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バロック祭
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しおりを挟む大学本棟の目の前に造られた巨大な特設ステージ。プロジェクターやスポットライト、周りには色とりどりの装飾照明が完備されたその場所で、十月二十六日午前八時、その祭りは始まった。外部からの観客も多く訪れる中、ステージ上の出演者は数分おきに入れ替わる。そして、ステージ正面の高台に特設された審査員席。そこにバージン学長が座るのは午後六時を過ぎてからだ。俺たちは既にその時間帯の出演予約を終えている。あとは来たる時を待つだけだった。
俺たちは全員昼過ぎに起きて、ニーナの家のダイニングで最後のブランチを摂った。地下の防音室で最後の調整をしている間にも時間は高速で過ぎていき、気付けば俺たちの出演まで残り二時間を切っていた。荷物をまとめ、みんなで特設ステージへと向かう。ニーナは自身のバイクを使い、俺たちの楽器運びまで手伝ってくれた。これからこの恩をどのようにして返していけばいいだろう。
ステージ裏にある本棟はそのまま楽屋のようになっていた。到着時間がギリギリだったこともあって、俺たちはそこへは入らずに直接ステージ裏で待機することになった。表は照明や観客のサイリウムが焚かれて夜の闇でも明るさを放っているけれど、こちら側は大きなプロジェクターの影になっていて薄暗い。他学生のライブ音と歓声は向こう側から直接聞こえてくる。俺たちに限らず、本番を待機する学生たちの表情は薄暗い中でも強張っているのがわかった。
「あー、緊張するー!」
ピンクは俺たちから距離を置き、一人夜空を見上げて叫んでいる。俺の気持ちとて例外ではない。プレッシャーが圧し掛かり呼吸は浅くなっている。気を紛らわすついでに、俺はケグへと近付いた。彼は観客の見える、表の光が当たっている袖のところで、そこから僅かに覗くステージの方を見ている。
「調子はどう?」
俺は彼の隣に座り込む。ステージでは現在、器楽科の学生のサックスアンサンブルが行われている。柔らかで芯のある音が宙で美しく絡み合う中、彼はその出処から目を放さずに言う。
「正直言うと、まだ学長がインサイドってのは信じ切れない」
「君はあの人に恩があるんだもんね」
その心は複雑だろう。彼はまさしくこれから俺たちが倒さなければいけない相手だ。
「どうして君は、今まで歌わなかったの?」
ニーナの家の防音室で改めて彼の歌声を聴いたとき、やはり彼の実力は他のシンガーの比でないと悟った。声楽科でバスシンガーだった頃は相当に手を抜いていたはずだ。その動機は今でもわからない。推薦書の件を含め、どうして彼は自身の可能性を捨ててしまうのだろう。
彼は言葉に迷っているようだったが、やがて言った。
「こんな俺でも、昔は親友がいた。金が必要だったのもそいつのためだ。音楽をやめちまったそいつが、もう一度音楽をやってくれたらって思ってた。こんなの言い訳にしかならないけどな」
「その親友のために、君は歌わなかったの?」
「ああ。でも、お前らを見て勇気が湧いた。だから、一度くらいならあいつも許してくれるだろうって思うんだ。助けてもらった恩もあるしな。あと、サンドイッチの恩も」
「君、食べなかっただろ?」
「そうだな。食っときゃよかった。今思えば」
彼はリラックスしたように笑いながら言う。そのようすを見ていると、彼ならきっと大丈夫だと安心できる。やはり問題があるのは俺の方かもしれない。彼と話しても、俺の胸は未だざわめきを抑えられないでいる。
サックスアンサンブルの演奏が終わり、俺たちに召集がかかった。出演者リストを持った猫の獣人種が、遠くの方でリーダーである俺に腕を回して合図を送っている。
「じゃあ、またステージでな」
ケグは他の仲間のいる反対側の舞台袖へと飛んで行く。俺は少しの間ぼーっと前を見つめて、一度深呼吸をしてからその後を追った。
最後、楽器運びを手伝ってくれたニーナは、舞台袖で俺にエレキギターを渡してくれる。
「もう、お家がないってぐずったりしない?」
彼女は微笑みながら言う。俺はギターを受け取りながら、やり切れない気持ちで言う。
「あのときはごめん。何ていうか、心に余裕がなくて」
「今は自信たっぷりって感じ」
彼女は腕を組み、俺を見定めるように言う。そういう自覚はなかったけれど、彼女からそう見えているのなら嬉しかった。
「先に行くぞ、リュウ」
スチューはステージ上へ続く階段から振り返って言う。他のみんなは既にその階段を上がり、短い接続時間の中で楽器のセッティングを進めてくれている。俺とニーナに視線を送った後、スチュー自身もその準備に加わっていった。当然、俺もすぐにそこへ向かわなければならない。
だから俺は、最後に言った。
「君って、すごく魅力的な人だと思う」
それを聞いて、ニーナはしばらく静止する。
「……それ、どういう意味?」
「わかんないけど……ただ、思ったことを言ってみただけ」
言葉に他意はない。彼女の目を見て最初に浮かんだことを、ただ言っただけ。
俺はギターを首に掛け、四つ足でステージへと向かう。そして振り向き、彼女を見た。
「今までありがとう」
彼女は戸惑っていたが、その言葉で少し落ち着きを取り戻す。
「どういたしまして」
彼女は優しい微笑みで俺を見送ってくれる。そのおかげで、俺の心も彼女のように落ち着き出している。
しかし、まだ足りない。この胸のざわめきを止めるには、何か一つ。
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