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招き猫
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「猫ってイイですよね」
お気に入りの喫茶店のよく座るカウンター席の隣で私にそう声を掛けてきたのは、黒いスーツ姿がよく似合う若い男だった。
「ええ、ここの看板猫は人懐っこいので癒されます」
店の常連以外の客と会話するのは実に久しい。男はどこかのビジネスマンなのだろうか、足元に黒いアタッシュケースが置いてある。店の看板猫が不思議そうにその匂いを嗅いでいた。
「気になりますか?」
「ああ、すみません。ここの常連さん以外の方とお話するのは珍しいことでしたので…」
私は自分の好奇心を恥じた。
「大丈夫ですよ。私、医療関係の営業を生業としてましてね。これには商売道具が入っているのですよ」
「そうでしたか。私はこの近くで祖父から譲り受けた書店で店主をしております」
「へぇ~。本屋さんは居心地がいいので、よく行きますよ」
男は人当たりが良く、初対面にしては会話がかなりはずんだ。
(さぞかし、優秀な営業マンなんだろうなぁ)
ニャア。
「おっと」
私が飲んでいるコーヒーのカップに当たらないように看板猫がカウンターの上に飛び乗ってきた。
「接客モードに入ったようですね」
店のマスターが静かに微笑んだ。
「見事に綺麗な黒猫ですねぇ」
男が愛おしそうに猫を撫でる。
ンニャア。
満更でもなさそうに猫は私たちの方にお腹を見せるように寝転がった。この猫はもともと保護猫で、いろんな経緯があって猫好きのマスターが引き取ったそうだ。以来、店だけでなく地域全体の看板猫として広く愛されている。彼女の好きな場所は、マスターがいるカウンター内のレジ近くのクッションの上か日差しが程よく当たる窓辺だ。通りを歩く人たちは、その姿を見てスマートフォンで写真を撮ったり、来店したりする。ただし、彼女と触れ合って良いのは、ちゃんと注文したあとの客だけなのが、この店のルール。
『注文前の猫への“お触り”厳禁 店主より』
と、注意書きがレジ近くの壁際に貼ってある。
(まあ、この美猫に触れられるのなら、コーヒー1杯は安すぎるくらいだ…)
「ご自宅では猫を飼っていらっしゃるんですか?」
猫から視線を外さないまま、男が私に尋ねてきた。
「えっ?…ああ、飼ってないですよ。自宅も兼ねた店はペット不可ではないのですが、私、独り身でしてね。なので、自分みたいなのが猫の命を背負えられるのかなって思ってしまい、どうしても迎えられないんですよ」
「猫も命ある立派な生き物ですからねぇ…」
「はい…。まあ、あとは出逢いですかね」
ニャッ。
猫を撫でる手を止めて、男は少し考え込んだ。そして、
「もしよろしければ、私から“イイ物”をお譲りいたしましょう」
「“イイ物”…?」
「はい」
そう言って、男はスーツの内ポケットから何やら取り出してきた。それは透明な袋に包装されていたが、ペンダントのようなシンプルなつくりの首飾りで、オレンジ色の1つの小さなガラス玉が付いているのに目が行った。
「それは?」
「これは、【手繰り寄せの出逢い】という少々変わったアロマペンダントでして。猫を本当に家族として迎入れたい方が開封して身につけますと、すぐに良きパートナーとなる猫が現れるという代物になります」
「まるでお伽話のようですね」
「言われてるだけです」
そう言って、男はそのペンダントを私の手元の近くに置いた。
「古来より植物の香りは様々な宗教的儀式に使われてきましたし、ヨーロッパではアロマテラピーを一種の医療行為に近しい存在として認知している国もあるくらいです。試しに使うのもいいかと…」
(ん~、どうしようかな………)
ニャア。ニャ、ニャ。
「ん?」
看板猫の彼女が私をじっと見つめてきた。私も思わず見つめ返してしまう。数秒間、時が止まったかのようだ。そして、
「……いただきましょう」
男が提示してくれたペンダントを私は譲り受けることにした。信憑性はどうであろうと、こういった“きっかけ”がなければ、猫好きの私が前に進むことはないのだろうから。その後、彼とは雑談をしばらくしてから会計を済ませ、帰宅した。
店に戻った私は、早速もらったペンダントを身につけた。心のどこかで彼の言っていたことを信じていた私は、その日は寝るまでソワソワしていた。
翌日、店を開こうと自宅である店の2階から階段で降りてきたところ、店の裏手にある勝手口の外から何か聞こえてきた。
ミィー、ミィー。ミィー。
(まさかっ⁉︎)
急いで勝手口のほうへ駆け寄り、慎重に扉を開けると、
(……い…、いるっ‼︎)
近寄って屈んでよく見ると、茶色と白色の毛が混ざった子猫がそこにいた。生まれてどのくらいの子だろうか。私は他に子猫がいないのかと辺り一面を確認してみたが、どうやら目の前にいるこの1匹の子猫だけのようであった。急遽、その日は臨時休業にして子猫を近くの動物病院へ連れて行き、獣医に観てもらった。これといった病気には罹っていないようで安心したが、軽度の脱水症状と栄養不足がみられるとのことらしい。店に連れて帰り、これから必要となる猫グッズを紙に書き出していると、
(マスターに一応報告してみるか)
すぐに喫茶店に電話すると、
「ほおっ!すぐに行くから待ってて」
と返事して、彼も店を臨時休業にして駆けつけてくれた。その日は、マスターのアドバイスのもと子猫が生活できるように道具を買い揃えることで1日が終わった。子猫は雄で、雑種のようであったから“ブレンドコーヒー”の“ブレ”と名付けた。ブレとの生活に慣れていくなかで、どうやら男からもらったペンダントを紛失してしまったようだ。思い出してみると、ブレが来た日あたりから見てないような気がする。そのうち見つかることを願う。
しかし、そのときの私は知らなかった。
ブレによって店に訪れる人の数が増えたことで、出版社勤務のとある本好きの女性と出逢い、やがて結婚することを。
お気に入りの喫茶店のよく座るカウンター席の隣で私にそう声を掛けてきたのは、黒いスーツ姿がよく似合う若い男だった。
「ええ、ここの看板猫は人懐っこいので癒されます」
店の常連以外の客と会話するのは実に久しい。男はどこかのビジネスマンなのだろうか、足元に黒いアタッシュケースが置いてある。店の看板猫が不思議そうにその匂いを嗅いでいた。
「気になりますか?」
「ああ、すみません。ここの常連さん以外の方とお話するのは珍しいことでしたので…」
私は自分の好奇心を恥じた。
「大丈夫ですよ。私、医療関係の営業を生業としてましてね。これには商売道具が入っているのですよ」
「そうでしたか。私はこの近くで祖父から譲り受けた書店で店主をしております」
「へぇ~。本屋さんは居心地がいいので、よく行きますよ」
男は人当たりが良く、初対面にしては会話がかなりはずんだ。
(さぞかし、優秀な営業マンなんだろうなぁ)
ニャア。
「おっと」
私が飲んでいるコーヒーのカップに当たらないように看板猫がカウンターの上に飛び乗ってきた。
「接客モードに入ったようですね」
店のマスターが静かに微笑んだ。
「見事に綺麗な黒猫ですねぇ」
男が愛おしそうに猫を撫でる。
ンニャア。
満更でもなさそうに猫は私たちの方にお腹を見せるように寝転がった。この猫はもともと保護猫で、いろんな経緯があって猫好きのマスターが引き取ったそうだ。以来、店だけでなく地域全体の看板猫として広く愛されている。彼女の好きな場所は、マスターがいるカウンター内のレジ近くのクッションの上か日差しが程よく当たる窓辺だ。通りを歩く人たちは、その姿を見てスマートフォンで写真を撮ったり、来店したりする。ただし、彼女と触れ合って良いのは、ちゃんと注文したあとの客だけなのが、この店のルール。
『注文前の猫への“お触り”厳禁 店主より』
と、注意書きがレジ近くの壁際に貼ってある。
(まあ、この美猫に触れられるのなら、コーヒー1杯は安すぎるくらいだ…)
「ご自宅では猫を飼っていらっしゃるんですか?」
猫から視線を外さないまま、男が私に尋ねてきた。
「えっ?…ああ、飼ってないですよ。自宅も兼ねた店はペット不可ではないのですが、私、独り身でしてね。なので、自分みたいなのが猫の命を背負えられるのかなって思ってしまい、どうしても迎えられないんですよ」
「猫も命ある立派な生き物ですからねぇ…」
「はい…。まあ、あとは出逢いですかね」
ニャッ。
猫を撫でる手を止めて、男は少し考え込んだ。そして、
「もしよろしければ、私から“イイ物”をお譲りいたしましょう」
「“イイ物”…?」
「はい」
そう言って、男はスーツの内ポケットから何やら取り出してきた。それは透明な袋に包装されていたが、ペンダントのようなシンプルなつくりの首飾りで、オレンジ色の1つの小さなガラス玉が付いているのに目が行った。
「それは?」
「これは、【手繰り寄せの出逢い】という少々変わったアロマペンダントでして。猫を本当に家族として迎入れたい方が開封して身につけますと、すぐに良きパートナーとなる猫が現れるという代物になります」
「まるでお伽話のようですね」
「言われてるだけです」
そう言って、男はそのペンダントを私の手元の近くに置いた。
「古来より植物の香りは様々な宗教的儀式に使われてきましたし、ヨーロッパではアロマテラピーを一種の医療行為に近しい存在として認知している国もあるくらいです。試しに使うのもいいかと…」
(ん~、どうしようかな………)
ニャア。ニャ、ニャ。
「ん?」
看板猫の彼女が私をじっと見つめてきた。私も思わず見つめ返してしまう。数秒間、時が止まったかのようだ。そして、
「……いただきましょう」
男が提示してくれたペンダントを私は譲り受けることにした。信憑性はどうであろうと、こういった“きっかけ”がなければ、猫好きの私が前に進むことはないのだろうから。その後、彼とは雑談をしばらくしてから会計を済ませ、帰宅した。
店に戻った私は、早速もらったペンダントを身につけた。心のどこかで彼の言っていたことを信じていた私は、その日は寝るまでソワソワしていた。
翌日、店を開こうと自宅である店の2階から階段で降りてきたところ、店の裏手にある勝手口の外から何か聞こえてきた。
ミィー、ミィー。ミィー。
(まさかっ⁉︎)
急いで勝手口のほうへ駆け寄り、慎重に扉を開けると、
(……い…、いるっ‼︎)
近寄って屈んでよく見ると、茶色と白色の毛が混ざった子猫がそこにいた。生まれてどのくらいの子だろうか。私は他に子猫がいないのかと辺り一面を確認してみたが、どうやら目の前にいるこの1匹の子猫だけのようであった。急遽、その日は臨時休業にして子猫を近くの動物病院へ連れて行き、獣医に観てもらった。これといった病気には罹っていないようで安心したが、軽度の脱水症状と栄養不足がみられるとのことらしい。店に連れて帰り、これから必要となる猫グッズを紙に書き出していると、
(マスターに一応報告してみるか)
すぐに喫茶店に電話すると、
「ほおっ!すぐに行くから待ってて」
と返事して、彼も店を臨時休業にして駆けつけてくれた。その日は、マスターのアドバイスのもと子猫が生活できるように道具を買い揃えることで1日が終わった。子猫は雄で、雑種のようであったから“ブレンドコーヒー”の“ブレ”と名付けた。ブレとの生活に慣れていくなかで、どうやら男からもらったペンダントを紛失してしまったようだ。思い出してみると、ブレが来た日あたりから見てないような気がする。そのうち見つかることを願う。
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