Harmonia ー或る孤独な少女と侯国のヴァイオリン弾きー

雪葉あをい

文字の大きさ
130 / 161
第4章 RONDO-FINALE

op.15 悲しみと涙のうちに生まれ(7)

しおりを挟む
 エリーが自室へ戻った時にはもう窓の外は真っ暗になっていた。

 マティアスが準備してくれた寝巻きに袖を通しながら、窓の外に見える月をぼんやりと見上げる。今頃姉様も同じように月を見ているだろうか。それとももう寝ているかな、なんて考えながら。

「今日は大変でしたね、エアハルト様」
「……うん。僕ってまだまだなんだなぁ、って思ったよ」

 上手くいくと本気で思っていたのだ。けれども、ヴィクトルの事もイングリットの事も全然読みきれていなかった。

「見事にお二方にやり込められましたね」

 遠慮のない言葉にまあね、と零して苦笑する。ショックは受けたが、これでも立ち直りは早い自信がある。無理なら次の手を、とすぐに頭が回るのはきっと母の教育のおかげだろう。

「でも勉強にはなったかな。あの人達を相手にするには、僕はまだまだ考えが浅いんだなって。姉様を認知する事に対してのメリットは正確に評価出来ていたと思うし、お祖母様とヴィクトル様にとって悪い話じゃないのは事実だと思うんだ。多分視点が違うんだろうな。それとも視野自体が狭い? どう思うマティアス?」
「決めつけで動いてしまうところがおありなのでは?」

 うわ、きっびし。と零してエリーはコロコロと笑う。
 この側仕えは、こう言う時物言いに遠慮がない。だから好きだ。

「やり込められたにしては上機嫌ですね?」
「うん。だって今日ヴィクトル様は対等に話をしてくれたから」

 エリーを取るに足らない子供だと見なしたなら、ヴィクトルはエリーに何かを尋ねようとはしなかっただろうし、エリーの質問に対して答えをはぐらかす事も出来ただろう。でもヴィクトルはそれをしなかった。

 まだ社交界に出ていないエリーは、自分の実力を測る術が少ない。他家の後継と関わる機会も少ないから、こうして直接話せる機会は貴重だ。幼い頃からイングリットについてあちこちに行ってたエリーは、一方的に相手の顔を知っていることも多かった。特にライヒェンバッハの後継は。

「──僕とヴィクトル様は境遇が少し似ているでしょう? だから密かにちょっと憧れてたんだ。ライヒェンバッハの後継は優秀だって言われてたから」

 たった一人の跡取り。産まれた時に将来が決まっている事を、エリーも多くの跡取りの例に漏れず不思議には思わなかった。ただ自分の力不足に悔しさを覚えることは多くあるけれど──。

 まさか父親の不祥事の尻拭いで訪れた街で、偶然会う事になるとは思っていなかった。ずっと探していた姉と偶然出会う事だって。本当に人生は何があるか分からない。

「リチェル様の事は、どうなされるのですか?」
「諦める気はないよ」

 即答した。
 もちろんイングリットをすぐに説得することは無理だろうけれど、ヴィクトルからリチェルが迷惑に思う事はないという言葉も聞けたから、躊躇いはない。

 姉の話を初めて聞いたのは六歳の時だった。
 聞いたことをちゃんと内緒にできるようになったからと、母が教えてくれた。
 
 初めて聞いた時、自分に姉がいると言う事実が嬉しくてその夜はなかなか寝付けなかったのを覚えている。
 
 エリーの家族は祖母と両親がいたけれど、祖母と母、母と父はそれぞれ仲が悪く、家族で共に食卓を囲んだ記憶はエリーにはない。
 
 父は屋敷を留守にしてフラフラしていることが多く、たまに帰ってきたとしてもエリーの顔を見ると『お前は良いよなぁ。産まれた時から当主様だもんなぁ』と息子相手に管を巻くような人間だった。そのせいか幼い頃から良い印象はなくて、次第に近づかなくなっていった。
 
 十一の時、帳簿の数字が合わないことを知って、父を疑ったのはエリーにとって当然の成り行きだった。今思えば、父の所業は祖母と母にすでに知れていて、二人とも見ないふりをしていたのではないかと思うのだけど、告発したことをエリーは一度も後悔していない。

 だから心が痛かったのは、いつだって、祖母と母のことで──。

 母様は、お祖母様が憎いのだろうか。
 お祖母様は、母様が嫌いなのだろうか。

 ずっと聞きたかったのに、答えを聞くことが怖くて結局一度も聞けなかった。聞けないまま、母は天に召されてしまった。

 ずっと、後悔している。
 一度も二人に踏み込もうとしなかった事を。

 祖母と母を仲直りさせる事ができなかった。
 それが出来る人間がいたとしたら、きっとエリーだけだったのに。

 会った事もない姉への想いが募ったのは、母への愛情と後悔から来ている事は何となく分かっていた。それでも会いたいという気持ちには抗えない。だけど同時に怖くもあった。
 
 果たして、姉は自分に会いたいと思うだろうか?
 産まれてすぐに自分を捨てた母親を恨まずにいられるのだろうか?
 自分の辛い環境に反して、のうのうと裕福な家で生きてきた弟の事なんて、好きになりようがないのでは?

 もしくは、弟が貴族だと知って態度をころりと変えるような人間である場合だってある。例えば父のような──。

 見つけたとして、姉が自分の望むような人物である保証はどこにもないのだ。

 嫌われるのは嫌だったし、ようやく出会えた姉に自分が失望してしまうのはもっと怖くて、本当は積極的に探すのも忙しさを言い訳に二の足を踏んでいた。

 だから──。

『エドさんの心が休まるなら、少しでもお話をしたいのですけど、わたしにはお伝えできるようなお話が何もなくて……』

 ヴィタリで出会った、母によく似た少女はエリーにとって衝撃以外の何者でもなかった。

『それよりエド、エドは何もなかった?』

 当たり前のことのように、年下のエリーを心配してくれるリチェルの優しさは、エリーにとっては思い描いていた理想以上のものだった。

 だからリチェルが姉だと分かった時は、本当に嬉しかったのだ。リチェルのそばにヴィクトルがいた事も。天啓だと思った。

(わがままだとは、分かってるんだ──)

 リチェルにそばにいて欲しいのはエリーのわがままで、リチェル自身の望みではない事はちゃんと分かっている。

「エアハルト様。イングリット様は恐らく……」
「分かってる。でもね、マティアス。やってみずに諦めることを、僕はしたくない」

 心配しなくてもいいよ、とエリーは笑う。

「お祖母様を怒らせるような無茶はしないし、後継としての役目をおろそかには絶対しない。今日が最初で最後のチャンスって訳でもないし、まだ時間はあるんだから」

 リチェルの居場所も分かっているのだ。
 今までとは違う。

 祖母と母の性質はよく似ていた。
 どちらも意志が強くて、時に苛烈とさえ言える。だけどリチェルは違う。

(お祖母様と母様を仲直りさせる事は出来なかったけれど──)

 祖母とリチェルであれば、和解させる事は出来るのじゃないだろうか。

(だとしたら、今度こそ僕は──)

 と、廊下でバタバタと慌ただしい物音がした。何事だとエリーもマティアスも廊下の方に目を向ける。間も無く、エリーの寝室の扉が強くノックされた。

「何事だ」

 マティアスが扉を開けると、先日入ったばかりのメイドが血相を変えて『大変なんです!』と動揺もあらわに声を上げた。
 

「奥様が──!」


しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。

設楽理沙
ライト文芸
 ☘ 累計ポイント/ 190万pt 超えました。ありがとうございます。 ―― 備忘録 ――    第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。  最高 57,392 pt      〃     24h/pt-1位ではじまり2位で終了。  最高 89,034 pt                    ◇ ◇ ◇ ◇ 紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる 素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。 隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が 始まる。 苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・ 消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように 大きな声で泣いた。 泣きながらも、よろけながらも、気がつけば 大地をしっかりと踏みしめていた。 そう、立ち止まってなんていられない。 ☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★ 2025.4.19☑~

冷徹宰相様の嫁探し

菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。 その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。 マレーヌは思う。 いやいやいやっ。 私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!? 実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。 (「小説家になろう」でも公開しています)

結婚相手は、初恋相手~一途な恋の手ほどき~

馬村 はくあ
ライト文芸
「久しぶりだね、ちとせちゃん」 入社した会社の社長に 息子と結婚するように言われて 「ま、なぶくん……」 指示された家で出迎えてくれたのは ずっとずっと好きだった初恋相手だった。 ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ ちょっぴり照れ屋な新人保険師 鈴野 ちとせ -Chitose Suzuno- × 俺様なイケメン副社長 遊佐 学 -Manabu Yusa- ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ 「これからよろくね、ちとせ」 ずっと人生を諦めてたちとせにとって これは好きな人と幸せになれる 大大大チャンス到来! 「結婚したい人ができたら、いつでも離婚してあげるから」 この先には幸せな未来しかないと思っていたのに。 「感謝してるよ、ちとせのおかげで俺の将来も安泰だ」 自分の立場しか考えてなくて いつだってそこに愛はないんだと 覚悟して臨んだ結婚生活 「お前の頭にあいつがいるのが、ムカつく」 「あいつと仲良くするのはやめろ」 「違わねぇんだよ。俺のことだけ見てろよ」 好きじゃないって言うくせに いつだって、強引で、惑わせてくる。 「かわいい、ちとせ」 溺れる日はすぐそこかもしれない ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ 俺様なイケメン副社長と そんな彼がずっとすきなウブな女の子 愛が本物になる日は……

拾われ子のスイ

蒼居 夜燈
ファンタジー
【第18回ファンタジー小説大賞 奨励賞】 記憶にあるのは、自分を見下ろす紅い眼の男と、母親の「出ていきなさい」という怒声。 幼いスイは故郷から遠く離れた西大陸の果てに、ドラゴンと共に墜落した。 老夫婦に拾われたスイは墜落から七年後、二人の逝去をきっかけに養祖父と同じハンターとして生きていく為に旅に出る。 ――紅い眼の男は誰なのか、母は自分を本当に捨てたのか。 スイは、故郷を探す事を決める。真実を知る為に。 出会いと別れを繰り返し、命懸けの戦いを繰り返し、喜びと悲しみを繰り返す。 清濁が混在する世界に、スイは何を見て何を思い、何を選ぶのか。 これは、ひとりの少女が世界と己を知りながら成長していく物語。 ※週2回(木・日)更新。 ※誤字脱字報告に関しては感想とは異なる為、修正が済み次第削除致します。ご容赦ください。 ※カクヨム様にて先行公開(登場人物紹介はアルファポリス様でのみ掲載) ※表紙画像、その他キャラクターのイメージ画像はAIイラストアプリで作成したものです。再現不足で色彩の一部が作中描写とは異なります。 ※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

転生『悪役』公爵令嬢はやり直し人生で楽隠居を目指す

RINFAM
ファンタジー
 なんの罰ゲームだ、これ!!!!  あああああ!!! 本当ならあと数年で年金ライフが送れたはずなのに!!  そのために国民年金の他に利率のいい個人年金も掛け、さらに少ない給料の中からちまちまと老後の生活費を貯めてきたと言うのに!!!!  一銭も貰えないまま人生終わるだなんて、あんまりです神様仏様あああ!!  かくなる上はこのやり直し転生人生で、前世以上に楽して暮らせる隠居生活を手に入れなければ。 年金受給前に死んでしまった『心は常に18歳』な享年62歳の初老女『成瀬裕子』はある日突然死しファンタジー世界で公爵令嬢に転生!!しかし、数年後に待っていた年金生活を夢見ていた彼女は、やり直し人生で再び若いままでの楽隠居生活を目指すことに。 4コマ漫画版もあります。

課長と私のほのぼの婚

藤谷 郁
恋愛
冬美が結婚したのは十も離れた年上男性。 舘林陽一35歳。 仕事はできるが、ちょっと変わった人と噂される彼は他部署の課長さん。 ひょんなことから交際が始まり、5か月後の秋、気がつけば夫婦になっていた。 ※他サイトにも投稿。 ※一部写真は写真ACさまよりお借りしています。

婚約破棄を申し入れたのは、父です ― 王子様、あなたの企みはお見通しです!

みかぼう。
恋愛
公爵令嬢クラリッサ・エインズワースは、王太子ルーファスの婚約者。 幼い日に「共に国を守ろう」と誓い合ったはずの彼は、 いま、別の令嬢マリアンヌに微笑んでいた。 そして――年末の舞踏会の夜。 「――この婚約、我らエインズワース家の名において、破棄させていただきます!」 エインズワース公爵が力強く宣言した瞬間、 王国の均衡は揺らぎ始める。 誇りを捨てず、誠実を貫く娘。 政の闇に挑む父。 陰謀を暴かんと手を伸ばす宰相の子。 そして――再び立ち上がる若き王女。 ――沈黙は逃げではなく、力の証。 公爵令嬢の誇りが、王国の未来を変える。 ――荘厳で静謐な政略ロマンス。 (本作品は小説家になろうにも掲載中です)

公爵家の秘密の愛娘 

ゆきむらさり
恋愛
〔あらすじ〕📝グラント公爵家は王家に仕える名門の家柄。 過去の事情により、今だに独身の当主ダリウス。国王から懇願され、ようやく伯爵未亡人との婚姻を決める。 そんな時、グラント公爵ダリウスの元へと現れたのは1人の少女アンジェラ。 「パパ……私はあなたの娘です」 名乗り出るアンジェラ。 ◇ アンジェラが現れたことにより、グラント公爵家は一変。伯爵未亡人との再婚もあやふや。しかも、アンジェラが道中に出逢った人物はまさかの王族。 この時からアンジェラの世界も一変。華やかに色付き出す。 初めはよそよそしいグラント公爵ダリウス(パパ)だが、次第に娘アンジェラを気に掛けるように……。 母娘2代のハッピーライフ&淑女達と貴公子達の恋模様💞  🔶設定などは独自の世界観でご都合主義となります。ハピエン💞 🔶稚拙ながらもHOTランキング(最高20位)に入れて頂き(2025.5.9)、ありがとうございます🙇‍♀️

処理中です...