【完結】紅茶が冷める前に━余命僅かな王弟とお飾り妻の秘めやかな恋━

花草青依

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2章 スミレの花は咲いて

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 ピクニックは3日後に決行された。行き先は殿下に決めてもらった。彼いわく、「昔の遊び場」なのだそうだ。
 どんな場所かと思っていれば、辿り着いたのは、何の変哲もない川辺だった。
 レンガで舗装されておらず、自然に生えた木々のおかげで、王都にいながら田舎の風景を感じられる。
 穏やかで良い場所だとは思う反面、殿下が昔、ここで遊んでいたのかと思うと拍子抜けだった。彼は、こんな場所で何をしていたのだろう。
 私の心を読んだかのように、殿下は言った。

「ここをもう少し歩いた先で、よく釣りをしていたんだ」
「釣りを?」
 部屋で静かに過ごす今の殿下からは、とても想像できない。
「『意外だ』と顔に書いてあるよ」
 彼は笑うと、私の手を引いて歩き始めた。

「今でこそ、屋内での遊びを嗜むようになったけれど、本当は、外に出る方が好きなんだ」
「そうでしたか。釣りの他にも、よく行っていた趣味はありましたか」
「乗馬とボート乗りだね。それから、趣味ではないけれど、弓術も嫌いじゃなかった。武術大会で優勝したこともあるんだよ?」
「それは素晴らしいですね」
 思った以上に、彼はアウトドアが好きらしい。それも、身体を動かすことが。

「まあ、どれも、今となっては昔の楽しい思い出になったわけだけれど……」
 珍しく弱音を吐く彼の背を、私はそっと撫でた。
 一瞬の沈黙。その瞬間、小さな疑問が浮かんだ。

「どうして今日は、釣り竿を持ってこなかったのでしょう?」
 後方を歩く侍従達の荷物の中には、釣りの道具はなかった。乗馬やボートといったスポーツは、筋力や体力の関係で断念するのは分かるけれど、釣りならそういった問題は少ないはずだ。折角の機会なのだから、今日は釣りを堪能すればよかったのに。

「ああ……。川釣りは静かにしていなきゃいけないから。君と一緒にいる今はいいかなって思ってね」
「そんな……。私に気を使わなくともよかったのですよ?」
「気を使うというか……。こうして君と一緒に出かけるのは、僕にとって特別なイベントなんだ。それを、一人でいる時と同じように過ごしたくはないんだよ」
 彼のはにかみに、私もつられて笑ってしまった。

 それは、ただの優しさからくる親切心だ。彼は、特別な意味で言ったわけではない。
 頭では分かっているけれど、握った手の先が、じんわりと熱を帯びていく。
 この熱に、彼は気づいているのだろうか。変な風に思われなければ良いけれど。
 私は誤魔化すこともできず、ただはにかんで彼の隣を歩いた。

 それから、私達は、黙々と川辺を散歩した。キラキラとした川面の様子を眺めるのも飽きた頃、彼は「あ!」と小さな声を上げた。
「あそこは、絶好の釣り場なんだ」
 彼は言うなり私の手を離して、川に近づいて行った。水のすぐ側まで寄ると、しゃがんで川の中を見つめ始めた。
 私も彼に続いて川岸に向かうと、屈んで水の中を確認してみる。

 川の水は、澄んでいて中を泳ぐ小魚のヒレの色までよく見えた。
 魚達は岩陰に隠れながら、川の流れに逆らい、ゆっくりと前に進んでいる。指を動かしながら、数えてみると、ゆうに十数匹はいた。
 ここは、殿下が釣りをしていた時と変わらず、絶好の釣り場のようだ。

 殿下は静かに立ち上がった。振り返った彼の口元には、薄っすらと笑みが浮かんでいた。
「ここは、昔と変わってない」
 彼は小さく言うと、私の手を取って川岸から離れた。

 彼は歩きながら、ここでの思い出をぽつぽつと語り始めた。
 初めてここに来たのは4歳の時で、国王陛下はまだ王太子だったという。ラルフ殿下は、その時、陛下が釣りをする様子を眺めていたのだそうだ。
「兄上が釣りをする様は、それはもう、見ていて退屈でね。暇過ぎてその辺の石を川に向かって投げたら、酷い目にあったよ」
「それは、殿下が悪いですよ。何で石なんか投げようと思ったんです?」
「水切りをしてみたくて」
「お茶目だったんですね」
 殿下は声を出して笑った。

「うん。じっとしていられなくて、ふざけてばかりだった」
「まあ。今のお姿からは想像がつきませんわ」
「だろうね」
 彼の視線が、下に落ちていく。何かを考えているのか、瞳がゆっくりと揺らいだ。けれど、口元の笑みが絶えることはない。
 その表情は、笑っているけれど、悲しんでいるようで。私は気に障ることを言ってしまったのだろうか。

 とにかく、話題を変えた方がいい。
 そう思った私は、思い切っておどけてみせることにした。
「そんなお茶目さんが、どうやって大人の男性になったのか、教えてくれませんか」
 笑顔を向けると、彼の表情に明るさが戻った。

「きっかけは釣りだったね」
 釣りに話が戻るとは思わず、衝動的に「本当に?」と聞き返してしまった。
「本当だよ。水切りの後、酷い目にあったって言ったろう? 僕は兄上に『お前には忍耐というものが足りない!』と激しく叱責されたんだ。それで、忍耐力を養うために釣りをやらされることになった」
「そうだったんですね。でもそんな風に強制をされて、よく釣りが嫌いになりませんでしたね」
「そうだね。最初こそ、嫌いで嫌いでたまらなかったよ。じっとしていないといけないし、魚がかかるのに時間がかかるのは、当たり前。途中まで上手くいっても、天候のせいで台無しになるなんてこともザラだ。退屈で、嫌でたまらなかったはずなのに……、でも、いつの間にか、楽しいと思っている自分がいたんだ」
「上達して、コツを掴んだからですか」
 彼は頷いた。
「釣れるようになって、楽しいと思えるようになってから、価値観が変わったよ。『退屈で嫌なことでも、少しの間は我慢してみよう。もしかしたら、それを好きになるかもしれないから』ってね」
「そうでしたか」

 殿下が我慢を覚えてくれたから、私を好きになってくれたのだろうか。
 私の気持ちを知る由もない殿下は、屈託のない笑みを浮かべた。
「それで僕は、黙って座っていられるようになったわけ」
 おどけた口調で言った彼に、私は微笑み返した。
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