MASK 〜黒衣の薬売り〜

天瀬純

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飛行機嫌い

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 私は昔から飛行機が苦手だ。離陸するときの浮遊感や機内の揺れが、どうしても私に恐怖を抱かせてしまう。

『シートベルトを腰より低い位置でしっかりとお締めください』

(CAさんの声が優しいのは、何よりの救いだな…)

飛行機が離陸に向けてゆっくりと移動していく。

(ああ、地球とのしばしの別れ。慣れないな)

今回のインドへの出張はできれば他の者に行かせたかったが、会社にとって重要な会議や契約があったために責任者の私が行かざるを得なくなった。

「ん゛っ」

重力が一時的に身体に加わるのを感じた。大地との別れのときだ。やがて、忌むべき浮遊感が襲ってきた。機内にいる時間が長くなれば少しずつ慣れていくだろうが、離陸直後は本当に気持ち悪い。勘弁してほしいものだ。

(不安なときはコーヒーを飲むのが一番)

私は機内のドリンクサービスが一刻も早く来て欲しいと強く願った。すると、

「大丈夫ですか?」

「ん?」

(まだCAさんが来るには早いはずだ。よほど私の顔色がおかしかったのか?)

声がしたほうを振り向くと、スーツ姿で黒いマスクを顔に付けた若い男が通路側に立っていた。

(CAさんでは…、なさそうだな)

「君は…?」

男は微笑みながら腰を屈めて膝をつき、座っている私の目線に合わせた。

「私は近くの席に座っている者でございます。搭乗する前から、なにやら思い詰めたようなご様子でしたので気になって声を掛けさせていただきました」

「はぁ…」

(同じ日本人として心配してくれているのかな?)

「ただ飛行機が苦手なだけです。ご心配なく」

とくに誰かに助けを求めるようなことでもなかったので、苦笑いしながら適当に返事をした。

「そうでしたか。余計な気遣いかもしれませんが、よかったら酔い止めの薬をどうぞ。私、製薬企業の営業でして」

「ああ、どうも」

男が手渡してきたのは、一見するとドラッグストアなどによくある市販薬のような小さな紙箱であった。

「それは【天空の足固め】という飲み薬でして、このあとも気分が優れないようでしたら1錠飲んでみてください」

「分かりました」

(変わった名前の薬だな…)

製薬企業の彼は、薬の説明を終えると彼の席があるであろう機内の後ろのほうへ移動していった。

 2時間後、離陸直後から感じる浮遊感と機内の揺れに慣れないでいた私は我慢できなくなり、先程貰った薬を飲むことにした。CAさんに水をいただくと、私は紙箱に書かれた用法・用量に従って薬を服用し、これで多少は落ち着けると安堵して座席の背もたれを少し下げた。

(飛行機が苦手な人間に酔い止めは無意味かもしれないが、プラシーボ効果を期待しておくか…)

しばらくすると、先程強く願っていたドリンクサービスが始まった。私はホットコーヒーをお願いして、空港の書店で買った雑誌に目を通し始めた。すると、

(ん?…なんか変だぞ)

私は今までには感じることのなかった機内の異変に気付き、その正体を探ろうと思考を巡らせた。すると、離陸してから自分を襲っていた飛行機特有の気味の悪い乗り心地が全く感じられないことに気付いた。地に足を着いていないことによる恐怖感が全くないのだ。まるで地上に置いてある椅子に座っているかのような安心と心地良さを感じられている。

(すごいな、彼から貰った薬は。空港に着いたら、ぜひお礼をしたいな)

それから私は、初めて体験する快適な空の旅を堪能した。

* * *

* * 

* 

 空港に到着後、到着ロビーでしばらく待ってみたが、彼と再会することはできなかった。

(この人混みで見失ってしまったのか?)

もう少し彼を探してみたかったが、予定もあるので、現地の案内役と合流して私は空港をあとにした。

(どこの製薬企業なのか、聞いておけばよかった)
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