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乗換案内
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日々の満員電車での通勤とその都度の乗換えに疲れた私は、その日、仕事終わりにコンビニでカシスオレンジの缶と適当な菓子類を買った。途中、自宅近くの公園が目に入り、何気なく敷地内のベンチに腰を下ろした。さっさと帰って家のソファでだらければいいことは分かっていたのだが、そのときは夜空をなんとなく眺めたい気分であった。
(満員電車は学生時代から散々乗ってきたけど、都市部は乗換えが多くて大変だ…)
私が、まだ地元に住んでいた頃に高校進学で始めた通学手段は、乗換えのない片道40分の電車通学だった。それも30分おきであったため、乗り遅れると地獄を見たのは今でも覚えている。3年間、よく頑張ったものだ。
プシュッ。…グビ、グビ。
ベンチに寄りかかりながら、カシスオレンジを飲み始めた。
(ちょっと、ぬるいな…)
そう思いながら、私が続けてふた口ほど飲んでいると、
「お疲れのようですね」
「ん⁉︎」
自分以外に誰も座っていなかったはずのベンチに見知らぬ男がいつの間にか隣に座っていた。
「すみません、突然」
「い、いえ……」
(…誰?)
「今日は星がよく視える日なので、こちらの公園にたまたま寄りましたら、なにやらお仕事疲れの方がいらっしゃいましたので、思わず声をかけてしまいました」
「はぁ…」
(夜の公園で初対面の人間にいきなり話しかけるとか…。不審者か?)
男の出立ちは、黒い上下のスーツと顔に黒いマスクといった感じであり、人当たりの良さそうな顔立ちが印象に残る。
「怪しい者ではありませんよ。私、医療関係の営業をしている者でございます。見たところ、お兄さん、お仕事や満員電車での乗換え疲れですかね?」
「ん⁉︎」
(随分とピンポイントで当ててくるな…)
「まあ…、そんな感じですよ」
「そうですか。では、そんなお兄さんに私からのオススメのお薬がございます。それがこちらの【守護霊の引率】になります」
「…【守護霊の引率】?」
営業の彼はレザー製のアタッシュケースから何か取り出した。見ると、錠剤がいくつか入っている遮光性の瓶であった。
「まず、こちらの錠剤を朝食後に1錠だけ服用していただきます。そして、服用後に駅構内に行かれますと、ご自身が行きたい目的地付近の駅までに乗るべき電車についての乗換案内が頭に自然と浮かび上がってきます。もちろん、電車の発車時刻だけでなく、初めて歩かれる駅構内での道案内にも対応可能となっていますし、比較的空いている車両の情報も把握できます」
聞いたこともない薬の名前に素人でも分かるあり得ない効果に耳を疑った。
「市販の薬とは違って、少々特殊でして」
(いや、“少々”どころではない)
「ここでお会いできたのも何かの縁だと思いますので、おひとつ3,000円となりますが、お代は後日この薬の効果を実感したあとで構いません。お支払い方法は、こちらの口座に振り込むかたちでお願いいたします」
彼はそう言うと、錠剤の入った瓶と口座に関する情報のみが記された名刺のような物をベンチに置いて去っていった。
「なんだったんだ…」
結局、それらを自宅に持ち帰った私は、なんとなく興味が湧いたので翌日の出勤のときに飲んでみることにした。
* * *
朝食を済ませた私は例の錠剤を飲んで、いつものように駅へ向かった。そして、駅構内に入った瞬間、
『おはようございます。今朝の職場への道のりでトラブルはありません。そのまま7時35分発○△方面行き5番線列車に乗ってください』
「へっ?」
それは、耳元ではなく頭の中で誰かが囁いているようであった。
『お急ぎください。乗り遅れましたら、次は15分後の列車になります』
紳士的な若い透き通った男性の声に戸惑いつつも、声に従って電車に乗り込んだ。どうやら私以外の人間には聞こえていないようで、“声”はその後も私に交通情報を的確に知らせてきた。
(最初は気味が悪かったが、慣れると専属の秘書がいるみたいで心地良い…)
その日の通勤は快適そのものであった。その後も何度か男からもらった錠剤を私は服用した。
『駐車券をお取りください』
でお馴染みの声のときもあれば、
『いいか?次の任務は、○○方面行き15時24分発の3番線列車に乗ることだ。しくじるなよ。…幸運を祈る』
と、渋い男性の声のときもある。この前なんかは、
『あれほど申し上げましたのに、乗り遅れるとは、お兄様も甘いようですわね』
と、すごく冷たい女性の声が聞こえてきた。あれは怖かった。あと、たまに分かりづらい表現をするときもある。
『此度の戦(訳:営業)は、甲斐の虎、武田信玄の土地ぞ。油断するでない(訳:乗り遅れに注意してください)。まずは、お主がいる館(訳:自宅)から最寄りの宿場町(訳:駅)に向かい、そこから移動して一旦△△で陣を構えよ(乗り換えてください)。』
戸惑いもあれば、ユーモアある表現をする“声”がランダムに頭の中から私を導いてくれる。どうやら錠剤ひとつひとつが異なる“声”の持ち主のようだ。薬の効果を充分に実感した私は男が指示した口座に薬の代金を振り込んだ。すると、その日の電車での移動中にあの男の声が頭の中で囁かれた。
『振り込みを確認いたしました。再度、【守護霊の引率】が必要になりましたら、今回と同じ口座に代金を振り込んでいただきますと、翌日ご自宅への発送が可能となります。この度は誠にありがとうございました』
(ん~、また買うかもしれないな)
帰宅後、私は残っている薬の数を確認するのであった。
(満員電車は学生時代から散々乗ってきたけど、都市部は乗換えが多くて大変だ…)
私が、まだ地元に住んでいた頃に高校進学で始めた通学手段は、乗換えのない片道40分の電車通学だった。それも30分おきであったため、乗り遅れると地獄を見たのは今でも覚えている。3年間、よく頑張ったものだ。
プシュッ。…グビ、グビ。
ベンチに寄りかかりながら、カシスオレンジを飲み始めた。
(ちょっと、ぬるいな…)
そう思いながら、私が続けてふた口ほど飲んでいると、
「お疲れのようですね」
「ん⁉︎」
自分以外に誰も座っていなかったはずのベンチに見知らぬ男がいつの間にか隣に座っていた。
「すみません、突然」
「い、いえ……」
(…誰?)
「今日は星がよく視える日なので、こちらの公園にたまたま寄りましたら、なにやらお仕事疲れの方がいらっしゃいましたので、思わず声をかけてしまいました」
「はぁ…」
(夜の公園で初対面の人間にいきなり話しかけるとか…。不審者か?)
男の出立ちは、黒い上下のスーツと顔に黒いマスクといった感じであり、人当たりの良さそうな顔立ちが印象に残る。
「怪しい者ではありませんよ。私、医療関係の営業をしている者でございます。見たところ、お兄さん、お仕事や満員電車での乗換え疲れですかね?」
「ん⁉︎」
(随分とピンポイントで当ててくるな…)
「まあ…、そんな感じですよ」
「そうですか。では、そんなお兄さんに私からのオススメのお薬がございます。それがこちらの【守護霊の引率】になります」
「…【守護霊の引率】?」
営業の彼はレザー製のアタッシュケースから何か取り出した。見ると、錠剤がいくつか入っている遮光性の瓶であった。
「まず、こちらの錠剤を朝食後に1錠だけ服用していただきます。そして、服用後に駅構内に行かれますと、ご自身が行きたい目的地付近の駅までに乗るべき電車についての乗換案内が頭に自然と浮かび上がってきます。もちろん、電車の発車時刻だけでなく、初めて歩かれる駅構内での道案内にも対応可能となっていますし、比較的空いている車両の情報も把握できます」
聞いたこともない薬の名前に素人でも分かるあり得ない効果に耳を疑った。
「市販の薬とは違って、少々特殊でして」
(いや、“少々”どころではない)
「ここでお会いできたのも何かの縁だと思いますので、おひとつ3,000円となりますが、お代は後日この薬の効果を実感したあとで構いません。お支払い方法は、こちらの口座に振り込むかたちでお願いいたします」
彼はそう言うと、錠剤の入った瓶と口座に関する情報のみが記された名刺のような物をベンチに置いて去っていった。
「なんだったんだ…」
結局、それらを自宅に持ち帰った私は、なんとなく興味が湧いたので翌日の出勤のときに飲んでみることにした。
* * *
朝食を済ませた私は例の錠剤を飲んで、いつものように駅へ向かった。そして、駅構内に入った瞬間、
『おはようございます。今朝の職場への道のりでトラブルはありません。そのまま7時35分発○△方面行き5番線列車に乗ってください』
「へっ?」
それは、耳元ではなく頭の中で誰かが囁いているようであった。
『お急ぎください。乗り遅れましたら、次は15分後の列車になります』
紳士的な若い透き通った男性の声に戸惑いつつも、声に従って電車に乗り込んだ。どうやら私以外の人間には聞こえていないようで、“声”はその後も私に交通情報を的確に知らせてきた。
(最初は気味が悪かったが、慣れると専属の秘書がいるみたいで心地良い…)
その日の通勤は快適そのものであった。その後も何度か男からもらった錠剤を私は服用した。
『駐車券をお取りください』
でお馴染みの声のときもあれば、
『いいか?次の任務は、○○方面行き15時24分発の3番線列車に乗ることだ。しくじるなよ。…幸運を祈る』
と、渋い男性の声のときもある。この前なんかは、
『あれほど申し上げましたのに、乗り遅れるとは、お兄様も甘いようですわね』
と、すごく冷たい女性の声が聞こえてきた。あれは怖かった。あと、たまに分かりづらい表現をするときもある。
『此度の戦(訳:営業)は、甲斐の虎、武田信玄の土地ぞ。油断するでない(訳:乗り遅れに注意してください)。まずは、お主がいる館(訳:自宅)から最寄りの宿場町(訳:駅)に向かい、そこから移動して一旦△△で陣を構えよ(乗り換えてください)。』
戸惑いもあれば、ユーモアある表現をする“声”がランダムに頭の中から私を導いてくれる。どうやら錠剤ひとつひとつが異なる“声”の持ち主のようだ。薬の効果を充分に実感した私は男が指示した口座に薬の代金を振り込んだ。すると、その日の電車での移動中にあの男の声が頭の中で囁かれた。
『振り込みを確認いたしました。再度、【守護霊の引率】が必要になりましたら、今回と同じ口座に代金を振り込んでいただきますと、翌日ご自宅への発送が可能となります。この度は誠にありがとうございました』
(ん~、また買うかもしれないな)
帰宅後、私は残っている薬の数を確認するのであった。
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