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捕獲しました。<亀田視点>
23.見つけました。【最終話】
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『捕獲しました。』<課長視点>最終話となります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
確か名前は……。
大谷。
そう、大谷だ。
名前を思い出し、ホッと息を吐く。
最近何だか頭がボンヤリしがちだ。大事な事を思い出すのに時間が掛かったりする事が多くなったような気がする。―――ボケるような年齢では無いが、ミミの喪失があまりにショックで脳細胞がたくさん死んでしまったのではないか、と本気で考えてしまう。それか単純に鬱病になりかかっているとか……?鬱病に掛かると今まで当り前にこなせていた作業が、出来なくなったりするって言うからな。管理者研修で部下のメンタルヘルスについて学んだが、それが自分の状態を把握するのに役立ってしまうとは……。
そんな事をボンヤリ考えながら、目の前の雑誌を手に取る。
そう言えば。
とある事を思い出した。
ここ一ヵ月ほど、俺は大谷のいるあの雑誌コーナーには近寄っていない。
以前は足繁く立ち寄ったあの場所。あそこにある雑誌は……
どうにも我慢しきれず、俺はチラリと少し離れた斜め後ろに立つ大谷を観察した。
そしてその時見覚えのある大きさの雑誌を手にした大谷を確認して―――思わずドサリと手に取った雑誌を、取りこぼしてしまっていた。
あれは。
あの雑誌は―――。
大谷は俺に全く気付かない様子で、鼻歌でも歌っているかのようにニマニマとしまりの無い微笑みを浮かべたまま、俺の背中を通り過ぎて行った。そして先ほどの雑誌を手にして、レジへと向かう。俺はコッソリ大谷の後から素知らぬ顔でついて行った。手には先ほど取りこぼした『歴史群像~戦国時代:大谷吉継特集~』を携えたまま。奇しくも大谷繋がり。しかしそんな雑誌を購入する予定は元々全く無かったのだ。なのに俺は大谷の後ろで、そっと息を潜めて列に並んでいる。
今もし大谷が振り向いたら、万事休すか?
いやいや、大丈夫だ。駅ビルの本屋でたまたま後ろに並んでいたからって、普通後を追い掛けて来たのだと決めつけはしない。慌てず騒がず俺は落ち着いて対応しよう「ああ、奇遇だね。俺も本を買いに来たんだ。それ、何の雑誌?」なんて、たった今気づいたかのように尋ねれば良い。
様々なパターンを心の中でシミュレーションしまくったのだが……結局大谷は俺に一瞥もくれず、レジに雑誌を差し出し大手コンビニチェーンの電子マネーで決済をすませると、スタスタと大股で本屋を立ち去ってしまった。
俺は『歴史群像』をレジの女性に差し出しながら―――頭の中身を、今見た情報を考察する為フル稼働させていたのだった。
大谷が購入していた雑誌。それは。
俺がつい二ヵ月ほど前に購入した雑誌の最新刊だった。
『うさぎの気持ち』
その専門誌はしっかりとした装丁の少し小ぶりな隔月誌で、あまりの深い内容に単なる「うさぎって、可愛いよね!」なんて表面的で薄っぺらなウサギ好きが手に取るには、あまりにもマニアック過ぎる。
断言できる。大谷、アイツは―――確実にウサギを飼っている。そのはずだ。
その途端、俺の周りの透明のビニールみたいな薄い膜が―――パチンとはじけた。
傷ついた肌にヒリヒリと空気が沁みるみたいな感覚がする。遠ざけていた痛みや苦しみが―――一気に身近な物になる気がした。
けれどもそれと同時に。
俺を襲ったのは―――歓喜と渇望。
身近にいたウサギ飼い。
アイツなら。―――俺の喪失を理解してくれるのではないだろうか。
そしてアイツがもし、本当にウサギを飼っているのなら―――会社帰りに……少しだけアイツのウサギを俺に見せてくれる、そう言う事も可能なのでは無いか?ひょっとして俺の境遇に同情して触らせてくれるなんて事も……。
その日から俺の頭は、大谷と大谷が飼っているであろうウサギの事で一杯になった。
大谷の履歴書で住所を確かめ、帰り道大谷を尾行しペットショップに寄る大谷を見つけた時は思わずガッツポーズをしてしまった。こっそり遠目にアイツが購入した商品をチェックし、それがウサギ関連のグッズやウサギ専用ペレットである事を確認した。
どうやら大谷は―――確実にウサギを飼っているようだ。
飲み会でそれとなく大谷の横に座ってみる。
何から切り出そう、さり気なく不審者っぽくなくウサギの話を持ち出すには―――と考えあぐねて気を揉んでいる内―――結局何も話せずに飲み会が終わってしまう。以前の俺と同じように、大谷はあまり飲み会には出席せず、出ても一次会に付き合うだけで逃げるように帰ってしまう。やはりそうだ。家に残した愛兎の元へ一刻も早く帰るため、大谷は二次会を辞退しているに違いない……。
俺は書類作成には一家言ある性質なので、派遣社員ではあるが大谷にはかなり厳しく接していた。
大谷は真面目でコツコツと仕事に取組み、目立たないながらも頼まれた仕事を決して投げ出さず最後までやり遂げる気骨のある人間だと言う印象を、俺は受けていた。だから遠慮なくガツガツ言いたいコトを言い、またそれをちゃんと次に反映させて完成度を上げて行く大谷に感心していた。派遣社員も中々やるもんだな、と。それから俺の要求はドンドンエスカレートして行った。はっきり言ってヤル気の無い派遣社員には、教える労力が無駄なので通り一辺倒の対応しかしていない。
俺が心血を注いでガッツリ教育するのは、ほとんどが正社員だ。派遣社員は一年から半年ごとの契約で、延長は最高で三年まで。大抵の派遣社員はスキルが高く仕事の効率は良いが、決まった事しかやろうとしないので正直サポート業務や一部のルーティン営業しか任せられない。中にはあからさまに婚活目的の人間も居て、何故かどうでも良い話題で仕事の邪魔をする奴もいる。そう言う時はついつい厳しめに威嚇して牽制してしまう。だから俺は職場の部下から告白された事は全く無い。アプローチを受けるのは仕事で直接かかわらない人間ばかりだ。
俺は相手が女性だからと言って、仕事の手を抜くのは本当は嫌だ。
しかし正社員の三好ならともかく、短期間しかいないかもしれない契約社員には100%の気合で正面からガミガミ言うのをなるべく避けるようにしてきた。
だけど大谷は余計な無駄話もせず、たとえ給湯室でも浮ついた噂話に参加する事も無く、ひたすらコツコツと自分の能力を発揮するように働いていた。改めてシッカリ大谷を観察すると、どうやら彼女は他の派遣社員と一味違う―――と再認識するに至ったのだ。
きっと以前の俺と同じなのだ。
アイツはアイツの大事な存在に集中している。
だから純粋に仕事に取り組む事が出来る。余計な噂話で時間を浪費したりしない。
そんな風に俺の中で日に日に、あるべき『大谷像』が形作られていく。
そして嫌が応にも高まってしまう―――そんな風に『大谷を癒せる存在』に対する期待が。
純粋種だろうか。それともミミみたいな雑種?
色は? 黒か、茶色、灰色―――斑も捨てがたいな。大穴でパンダ柄とか?
長毛種だろうか、それとも短毛?
雄か? 雌か? もし雄だったら発情期のスプレー対策とか大変だろうな……雌であれば、自分の毛をむしって巣作りしたりもするって聞いたな。実際はどうなんだろう、ミミはまだそういう行動にはいたらなかったが……。
抱っこは好きなタイプ?それとも苦手なタイプか?
あっそうだ!そこまで考えていなかったが、一匹じゃなくて多頭飼いって可能性もあるのか……!そうなると大谷の家はもしやまさかの……『ウサギパラダイス』状態ではないか!
どんなウサギが大谷の家でくつろいでいるのかと想像を膨らませていると、ドンドンそのウサギを見たい気持ちが抑えられなくなってくる。
見たい、そして触りたい―――あの温かい毛皮に触れて頬ずりしたい。ウサギが喜ぶ場所、触り方を俺は熟知している。いくらでも喜ばせる事ができるのに―――そしてすぐ近くにウサギの事を存分に話せる相手がいるのに―――何故今ここで公に話してはいけないのか?そんな風に無駄な自問自答をしてしまう。もどかしさがドンドン募って最近では息苦しく感じるくらいだ。
想像や期待が膨らみ、ますます眠りが浅くなる。
それなのにペットショップには―――何故か行けなかった。
ミミ以外のウサギを飼うなんて、今の俺には無理な話だ。その時はそれが、ミミに対する裏切り行為のような気がしていたのだ。
大谷のウサギが見たい。そして触りたい。
大事に飼われて幸せにリラックスしている、飼いウサギに会いたい。
それから大谷と存分に―――『ウサギあるある』について語り合いたい……!
日に日に思いは募るのに、言い出せない日々が続く。
今まで課長然として上から対応をしてきたツケが痛い。
いきなり親し気に話しかけるには―――大谷とは年齢が離れすぎている。何しろ、一回りも違うのだ。大谷は今二十六歳。そんな若い娘さんに、三十八歳の上司のオジサンが、家に連れて行ってくれ! ウサギに触らせてくれ!……なんて、急に打ち明けたら気持ち悪がられるに決まっている。俺は悶々と悩み、渇望を募らせていった。
「課長……大丈夫っすか」
阿部が心配そうに、やや怯えながら俺を覗き込んだ。
「ああ……」
「顔色本当に悪いっすよ、一度病院に掛かった方が」
「いや、病気じゃない」
いや……病気……か?
『ペットロス』
聞いた事のある単語だが、まさか俺がそんな状態に陥ってしまうとは想像もしていなかった。病院に行っても直せるワケがない。新しい子を迎える気にもならない。だけど―――ウサギの毛皮に触れたくてしょうがない。
これは渇望だ。飢餓状態だ。
砂漠を水無しで歩き続けている状態に近い。
水が欲しい―――いや、ウサギが……。
「課長……」
俺は首を振って、邪念を振り払った。
「大丈夫だ。それより年末まであと少しだ。大車輪で働いて貰うぞ!」
「はい、それはもう……」
阿部が肩を落として去っていく。
最近ずっと阿部は俺に付き合って、仕事三昧の生活を送っている。
そんな男の気遣いにも、応えられない俺は―――やはり切羽詰まっているのだろうな。その時一瞬だけ、壁に突き当たった自分の状況を振り返る事ができたのだった。その時素直に阿部の言う事を聞いていれば―――あんな暴挙には出なかったかもしれない……。
ジリジリ俺は限界まで煩悩を拗らせて―――とうとうやってしまったのだ。
これが酒の勢いと言うヤツだろうか。
年末最後の飲み会。この機会を逃せば―――年を越すまでチャンスはやって来ない。
大谷の後を付けるのも、もう慣れたものだ。俺はその日勢いを付けるため、強い酒を選んだ。強かに酩酊した頭とおぼつかない足で彼女の小さな肩を追う。
そして―――大谷を掴まえて、抑えつけていた感情を爆発させ懇願したのだ。
「大谷―――お前の家に連れて行ってくれ……!」
「は、はい~~?」
目をまん丸に見開いて俺を見上げる大谷の顔は―――完全に不審者を見るものだった。
「な……な……」
このままでは断られてしまう! 大谷の当然の反応に俺はパニックに陥った。
どうしても、どうしてもウサギに会いたい。今この時を逃したら―――俺は……っ
「どうしても、お前の家に行きたいんだっ……俺はもう、心底耐えられそうもないっ……」
「そ、そんなに……好きなんですか?」
大谷の心に僅かな隙間が生じたような気がした。
この隙間に俺の熱意を注ぎ込み、俺が如何にウサギに飢え困窮しているのかと言う事を訴えねばならない。ウサギ飼いの大谷ならきっと……! 俺の渇望を分かってくれる筈だ。そう思ったのだ。
「ああ、好きだっ大好きだっ……! もう、黙っているのは堪えられないっ……!」
俺の心からの叫びを聞いた大谷は―――口をポカンと開けて暫く沈黙した後。
……なんと頬を染めてコクン、と頷いてくれたのだ!
やった……! 俺の気持ちが大谷に通じたんだ……!!
俺は嬉しさの余り言葉を失った。そうして我に返り、やっとこう言ったのだ。
「さあ、行こう! 時間が惜しい……!」
俺は大谷の手をしっかりと握った。大谷が考えを変えて「やっぱり出来ない、家には上げられない」と言い出さないよう……一刻も早く彼女のアパートの玄関まで辿り着かねばならないのだ……!
ウキウキと久し振りの高揚感に身を任せながら、大谷と繋いだ手をブンブン振り回して歩く俺を見上げて―――大谷が呟いた。
「亀田課長……笑ったの久しぶりですね……」
どうやら俺はその時、滅多に見せる事の無い満面の笑顔を大盤振る舞いしていたらしい。
素面になり、後から自分の行動を振り返ってみると。
あの時の俺は……完全に、ただの不審者だった。
大谷に通報されて、警察に突き出されたって文句は言えないだろう。そんな俺を独り暮らしのアパートに入れてくれた一回りも下の部下に―――俺は感謝を禁じ得ない。
俺は再び救われたのだ。
ミミと目が合った瞬間、あれは運命だった。
ミミとの日々が―――昏かった俺の人生に光を与えてくれた。
その時感じた温かな光を―――俺は、大谷の家で再び得る事になったのだ。
【捕獲しました・完】
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
『ヒロインが出て来るのはもう少し後になります。』なんて書いて置いて、結局最終話にしか出演しませんでした。面目ありません<(_ _)>
後ほどきっと大谷さん視点の後日談とかで人間同士の恋愛成分を補填できると……思います。でも少々不安です。今回亀田視点にも入れる予定だったのに、何故かミミにヒロイン役を奪われてしまいました(合掌)次はウーたんの番かも?!
ともあれ拙い作品、微妙な主役をこれまで応援してくれた皆さまには感謝感謝です。
完結までお読みいただき、大変嬉しく思います。誠に有難うございました!
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確か名前は……。
大谷。
そう、大谷だ。
名前を思い出し、ホッと息を吐く。
最近何だか頭がボンヤリしがちだ。大事な事を思い出すのに時間が掛かったりする事が多くなったような気がする。―――ボケるような年齢では無いが、ミミの喪失があまりにショックで脳細胞がたくさん死んでしまったのではないか、と本気で考えてしまう。それか単純に鬱病になりかかっているとか……?鬱病に掛かると今まで当り前にこなせていた作業が、出来なくなったりするって言うからな。管理者研修で部下のメンタルヘルスについて学んだが、それが自分の状態を把握するのに役立ってしまうとは……。
そんな事をボンヤリ考えながら、目の前の雑誌を手に取る。
そう言えば。
とある事を思い出した。
ここ一ヵ月ほど、俺は大谷のいるあの雑誌コーナーには近寄っていない。
以前は足繁く立ち寄ったあの場所。あそこにある雑誌は……
どうにも我慢しきれず、俺はチラリと少し離れた斜め後ろに立つ大谷を観察した。
そしてその時見覚えのある大きさの雑誌を手にした大谷を確認して―――思わずドサリと手に取った雑誌を、取りこぼしてしまっていた。
あれは。
あの雑誌は―――。
大谷は俺に全く気付かない様子で、鼻歌でも歌っているかのようにニマニマとしまりの無い微笑みを浮かべたまま、俺の背中を通り過ぎて行った。そして先ほどの雑誌を手にして、レジへと向かう。俺はコッソリ大谷の後から素知らぬ顔でついて行った。手には先ほど取りこぼした『歴史群像~戦国時代:大谷吉継特集~』を携えたまま。奇しくも大谷繋がり。しかしそんな雑誌を購入する予定は元々全く無かったのだ。なのに俺は大谷の後ろで、そっと息を潜めて列に並んでいる。
今もし大谷が振り向いたら、万事休すか?
いやいや、大丈夫だ。駅ビルの本屋でたまたま後ろに並んでいたからって、普通後を追い掛けて来たのだと決めつけはしない。慌てず騒がず俺は落ち着いて対応しよう「ああ、奇遇だね。俺も本を買いに来たんだ。それ、何の雑誌?」なんて、たった今気づいたかのように尋ねれば良い。
様々なパターンを心の中でシミュレーションしまくったのだが……結局大谷は俺に一瞥もくれず、レジに雑誌を差し出し大手コンビニチェーンの電子マネーで決済をすませると、スタスタと大股で本屋を立ち去ってしまった。
俺は『歴史群像』をレジの女性に差し出しながら―――頭の中身を、今見た情報を考察する為フル稼働させていたのだった。
大谷が購入していた雑誌。それは。
俺がつい二ヵ月ほど前に購入した雑誌の最新刊だった。
『うさぎの気持ち』
その専門誌はしっかりとした装丁の少し小ぶりな隔月誌で、あまりの深い内容に単なる「うさぎって、可愛いよね!」なんて表面的で薄っぺらなウサギ好きが手に取るには、あまりにもマニアック過ぎる。
断言できる。大谷、アイツは―――確実にウサギを飼っている。そのはずだ。
その途端、俺の周りの透明のビニールみたいな薄い膜が―――パチンとはじけた。
傷ついた肌にヒリヒリと空気が沁みるみたいな感覚がする。遠ざけていた痛みや苦しみが―――一気に身近な物になる気がした。
けれどもそれと同時に。
俺を襲ったのは―――歓喜と渇望。
身近にいたウサギ飼い。
アイツなら。―――俺の喪失を理解してくれるのではないだろうか。
そしてアイツがもし、本当にウサギを飼っているのなら―――会社帰りに……少しだけアイツのウサギを俺に見せてくれる、そう言う事も可能なのでは無いか?ひょっとして俺の境遇に同情して触らせてくれるなんて事も……。
その日から俺の頭は、大谷と大谷が飼っているであろうウサギの事で一杯になった。
大谷の履歴書で住所を確かめ、帰り道大谷を尾行しペットショップに寄る大谷を見つけた時は思わずガッツポーズをしてしまった。こっそり遠目にアイツが購入した商品をチェックし、それがウサギ関連のグッズやウサギ専用ペレットである事を確認した。
どうやら大谷は―――確実にウサギを飼っているようだ。
飲み会でそれとなく大谷の横に座ってみる。
何から切り出そう、さり気なく不審者っぽくなくウサギの話を持ち出すには―――と考えあぐねて気を揉んでいる内―――結局何も話せずに飲み会が終わってしまう。以前の俺と同じように、大谷はあまり飲み会には出席せず、出ても一次会に付き合うだけで逃げるように帰ってしまう。やはりそうだ。家に残した愛兎の元へ一刻も早く帰るため、大谷は二次会を辞退しているに違いない……。
俺は書類作成には一家言ある性質なので、派遣社員ではあるが大谷にはかなり厳しく接していた。
大谷は真面目でコツコツと仕事に取組み、目立たないながらも頼まれた仕事を決して投げ出さず最後までやり遂げる気骨のある人間だと言う印象を、俺は受けていた。だから遠慮なくガツガツ言いたいコトを言い、またそれをちゃんと次に反映させて完成度を上げて行く大谷に感心していた。派遣社員も中々やるもんだな、と。それから俺の要求はドンドンエスカレートして行った。はっきり言ってヤル気の無い派遣社員には、教える労力が無駄なので通り一辺倒の対応しかしていない。
俺が心血を注いでガッツリ教育するのは、ほとんどが正社員だ。派遣社員は一年から半年ごとの契約で、延長は最高で三年まで。大抵の派遣社員はスキルが高く仕事の効率は良いが、決まった事しかやろうとしないので正直サポート業務や一部のルーティン営業しか任せられない。中にはあからさまに婚活目的の人間も居て、何故かどうでも良い話題で仕事の邪魔をする奴もいる。そう言う時はついつい厳しめに威嚇して牽制してしまう。だから俺は職場の部下から告白された事は全く無い。アプローチを受けるのは仕事で直接かかわらない人間ばかりだ。
俺は相手が女性だからと言って、仕事の手を抜くのは本当は嫌だ。
しかし正社員の三好ならともかく、短期間しかいないかもしれない契約社員には100%の気合で正面からガミガミ言うのをなるべく避けるようにしてきた。
だけど大谷は余計な無駄話もせず、たとえ給湯室でも浮ついた噂話に参加する事も無く、ひたすらコツコツと自分の能力を発揮するように働いていた。改めてシッカリ大谷を観察すると、どうやら彼女は他の派遣社員と一味違う―――と再認識するに至ったのだ。
きっと以前の俺と同じなのだ。
アイツはアイツの大事な存在に集中している。
だから純粋に仕事に取り組む事が出来る。余計な噂話で時間を浪費したりしない。
そんな風に俺の中で日に日に、あるべき『大谷像』が形作られていく。
そして嫌が応にも高まってしまう―――そんな風に『大谷を癒せる存在』に対する期待が。
純粋種だろうか。それともミミみたいな雑種?
色は? 黒か、茶色、灰色―――斑も捨てがたいな。大穴でパンダ柄とか?
長毛種だろうか、それとも短毛?
雄か? 雌か? もし雄だったら発情期のスプレー対策とか大変だろうな……雌であれば、自分の毛をむしって巣作りしたりもするって聞いたな。実際はどうなんだろう、ミミはまだそういう行動にはいたらなかったが……。
抱っこは好きなタイプ?それとも苦手なタイプか?
あっそうだ!そこまで考えていなかったが、一匹じゃなくて多頭飼いって可能性もあるのか……!そうなると大谷の家はもしやまさかの……『ウサギパラダイス』状態ではないか!
どんなウサギが大谷の家でくつろいでいるのかと想像を膨らませていると、ドンドンそのウサギを見たい気持ちが抑えられなくなってくる。
見たい、そして触りたい―――あの温かい毛皮に触れて頬ずりしたい。ウサギが喜ぶ場所、触り方を俺は熟知している。いくらでも喜ばせる事ができるのに―――そしてすぐ近くにウサギの事を存分に話せる相手がいるのに―――何故今ここで公に話してはいけないのか?そんな風に無駄な自問自答をしてしまう。もどかしさがドンドン募って最近では息苦しく感じるくらいだ。
想像や期待が膨らみ、ますます眠りが浅くなる。
それなのにペットショップには―――何故か行けなかった。
ミミ以外のウサギを飼うなんて、今の俺には無理な話だ。その時はそれが、ミミに対する裏切り行為のような気がしていたのだ。
大谷のウサギが見たい。そして触りたい。
大事に飼われて幸せにリラックスしている、飼いウサギに会いたい。
それから大谷と存分に―――『ウサギあるある』について語り合いたい……!
日に日に思いは募るのに、言い出せない日々が続く。
今まで課長然として上から対応をしてきたツケが痛い。
いきなり親し気に話しかけるには―――大谷とは年齢が離れすぎている。何しろ、一回りも違うのだ。大谷は今二十六歳。そんな若い娘さんに、三十八歳の上司のオジサンが、家に連れて行ってくれ! ウサギに触らせてくれ!……なんて、急に打ち明けたら気持ち悪がられるに決まっている。俺は悶々と悩み、渇望を募らせていった。
「課長……大丈夫っすか」
阿部が心配そうに、やや怯えながら俺を覗き込んだ。
「ああ……」
「顔色本当に悪いっすよ、一度病院に掛かった方が」
「いや、病気じゃない」
いや……病気……か?
『ペットロス』
聞いた事のある単語だが、まさか俺がそんな状態に陥ってしまうとは想像もしていなかった。病院に行っても直せるワケがない。新しい子を迎える気にもならない。だけど―――ウサギの毛皮に触れたくてしょうがない。
これは渇望だ。飢餓状態だ。
砂漠を水無しで歩き続けている状態に近い。
水が欲しい―――いや、ウサギが……。
「課長……」
俺は首を振って、邪念を振り払った。
「大丈夫だ。それより年末まであと少しだ。大車輪で働いて貰うぞ!」
「はい、それはもう……」
阿部が肩を落として去っていく。
最近ずっと阿部は俺に付き合って、仕事三昧の生活を送っている。
そんな男の気遣いにも、応えられない俺は―――やはり切羽詰まっているのだろうな。その時一瞬だけ、壁に突き当たった自分の状況を振り返る事ができたのだった。その時素直に阿部の言う事を聞いていれば―――あんな暴挙には出なかったかもしれない……。
ジリジリ俺は限界まで煩悩を拗らせて―――とうとうやってしまったのだ。
これが酒の勢いと言うヤツだろうか。
年末最後の飲み会。この機会を逃せば―――年を越すまでチャンスはやって来ない。
大谷の後を付けるのも、もう慣れたものだ。俺はその日勢いを付けるため、強い酒を選んだ。強かに酩酊した頭とおぼつかない足で彼女の小さな肩を追う。
そして―――大谷を掴まえて、抑えつけていた感情を爆発させ懇願したのだ。
「大谷―――お前の家に連れて行ってくれ……!」
「は、はい~~?」
目をまん丸に見開いて俺を見上げる大谷の顔は―――完全に不審者を見るものだった。
「な……な……」
このままでは断られてしまう! 大谷の当然の反応に俺はパニックに陥った。
どうしても、どうしてもウサギに会いたい。今この時を逃したら―――俺は……っ
「どうしても、お前の家に行きたいんだっ……俺はもう、心底耐えられそうもないっ……」
「そ、そんなに……好きなんですか?」
大谷の心に僅かな隙間が生じたような気がした。
この隙間に俺の熱意を注ぎ込み、俺が如何にウサギに飢え困窮しているのかと言う事を訴えねばならない。ウサギ飼いの大谷ならきっと……! 俺の渇望を分かってくれる筈だ。そう思ったのだ。
「ああ、好きだっ大好きだっ……! もう、黙っているのは堪えられないっ……!」
俺の心からの叫びを聞いた大谷は―――口をポカンと開けて暫く沈黙した後。
……なんと頬を染めてコクン、と頷いてくれたのだ!
やった……! 俺の気持ちが大谷に通じたんだ……!!
俺は嬉しさの余り言葉を失った。そうして我に返り、やっとこう言ったのだ。
「さあ、行こう! 時間が惜しい……!」
俺は大谷の手をしっかりと握った。大谷が考えを変えて「やっぱり出来ない、家には上げられない」と言い出さないよう……一刻も早く彼女のアパートの玄関まで辿り着かねばならないのだ……!
ウキウキと久し振りの高揚感に身を任せながら、大谷と繋いだ手をブンブン振り回して歩く俺を見上げて―――大谷が呟いた。
「亀田課長……笑ったの久しぶりですね……」
どうやら俺はその時、滅多に見せる事の無い満面の笑顔を大盤振る舞いしていたらしい。
素面になり、後から自分の行動を振り返ってみると。
あの時の俺は……完全に、ただの不審者だった。
大谷に通報されて、警察に突き出されたって文句は言えないだろう。そんな俺を独り暮らしのアパートに入れてくれた一回りも下の部下に―――俺は感謝を禁じ得ない。
俺は再び救われたのだ。
ミミと目が合った瞬間、あれは運命だった。
ミミとの日々が―――昏かった俺の人生に光を与えてくれた。
その時感じた温かな光を―――俺は、大谷の家で再び得る事になったのだ。
【捕獲しました・完】
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『ヒロインが出て来るのはもう少し後になります。』なんて書いて置いて、結局最終話にしか出演しませんでした。面目ありません<(_ _)>
後ほどきっと大谷さん視点の後日談とかで人間同士の恋愛成分を補填できると……思います。でも少々不安です。今回亀田視点にも入れる予定だったのに、何故かミミにヒロイン役を奪われてしまいました(合掌)次はウーたんの番かも?!
ともあれ拙い作品、微妙な主役をこれまで応援してくれた皆さまには感謝感謝です。
完結までお読みいただき、大変嬉しく思います。誠に有難うございました!
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それでも、何を望み、何を選ぶのかは、自分で決められる。
セラが守ろうとするものは、弟か、才か、それとも――
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