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風の女神2
しおりを挟むアリサの目の前に現われた少女。
薄いブルーの瞳がアリサを見つめた。
その視線がつま先から頭頂部まで舐めるように移動していく。
「こんな人族と出会えるなんて驚いたわ。」
少女の言葉にアリサはキョトンとしているだけだった。
何の事なの?
そう問い掛ける前に少女は口を開いた。
「私の名はウィンディ。風の亜神の使いだと思ってくれれば良いわ。」
「風の亜神?」
アリサは不思議そうにウィンディを見つめた。
「そうよ。あなたの名前は?」
「アリサです。」
アリサはそう答えつつも、風の亜神などと言う存在が居るのだろうかと疑問を持った。
この世界の者であれば、伝説や昔話でそう言う存在を身近に感じていたのかも知れない。
だが、異世界から転移してきたアリサにとっては、想像も出来ない存在だ。
しかも、無理矢理転移されてしまった状況を考えると、嘘をついているようにも思えない。
アリサの思いを読み取った様に、ウィンディはゆっくりと話し始めた。
「見ての通り、私はまだしばらく仮眠している筈だったのよ。でもあなたが現われたので起こされてしまった。」
「だって・・・止まり木が見つかったんだもの。」
えっ!と驚いてアリサは後ろに一歩下がった。
「止まり木って・・・」
「そう。あなたが持っているスキルの事よ。あなたのステータスは確認したからね。」
ウっと呻いてアリサは胸を隠すような仕草をした。
それはアリサを召喚した神官達にも分からなかったスキルだったのだ。
「これって何なの? このスキルって何も発動出来なかったわよ。」
アリサの言葉にウィンディはうふふと笑った。
「だからそれは止まり木なのよ。風の女神が留まる場所。」
「つまり私があなたの身体に宿るためのスキルなのよ。」
アリサは驚いて更に後ろに引き下がった。
「私の身体に憑りつくつもりなの?」
「違うわよ!」
ウィンディは咄嗟に叫んだ。
「私だって人族の身体の中にずっと入っているなんて耐えられないわよ。風のように自由気ままが私の信条なんだからね。」
「だったら・・・だったらどうするって言うの?」
「うふふ。こうするのよ。」
そう言ってウィンディはパチンと指を鳴らした。
その途端にウィンディの胸元に小さなブルーのハービーが現われた。
使い魔だ。
醜悪な容貌のハービーと異なり、その姿形はデフォルメされていて、幼女のような顔立ちになっていた。
「可愛い!」
思わず声をあげたアリサにウィンディは嬉しそうに頷いた。
「これを宿らせて欲しいの。使い魔だから私とも念話でやり取りが出来る。それにこの使い魔はアリサの意志には干渉出来ないから、アリサを操る事なんて出来ないわ。安心して良いわよ。」
そう言ってウィンディはアリサにその使い魔を手渡した。
小さなハービーは懐くようにアリサの手に擦り寄って来た。その仕草が可愛らしい。
「その使い魔をアリサの胸に軽く押し付けるのよ。そうすれば入り込んでいくからね。」
アリサはウィンディの言葉を鵜呑みに出来なかった。まだ疑問が残っているからだ。
「ねえ、ウィンディ。あなたの目的は何なの? 私に使い魔を宿らせて何をしようとしているの?」
ウィンディはアリサの言葉にニヤッと笑って頷いた。
「そう言えばまだ言っていなかったわね。」
「アリサには風の女神の使いを演じて欲しいのよ。私の代身としてね。」
「ええっ! 風の女神の使い? 私が演じるの?」
意味の分からなくなったアリサは動揺した。その様子を見てウィンディは優しく語り掛けた。
「地上に神殿の遺跡があったわよね。あれは風の女神の神殿だったのよ。1000年ほど前に造って貰ったの。それを再興してくれれば良い。神殿は私が知人に頼んで奇麗に建て直してあげるからね。」
「でも・・・私は街の料理屋の住み込みの店員で、女神や神官なんかじゃないわよ。神殿に務めた事も無いし・・・」
「そんなの、啓示が降りたとでも言えば良いのよ。あんた達人族ってそう言う話が好きでしょ?」
まあ、その指摘はあながち間違ってはいないが・・・。
アリサはしばらく考え込んで口を開いた。
「でも、私が風の女神の使いだと言ったところで、誰が信じてくれるのよ。」
「そうよね。だからこそ使い魔を宿らせるんじゃないの。」
そう言ってウィンディはアリサの手をがっしりと掴み、無理矢理アリサの胸に押し付けた。その途端に小さなハービーの身体がスッとアリサの胸の中に入り込んでいった。
その途端にアリサは胸に熱い感覚を受けた。巨大な魔力の塊が入り込んでくる感覚をアリサはまだ経験していない。それ故にその感覚が不気味にも思えたが、その後から爽やかな春風が身体を包み込むような感覚を得た。
身体中に魔力が漲ってくる。その溢れんばかりの魔力が、身体のあちらこちらから吹き出るような勢いだ。
身体全体が仄かに光り、五感が研ぎ澄まされていく。
その不思議な感覚に戸惑うアリサに、ウィンディは優しく囁いた。
「アリサ。自分のステータスを確認してみれば、あなたの身体に何が起きたか分かるわよ。」
アリサはウィンディに言われるままに、自分のステータスを開いてみた。
**************
アリサ(兵藤?)
種族:人族 レベル30
年齢:19
体力:3000
魔力:5500
属性:風・火
魔法:エアカッター レベル15
エアストーム レベル15
ファイヤーボール レベル15
ファイヤーボルト レベル13
風神の止まり木(使用中)
スキル:鑑定 レベル5
探知 レベル5
毒耐性 レベル5
属性付与 風属性のみ可能
秘匿領域
風の女神の恩寵1
(風属性の魔法全般5倍強化)
(耐魔法シールド)
発動回数は1日1回、発動時間は1日3時間のみ
風の女神の恩寵2
(空間魔法をレベル15で発動可)
**************
アリサは自分のステータスを見て愕然とした。
「何だか・・・とんでもない事になっているわよ。」
唖然とするアリサにウィンディはふふふと笑って口を開いた。
「秘匿領域は誰からも見えないから安心して。それで、風の女神の恩寵1は使用制限があるの。制限を掛けないとアリサの身体が、過度のパワーアップに対して耐えられないからね。」
そうだろうなとアリサは直感的に思った。
これほどの急激なパワーアップなんて想像も出来ないのだが・・・。
「属性付与は風属性だけなんだけど、これをこの地域の人族に施してあげれば良いわ。風の女神を祀る代価としてアリサが人々に与えるのよ。そうすれば風の神殿の信奉者も増えるからね。」
「後は風車の活用なんかも教えてあげれば良いわよ。」
「普段は飲食店の店員でも良いわよ。必要な時だけ神殿で風の女神の使いとして振舞ってくれれば、私としてはそれで充分だからね。」
矢継ぎ早に話すウィンディだが、アリサは今一歩乗り気になれなかった。
「でも、私が風の女神の使いだと言っても、誰も信じてくれないんじゃないの?」
アリサの言葉にウィンディはうんうんと頷いた。
「それなら大丈夫。街の長の前で啓示を受けたと話せば良いわ。その時に私が風の女神の姿で天から降りて来て、アリサを私の使いだと公言してあげるからね。」
「それに神殿の遺跡が瞬時に復元されれば、誰でも信じるわよ。」
そう言われても俄かには信じ難い。
「そんな事が出来るの?」
「それも大丈夫。以前からある人物に頼んであるからね。」
まあ、ウィンディが出来ると言うのなら出来るのだろう。
アリサは仕方なくウィンディの頼みを受け入れた。
そしてその数日後。
アリサはまだそれほどにチプラの街で人脈を持っていない。
それ故にまずハーグに事の次第を話した。
その時点で既に風の神殿は奇麗に建て直されていたので、ハーグもアリサの言葉を無視するわけにもいかなかった。
また、広い庭の真ん中でアリサに応対していたハーグは、アリサの様子にも違和感を感じていた。
アリサの身体全体が仄かに光っていたからだ。
何か尋常ではない事が起きている。
そう思ったハーグの前方に空に大きな光の球が現われて、ゆっくりと下に降りて来た。
それは薄いブルーの光を放ち、何故か周囲に清涼感を漂わせている。
何事だ?
驚きのあまりハーグは声も出ない。
その光の球は次第に形を変え、程なく巨大な女神の姿になった。
身長は5mほどもあるだろうか。
女神は薄いブルーのローブを纏い、優し気な目でハーグを見つめている。
その存在感にハーグは圧倒されてしまった。
「私は風の女神。私の使いをここに居るアリサに託しました。」
大きな声と共に爽やかな風がハーグの身体を擦り抜けていく。それはまるでハーグの心を癒しているようだ。
それによってハーグの心からは警戒心や疑いが全て消え去ってしまった。
「風の神殿は既に建て直しましたので、アリサに祭司を任せようと思います。私の権能を分け与えたので、風属性を持っていない者はアリサから付与して貰いなさい。」
「風の神殿を信奉すれば多くの恩寵を受ける事が出来るのですよ。」
そう言いながら風の女神は上空にゆっくりと昇っていき、点となって消えていった。
この様子を周辺の農家の人々もリアルタイムで見ていたので、何事かと思ってハーグの屋敷に集まって来た。その人々にハーグが説明する事でアリサの件も認知され、チプラの街中に話が広がっていったのだった。
*****************************
ウィンディからアリサの話を聞いて、リリスは幾つか疑問を抱いた。
「風の神殿を建て直したって言っていたけど、誰が建て直したの? まさか・・・・・」
リリスの言葉にウィンディはへへへと照れ笑いをした。
「多分リリスの予想通りよ。チャーリーに頼んだのよ。」
やっぱり!
リリスはその件に関しては腑に落ちた。
土の亜神でなければそんな事は出来ないだろうからだ。
「でも、チャーリーが良く応じてくれたわね。」
「それは・・・少しの間だけど頼み続けていたからね。」
「少しの間ってどれくらいの時間なの?」
リリスの矢継ぎ早の問い掛けに、ウィンディはう~んと唸って思いを巡らせた。
「100年程度かしらね。」
うっ!
聞く意味が無かったわね。
「私の頼みを聞いてくれるまで、風のようにチャーリーに纏わりついてやったわ。」
そんなところで風属性を強調しなくても良いわよ。
要するにストーカー行為をしていたって事よね。
「でも、どうして風の神殿って朽ち果てていたの?」
「それはねえ。」
ウィンディはバツが悪そうな表情を見せた。
「最初は私が風の女神の使いを演じていたのよ。でも途中で飽きちゃって・・・・・」
やっぱり気紛れだわ、こいつ。
リリスは呆れてふうっとため息をついた。
だがまだ気になる事がある。
気を取り直して、リリスはウィンディに問い掛けた。
「それでアリサさんってそんなにパワーアップして、スキルやパワーを持て余していたんじゃないの?」
「それがそうでもなかったのよ。」
ウィンディはそう言って遠くを見つめるような仕草をした。
「その頃は人族に敵対する魔人が横行していてね。何かと物騒な事件や災厄が多かったのよ。」
「アリサが風の女神の神殿で祭司を務めていた頃にも大きな災厄があってね。魔人がイナゴの群れを操って、イシュタルト公国の周辺の国々を壊滅させた事があったわ。それがイシュタルト公国にも押し寄せて来て・・・・・」
ウィンディの言葉にイライザが突然アッと叫んだ。
「それって我が国の国史の授業で聞いた事があります。イシュタルト二世の統治時代の災厄でしたよね。」
イライザの言葉にリリスは首を傾げた。
「イナゴの群れって、作物を食い荒らすの?」
「そんなものじゃないわよ!」
イライザは窘めるようにリリスを見つめた。
「イナゴと言っても体長が1mもあるのよ。それが空を覆い尽くすほどの群れで襲って来たって聞いたわ。」
「食い尽くされたのは作物だけじゃないのよ。人も家畜も魔物も、生きているものは全て食い尽くされたのよ!」
ウっと呻いてリリスは息を呑んだ。
「魔人がイナゴを巨大化させたのよ100万匹の群れだから、相当前から準備していたんでしょうね。」
ウィンディの説明にリリスは思いを巡らせた。
魔人の策略だったのか!
それはどれほど悲惨な状況だったのだろうか。
「でもイシュタルト王国はその災厄を免れたのよね。それはアリサさんのお陰なの?」
リリスの問い掛けにウィンディは頷き、その当時の事を思い出しながら話し始めた。
*****************************
アリサが風の女神の神殿に祭司として務めて5年ほど経った頃、隣国から驚くべき災厄の話が飛び込んできた。
100万匹の巨大なイナゴの群れに襲われて、国が壊滅状態に陥ったと言う。
そのイナゴの群れはイシュタルト公国との国境付近で羽を休めているようだ。次の行動に向けて準備をしているのだろうか?
山々は樹木まで食い荒され、隣国側は禿山のような状態になっていると聞く。
神殿に駆けつけて来たハーグの話にアリサは瞬きもせず聞き入っていた。
「それで国は何か対策を講じているのですか?」
アリサの問い掛けにハーグは首を横に振った。その顔から諦めの表情が読み取れる。
「残念ながらどうする事も出来ないと言う様子だね。明日の朝にはイナゴの群れは動き出すだろう。山裾の村々を襲ってからこのチプラを襲う事になりそうだ。」
「地下に深く潜って逃れる事が唯一の逃げ道だね。地上に居ると一人も残らず奴らの餌になってしまう。」
う~ん。
これって何とかならないのかしら?
アリサの思いにウィンディが使い魔を通して反応してきた。
『アリサ。あなたなら大丈夫よ。その為にパワーアップしたんだからね。』
それって風の女神の恩寵を使えって事?
『そうよ。使い方はその都度私が教えるから、やってみなさい。』
やってみろって言われてもねえ。
『大丈夫だってば。私を信じなさいよ。』
う~ん。
仕方が無いわね。
ウィンディの力を信じるしかないのかしらねえ。
アリサはしばらく熟考した。
アリサとハーグの間に沈黙が続く。
その沈黙を破るように、再度気持ちを引き締めたアリサはハーグに静かに語り掛けた。
「ハーグさん。風の女神から啓示が降りました。私が一人で対処するようにとの事です。」
アリサの言葉にハーグはえっ!と驚いて言葉を詰まらせた。
「そんな危険な事をするって言うのかい? 相手は魔人に操られた100万匹のイナゴだぜ。勝ち目があるとは全く思えないよ。」
ハーグの言葉にアリサは優しくうんうんと頷いた。
「ええ。でも風の女神が力をくださると言っていますので、大丈夫だと思います。」
「そうは言っても・・・・・」
ハーグはアリサの言葉に納得出来るはずもなく、心配のあまり顔を引きつらせていた。
その気持ちをありがたく感謝しながら、アリサはハーグの気持ちを落ち着かせるように努めたのだった。
その翌日。
イナゴの群れは国境を越えた。
100万匹の巨大なイナゴは山裾の村々を襲い、その勢いのままチプラの街に向かってきた。
街の人々はあらかじめ掘った地下室に退避したのだが、アリサは一人で神殿の最上階のテラスに立った。
強い風が吹き荒れる中、遠くに黒い雲が見える。
それは雲ではなくイナゴの群れだ。
その雲が見る見るうちに広がっていく。
空を覆い尽くすほどの群れが刻々と近付いてくる。
体長1mもあるイナゴと考えただけでゾッとするのだが、アリサは唇を噛み締めてその群れを見つめた。
『アリサ。風の女神の恩寵を全て発動させなさい!』
ウィンディの念話を受けて、アリサは風の女神の恩寵を発動させた。
その途端に身体中に魔力が激しく巡り、アリサの身体に周囲から魔力が暴風のように流れ込んできた。
そのあまりの勢いに眩暈がする。
それを耐えてアリサは流れ込む魔力を受け止めるように心掛けた。
身体中が熱くなり、あちこちから魔力が少し噴き出している。
しかも驚くほどに力が漲って来た。
これならやれるかも・・・。
徐々に迫ってくる黒い雲のような敵を見つめ、アリサは決意を固め、拳を強く握りしめたのだった。
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