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・後日談・ 俺とねーちゃんのその後の話

7.平行線を辿って <清美>

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結局、話は平行線なまま。
ねーちゃんは俺の名前を呼んだきり、そのまま黙って俺に抱き締められ続けた。

根負けしたのは、俺の方だ。

彼女の表情を確認したくなって、長い間鳥籠に閉じ込めるように拘束していた腕を少し緩め覗き込む。すると、真剣なその黒曜石の瞳に捕らわれた。

「清美、明日も学校だし……お風呂入って、ご飯食べよう?」

ふんわりと微笑む笑顔に有無を言わせないものを感じて、俺は頷いた。

しかしまだ、ねーちゃんは俺が悲痛な思いで口に出した『お願い』に、頷いていない。
不安な気持ちは後から後から溢れて来るが、俺はもう無茶な事をしてねーちゃんを傷つけないと誓った。だから正面から話しあうしかないと、自分をなんとか説得して彼女を腕から解放した。

ねーちゃんが落ち着いている分、どなって激昂した自分がとても恥ずかしく思える。その日の食卓ではほとんど話らしい話をせずに黙々とご飯を食べた。






翌日。朝ご飯を一緒に食べて学校へ向かう。
だけどお昼休み、地学部には行かなかった。

『ごめん。今日のお昼、地学部に行けなくなった』

とねーちゃんにメールを打って、溜息を吐く。
避けたって解決する事は無い。教室で食べようかとも思ったけど、地崎の横にいるとまたひどく愚痴を言ってしまいそうだった。
この問題を口に出して良いものか判断が着かない―――俺は仕方なく、中庭に移動した。

以前2人で一緒にお弁当を食べていた、ベンチに腰掛ける。

あの時は、俺がねーちゃん避ける事態になるなんて思ってもみなかった。それこそ俺からお昼の貴重な機会を反故にする事があるなんて、想像もしていなかった。

一緒に居られるだけで幸せだった―――振り向いてもらえるなんて、思ってもみなかったのに。

彼氏になった途端、ムクムクと湧いて来る煩悩や嫉妬に振り回されている。
ねーちゃんを信じていないわけじゃ無い。
彼女の性格は―――ずっと隣にいる自分が一番よく解っている。
なのに暗い妄想が体の中にどんどん膨れ上がって来て、俺を駆り立て落ち着きを失わせる。

すっかり平らげた後の空になった弁当箱を掌の上に乗せて、その底をボーッと眺めていた。

俺みたいだ。

何となくそう感じた。



「森」



控えめに声を掛けられて、振り向くと鴻池が立っていた。
彼女が話し掛けて来たのは、本当に久しぶりの事だ。

この中庭で、俺を好きだと言った彼女の縋る腕を振り払った。それ以来だった。俺は警戒心を解かずに、目を逸らしてから答えた。

「……何?」
「あの、元気ないね……?」

不機嫌にしっかりと発した俺の声に対して、それは弱々しい小さな声だった。いつも仁王立ちで上からモノを言う傲慢な鴻池自身だと思えないほど。一瞬、別人?と感じたくらいだ。

「……」
「何か、あった?……今日の練習来るよね」
「うん。―――行く」

最後の質問にだけ、答えた。
自分に言い聞かせるつもりではっきり答える。

部活、行かなきゃ。―――うん。

俺は立ち上がって、鴻池を視界に入れないようにしながら中庭から立ち去る。何となく心配してくれているのでは……と感じたが、心を許す気にはどうしてもなれない。ねーちゃんと擦れ違っていると彼女が知ったら『それ見た事か』と言われるような気がした。だから今の複雑な心情を彼女の前で表に出すのは、絶対に嫌だった。

その背中を切なそうに静かに、鴻池が見送っていた。
そんな事に全く気付かないまま、俺はドアを潜って体育館を目指した。






**  **  **






その夜。
言葉少なに夕飯を食べて後片付けをした後、俺らは再びダイニングテーブルに座った。ねーちゃんが、もうすぐ寝る時間である事を考慮してノンカフェインの番茶を入れてくれる。

俺は何と切り出していいか、迷う。
言いたい事は、昨日言った通りだ。

『T大受験をやめて、札幌に残って欲しい』

それだけ。
この家で、俺の傍にずっといて欲しい。
朝ご飯を一緒に食べ、夜ご飯を一緒に食べ。
時々昼ご飯を一緒に食べて、休みには連れ立って出掛ける。ずっと家に居たって良い。

とにかく一緒にいたい。
離れたく無い。
目の前から、日常からねーちゃんが居なくなるなんて―――絶対に嫌だ。

口火を切ったのは、ねーちゃんだった。
両手に包み込むように持ったマグカップから、番茶をひと口コクリと飲み、テーブルの辺りに目を落しながらゆっくりと切り出した。

「あのね、昨日言っていたコトだけど……一緒の家に暮らしていないと『付き合う』のって、難しいのかな」

ねーちゃんの台詞、言葉は理解できるのに言っている意味が理解できない。
彼女の発する言葉にいちいちざわめきを発する胸の中の得体の知れないものを、俺は何とか押さえつけて返答した。当たり前の事を聞かれて、応えるのって―――何だかひどく疲れる。

「難しいよ。『付き合う』って、2人で一緒にいることでしょ?」
「そうなの?一緒にいないと……『恋人』ではいられない?」
「当たり前でしょ」

俺はムッとして、声を低くした。

「手も繋げない、面と向かって話もできない―――毎日会えないなんて、付き合っているなんて言えないよ」
「―――会えるでしょ?休みには札幌に帰って来るし、スカイプだってあるから顔見て話すこともできるし」
「ねーちゃん……俺が傍にいなくて、寂しくないの?……一緒に居られなくなったら―――俺は淋しいよ!」

話の伝わらない相手に苛立ち、思わず声を荒げた。

「私も寂しいけど……」

ねーちゃんは、マグカップに目を落して声のトーンを落とした。



やば。



俺は少し焦った。ねーちゃんに対して、興奮して荒い口調で話してしまった自分に気が付く。彼女を怖がらせるつもりは無かった。

彼女の様子を伺うと、怯えている様子は無くて……思わずホッと息を吐いた。ねーちゃんは自分の考えに集中しているようだった。真剣な視線を、マグカップに注ぎ続けている。

「でも、やりたい事に挑戦しないで我慢して傍にいるのって、なんだか違う気がする……」

ねーちゃんは一言一言、丁寧に発した。

だけど口振りから、ねーちゃんも自分の言っている事に確信を持っている訳では無いのだと、何となく感じとった。
自分を納得させるように、ゆっくりと発音している。そんな気がする。

「清美が中学のとき、家は一緒だったけどずっと離れていたでしょう?話もしなかったし……寂しかったけど……大丈夫だった。清美の事大事な気持ちは、変わらなかったよ?」

愛の告白のような台詞に、一瞬俺は動揺する。



だけど。



ねーちゃんはそう言うけど。
『大丈夫だった』って言うけど。

俺はあの時苦しかった。堪らなく苦しくてバスケに逃げるしかなかった。他の女の子を好きになれなくて……ねーちゃんばかり求めているくせに、そのねーちゃんを避けて暮らしている日常が嫌で堪らなかった。

やっぱり―――ねーちゃんと俺の『好き』って、質が違うのだろうか。

俺がねーちゃんを求めるほど強く、ねーちゃんは俺を望んでいない。
喉が渇くように俺がねーちゃんを求めているのに、ねーちゃんが俺を見る眼差しは温かいけれど……何もかも捨てても良いほど、強くはない。

考えるのを避けていた、心の中にわだかまったままの問題がゆっくりと鎌首をもたげ始める。



ねーちゃんは、俺の事を男として好きな訳では無いのじゃないか?
自分に告白してきた男が俺しかいないから付き合う事に頷いただけで、他の男から誘われたら、その相手が俺より合う相手だったら―――今度はすんなり……そいつに心を移すんじゃ、ないか?



「俺は」



俺は、混乱していた。



「俺は離れていた時、すごく苦しかった。辛かった。だから、高校はねーちゃんと同じ所を受けたんだ。少しでも長くねーちゃんと居たくて―――好きな事より、バスケよりねーちゃんの方が大事だったから。本当は私立高からスカウトが来ていたんだ。でも、ねーちゃんと一緒に居たかったから断ったよ。……それなのにねーちゃんは好きな事が大事だったら、俺から離れても大丈夫なの……?ねーちゃんは、俺の事本当に好きなの?それで、好きって言えるの?」

体の中に渦巻いていた、一番言わない方が良いって思った台詞を全部言ってしまった事に気が付いた。

―――気が付いたのは、体から言葉を全部絞り出した直後だった。

所在無げにマグカップを見ていたねーちゃんは、弾かれたように俺を見ていた。
驚きの感情が、その瞳に揺れている。

「スカウトを断って、T高校を受けたの?私のために……?」
「いや……」

嘘を言っている訳では無いが、ついねーちゃんの真剣な眼差しに怯んで否定の言葉がでそうになる。

「……」
「……」

考え込むように、ねーちゃんはまたマグカップに視線を落として黙り込んだ。
俺も言葉を掛ける事ができないほど―――張り詰めた表情の彼女に、思わずゴクリと唾を呑み込んだ。

俺は踏んではいけない地雷を踏んでしまったのかもしれない。
法廷の被告人席に放り出された気持ちがして、急に体温が下がるのを感じた。

「私『清美を苦しめて』いたのかな?『振り回して』いた?……『解放』したほうが、やっぱり良いのかな……?」

ぽつりと呟いた台詞は、本当にねーちゃんの物だっただろうか?
何処か借りて来たような台詞だった。



「清美」



俺は、ただねーちゃんを喰い入るように見つめていた。
のろのろと、彼女がマグカップから俺へと視線を移した。その瞳の奥に揺れている感情は何なのか―――黒曜石だった瞳は、いまは黒いガラス玉のように空虚な色を湛えていた。

「付き合うの、やめようか」

ねーちゃんが発している、言葉の意味がわからない。
音としてはっきりと耳に届いているのに、その意図を理解するのを、俺の脳は拒否していた。
だけど、彼女が冗談を言っている訳では無い事は、その声音の真剣さで感じ取れる。

「姉弟に戻ろう」

俺は、言葉を返さなかった。
部屋を、沈黙が支配する。

5分か―――10分か……無言のまま見つめ合って―――俺はねーちゃんから視線を逸らした。

根負けしたのは、やはり俺の方だった。
だけど、かろうじて捨て台詞を残すことができた。

「もう戻れないよ、ねーちゃん……」
「清美……」
「ねーちゃんの言っていること、俺、分からない―――もう、寝る」

俺は席を立ってマグカップをキッチンのシンクに置く。
そしてまた―――2階の自室へ逃げ込んだのだった。

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