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2章 スミレの花は咲いて
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それから、彼は軽快に思い出を語り、引き続き、私達は歩いていた。
しかし、次第に殿下の息づかいが荒くなっていき、心配になった私は、足を止めた。
「大丈夫ですか」
「ちょっと、疲れたかな」
「でしたら、この辺でお休みしませんか」
「そうさせてもらうよ」
彼は後ろを歩く従者達に、手で合図を送り、木陰にシートを敷かせた。
私は軽食の入ったバスケットを侍女から受け取ると、殿下の後に続いてシートの上に座った。
バスケットから水筒を取り出し、水を注いで彼に差し出す。
「ありがとう」
彼は受け取るなり、一気に飲み干した。
「お昼にしましょう」
「ああ」
お皿の上に野菜たっぷりのサンドウィッチを一つずつ乗せる。そして、水をカップに注いで、それぞれの前に置いた。
彼がサンドウィッチに齧り付いたのを見てから、私も手につける。トマトの程良い酸味が口の中に広がり、噛む度に、きゅうりが小気味良く音を立てる。
「美味しい」
半分食べたところでつぶやく。
「そうだね」
ぺろりと平らげた彼のお皿に、もう一つサンドウィッチを乗せようとしたら、「もう十分だよ」と断られてしまった。
「お腹、空いてませんでした?」
お昼にするには早すぎたかと後悔していると、彼は首を振った。
「ここ数年、昼食はこんなものだから、気にしないで」
何でもないことのように彼は言う。けれど、気にならないわけがなかった。彼は、少食にならざるを得ない程、病が進行しているのだろうか。
私は食べかけのサンドウィッチを口にかき込んだ。聞いてもいいのか、不快にさせないか。咀嚼しながら考えた。
楽しい雰囲気を壊しかねない発言は、やめておこう。
そう思ったのも束の間、侍従から薬を受け取る彼を見て、考えが変わった。
━━彼には、時間がない。
彼がより一層快適に過ごせるようにするためには、彼の病気について、私はもっと知るべきではないのかしら。
粉薬を水で流し込むラルフ殿下を見つめながら、そんなことを思った。
「あの……」
薬を口に含んだ彼は、視線だけで反応を示した。
灰色の瞳が私を見据える。
緊張が高まり、鼓動が早まる。臆して口を閉ざしそうになりかけた時、彼は私に優しい笑顔を向けた。
「どうしたんだい?」
優しく諭すような口調。それは、お父様が小さなダニエルに問いかける様を思い出した。
そうしている間にも、彼は「怒らないから言ってごらん?」と言いたげに私を見つめている。
私は、スカートの裾を掴んだ。
「お昼に食べる量が少ないのは、病のせいなのでしょうか」
勇気を出して尋ねると、彼は静かに頷いた。
「そうだね。年々、食欲は落ちてきている。……ああ、でも、全く食べられないわけではないよ? 夜は肉や魚料理を楽しんでいるから」
彼は私に心配をさせたくないのだろう。言い訳にも似た補足を加えると、バスケットの中からデザート用のりんごを一切れ取り出した。
やっぱり、これ以上の詮索はやめた方がいいのかもしれない。
彼は、りんごを食べることで、この話をおしまいにしたいことを表明しているのかもしれない。彼の心を荒ませてしまうのは、私の望むことではないから、話を切り上げよう。
私は、新たなサンドウィッチをお皿に置き、水筒から水を注いだ。そうして、何事もなかったかのように昼食へと戻ろうとした。サンドウィッチを手に取った時、彼は言った。
「君は、僕がどんな病気にかかっているのか、知りたいの?」
静かで落ち着いた低い声。顔をみなくとも、彼が真剣な表情で話をしているのが分かる。
私は手にしたサンドウィッチをお皿の上に戻した。
「はい」
「そうか……」
彼はごほごほと咳をした。
間を置かれると、彼の次の反応が怖くなってくる。
「今さらだと思いますか」
堪らず、不安を口にした。
ずっと避けてきた話題。以前の私は、一線を越えたくなくて、触れないようにしていた。彼もそれを分かっていたのか、病気のことはなるべく話さないようにしていたように思う。
それを、今になって興味を持った素振りをするのだから、「今さら何を言うのか」と呆れられても致し方ない。
彼は、私の思いとは裏腹に、それを否定した。咳をして顔を歪ませながらも、首を横に振ったのだ。
「……いや。そろそろ向き合わないといけないと、僕も思っていたから」
そっとカップを差し出してきたから、それに水を注いだ。彼はぐいっと一気に飲み干すと、話を始めた。
「僕の病はね、根本的治療法の見つかっていない、いわゆる不治の病なんだ」
私は言葉を失った。
薄々はそんな気がしていた。なんなら、婚前にその噂を聞いたこともあった。彼は近い将来に亡くなることを明言していたから、不治の病と聞かされて驚くなんて、おかしい。
頭では分かっているのに、気持ちの整理がつかない。私は、心のどこかで、「彼はいつか治るかもしれない」と信じていたと思い知らされる。
動揺が収まらない中、彼は淡々と話を続けていく。
「マギア喪尽病と言ってね。千年前にいたという魔法使い達の間で発症していた病なんだけれど……。どういうわけか、魔法使いがいなくなった今も、発症する人間がいるんだ。魔法使い達は、何らかの方法で治していたらしいけれど、その方法は忘れ去られてしまった。今、記録に残っているのは、症状とその経過のみだ」
「そんな……」
「魔法使い達による適切な処置をせずに放っていると、発症から早くて数年、遅くても20年で死ぬと言われている。僕はこれでも、長生きしている方なんだ」
彼はそう言って自嘲した。
「では、普段飲んでいるお薬は?」
「あれは、咳やだるさを緩和するための対処療法に過ぎない。根本の原因を治すものではないんだ」
彼はそう言って、横を向き、川の方を見た。
「14歳で発症した当初は、軽い風邪のような症状だった。でも、日に日に身体はだるくなって重たく感じるようになって、胸が痛くて咳も止まらなくなっていった。特にここ数年は、体調が急激に悪化して、寝込む日も多くなっているから……。死期が近いのだと認めざるを得ない」
彼は相変わらず、川を見ている。その横顔に表情はなく、彼の感情を読み取ることはできなかった。
しかし、次第に殿下の息づかいが荒くなっていき、心配になった私は、足を止めた。
「大丈夫ですか」
「ちょっと、疲れたかな」
「でしたら、この辺でお休みしませんか」
「そうさせてもらうよ」
彼は後ろを歩く従者達に、手で合図を送り、木陰にシートを敷かせた。
私は軽食の入ったバスケットを侍女から受け取ると、殿下の後に続いてシートの上に座った。
バスケットから水筒を取り出し、水を注いで彼に差し出す。
「ありがとう」
彼は受け取るなり、一気に飲み干した。
「お昼にしましょう」
「ああ」
お皿の上に野菜たっぷりのサンドウィッチを一つずつ乗せる。そして、水をカップに注いで、それぞれの前に置いた。
彼がサンドウィッチに齧り付いたのを見てから、私も手につける。トマトの程良い酸味が口の中に広がり、噛む度に、きゅうりが小気味良く音を立てる。
「美味しい」
半分食べたところでつぶやく。
「そうだね」
ぺろりと平らげた彼のお皿に、もう一つサンドウィッチを乗せようとしたら、「もう十分だよ」と断られてしまった。
「お腹、空いてませんでした?」
お昼にするには早すぎたかと後悔していると、彼は首を振った。
「ここ数年、昼食はこんなものだから、気にしないで」
何でもないことのように彼は言う。けれど、気にならないわけがなかった。彼は、少食にならざるを得ない程、病が進行しているのだろうか。
私は食べかけのサンドウィッチを口にかき込んだ。聞いてもいいのか、不快にさせないか。咀嚼しながら考えた。
楽しい雰囲気を壊しかねない発言は、やめておこう。
そう思ったのも束の間、侍従から薬を受け取る彼を見て、考えが変わった。
━━彼には、時間がない。
彼がより一層快適に過ごせるようにするためには、彼の病気について、私はもっと知るべきではないのかしら。
粉薬を水で流し込むラルフ殿下を見つめながら、そんなことを思った。
「あの……」
薬を口に含んだ彼は、視線だけで反応を示した。
灰色の瞳が私を見据える。
緊張が高まり、鼓動が早まる。臆して口を閉ざしそうになりかけた時、彼は私に優しい笑顔を向けた。
「どうしたんだい?」
優しく諭すような口調。それは、お父様が小さなダニエルに問いかける様を思い出した。
そうしている間にも、彼は「怒らないから言ってごらん?」と言いたげに私を見つめている。
私は、スカートの裾を掴んだ。
「お昼に食べる量が少ないのは、病のせいなのでしょうか」
勇気を出して尋ねると、彼は静かに頷いた。
「そうだね。年々、食欲は落ちてきている。……ああ、でも、全く食べられないわけではないよ? 夜は肉や魚料理を楽しんでいるから」
彼は私に心配をさせたくないのだろう。言い訳にも似た補足を加えると、バスケットの中からデザート用のりんごを一切れ取り出した。
やっぱり、これ以上の詮索はやめた方がいいのかもしれない。
彼は、りんごを食べることで、この話をおしまいにしたいことを表明しているのかもしれない。彼の心を荒ませてしまうのは、私の望むことではないから、話を切り上げよう。
私は、新たなサンドウィッチをお皿に置き、水筒から水を注いだ。そうして、何事もなかったかのように昼食へと戻ろうとした。サンドウィッチを手に取った時、彼は言った。
「君は、僕がどんな病気にかかっているのか、知りたいの?」
静かで落ち着いた低い声。顔をみなくとも、彼が真剣な表情で話をしているのが分かる。
私は手にしたサンドウィッチをお皿の上に戻した。
「はい」
「そうか……」
彼はごほごほと咳をした。
間を置かれると、彼の次の反応が怖くなってくる。
「今さらだと思いますか」
堪らず、不安を口にした。
ずっと避けてきた話題。以前の私は、一線を越えたくなくて、触れないようにしていた。彼もそれを分かっていたのか、病気のことはなるべく話さないようにしていたように思う。
それを、今になって興味を持った素振りをするのだから、「今さら何を言うのか」と呆れられても致し方ない。
彼は、私の思いとは裏腹に、それを否定した。咳をして顔を歪ませながらも、首を横に振ったのだ。
「……いや。そろそろ向き合わないといけないと、僕も思っていたから」
そっとカップを差し出してきたから、それに水を注いだ。彼はぐいっと一気に飲み干すと、話を始めた。
「僕の病はね、根本的治療法の見つかっていない、いわゆる不治の病なんだ」
私は言葉を失った。
薄々はそんな気がしていた。なんなら、婚前にその噂を聞いたこともあった。彼は近い将来に亡くなることを明言していたから、不治の病と聞かされて驚くなんて、おかしい。
頭では分かっているのに、気持ちの整理がつかない。私は、心のどこかで、「彼はいつか治るかもしれない」と信じていたと思い知らされる。
動揺が収まらない中、彼は淡々と話を続けていく。
「マギア喪尽病と言ってね。千年前にいたという魔法使い達の間で発症していた病なんだけれど……。どういうわけか、魔法使いがいなくなった今も、発症する人間がいるんだ。魔法使い達は、何らかの方法で治していたらしいけれど、その方法は忘れ去られてしまった。今、記録に残っているのは、症状とその経過のみだ」
「そんな……」
「魔法使い達による適切な処置をせずに放っていると、発症から早くて数年、遅くても20年で死ぬと言われている。僕はこれでも、長生きしている方なんだ」
彼はそう言って自嘲した。
「では、普段飲んでいるお薬は?」
「あれは、咳やだるさを緩和するための対処療法に過ぎない。根本の原因を治すものではないんだ」
彼はそう言って、横を向き、川の方を見た。
「14歳で発症した当初は、軽い風邪のような症状だった。でも、日に日に身体はだるくなって重たく感じるようになって、胸が痛くて咳も止まらなくなっていった。特にここ数年は、体調が急激に悪化して、寝込む日も多くなっているから……。死期が近いのだと認めざるを得ない」
彼は相変わらず、川を見ている。その横顔に表情はなく、彼の感情を読み取ることはできなかった。
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本編完結済み。番外編を不定期更新中。