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・後日談・ 俺とねーちゃんのその後の話
34.ミノムシとダイフク <清美>
しおりを挟むふと目を覚ますと、ねーちゃんが俺の顔を覗き込んでいた。
「……わっ!」
「あ、ゴメン。起こしちゃった?」
「いや……ねーちゃんも目、覚めたの?……今……なんじ?」
「1時過ぎ……かな」
俺は体を起こして、布団の脇にぺたんと座り込んでいるねーちゃんと向き合った。
「……眠れないの?」
「んー眠れると……思うけど……」
浴衣に温かい羽織を着こんでいる。少し俯いてそう言った彼女はふとテーブルの上に目を移した。
そして彼女はペットボトルを手に取り、蓋を開けて一口飲む。それから俺の方を見て尋ねた。
「清美も何か飲む?」
「うん」
するとねーちゃんは、テーブルからもうひとつペットボトルのお茶を手に取って、俺に差し出した。
あ、ねーちゃんの飲んだヤツくれるわけじゃないのね?
ちょっと残念に思いながらも、ペットボトルの蓋を開け口を付けた。
ごくごく。
寝覚めの少し乾燥した喉に、潤いが染み込んだ。
「あの、ね」
言いづらそうにするねーちゃんの次の言葉を、俺は辛抱強く待った。
「……受験、応援してくれて、ありがとう。すごく助かったし、嬉しかった……受かったの、清美のおかげだよ」
ねーちゃんは、ふわりと笑顔になる。
それはまるで、俺に『愛おしい』と言葉に出さずに告げているかのよう……そう錯覚してしまうほど、素敵な笑顔で……
「うん」
かろうじて短い返事を返すのが精一杯だ。
語尾が軽く震えてしまうほどに。
「私、東京に行くね」
「……うん」
どうしよう。
悲しい。
とうとう、ねーちゃんの口から直接、東京行きを宣告されてしまった。
どうしようもなく、それが実行されるのだと、焼き印を押されたみたいに体に衝撃が走る。
ねーちゃんは、膝の上に置いている小さな白い手をぎゅっと握りこんで、視線を落とした。
「清美、あのね」
「うん」
それから、決意するように顔を上げて俺の瞳をとらえた。
「清美は私の自慢の、大事な大事な弟だから。それはずっと、変わらないから」
見上げる大きな黒いつぶらな宝石が常夜灯の光を受けてキラキラと輝いている。
「……」
なんと言って良いのかわからない。
なんと捕らえて良いのかも。
『大事な弟』と言われ、『ずっと変わらない、自慢だ』と言われて。
嬉しくもあり、悲しくもあった。
どちらかの感情が大きくなれば、一方の感情が打ち消されてしまう訳じゃない。
だから、どう答えて良いかわからなかった。
ただ体中の感覚を全て絡めとってしまう程の強い思いが、体の隅々まで満ちて来て。その事実をわかって貰いたくて、俺はねーちゃんの震える瞳から目を逸らさずにいた。
「あの、ね。最後だから……隣で寝ない?昔お昼寝したみたいに……手を繋いで眠りたいな」
「えっ……」
ねーちゃんのこの申し出にはさすがに動揺を隠せない。
目を逸らしてしまった俺の気持ちを酌んだように、ねーちゃんは寂しそうに笑った。
「ダメだよね。もう高校生だもんね……ゴメンね。我儘言って」
「……」
「……明日は早起きして露天風呂入ろうかな?こんな素敵なところ、なかなかもう、来れないよね。きっと」
ふふっと笑ってねーちゃんは、何も無かったように言った。
「おやすみ、清美」
俯く俺に優しく言って、ねーちゃんは壁際の布団に戻って行った。
彼女がホテルのフカフカした掛け布団に潜り込むと、小さいダイフクのような塊ができる。
あのダイフクの中にもう二つ小さなダイフクがあるんだな。とぼんやりと思う。ねーちゃんの柔らかい頬。それがとても美味しそうに見えて、衝動的に噛みついてしまった事があったっけ。あの時のねーちゃんは俺の思いにちっとも気付いてくれなくて、ただ『弟』が悪ふざけをしてしまったのだと、思い込んでいたらしい。
ふっと口元に笑いが込み上げて来た。
最後なのに。
なにを、躊躇う事がある?
今後一生、隣に枕を並べて眠る機会など巡って来ないかもしれない。
俺は立ち上がり、布団一式をズルズルと引っ張った。
最初の位置に持っていく。ピッタリとねーちゃんの布団の横に俺の布団をくっつけた。
気配に気が付いたのか、ピクリと布団の中身が動いた。
俺はねーちゃんの布団の隣に寄り添った形で、自分の掛布団の中に体をうずめる。自分が勝手に国境線を侵さないように、掛け布団の端をきっちり自分の体に巻き込む。いわばミノムシ状態。そして、右腕だけをそこからはみ出させ、ポン、ポン、とねーちゃんの肩があるであろう場所にアタリをつけて叩いた。
「ねーちゃん、手、繋ごう」
ピクリとダイフクが身じろぎして、布団の隙間から、そっと華奢な白い指が現れた。俺はその指先を捕まえて、掌と掌を合わせるようにしっかりと繋ぐ事に成功した。
恋人繋ぎじゃなくて―――小学生の頃、水溜まりに川喜多に突き落とされて怒りに震える俺の手を、引っぱり上げてくれた、あの時の繋ぎ方。
『姉弟』の繋ぎ方だ。
体温がじんわりと伝わって来て、ねーちゃんの温かみが……薄い皮膚を通して俺を侵す。
もっと、俺を侵して。
捕らえて、全てねーちゃんでいっぱいにして欲しい。
他の事が何も考えられないほど、掌を通して心臓も胃も肝臓も、足の爪先、髪の毛の一本一本まで、俺を満たして欲しい。
その様をつぶさに―――目を閉じて創造した。
そのとき、ある事実に気が付いた。
俺が捕まえているねーちゃんの左手。その指先が微かに濡れている。
ねーちゃんに爪を噛んだり、指をしゃぶるような癖は無い。
あるとすれば……俺はミノムシの蓑から上半身を引き抜き、ねーちゃんを包み込むダイフクの皮に手を掛けた。顔があると思しき部分をそっと捲ると……
ねーちゃんは、声を殺して泣いていた。
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