東の勇者が消えた

芽吹鹿

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5グリシナの目覚め

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 治療を受けたあと、グリシナは数日間は眠り続けていた。魔女の術式が効いたのか、起き上がったときの彼の表情は軽やかなものだった。

 王都にある病院に行ってほしい。死に物狂いでもいいから、とにかく生きてほしい。でも愛しい彼にはこのまま幸せそうに笑っていてほしい。このふたつは両立しないようで、どちらを選び取ることもヴィルヘルムにはできなかった。

「おはようございます、ヴィリ」

「おはようグリシナ」

 肌のつやは申し分なく、屈託のない笑みはもちろん、彼の容貌も美しさを保っている。健全な肉体を取り戻したかのようにグリシナはすくっと立ち上がって身辺を整えていった。さらには風呂に入るような素振りを始めるから、ヴィルヘルムは彼のそばに付き添って、髪の毛と身体を洗うのを手伝った。

 長風呂を終えたあと、グリシナは休む間もなく服と飾りをまとって、身支度を済ませていった。軽い化粧までするものだから、ヴィルヘルムは今から外に出かけるような雰囲気を感じ取った。

「な……なぁ、いくら元気でも外に出るのはやめておこう。まだお前も本調子じゃないだろう」

 相手から返事はこず、黙々と準備らしき作業が進められていく。グリシナはここまでほとんど何も話さず、ヴィルヘルムの方を振り返りもしない。まるで応答のない土人形のような不気味さで、ヴィルヘルムを困らせた。

 もしかしたら治癒魔法による影響で、グリシナの頭にも後遺症が出ているのかもしれない。後遺症は、魔力の負荷が大きすぎると稀に起こる。起きたばかりだとなおさら、魔法にかけられて自分が正気かどうかも認識できなくなるという。

「大丈夫か。グリシナ、その……ここがどこかわかるか?自分の体調はわかっているか?」

「ええ。ヴィリ、私は平気です。自分の置かれている状況もよくわかります」

 こくんと勢いよく頷いてから、グリシナは真面目そうに言い返してくる。

「だからこうして急いでいるんですよ」

「どうして?」

「さぁ、どうしてでしょう」

 なぜ着飾っているのか。頑張って見た目を小綺麗にしているのか、グリシナの真意をヴィルヘルムは理解できなかった。
 外出時にしかつけない首飾り、髪留め、香水の香り。それらは彼と過ごした冒険時代に何度も見たり感じたものだった。

 ヴィルヘルムは、愛しい人がまだ現実から戻っておらず、夢のなかにいるのではないかと疑っていた。それほどまでに彼の動きは過去に見ていたそれと同じで、懐かしさがあったのだ。

「俺は30歳で、グリシナもこの前に30歳になったな。ふたりして冒険はやめて引退生活を送っている」

「そうですね。思えば、出会ったころからお互いに年を取りました」

「お前は不治の病にかかってここで療養中だ。14年間もずっと。それもわかっているか?」

「わかっていますよ」

 自分は正気だというように、グリシナは小首を傾げた。説明口調のヴィルヘルムを不安がり、逆に相手が訝しげに見つめてくる。

「ふふっ、こちらに来てください」

 しばらく間が空いたあと、グリシナが近くに来いと手招きしてくる。心がひどく落ち着かなかったヴィルヘルムは素早くそれに従った。
 椅子に座っているグリシナの顔は、憑き物が取れたようにさっぱりしている。病気のせいで食べ物もろくに喉を通らず、頬と首筋が痩せこけて骨が浮き出ている。しかしそれ以外にグリシナの病を思わせる箇所はなくて、ヴィルヘルムが息をのむほど美しい見た目をしていた。

「私はどこにもいきませんよ?」

「本当か?」

「ええ、心配なら抱きしめてください」

 ヴィルヘルムは思いがいっぱいになって、たまらずグリシナに抱きついていた。どこにも行かないよう、離れることがないように腕に力を込めた。

 この数日間、眠りを覚まさないグリシナの顔ばかりを見ていた。もうこのまま起きてこないんじゃないかと頭の片隅で考えたりもした。だが今こうして、愛しい彼は自分の腕のなかにいる。

「よかった……平気ならいいんだ」

「ヴィリ、一つだけお願いしたいことがあります」

「なんだ?」

 彼の言葉の続きがはやく聞きたくて、ヴィルヘルムは頷き返した。

「私を抱いてください」

 グリシナが冗談を言っているわけではないことは、その目を見ると明らかだった。微笑んでいるが瞳の奥は鋭い光を放っている。強い決意をもって告げてきていることが察せられた。

「だけど……お前」

「具合なら大丈夫。またカミラを呼べばいいことです」

 魔女のカミラは、グリシナの快復はほぼ絶望的だと言っていた。強力な魔法でうまく身体を誤魔化しておかないと、免疫のないグリシナでは肉体を保つこともできない。しかも使用している魔法はただの延命措置であり、根本となる病を治すには、もっと強い魔法が必要なのだという。だが身も心も疲れ果てたグリシナには、強い魔法は猛毒に等しく、かえって彼の命を危険にさらしてしまう。

「眉間にしわを寄せて、考え事ですか?」

「いいや。グリシナ、ただお前の身が心配なんだよ」

 グリシナは自分の終わりが近づいていることを知っている。きっともう、ふたりしていられる時間が短いこともわかっている。森へ行くのにも、川辺でくつろぐのにも、村の市場に出向くにも限界があることを彼はもう気づいている。

 こうして華美に装って、めかしこんでいるのも、外へ出るためではない。あの頃、恋人としてふたりが楽しかった時代に戻るための演出であることをヴィルヘルムは思い知った。

「こうして頑張って用意したのですから、断らないでくださいね?」

「もし断ったら?」

「ふふっ、へこみます」

 くしゃりと顔を歪ませて、グリシナは悲しげに笑った。動くのも一苦労の彼に、そんな無茶をさせるわけにはいかない。ヴィルヘルムは全力で止めるべきだと思ったが、相手の覚悟を知ってしまっては、どうしようもない。

 旅の仲間としても恋人としても、ヴィルヘルムとグリシナはとっくの昔から肉体関係にある。さんざん愛を語ってきた勇者だが、ベッドの上での経験は少なかったためか、当初はグリシナを誘うのに消極的であった。いっぽうで魔法使いの方は好奇心が強いこともあってか、よくヴィルヘルムを誘うようなセリフをついて、宿屋でつながり合うというのが定番だった。

 お互いの身体の相性はよかったが、グリシナが病気になってからは頻度は極端に減っていった。この半年間の同棲生活では、一度だってそのような無理を病人にさせたことはない。もちろん病人がそれを求めてきたこともなかった。

「やっぱり今の私だと魅力に欠けますよね」

「そんなことない。グリシナは十分すぎるほど綺麗だよ」

 綺麗と言われたグリシナは複雑な心境でいるのか、赤面しながら目を泳がせた。抱き合いながらふたりで手を重ねて、どちらもその気があることを確かめたあと、キスを交わした。

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