとしてもただの頷く人形にしかなれない。女官長の権限など、目の前の男や帝国宰相に比べれば毛虫のように小さなものだ。この言葉を吐き捨てる時間こそ無駄であろうとハヤセは突っ込みたくなる。
ストロガノフ侯爵は若き頃より出世の階段を駆けあがり、今やロイス帝国の中枢を担う外交本部長の肩書きを手にしている。外交手腕などここでは見るかげもないのだが、仕事となれば事情は別なのかもしれない。ハヤセの胸中は思うところありだが、とにかく国の要ともいえる大物でおまけに娘が皇太子妃の身分を約束されている。
こんな強権の男に弄られなじられたりでもしたら女官も震えあがるに決まっていた。
「レイフィールドには堅物が多いと聞くが、どうやらそれは本当だったらしい」
男の皮肉のこもった一言にハヤセはにっこりと愛想をふりまいた。事実であろう。取り澄ました典型的な貴族家で、武威を誇ってばかりの時代遅れには妥当な評価といえた。
「よく言われます」
「顔も声も極上なのにのう…………。生まれる家を間違えたな女官長殿」
初めて心に棘が突き刺さる。なるほど、こうして個人に精神攻撃をしてくるのがお得意の技らしい。イヴにもこれを仕掛けたのかと思うと相当憎たらしい男に見えてくる。
「お褒めの言葉と受けとっておきます」
「昨日も見ておったぞ?まるで女神が天上から舞い降りたかのような美しさだった。いや見事なものでレイフィールドの至宝とはあながち間違いではないと思ったわい」
「はぁ」
「が、どうやら本当に運が悪いらしい。アルベール殿下にあの晴れ姿を見せられなかったのは残念であったな。どうせ殿下に取り入ろうと懸命に着飾ったのであろう?」
これはとんでもない勘違いをしていると、ハヤセは呆れて言葉が出てこなかった。
昨日は確かに自分にはもったいない着飾りもしたことだが、あれもこれも全部女官たちが手掛けてくれたに過ぎない。一人では着付けすらまともにできないし、宝飾も借り物だ。
そんな仮初の女装でアルベール皇太子を誘引しようなど正気の沙汰ではない。ストロガノフ侯爵は女性のプライドを折るための言葉を選んだつもりであろうが、相手が悪かった。
「のう女官長殿」
「これ以上の戯言はお慎みになられた方がよろしいかと」
もう付き合っていられないと表情を開いて、ハヤセは男を睨みつける。それに反応して相手は「怖い怖い」と道化みたいにおどけていた。
廊下の攻防は長いこと続いたが、ハヤセの意地の強さが衰えることはなかった。まるで石のように動じないハヤセに諦めがついたのだろう。ストロガノフ侯爵の癇癪も段々と抑まっていき、腫れ物が取れたような顔付きをしている。恐ろしいくらいに男は情緒の切り替えが早かった。
暇つぶしに女官をいじめるなど悪趣味甚だしいが、男にはその程度の戯れだったのかもしれない。呆気なく怒りを沈め、何を言うでもなく案内されていた部屋に戻っていく。
「侯爵の様子は逐一知らせなさい」
「はい女官長」
後方の女官が一人、その足取りを追う。ちらとハヤセはイヴの顔を見た。憔悴と怯えに染まる目が痛々しかった。まだここに来て数月の彼女には、貴族の扱い方も教えていなかったとハヤセは後悔した。
「大丈夫。何を言われても落ち込まないことよ」
励ましの声などいらないかとも考えたが無理だった。
~~~~~
燃えたぎる紅蓮の雲霞が、もうすぐ太陽の入眠に迫っていることを教えてくれる。鳥の群れが影絵のように右から左へゆったり大空を滑っていく。硝子越しに見える空は美しくもあり物寂しくもある。それなのに耳に触れる音は朝からずっと同じだった。何も動きはない、ただの待機が続く。これならば記念式など無いのと変わらない。
このまま夜が来るのかと憂鬱を漏らし、暇を持て余しながら宮殿内にただいる。
「今は、お暇かな?」
ハヤセが漫然と立っている廊下の十字路。個室を見渡せるその場所に人影が立っている。物音も衝撃もなく最初からそこに居たかのように人が映る。隙を突かれてハヤセは驚き、動揺した。
影から現れたのは猛獣。その不気味な笑みを見ると、ハヤセは膝の力が抜けていくのを止められなかった。
「父上………」
「こちらへ来い。人通りのない場所で話そうじゃないか」
あなたにおすすめの小説
【完結】一生に一度だけでいいから、好きなひとに抱かれてみたい。
村松砂音(抹茶砂糖)
BL
第13回BL大賞で奨励賞をいただきました!
ありがとうございました!!
いつも不機嫌そうな美形の騎士×特異体質の不憫な騎士見習い
<あらすじ>
魔力欠乏体質者との性行為は、死ぬほど気持ちがいい。そんな噂が流れている「魔力欠乏体質」であるリュカは、父の命令で第二王子を誘惑するために見習い騎士として騎士団に入る。
見習い騎士には、側仕えとして先輩騎士と宿舎で同室となり、身の回りの世話をするという規則があり、リュカは隊長を務めるアレックスの側仕えとなった。
いつも不機嫌そうな態度とちぐはぐなアレックスのやさしさに触れていくにつれて、アレックスに惹かれていくリュカ。
ある日、リュカの前に第二王子のウィルフリッドが現れ、衝撃の事実を告げてきて……。
親のいいなりで生きてきた不憫な青年が、恋をして、しあわせをもらう物語。
※性描写が多めの作品になっていますのでご注意ください。
└性描写が含まれる話のサブタイトルには※をつけています。
※表紙は「かんたん表紙メーカー」さまで作成しました。
【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】
彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』
高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。
その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。
そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?
親友と同時に死んで異世界転生したけど立場が違いすぎてお嫁さんにされちゃった話
gina
BL
親友と同時に死んで異世界転生したけど、
立場が違いすぎてお嫁さんにされちゃった話です。
タイトルそのままですみません。
「オレの番は、いちばん近くて、いちばん遠いアルファだった」
星井 悠里
BL
大好きだった幼なじみのアルファは、皆の憧れだった。
ベータのオレは、王都に誘ってくれたその手を取れなかった。
番にはなれない未来が、ただ怖かった。隣に立ち続ける自信がなかった。
あれから二年。幼馴染の婚約の噂を聞いて胸が痛むことはあるけれど、
平凡だけどちゃんと働いて、それなりに楽しく生きていた。
そんなオレの体に、ふとした異変が起きはじめた。
――何でいまさら。オメガだった、なんて。
オメガだったら、これからますます頑張ろうとしていた仕事も出来なくなる。
2年前のあの時だったら。あの手を取れたかもしれないのに。
どうして、いまさら。
すれ違った運命に、急展開で振り回される、Ωのお話。
ハピエン確定です。(全10話)
2025年 07月12日 ~2025年 07月21日 なろうさんで完結してます。
家を追い出されたのでツバメをやろうとしたら強面の乳兄弟に反対されて困っている
香歌奈
BL
ある日、突然、セレンは生まれ育った伯爵家を追い出された。
異母兄の婚約者に乱暴を働こうとした罪らしいが、全く身に覚えがない。なのに伯爵家当主となっている異母兄は家から締め出したばかりか、ヴァーレン伯爵家の籍まで抹消したと言う。
途方に暮れたセレンは、年の離れた乳兄弟ギーズを頼ることにした。ギーズは顔に大きな傷跡が残る強面の騎士。悪人からは恐れられ、女子供からは怯えられているという。でもセレンにとっては子守をしてくれた優しいお兄さん。ギーズの家に置いてもらう日々は昔のようで居心地がいい。とはいえ、いつまでも養ってもらうわけにはいかない。しかしお坊ちゃん育ちで手に職があるわけでもなく……。
「僕は女性ウケがいい。この顔を生かしてツバメをしようかな」「おい、待て。ツバメの意味がわかっているのか!」美貌の天然青年に振り回される強面騎士は、ついに実力行使に出る?!
【16話完結】スパダリになりたいので、幼馴染に弟子入りしました!
キノア9g
BL
モテたくて完璧な幼馴染に弟子入りしたら、なぜか俺が溺愛されてる!?
あらすじ
「俺は将来、可愛い奥さんをもらって温かい家庭を築くんだ!」
前世、ブラック企業で過労死した社畜の俺(リアン)。
今世こそは定時退社と幸せな結婚を手に入れるため、理想の男「スパダリ」になることを決意する。
お手本は、幼馴染で公爵家嫡男のシリル。
顔よし、家柄よし、能力よしの完璧超人な彼に「弟子入り」し、その技術を盗もうとするけれど……?
「リアン、君の淹れたお茶以外は飲みたくないな」
「君は無防備すぎる。私の側を離れてはいけないよ」
スパダリ修行のつもりが、いつの間にか身の回りのお世話係(兼・精神安定剤)として依存されていた!?
しかも、俺が婚活をしようとすると、なぜか全力で阻止されて――。
【無自覚ポジティブな元社畜】×【隠れ激重執着な氷の貴公子】
「君の就職先は私(公爵家)に決まっているだろう?」