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本編1
2 身代わり婚
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それからアンドリュー卿は戻って来ることはなかった。一人残された部屋で、私は朝の訪れを恐れて、ずっと打ち震えていた。
━━朝なんて永遠に来なければいいのに。
私の願いが聞き届けられるはずもなく、日は昇ってくる。窓から差し込む光をこんなにも恨めしく思う日が来るだなんて、思ってもみなかった。
やがて、朝日を浴びた鳥の鳴き声が響き始めた時、お父様が部屋にやって来た。
「シアリーズ! この不出来な娘め!!」
お父様は部屋に入るなり、怒声をあげて私の頬を打った。ばちんという鈍い音を聞きながら、私はベッドに倒れ込んだ。
「カルベーラの小僧と初夜を過ごすこともできないのか!」
「ごめんなさい」
ズキズキと痛む頬を抑えて謝罪の言葉を口にする。それが、更なる痛みを招かずに済む唯一の手段だから━━
「私の顔に泥を塗るな。早く一夜を共にして“本当の夫婦”となるのだ」
お父様の目は怒りに満ちていた。口答えをしようものならまた殴られるのは明白だ。私は静かに「はい」と答えた。
お父様が部屋から立ち去ると、入れ替わりで入ってきた神官が神聖力を使って治療をしてくれた。
いつもならあり得ない対応。流石のお父様も、“褒賞”の顔に傷をつけてはまずいと思ったのかもしれない。
「初夜のご報告をお待ちしております」
神官は帰り際にそう言った。彼は、結婚の行事を最後まで終えられなかった私を遠回しに責めているのだろう。腹立たしさと気恥ずかしさで、私は唇を噛んだ。
そして、静けさの戻った部屋で改めて、新婚夫婦の習わしについて考えた。
この国の貴族には、結婚式を挙げた後に、夫婦が初夜を行ったことを教会に報告する慣習がある。そうすることによって“本当の夫婦”と認められるのだ。
つまり、逆を言えば、一夜を共に過ごすまでは、仮初の夫婦として考えられる。そのため、初夜を終えなければ、離婚の申し立ても可能なのだ。
私とアンドリュー卿の結婚の行事は、未だに終わっていない。だから、私達の関係は不安定なままだ。
このままの状態が続き、いつかアンドリュー卿から離婚を切り出されてしまったらと思うと、身震いがした。
━━離婚するわけにはいかないのよ。
私は“褒賞”として、彼との婚姻を維持しなければならない。
私は、こうなった原因を改めて思い返した。
私の結婚は、英雄となったアンドリュー卿が望んだからということになっている。
アンドリュー卿が英雄と認められたのは、彼が率いる勇者部隊が、ブラックドラゴンを倒したからだ。
長年西部地方で暴れ回っていたドラゴンを倒した功績を、国王陛下は大いに讃えて、アンドリュー卿に褒賞を与えることにした。
望みの物を問われたアンドリュー卿は「ジョルネスの娘」と答えたのだ。
だから、お父様は王命に従い、私をアンドリュー卿に差し出した。彼はこうして、“ジョルネスの娘”を手に入れたのだけれど━━
彼が本当に欲しかったのは、私ではなく3つ年下の妹、ジェシカの方だった。そのことをアンドリュー卿以外の誰もが知っている。
ジョルネス家に連なる娘は、強い神聖力をもって生まれる。大抵は15歳前後にその能力を発現し、妹のジェシカも例に漏れなかった。12歳で癒しの力を手に入れた彼女は、聖女として日々務めを果たし、ジョルネス家に多くの利益をもたらした。
━━同じジョルネスの娘である私とは大違いだわ。
私は21歳になった今でも、ジョルネスの聖女にふさわしい能力を出現させていない。20歳を超えて能力に目覚めた例はほとんどないから、私が聖女となる可能性は最早絶望的だ。
私は聖女となる見込みがない上に、その他に特段優れた才能を持っていなかった。ジェシカのように美しいわけでもないし、勉学に秀でているわけでも、手先が器用なわけでもない。武術や魔術なんてもってのほかだ。
だから、お父様はジェシカの代わりに私をアンドリュー卿に差し出したのだ。
「無能で役立たずのお前が我が家の役に立つ時が来たぞ」
王命を知らせる使者がやって来たあの日、お父様は私に向かって言った。
「お父様、アンドリュー卿が望んでいるのは私ではなく……」
「莫大な利益をもたらし、我がジョルネス家の繁栄に役立っているジェシカをどこの馬の骨とも知れない男に嫁がせるわけにはいかん! お前がジェシカの代わりにアンドリュー・カルベーラと結婚するのだ。分かったか!」
アンドリュー卿は身分こそ平民の騎士であるものの、王家にその功績を認められた英雄だ。そんな彼に見初められるのであれば、それはとても名誉なことであるはずなのに。
彼が妻に欲しているジェシカを嫁がせないなんて、間違っている。私を身代わりにするのは、王命に反することではないのかしら?
頭の中ではそう思っていても、お父様に意見することはできなかった。
お父様が握りこぶしを作って私を睨みつけていたからだ。彼の意に反することを言えば殴られる。私が物分りが良くなるまで何度でも━━
だから私はお父様の命令に従うしかなかった。
こうして、お父様はアンドリュー卿と王家を騙した。「ジョルネスの娘、シアリーズを嫁がせる」と約束をして、役立たずの私をアンドリュー卿に押し付けたのだ。
それからお父様は、私に対して、私達の婚姻を絶対的なものにするように要求してきた。
「式が終われば、すぐに夜を共にしろ。お前がカルベーラの求めた“ジョルネスの娘”でないと気付かれる前に」
お父様は結婚式の前にしきりにそう言っていた。
私達が正式な夫婦となれば、アンドリュー卿はもう、どうすることもできないと考えているのだろう。
だから、お父様にとって、私達の初夜は重要なものだった。
もし、私がアンドリュー卿と離縁することとなり、その後、彼がジェシカとの婚姻を求めたとしたら……。
私はきっと今まで以上にお父様から嬲られることになるだろう。ジェシカの目がなくなれば、お父様の暴力は今以上に、もっと過激になること間違いない。
━━そんなのは嫌。今でさえも辛いのに……。
でも、“本当の夫婦”となった後に、アンドリュー卿が騙されていたと気がついたら?
彼は私を殴るだろうか。それとも怒りのあまり私を斬り捨てる? 劣悪な環境に幽閉する可能性だってあるだろう。
でも、そうされても文句は言えない。この国の法律では、妻は夫のものだから。どう扱おうが夫の自由だ。夫から逃げようにも、私の場合は実家が頼りにならない。私に逃げ場はないのだ。
私が人間らしくまともに生きるためには、アンドリュー卿を騙して嘘を貫き通すしかない。“ジョルネスの娘”として彼の妻でいるしかないのだ。
━━でも、そんなの無理に決まってる。嘘はいつか、絶対にバレるもの。
そう思うと、涙が溢れてきた。
━━朝なんて永遠に来なければいいのに。
私の願いが聞き届けられるはずもなく、日は昇ってくる。窓から差し込む光をこんなにも恨めしく思う日が来るだなんて、思ってもみなかった。
やがて、朝日を浴びた鳥の鳴き声が響き始めた時、お父様が部屋にやって来た。
「シアリーズ! この不出来な娘め!!」
お父様は部屋に入るなり、怒声をあげて私の頬を打った。ばちんという鈍い音を聞きながら、私はベッドに倒れ込んだ。
「カルベーラの小僧と初夜を過ごすこともできないのか!」
「ごめんなさい」
ズキズキと痛む頬を抑えて謝罪の言葉を口にする。それが、更なる痛みを招かずに済む唯一の手段だから━━
「私の顔に泥を塗るな。早く一夜を共にして“本当の夫婦”となるのだ」
お父様の目は怒りに満ちていた。口答えをしようものならまた殴られるのは明白だ。私は静かに「はい」と答えた。
お父様が部屋から立ち去ると、入れ替わりで入ってきた神官が神聖力を使って治療をしてくれた。
いつもならあり得ない対応。流石のお父様も、“褒賞”の顔に傷をつけてはまずいと思ったのかもしれない。
「初夜のご報告をお待ちしております」
神官は帰り際にそう言った。彼は、結婚の行事を最後まで終えられなかった私を遠回しに責めているのだろう。腹立たしさと気恥ずかしさで、私は唇を噛んだ。
そして、静けさの戻った部屋で改めて、新婚夫婦の習わしについて考えた。
この国の貴族には、結婚式を挙げた後に、夫婦が初夜を行ったことを教会に報告する慣習がある。そうすることによって“本当の夫婦”と認められるのだ。
つまり、逆を言えば、一夜を共に過ごすまでは、仮初の夫婦として考えられる。そのため、初夜を終えなければ、離婚の申し立ても可能なのだ。
私とアンドリュー卿の結婚の行事は、未だに終わっていない。だから、私達の関係は不安定なままだ。
このままの状態が続き、いつかアンドリュー卿から離婚を切り出されてしまったらと思うと、身震いがした。
━━離婚するわけにはいかないのよ。
私は“褒賞”として、彼との婚姻を維持しなければならない。
私は、こうなった原因を改めて思い返した。
私の結婚は、英雄となったアンドリュー卿が望んだからということになっている。
アンドリュー卿が英雄と認められたのは、彼が率いる勇者部隊が、ブラックドラゴンを倒したからだ。
長年西部地方で暴れ回っていたドラゴンを倒した功績を、国王陛下は大いに讃えて、アンドリュー卿に褒賞を与えることにした。
望みの物を問われたアンドリュー卿は「ジョルネスの娘」と答えたのだ。
だから、お父様は王命に従い、私をアンドリュー卿に差し出した。彼はこうして、“ジョルネスの娘”を手に入れたのだけれど━━
彼が本当に欲しかったのは、私ではなく3つ年下の妹、ジェシカの方だった。そのことをアンドリュー卿以外の誰もが知っている。
ジョルネス家に連なる娘は、強い神聖力をもって生まれる。大抵は15歳前後にその能力を発現し、妹のジェシカも例に漏れなかった。12歳で癒しの力を手に入れた彼女は、聖女として日々務めを果たし、ジョルネス家に多くの利益をもたらした。
━━同じジョルネスの娘である私とは大違いだわ。
私は21歳になった今でも、ジョルネスの聖女にふさわしい能力を出現させていない。20歳を超えて能力に目覚めた例はほとんどないから、私が聖女となる可能性は最早絶望的だ。
私は聖女となる見込みがない上に、その他に特段優れた才能を持っていなかった。ジェシカのように美しいわけでもないし、勉学に秀でているわけでも、手先が器用なわけでもない。武術や魔術なんてもってのほかだ。
だから、お父様はジェシカの代わりに私をアンドリュー卿に差し出したのだ。
「無能で役立たずのお前が我が家の役に立つ時が来たぞ」
王命を知らせる使者がやって来たあの日、お父様は私に向かって言った。
「お父様、アンドリュー卿が望んでいるのは私ではなく……」
「莫大な利益をもたらし、我がジョルネス家の繁栄に役立っているジェシカをどこの馬の骨とも知れない男に嫁がせるわけにはいかん! お前がジェシカの代わりにアンドリュー・カルベーラと結婚するのだ。分かったか!」
アンドリュー卿は身分こそ平民の騎士であるものの、王家にその功績を認められた英雄だ。そんな彼に見初められるのであれば、それはとても名誉なことであるはずなのに。
彼が妻に欲しているジェシカを嫁がせないなんて、間違っている。私を身代わりにするのは、王命に反することではないのかしら?
頭の中ではそう思っていても、お父様に意見することはできなかった。
お父様が握りこぶしを作って私を睨みつけていたからだ。彼の意に反することを言えば殴られる。私が物分りが良くなるまで何度でも━━
だから私はお父様の命令に従うしかなかった。
こうして、お父様はアンドリュー卿と王家を騙した。「ジョルネスの娘、シアリーズを嫁がせる」と約束をして、役立たずの私をアンドリュー卿に押し付けたのだ。
それからお父様は、私に対して、私達の婚姻を絶対的なものにするように要求してきた。
「式が終われば、すぐに夜を共にしろ。お前がカルベーラの求めた“ジョルネスの娘”でないと気付かれる前に」
お父様は結婚式の前にしきりにそう言っていた。
私達が正式な夫婦となれば、アンドリュー卿はもう、どうすることもできないと考えているのだろう。
だから、お父様にとって、私達の初夜は重要なものだった。
もし、私がアンドリュー卿と離縁することとなり、その後、彼がジェシカとの婚姻を求めたとしたら……。
私はきっと今まで以上にお父様から嬲られることになるだろう。ジェシカの目がなくなれば、お父様の暴力は今以上に、もっと過激になること間違いない。
━━そんなのは嫌。今でさえも辛いのに……。
でも、“本当の夫婦”となった後に、アンドリュー卿が騙されていたと気がついたら?
彼は私を殴るだろうか。それとも怒りのあまり私を斬り捨てる? 劣悪な環境に幽閉する可能性だってあるだろう。
でも、そうされても文句は言えない。この国の法律では、妻は夫のものだから。どう扱おうが夫の自由だ。夫から逃げようにも、私の場合は実家が頼りにならない。私に逃げ場はないのだ。
私が人間らしくまともに生きるためには、アンドリュー卿を騙して嘘を貫き通すしかない。“ジョルネスの娘”として彼の妻でいるしかないのだ。
━━でも、そんなの無理に決まってる。嘘はいつか、絶対にバレるもの。
そう思うと、涙が溢れてきた。
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