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大切なもの
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しおりを挟む腕と背中の筋肉が隆起すると、学長はそのままミニィクの拳を腕ごと弾き返した。ミニィクはその凄まじい力によろけるが、後ろ向きに倒れそうになった体を長い腕で直前に支える。学長はそのようすを見据え、ミニィクに近付きながら言う。
「情けない話だ。学生に大学を奪われるなど」
驚きで動けていないケグを横目に、俺はどうにか起き上がる。体はまだ重かったが、少しでも学長に協力しなければ。
「あいつ、シェイプシフターっていう種族です。まともに攻撃を喰らうと、体液が毒みたいに体へ入り込んでくる」
「なるほどな。手を抜く必要はないというわけだ」
彼は俺の言葉に応じ、手のひらを上向きにして胸の前に構える。そこから発せられる煌びやかな光。黄色の中に虹色が混ざり、手のひらの上の小さな空間に幻想的な世界を生み出している。
咆哮を上げながら同じように拳を振ってきたミニィクに対し、バージン学長は掌打の構えを見せ、腕を突き出す。掌の中にあった光は放射状に広がり、音を立てて弾ける。ミニィクの拳は学長に触れることなく、反対方向へと弾き返される。
ユニコーンの魔法。学長は本気だ。訓練を積まなければただのテレポートですら難しいらしいけれど、彼はミニィクの強大な力を弾き返すほどの魔法をいとも簡単に使いこなしている。
俺は彼の隣に立ち、共にミニィクを見つめる。そのビッグフットの姿は大学本棟と明け方の光に混ざり、より凶暴に見える。俺は動きの鈍い自身の体に喝を入れながら、彼に言う。
「あなたは知ってたんですか? 学生にあれだけシェイプシフターが混ざってたって」
「神隠しの洞窟を探る過程で、想定はしていた。事態を防げなかった以上、言い訳にしかならないがな」
ミニィクはそれ以上の会話を許してくれない。もう一度迫ってきた彼の攻撃を、俺は爪と拳で返そうとする。しかし瞬間、体中に痛みが走る。やはり傷はまだ癒えていない。避けなければと思ったが、学長の防御は俺がそれを実行に移すよりも速かった。
その掌から発せられた魔法は、またもやミニィクの拳を弾き返す。しかしその威力は先ほどよりも弱く、光の強さも弱まっている。学長も疲労を感じている。これだけの傷を受け、尚戦おうとしているのだから当然だ。
「リュウ、大丈夫か!?」
ミニィクを跨いだ大学本棟の方から、スチューの声がした。エレベーターの待機組だったスチューとフリックに階段を降りてきたピンクとニーナも加わり、俺の仲間は全員揃う。ケグも他の仲間も俺たちから距離を取って戦いに巻き込まれないようにしているが、いつその均衡が崩れてもおかしくはない。すぐにでもミニィクを再起不能にできれば良いけれど、俺の体は既に限界を迎えている。学長にばかり負担をかけてもいられないのに、俺の脚はセメントで固められてしまったかのように動かない。ミニィクはまた攻撃の準備をしている。このままではまずい。
このままでは。
「ダラゴン」
学長は言う。ミニィクはすぐそこまで迫っているのにも関わらず、上手く立ち上がれない俺の前に跪く。そうして俺の肩関節に魔法の手を添え、更に言う。
「お前は今でも、夢を追う気があるか?」
何故だろう。彼の威厳のある目で見つめられると、時が遅く感じた。ミニィクの気配も仲間たちの声すらも、彼と共にいる空間には届かないような気がして。
「夢……」
俺の夢。かつては母とずっと共にいることだった。そこにシルビアが加われば、仲間たちが加われば、どれほど幸せだっただろう。
一人で夢を見たことなんて、一度もなかった。音楽家としてはむしろ失格かもしれない。シルビアに今の俺を知られれば、もしかしたら笑われてしまうかも。でも、俺にとっての音楽は、ただの音の集合体なんかじゃない。
俺のロックは、ひとりじゃ成しえない。
「俺は、みんなとずっと一緒にいたい。それができるなら、音楽だって捨てられる」
俺は学長に言う。俺の中にあるすべての想いを、ありのままに。
学長は意味深な笑みを見せた。彼のそんな表情を、俺は今まで一度も見たことがない。
「なら、お前にすべて託そう」
彼の手は光る。俺の肩関節に触れる魔法の光は柔らかく広がり、俺を包む。すると、俺の体は軽くなった。翼の傷から発せられていた熱は、その魔法によって吸い取られていく。俺の体の節々からセメントのようなミニィクの体液が浮き上がり、学長の魔法の手のひらの中へと消えていく。
俺は学長の顔を見る。彼は俺の中にある感情をすべて理解しているかのように、真っすぐに言う。
「時間は稼ぐ。お前がこの事件を解決するんだ。いいな?」
そこに世界一の音大を統べる学長の威厳は見えない。代わりに見えたのは、優しさだった。自己を犠牲にしてでも自身の子供たちを守ろうとする、勇敢な父親のような。
ミニィクの拳は迫りくる。バージン学長は魔法を使わず、今度はその肉体のみで彼の攻撃を受け止めた。筋肉同士がぶつかる激しい音がする。その広い背中を俺に向けながら、彼は叫ぶ。
「行け! 夢を追え、若者!」
ニーナはミニィクと学長を避け、バイクを走らせて駆けつける。
「早く乗って!」
そこに俺以外の仲間は全員揃っている。俺は学長に目を配りながら、素早くバイクの空いているスペースに飛び乗る。そうしてサドルにぎりぎりで座っているピンクにフリック、甲羅の上のスチューを前脚で落ちないように支える。俺自身の体は尻尾で車体を掴むことによってバランスを補った。
ニーナは前傾姿勢に立ちながら、アクセルを強く回す。林へと入っていく途中、激しいエンジンの音と共に、学長の背中とビッグフットのミニィクは遠ざかっていく。
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