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「今日はチョコレートを買いに来ました。この間は、ニコラス殿下がいらっしゃったから買えなかったんです」
「左様でございますか。ヴァレンティスデー用ですよね?」
そう言いながら、ビター過ぎる例のチョコレートをショーケースから取り出した。
お店で一番不人気な苦いチョコレート。それは、お得意様である彼女のために常備されているといっても過言ではない。
「ラッピングはどの包装紙にいたしましょうか」
三種類の包装紙を差し出すと、彼女はシックな花柄のものを選んだ。
「それを当日、うちの屋敷に届けてくださる?」
準備のよい彼女は、住所の書いたメモを渡してきた。
「かしこまりました。お預かりいたします」
「それから、孤児院に寄付するものも予約したいのです。十人分なのですが、お願いできますか」
「勿論です。前日に配達でよろしかったでしょうか」
去年も同じ注文を受けていた。記憶を頼りに言えば、彼女は微笑んだ。
「ええ。それでお願いします」
孤児院の名前を確認してメモを取る。
そうしている間に、バーバラがトレーを持って、私達の傍を通り過ぎた。
私が伝票に記入する間に、彼女はお茶とケーキをテーブルに置いていく。
「お待たせしました、お会計はこちらになります」
伝票を見せて金額を提示すると、レイチェル嬢は学生鞄の中から袋を取り出した。
「足りるでしょうか」
私は袋を預かると中身を数えた。
「こちらをお預かりいたしますね」
お会計分だけを取ろうとすると、レイチェル嬢は言った。
「残りはミモザ嬢のチップです」
婚約者と同じことをする。それが何だかおかしくて、笑ってしまいそうになるのを我慢する。
「ありがとうございます」
お礼を言って、レジにお金を入れていると彼女は一歩前に詰め寄った。顔をぐっと近づけて、そっと囁く。
「この間、ニコラス殿下が失礼なことをしたお詫びに教えて差し上げます」
突然の申し出に戸惑う間もなく、彼女は言葉を続けた。
「ベティ・ホワイトニュート伯爵令嬢……。そこにいる彼女が今度のヴァレンティスデーに、サリュートル侯爵子息に告白するんですって」
先に想いを告げられるかもしれない。そう考えただけで、胸の奥がざわついた。
「しかも、侯爵子息が乗り気になれば、家同士の正式なお付き合いになるのだとか……」
それは、つまり、婚約するということ?
私はまだ、何も決めていないのに。けれど、このままでいられないことだけは、はっきりしていた。もたもたしていれば、彼はますます遠い存在になってしまう。
━━そんなのは、嫌だ。
レイチェル嬢はにこりと笑った。
「ちゃんとお伝えしましたからね。上手くやってくださいよ? そうじゃないと、お詫びになりませんから」
彼女は囁くと、踵を返した。私は、仕事中ということも忘れて、ただ呆然と彼女の後ろ姿を眺めていた。
「どうしたの、レイチェル嬢なんか見ちゃって」
我に返るきっかけは、ベティ嬢の密やかな声だった。彼女は不満げな顔でサリュートル侯爵子息に尋ねていた。
「いや……、いつもは挨拶をしてくれているのに、今日はそうじゃなかったから。自分から話しかければよかったかなって……」
その返答に彼女は気を悪くしたらしい。眉間に皺を寄せて、低い声でつぶやいた。
「彼女とは、関わらない方がいいと思うよ?」
「どうして?」
「あの人、野心家で有名だもの。権力者や人気者に愛想を振りまくことに余念がないし」
誰が聞いているかも分からないカフェでするには不用意な発言。その辺りでやめておけばいいのに、彼は反論した。
「それは、彼女がニコラス殿下の婚約者だからだろう? 将来を見据えた社交活動をするのは、当然じゃないのか」
チカチカと点滅するベティ嬢の頭上のゲージ。数字こそ変わらなかったけれど、薔薇色は少しくすんだ色になってしまった。
これも、一種の嫉妬の表れだ。けれど、サリュートル侯爵子息はそれに気づかない。
「人を悪く言うのは良くないよ」
ベティ嬢は、苦虫を噛み潰したような顔で彼を見た。
「フレディは男の子だから、あの人の悪い部分が見えないんだよ」
「……じゃあ、ベティはどんなものを見てきたの?」
踏み込んだ質問に、彼女はもっと声を落とした。ボソボソとした声で、ほとんど何を言っているのか分からなかった。けれど、肝心な部分は聞き取れてしまった。
「彼女が、未だに決まらない王太子の座に、ニコラス殿下を就かせようと画策しているのはね。ニコラス殿下のためじゃない。レイチェル嬢は、王太子妃になりたいのよ。ニコラス殿下に尽くすふりをしているけれど、結局は全部自分のためで……」
そんなことはないと、私は断言できる。
レイチェル嬢からニコラス殿下に向けられるのは、薔薇色の愛情で、数字は100%。
それは、私がレイチェル嬢を初めて見た2年前から、一度たりとも変わっていない。ゲージは、彼女が一途にニコラス殿下を想い続けていることを示していた。
━━ゲージを見られたら、すぐに分かることなのに。
私は、サリュートル侯爵子息の頭の上を眺めながら思った。
私への好意は相変わらずアンロック状態で、何も分からない。そんな状態だから、つい期待してしまう。
彼は毎日のようにお店へ通ってくれる。
けれど、私は彼と少しも仲良くならない。彼は私との雑談を望んでいない。それどころか、彼はまともに目を合わすことすら嫌がっているのだ。
彼が毎日のように店へ通ってくれるのは、ただ、うちのケーキを気に入ってくれただけなのだろうか……。
そう思いながらも、私は期待を捨て去ることを、どうしてもできなかった。
彼は毎日来てくれている。
社交活動に熱心なレイチェル嬢が、私に味方をして、情報を与えてくれた。
それって、少しは私にも勝ち目があるってことなんじゃないかしら?
「すみません」
席に着いているお客様から呼ばれた。私は、淡い期待を胸に抱いたまま、背筋を伸ばして客席へと向かった。
「左様でございますか。ヴァレンティスデー用ですよね?」
そう言いながら、ビター過ぎる例のチョコレートをショーケースから取り出した。
お店で一番不人気な苦いチョコレート。それは、お得意様である彼女のために常備されているといっても過言ではない。
「ラッピングはどの包装紙にいたしましょうか」
三種類の包装紙を差し出すと、彼女はシックな花柄のものを選んだ。
「それを当日、うちの屋敷に届けてくださる?」
準備のよい彼女は、住所の書いたメモを渡してきた。
「かしこまりました。お預かりいたします」
「それから、孤児院に寄付するものも予約したいのです。十人分なのですが、お願いできますか」
「勿論です。前日に配達でよろしかったでしょうか」
去年も同じ注文を受けていた。記憶を頼りに言えば、彼女は微笑んだ。
「ええ。それでお願いします」
孤児院の名前を確認してメモを取る。
そうしている間に、バーバラがトレーを持って、私達の傍を通り過ぎた。
私が伝票に記入する間に、彼女はお茶とケーキをテーブルに置いていく。
「お待たせしました、お会計はこちらになります」
伝票を見せて金額を提示すると、レイチェル嬢は学生鞄の中から袋を取り出した。
「足りるでしょうか」
私は袋を預かると中身を数えた。
「こちらをお預かりいたしますね」
お会計分だけを取ろうとすると、レイチェル嬢は言った。
「残りはミモザ嬢のチップです」
婚約者と同じことをする。それが何だかおかしくて、笑ってしまいそうになるのを我慢する。
「ありがとうございます」
お礼を言って、レジにお金を入れていると彼女は一歩前に詰め寄った。顔をぐっと近づけて、そっと囁く。
「この間、ニコラス殿下が失礼なことをしたお詫びに教えて差し上げます」
突然の申し出に戸惑う間もなく、彼女は言葉を続けた。
「ベティ・ホワイトニュート伯爵令嬢……。そこにいる彼女が今度のヴァレンティスデーに、サリュートル侯爵子息に告白するんですって」
先に想いを告げられるかもしれない。そう考えただけで、胸の奥がざわついた。
「しかも、侯爵子息が乗り気になれば、家同士の正式なお付き合いになるのだとか……」
それは、つまり、婚約するということ?
私はまだ、何も決めていないのに。けれど、このままでいられないことだけは、はっきりしていた。もたもたしていれば、彼はますます遠い存在になってしまう。
━━そんなのは、嫌だ。
レイチェル嬢はにこりと笑った。
「ちゃんとお伝えしましたからね。上手くやってくださいよ? そうじゃないと、お詫びになりませんから」
彼女は囁くと、踵を返した。私は、仕事中ということも忘れて、ただ呆然と彼女の後ろ姿を眺めていた。
「どうしたの、レイチェル嬢なんか見ちゃって」
我に返るきっかけは、ベティ嬢の密やかな声だった。彼女は不満げな顔でサリュートル侯爵子息に尋ねていた。
「いや……、いつもは挨拶をしてくれているのに、今日はそうじゃなかったから。自分から話しかければよかったかなって……」
その返答に彼女は気を悪くしたらしい。眉間に皺を寄せて、低い声でつぶやいた。
「彼女とは、関わらない方がいいと思うよ?」
「どうして?」
「あの人、野心家で有名だもの。権力者や人気者に愛想を振りまくことに余念がないし」
誰が聞いているかも分からないカフェでするには不用意な発言。その辺りでやめておけばいいのに、彼は反論した。
「それは、彼女がニコラス殿下の婚約者だからだろう? 将来を見据えた社交活動をするのは、当然じゃないのか」
チカチカと点滅するベティ嬢の頭上のゲージ。数字こそ変わらなかったけれど、薔薇色は少しくすんだ色になってしまった。
これも、一種の嫉妬の表れだ。けれど、サリュートル侯爵子息はそれに気づかない。
「人を悪く言うのは良くないよ」
ベティ嬢は、苦虫を噛み潰したような顔で彼を見た。
「フレディは男の子だから、あの人の悪い部分が見えないんだよ」
「……じゃあ、ベティはどんなものを見てきたの?」
踏み込んだ質問に、彼女はもっと声を落とした。ボソボソとした声で、ほとんど何を言っているのか分からなかった。けれど、肝心な部分は聞き取れてしまった。
「彼女が、未だに決まらない王太子の座に、ニコラス殿下を就かせようと画策しているのはね。ニコラス殿下のためじゃない。レイチェル嬢は、王太子妃になりたいのよ。ニコラス殿下に尽くすふりをしているけれど、結局は全部自分のためで……」
そんなことはないと、私は断言できる。
レイチェル嬢からニコラス殿下に向けられるのは、薔薇色の愛情で、数字は100%。
それは、私がレイチェル嬢を初めて見た2年前から、一度たりとも変わっていない。ゲージは、彼女が一途にニコラス殿下を想い続けていることを示していた。
━━ゲージを見られたら、すぐに分かることなのに。
私は、サリュートル侯爵子息の頭の上を眺めながら思った。
私への好意は相変わらずアンロック状態で、何も分からない。そんな状態だから、つい期待してしまう。
彼は毎日のようにお店へ通ってくれる。
けれど、私は彼と少しも仲良くならない。彼は私との雑談を望んでいない。それどころか、彼はまともに目を合わすことすら嫌がっているのだ。
彼が毎日のように店へ通ってくれるのは、ただ、うちのケーキを気に入ってくれただけなのだろうか……。
そう思いながらも、私は期待を捨て去ることを、どうしてもできなかった。
彼は毎日来てくれている。
社交活動に熱心なレイチェル嬢が、私に味方をして、情報を与えてくれた。
それって、少しは私にも勝ち目があるってことなんじゃないかしら?
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