跡取りはいずこへ~美人に育ってしまった侯爵令息の転身~

芽吹鹿

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13去るもの来るもの


 「とにかく、不平不満もありましょうが今だけは耐えてください」


 ハヤセはこの一点張りで頑として譲らなかった。禿げあがった男がおでこに皺を寄せようが、怒りで声を荒げてこようが同じことを言う。権威を振りかざしてこようとも巧みに受け流し、絶対に退くことはしない。


 喚くだけ喚かせてキリの良いところで相づちを打つ。これだけの動作でも、相手のすごい剣幕に気圧されそうになる。


「何の生産性もない時間を過ごしたくはないのだよ。わからんかね?」


 女官がそれを聞いたとしてもただの頷く人形にしかなれない。女官長の権限など、目の前の男や帝国宰相に比べれば毛虫のように小さなものだ。この言葉を吐き捨てる時間こそ無駄であろうとハヤセは突っ込みたくなる。


 ストロガノフ侯爵は若き頃より出世の階段を駆けあがり、今やロイス帝国の中枢を担う外交本部長の肩書きを手にしている。外交手腕などここでは見るかげもないのだが、仕事となれば事情は別なのかもしれない。ハヤセの胸中は思うところありだが、とにかく国の要ともいえる大物でおまけに娘が皇太子妃の身分を約束されている。

 こんな強権の男に弄られなじられたりでもしたら女官も震えあがるに決まっていた。



「レイフィールドには堅物が多いと聞くが、どうやらそれは本当だったらしい」


 男の皮肉のこもった一言にハヤセはにっこりと愛想をふりまいた。事実であろう。取り澄ました典型的な貴族家で、武威を誇ってばかりの時代遅れには妥当な評価といえた。


「よく言われます」


「顔も声も極上なのにのう…………。生まれる家を間違えたな女官長殿」


 初めて心に棘が突き刺さる。なるほど、こうして個人に精神攻撃をしてくるのがお得意の技らしい。イヴにもこれを仕掛けたのかと思うと相当憎たらしい男に見えてくる。


「お褒めの言葉と受けとっておきます」


「昨日も見ておったぞ?まるで女神が天上から舞い降りたかのような美しさだった。いや見事なものでレイフィールドの至宝とはあながち間違いではないと思ったわい」


「はぁ」


「が、どうやら本当に運が悪いらしい。アルベール殿下にあの晴れ姿を見せられなかったのは残念であったな。どうせ殿下に取り入ろうと懸命に着飾ったのであろう?」


 これはとんでもない勘違いをしていると、ハヤセは呆れて言葉が出てこなかった。
 昨日は確かに自分にはもったいない着飾りもしたことだが、あれもこれも全部女官たちが手掛けてくれたに過ぎない。一人では着付けすらまともにできないし、宝飾も借り物だ。


 そんな仮初の女装でアルベール皇太子を誘引しようなど正気の沙汰ではない。ストロガノフ侯爵は女性のプライドを折るための言葉を選んだつもりであろうが、相手が悪かった。


「のう女官長殿」


「これ以上の戯言はお慎みになられた方がよろしいかと」


 もう付き合っていられないと表情を開いて、ハヤセは男を睨みつける。それに反応して相手は「怖い怖い」と道化みたいにおどけていた。

 廊下の攻防は長いこと続いたが、ハヤセの意地の強さが衰えることはなかった。まるで石のように動じないハヤセに諦めがついたのだろう。ストロガノフ侯爵の癇癪も段々と抑まっていき、腫れ物が取れたような顔付きをしている。恐ろしいくらいに男は情緒の切り替えが早かった。


 暇つぶしに女官をいじめるなど悪趣味甚だしいが、男にはその程度の戯れだったのかもしれない。呆気なく怒りを沈め、何を言うでもなく案内されていた部屋に戻っていく。


「侯爵の様子は逐一知らせなさい」


「はい女官長」


 後方の女官が一人、その足取りを追う。ちらとハヤセはイヴの顔を見た。憔悴と怯えに染まる目が痛々しかった。まだここに来て数月の彼女には、貴族の扱い方も教えていなかったとハヤセは後悔した。


「大丈夫。何を言われても落ち込まないことよ」


 励ましの声などいらないかとも考えたが無理だった。


~~~~~


 燃えたぎる紅蓮の雲霞が、もうすぐ太陽の入眠に迫っていることを教えてくれる。鳥の群れが影絵のように右から左へゆったり大空を滑っていく。硝子越しに見える空は美しくもあり物寂しくもある。それなのに耳に触れる音は朝からずっと同じだった。何も動きはない、ただの待機が続く。これならば記念式など無いのと変わらない。

 このまま夜が来るのかと憂鬱を漏らし、暇を持て余しながら宮殿内にただいる。


「今は、お暇かな?」


 ハヤセが漫然と立っている廊下の十字路。個室を見渡せるその場所に人影が立っている。物音も衝撃もなく最初からそこに居たかのように人が映る。隙を突かれてハヤセは驚き、動揺した。

 影から現れたのは猛獣。その不気味な笑みを見ると、ハヤセは膝の力が抜けていくのを止められなかった。


「父上………」


「こちらへ来い。人通りのない場所で話そうじゃないか」
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