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厨房に入ると、私はオーブンの前で退屈そうにしているグレースに声をかけた。
「シフォンケーキ1つ」
「あれ? ショーケースの分は?」
「なくなったから後で移し替えておいて」
「了解」
ティーポットの中に茶葉を入れてお湯を注ぐ。砂時計を回して置くと、グレースは皿の上に綺麗に盛り付けたシフォンケーキを持ってきた。
「いつもの彼?」
「ええ」
「好きよねぇ、ミモザ一押しのシフォンケーキ」
グレースはニヤニヤと笑って茶化してくる。私はそれを無視して、砂時計の落ちる砂を見つめる。
サリュートル侯爵子息は、始めて来店してきた時、メニューに目を通しながら、眉を寄せていた。
革のスクールバッグを片手に息を切らしてお店に入ってきた彼は、びっしょりと濡れていて、通り雨を凌ぐために来店したのは明らかだった。
何を頼むべきかと悩む彼に、私はタオルを渡した。
「私物なので恐縮なのですが、よかったら使ってください」
彼は私を見上げた後、少し俯いてタオルを受け取った。
「ありがとうございます」
彼はタオルで黒髪から滴る雨を念入りに拭いた。そうしている間も、彼はメニューに視線を落としていたから、余程、オーダーに迷っていたのだろう。
「初めての来店ですよね?」
「ええ、はい……」
「よろしければ、おすすめをご紹介してもよろしいでしょうか」
彼は視線だけを私に向けた。眼鏡の下の赤い瞳はゆらゆらと揺れて、またメニューに視線が戻る。
「それは、あなたのおすすめの商品ですか」
彼の質問の意図が分からない。
答えに詰まり、「あぁ……」と間の抜けた声を出してしまった。
ぴくりと眉を動かした彼を見て、私は自分がレベルの低い接客をしたのだと悟った。
私は咳払いをして笑顔を作った。そうすると、彼も咳払いをした。
「すみません。変なことを聞いて……。お店で一番売れているものでいいです」
彼は俯いて言った。表情こそ見えないけれど、声は沈み具合からして、良い顔をしていないのは明らかだった。
お客様に居心地の悪い気分にさせてしまった。私は、自分のミスを挽回すべく、テーブルに広げられたメニューを捲った。
「私のおすすめは、こちらのシフォンケーキですね。クリームのほんのりした甘さとふわふわのスポンジの相性が良くて、お店のメニューの中で一番好きなんです」
彼の顔を覗き込んで言うと、彼は目を大きく見開いた。そして、顔を逸らしたかと思うと、大きな声で「それで!」と言った。
後にも先にも彼があんなに大きな声を出したことはなかった。
あの時の私は、誠実さを意識し過ぎていたから。目を見て話そうとして、不用意なまでに彼に顔を近づけてしまった。突拍子のない私の行動に、彼は驚いてしまって、大きな声をあげたのだ。
それに気がついたのは、ショーケースからシフォンケーキを取り出している時。私は顔が熱くなるのを感じながら、厨房に行ってお茶を淹れた。それは、迷惑をかけた分のサービスだった。
ケーキと一緒に紅茶を持っていくと、彼は遠慮がちに「頼んでいませんよ」と伝えてきた。
「サービスです。ご迷惑をおかけしましたので」
「迷惑……?」
彼は目をぱちぱちとさせた。
「それに、雨に濡れて身体が冷えていらっしゃいますよね? 風邪を引かれてはいけませんから、どうかお召し上がりくださいませ」
そういうと彼は小さく頷いた。
彼が紅茶に口を付けるのを目の端で追いながら、私は席を離れた。
彼はシフォンケーキと紅茶を気に入ったらしい。その日以来、彼は毎日のように店を訪れては、シフォンケーキと紅茶を頼むようになったのだ。
私は最初こそ、自分の薦めた商品を気に入ってくれたことを喜んでいるだけだった。けれど、いつからか、毎日店に来る彼の方が気になりだした。そして、気がつけば、私は彼のことを好きになっていた━━
「イケメンくん、毎日熱心に通ってくれるわよ~。ミモザがいない日もね」
「グレース、お客様に変なあだ名をつけないの」
「いいじゃん。聞かれるわけでもないし」
「そういう問題じゃないの」
砂時計の砂が落ちきった。私は上質なカップに紅茶を注ぐ。
注意されたことに、グレースは気にした様子はなかった。むしろ、面白がっているのか、さらに軽口を叩く始末だった。
「ねえ、知ってる? イケメンくん宛のヴァレンティスデー用のチョコの予約、今年も大量だよ?」
ホールスタッフの私が、知らないわけがないじゃない。
心の中で悪態をつくと、紅茶とシフォンケーキをトレーに乗せた。
「シフォンケーキの補充、忘れないでね」
念を押すと、私はトレーを持ってホールへと戻った。
ホールに出て、まず目に入ったのは、ショーケースの傍にいるニコラス殿下だった。金の髪にそこら辺の女よりも美しい顔をした王子様は、そこにいるだけで華がある。
黙って熱心に商品を選ぶ彼を、他のお客様はちらちらと見つめていた。彼に着いて接客をするバーバラもそわそわとした様子で、どこか落ち着きがない。
麗しい王子が静かなカフェの空気を一変させている。流石はゲームの攻略対象だ。
そんなことを考えながら、サリュートル侯爵子息のもとにいく。
彼は熱心に3年生向けの参考書を読んでいた。浮き立った店内で、彼のみがニコラス殿下を気にしていない。大物だなと思っていると、彼は私に気づいた。参考書を閉じて、テーブルの端に避ける。
「シフォンケーキと、当店オリジナルブレンドのラズベリーティーです」
そう言って紅茶から順にテーブルに並べる。彼は私をちらっと見て、フォークを手に取った。
私は会釈をすると、レジに行った。
伝票にサリュートル侯爵子息の注文を記入する。メニュー表と見比べて値段に間違いのないことを確認していると、「ブラッカストーク伯爵令嬢」と声を掛けられた。
顔を上げれば、ショーケースの前からニコラス殿下がこっちを見ていた。
「久しぶり。同級生の君に頼みたいのだけれど」
彼は笑顔を作った。穏やかな表情のように見えるけれど、よくよく見ると目が笑っていない。彼の頭上を確認してみる。
“バーバラ -35%”
どうやら、彼はバーバラの接客が気に入らなかったらしい。だから、学園に在籍中に大して親しくもなかった私に同級生面をして声を掛け、交代を促したのだろう。
私は、笑顔を作ると彼のもとへ向かった。バーバラにはテーブルの拭き掃除をお願いをして、彼から離れるようにとやんわりと指示を出した。
「シフォンケーキ1つ」
「あれ? ショーケースの分は?」
「なくなったから後で移し替えておいて」
「了解」
ティーポットの中に茶葉を入れてお湯を注ぐ。砂時計を回して置くと、グレースは皿の上に綺麗に盛り付けたシフォンケーキを持ってきた。
「いつもの彼?」
「ええ」
「好きよねぇ、ミモザ一押しのシフォンケーキ」
グレースはニヤニヤと笑って茶化してくる。私はそれを無視して、砂時計の落ちる砂を見つめる。
サリュートル侯爵子息は、始めて来店してきた時、メニューに目を通しながら、眉を寄せていた。
革のスクールバッグを片手に息を切らしてお店に入ってきた彼は、びっしょりと濡れていて、通り雨を凌ぐために来店したのは明らかだった。
何を頼むべきかと悩む彼に、私はタオルを渡した。
「私物なので恐縮なのですが、よかったら使ってください」
彼は私を見上げた後、少し俯いてタオルを受け取った。
「ありがとうございます」
彼はタオルで黒髪から滴る雨を念入りに拭いた。そうしている間も、彼はメニューに視線を落としていたから、余程、オーダーに迷っていたのだろう。
「初めての来店ですよね?」
「ええ、はい……」
「よろしければ、おすすめをご紹介してもよろしいでしょうか」
彼は視線だけを私に向けた。眼鏡の下の赤い瞳はゆらゆらと揺れて、またメニューに視線が戻る。
「それは、あなたのおすすめの商品ですか」
彼の質問の意図が分からない。
答えに詰まり、「あぁ……」と間の抜けた声を出してしまった。
ぴくりと眉を動かした彼を見て、私は自分がレベルの低い接客をしたのだと悟った。
私は咳払いをして笑顔を作った。そうすると、彼も咳払いをした。
「すみません。変なことを聞いて……。お店で一番売れているものでいいです」
彼は俯いて言った。表情こそ見えないけれど、声は沈み具合からして、良い顔をしていないのは明らかだった。
お客様に居心地の悪い気分にさせてしまった。私は、自分のミスを挽回すべく、テーブルに広げられたメニューを捲った。
「私のおすすめは、こちらのシフォンケーキですね。クリームのほんのりした甘さとふわふわのスポンジの相性が良くて、お店のメニューの中で一番好きなんです」
彼の顔を覗き込んで言うと、彼は目を大きく見開いた。そして、顔を逸らしたかと思うと、大きな声で「それで!」と言った。
後にも先にも彼があんなに大きな声を出したことはなかった。
あの時の私は、誠実さを意識し過ぎていたから。目を見て話そうとして、不用意なまでに彼に顔を近づけてしまった。突拍子のない私の行動に、彼は驚いてしまって、大きな声をあげたのだ。
それに気がついたのは、ショーケースからシフォンケーキを取り出している時。私は顔が熱くなるのを感じながら、厨房に行ってお茶を淹れた。それは、迷惑をかけた分のサービスだった。
ケーキと一緒に紅茶を持っていくと、彼は遠慮がちに「頼んでいませんよ」と伝えてきた。
「サービスです。ご迷惑をおかけしましたので」
「迷惑……?」
彼は目をぱちぱちとさせた。
「それに、雨に濡れて身体が冷えていらっしゃいますよね? 風邪を引かれてはいけませんから、どうかお召し上がりくださいませ」
そういうと彼は小さく頷いた。
彼が紅茶に口を付けるのを目の端で追いながら、私は席を離れた。
彼はシフォンケーキと紅茶を気に入ったらしい。その日以来、彼は毎日のように店を訪れては、シフォンケーキと紅茶を頼むようになったのだ。
私は最初こそ、自分の薦めた商品を気に入ってくれたことを喜んでいるだけだった。けれど、いつからか、毎日店に来る彼の方が気になりだした。そして、気がつけば、私は彼のことを好きになっていた━━
「イケメンくん、毎日熱心に通ってくれるわよ~。ミモザがいない日もね」
「グレース、お客様に変なあだ名をつけないの」
「いいじゃん。聞かれるわけでもないし」
「そういう問題じゃないの」
砂時計の砂が落ちきった。私は上質なカップに紅茶を注ぐ。
注意されたことに、グレースは気にした様子はなかった。むしろ、面白がっているのか、さらに軽口を叩く始末だった。
「ねえ、知ってる? イケメンくん宛のヴァレンティスデー用のチョコの予約、今年も大量だよ?」
ホールスタッフの私が、知らないわけがないじゃない。
心の中で悪態をつくと、紅茶とシフォンケーキをトレーに乗せた。
「シフォンケーキの補充、忘れないでね」
念を押すと、私はトレーを持ってホールへと戻った。
ホールに出て、まず目に入ったのは、ショーケースの傍にいるニコラス殿下だった。金の髪にそこら辺の女よりも美しい顔をした王子様は、そこにいるだけで華がある。
黙って熱心に商品を選ぶ彼を、他のお客様はちらちらと見つめていた。彼に着いて接客をするバーバラもそわそわとした様子で、どこか落ち着きがない。
麗しい王子が静かなカフェの空気を一変させている。流石はゲームの攻略対象だ。
そんなことを考えながら、サリュートル侯爵子息のもとにいく。
彼は熱心に3年生向けの参考書を読んでいた。浮き立った店内で、彼のみがニコラス殿下を気にしていない。大物だなと思っていると、彼は私に気づいた。参考書を閉じて、テーブルの端に避ける。
「シフォンケーキと、当店オリジナルブレンドのラズベリーティーです」
そう言って紅茶から順にテーブルに並べる。彼は私をちらっと見て、フォークを手に取った。
私は会釈をすると、レジに行った。
伝票にサリュートル侯爵子息の注文を記入する。メニュー表と見比べて値段に間違いのないことを確認していると、「ブラッカストーク伯爵令嬢」と声を掛けられた。
顔を上げれば、ショーケースの前からニコラス殿下がこっちを見ていた。
「久しぶり。同級生の君に頼みたいのだけれど」
彼は笑顔を作った。穏やかな表情のように見えるけれど、よくよく見ると目が笑っていない。彼の頭上を確認してみる。
“バーバラ -35%”
どうやら、彼はバーバラの接客が気に入らなかったらしい。だから、学園に在籍中に大して親しくもなかった私に同級生面をして声を掛け、交代を促したのだろう。
私は、笑顔を作ると彼のもとへ向かった。バーバラにはテーブルの拭き掃除をお願いをして、彼から離れるようにとやんわりと指示を出した。
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