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苔 《痕跡》
しおりを挟む「…行っちゃいましたね」
『……ああ、行ったのう…』
巨木の根元に黒衣殿とともに腰掛けながら、ワシは球体が旅立っていく様子を眺めていた。
大量の苔がワシらの棲家からいなくなり、至る所で岩や地面がくぼみ、剥き出しになっている。どれも巣立っていた者たちの身体を構築していた苔が自生していたところ、つまり彼らひとりひとりの定位置(巣)だったところだ。休息しているとき、地中に自我を隠して移動しているときには依代である苔をある程度決まった場所に自生させておく。
今はそれらがない。
『随分と空き家が増えてしまったのう……』
群れが増えすぎ、共有する情報が種としての許容範囲を超えてしまったために、一部の個体が不調を訴え、命の危険に侵されてしまう。いずれも分裂したてで、情報処理能力が未熟な若い衆ばかり。長老のワシをはじめ、古くから棲家にいた者たちは悲しみ、頭を抱えた。そんなときに頼ったのが薬売りの黒衣殿。彼は、ワシらと似た幾つもの群れと交流があった。
* * * * *
黒衣殿が薬を携えて棲家に来たのは、ワシらが彼の従者に文を送って2週間が経つ頃だった。
棲家全体を見渡せる丘の上で、彼がワシに見せてきた小さな瓶の中には、黄金色に輝く液体が入っていた。
「こちらは皆さんのために調合したお薬でございます。口にした者は自身では処理できない膨大な他者の声から距離を置き、皆さんが悩まされる苦痛から解放されます。
また、遮断できる声の対象はこの薬を服用されていない方々です。大量の水に薬を混ぜて薄めた物を集団で使用すれば、その者たち同士で情報を共有し合うことができ、孤独になることはありません」
穏やかでありながら、寂しさも感じられる表情で彼は言う。
『…たしかに、救われる者はいるな……』
黒衣殿が提示する薬は、彼が言うようにワシらが抱える問題を解決してくれるだろう。だが、
『声を遮断できたとして、その者たちは…どうなる?……同じ棲家で毎日顔を合わせながらも、それまでとは違い…、家族からの情報が届かなくなる』
陰と陽の感情が身体のなかで渦巻く。
『これを“孤独”と言わずして………、なんと言う……ッ』
思わず声が震えてしまう。
「長として群れを想う気持ち、察します。ですがこれは、個々の命を助けるものであり、必ずしも孤独にさせてしまうものではありません」
ワシの隣で薬の説明をしていた彼は、身体をこちらに向けて居直す。
「先程も申しましたように、この薬を大量の水に薄めれば、たくさんの者が服用できます」
『ん……、申されたな』
「その方々で新たな群れを作っていただくのです。お住まいに関しては、此処とは異なる地に赴く必要がございますが、心配はありません。お薬にその対策を施してありますので」
黒衣殿が創る薬はどれも突拍子も無い物ばかりではあるものの、彼が口にするそれらの説明は聴く者を理解させ、納得、安心させてくれる。
* * * * *
あの日から長い年月が経ち、彼の薬で多くの群れの者たちが棲家を後にした。
満開の桜の木や梅の木などを無数に生やし、頭の中に不思議と思い浮かぶ新天地のある方向へと彼らは飛んでいく。
そのときに地表へと降りそそぐ数多もの花びらは大地に力を与え、年が明ける頃にはそこを豊穣の地に変える。その様子がまるで大きな足跡のように続くことから、あの薬はこう名付けられている。
【巣立ちの痕跡】と。
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