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56イヴの受難~甘いもの②~
妃の侍女に指名された大半は宮内の叩き上げ、つまり元は社交と縁のない身分の者たちであるという。イヴのように女官出身の人間はいるにはいたが少数派。これもまた妃の身の上を考えての人選であった。
左殿の奥の奥。皇家の部屋しかない渡りを、一行は歩いていくこととなる。挨拶の準備も、まともな化粧もしてこなかったと後悔するのが複数人いた。今になって文面を頭に思い浮かべたり、手鏡を開いたりと忙しないことである。
「おお。こちらだ」
白いものが交じる高潔そうな老人が待っていた。彼が皇太子付きの執事であることは、なんとなく女性たちも認知している。
彼は新しい制服や特別な印章、監視棟に見せる許可証を皆に配っていった。イヴは初めて自分の名が入ったハンコを目にすることになる。
「手元に渡ったか?では一度、主にお目通りしようか」
開かれる扉。誰も何も聞かなかったが、おそらく妃の自室だった。
そこはまた、かつて入ったどの部屋よりも精巧なものであった。扉の先にまた扉。空間の奥に一回り小さな小部屋が待ち構える入れ子のようなつくりになっている。
枝分かれする部屋が目を惑わす。どこもかしこも調度が輝いていて、目印となるものが多すぎる。
イヴに言わせれば、生活感もなければ見分けもつかない、実用を感じさせない室内だなという印象がした。
最奥には陽にあたる人々が佇んでいた。部屋の四隅に配された衛兵は、中央を直視しないように奇妙にそびえ立っている。
「殿下、ハヤセ様。新しい侍女が到着いたしました」
鎧の武人たちに囲まれるのは雲上人。群を抜いて目を引く逞しい見た目と、目の彫り。その鎮座する姿だけで女たちはため息を漏らした。
光の加減で見えていなかった。目を凝らすと、さらさらと風に黒い髪がなびいているのがわかる。
よくよく確認すると、貴人の懐には実寸の人が眠っているではないか。わざとなのか、手をあえて付けすぎず、花を持つように大事そうに抱きしめてられている。
「ハヤセ……起きろよ。お前の従者が来たって」
なんと耳に馴染む声だろう。それにあの二人の睦まじい姿。
「…………ん」
「母上が言っていただろ。お前の新しい侍女たちだよ」
「僕の?」
むくりと起き上がった人の容姿にまた度肝を抜かれていく。二つのご尊顔が天の上の花園を想わせる。イヴもその衝動を抑えながら、深々とお辞儀した。
髪をかき上げる元上司。すっかりあの頃とは変わって解放的になったとイヴは感嘆とした。
昔の怜悧そうな一つ結びの髪の束は、今では解かれた後ろ髪が自由に辺りを散らしている。
冷気をまとう氷のような美しさと以前なら言えただろうが、この姿では蜜のように甘ったるそうな。
「イヴ。来てくれたんだ」
いや蜜ほど甘い猛毒のほうが喩えにふさわしいか。
彼の笑顔に釘付けとなったのは、もちろんイヴだけではなかった。さながら辺りに鱗粉を飛ばして魅了する蝶。彼の内にある歓びが、すべてこの一室に広がっていくかのようだ。
「本日よりハヤセ様のお世話は、ここにいる彼女らの務めとさせていただきます」
「わかりました」
そう言って執事は来た道を戻っていく。従者一同の挨拶がまだ終わっていないのにと、泣きつきそうな女性もいたが、ここではあえて執事は取り合わなかった。
「みなさん。どうぞよろしくお願いしますね」
自己紹介よりも前に、にこりと愛想よく天使が笑顔を見せていく。
脳髄まで掴まれそうだと悶絶を噛み殺す。この威力だ。これが日常になるのかとイヴは己の精神力に不安を覚えた。
左殿の奥の奥。皇家の部屋しかない渡りを、一行は歩いていくこととなる。挨拶の準備も、まともな化粧もしてこなかったと後悔するのが複数人いた。今になって文面を頭に思い浮かべたり、手鏡を開いたりと忙しないことである。
「おお。こちらだ」
白いものが交じる高潔そうな老人が待っていた。彼が皇太子付きの執事であることは、なんとなく女性たちも認知している。
彼は新しい制服や特別な印章、監視棟に見せる許可証を皆に配っていった。イヴは初めて自分の名が入ったハンコを目にすることになる。
「手元に渡ったか?では一度、主にお目通りしようか」
開かれる扉。誰も何も聞かなかったが、おそらく妃の自室だった。
そこはまた、かつて入ったどの部屋よりも精巧なものであった。扉の先にまた扉。空間の奥に一回り小さな小部屋が待ち構える入れ子のようなつくりになっている。
枝分かれする部屋が目を惑わす。どこもかしこも調度が輝いていて、目印となるものが多すぎる。
イヴに言わせれば、生活感もなければ見分けもつかない、実用を感じさせない室内だなという印象がした。
最奥には陽にあたる人々が佇んでいた。部屋の四隅に配された衛兵は、中央を直視しないように奇妙にそびえ立っている。
「殿下、ハヤセ様。新しい侍女が到着いたしました」
鎧の武人たちに囲まれるのは雲上人。群を抜いて目を引く逞しい見た目と、目の彫り。その鎮座する姿だけで女たちはため息を漏らした。
光の加減で見えていなかった。目を凝らすと、さらさらと風に黒い髪がなびいているのがわかる。
よくよく確認すると、貴人の懐には実寸の人が眠っているではないか。わざとなのか、手をあえて付けすぎず、花を持つように大事そうに抱きしめてられている。
「ハヤセ……起きろよ。お前の従者が来たって」
なんと耳に馴染む声だろう。それにあの二人の睦まじい姿。
「…………ん」
「母上が言っていただろ。お前の新しい侍女たちだよ」
「僕の?」
むくりと起き上がった人の容姿にまた度肝を抜かれていく。二つのご尊顔が天の上の花園を想わせる。イヴもその衝動を抑えながら、深々とお辞儀した。
髪をかき上げる元上司。すっかりあの頃とは変わって解放的になったとイヴは感嘆とした。
昔の怜悧そうな一つ結びの髪の束は、今では解かれた後ろ髪が自由に辺りを散らしている。
冷気をまとう氷のような美しさと以前なら言えただろうが、この姿では蜜のように甘ったるそうな。
「イヴ。来てくれたんだ」
いや蜜ほど甘い猛毒のほうが喩えにふさわしいか。
彼の笑顔に釘付けとなったのは、もちろんイヴだけではなかった。さながら辺りに鱗粉を飛ばして魅了する蝶。彼の内にある歓びが、すべてこの一室に広がっていくかのようだ。
「本日よりハヤセ様のお世話は、ここにいる彼女らの務めとさせていただきます」
「わかりました」
そう言って執事は来た道を戻っていく。従者一同の挨拶がまだ終わっていないのにと、泣きつきそうな女性もいたが、ここではあえて執事は取り合わなかった。
「みなさん。どうぞよろしくお願いしますね」
自己紹介よりも前に、にこりと愛想よく天使が笑顔を見せていく。
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