海夕記

読書人間ヨミ・ヨーミ

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普通

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 ある小説を読んだ事がある。
 届きはしない夢に手を伸ばすあまり、全てを失い、虎になった男の話。





 私の人生を表すとしたら『普通』しかないだろう。
 普通の学力、普通の運動能力、普通の顔、普通の身長、普通の家族、普通の財産。

 普通の社会人であった。

 これといった夢はなく、これといった野望はなく。
 これといった才覚もなく。


 周りには居たら助かる。
 居なくともどうにかなる。
 それぐらいにしか思われてないだろう。

 私もそれを望んだ。

 姿が見える透明人間に過ぎない、そんな立ち位置で生きて。


 私が普通で“あった”のか、普通と“なった”のか、もう真偽は分からない。

 が
 普通であるが為に、普通に生きていく中、気づけば

 『普通』が形を持っていた。


 その『普通』はまるで小人のようで顔を持たず、全てが白であり、喋る事はない。


 何かを決断する時に現れ、『普通』は私を普通へと導く。

人と喋る時、食事の時、仕事をする時……

 事ある毎に、相手の意見と食い違った時、どの順番で仕事を片付けるか、食事でスプーンか箸を使うかまでも。


一挙手一投足が、普通に導かれていた。


 ……今思えば、普通だったら、そんなモノに従う事が普通である筈がないのだ。


 それが何年か、いや十数年続いたのか分からない。

 だが、これは忘れもしない今日の朝。



「起きて」


 普通が喋った。

 
 普通が、笑っていた。

 顔を持たぬ筈の無面の小人が、 
 健康な白歯と赤黒い歯茎を持ってして。
 私に笑顔を見せ付けてきたのだ。


 ……酷く、恐ろしかった。






 だから、
 私は選択しなければならなかった。

 普通がどれであるか。

 その時の選択は、どの服を着るか。
 クローゼットと対面し、色取り取りの服を見て惑う。
 しかし、幾年振りの自己決定は、目に映る笑う普通がスーツを選んだことにより、すんなりと決まった。

 黒のジャージ。

 会社へ行くのも普通であれば、電車で行っている所を、車を使っていた。


 会社に行くか行かないか。
 普通はいつもの道を示す
 私は行かず、道路脇に車を止めた。

 近くの公園のベンチに座る。
 普通だったら既に働いている時間、慣れぬ角度の太陽に照らされていた。
 肩で息をしてしまう。
 血流が速かった。
 焦点が合わ

「すみません、道を聞きたいんですけど」
 と女性。
リクルートスーツを着、焦り息白く、喋る最中もスマホの画面を見て、土地勘の無さそうな。

 普通、笑っていた。

 私の目は、差し出される地図の行き先など見てはおらず、周囲を見回していた。

 普通しかいない。
 その時、普通の口が動くのを見た。

「やめて」

 私、女性の頭を掴み、ベンチへと叩きつけていた。

 動かなくなった。
殺した

 車に押し込んだ。

 普通、笑っていた。
 女性のスマホ、110

 私、スマホを投げ捨てた。

 普通、笑っていた。
 60の速度制限

 私、アクセルを踏み込む。


 普通、笑っていた。
 病院を指差し。


何故?




「うぅ」

 うめき声

 生きていた。



そして、今に至る。


 ある小説を読んだことがある。
 届きはしない夢に手を伸ばすあまり、全てを失い、虎になった男の話。


 車を止めた。
 病院を過ぎた先、人が通らぬ路肩に。
 日は照り、私は起きてから何も飲んでおらず喉は乾き、それであっても汗は流れて、脳が冷えていない。
 グルグルと体が回っている様な感覚に襲われる。
 吐き気を催し、嗚咽と咳の中間のような事を繰り返す。
 獣の唸り声のような。


 ガリガリと扉を掻く音。
 生きている。
 あの時、道を訪ねてきた女が。

 普通がバックミラーに映る病院へ何度も指をさしている。
 私はそれを見てしまった瞬間に、身体中の熱が引くのを感じた。

 それは、虎が獲物を見つけた時に吠え散らさない様に。

 私は草の根を掻き分けるように運転席と助手席の間より手を伸ばす。
 車の中では立ち上がる事は出来ない。
 故に四足で歩む。

 女は小刻みに震えていた。
 涙も出ていた。
 異常者を見る目で、私を見ていた。
 私を、
 私を化け物のように見ていた。

 女が口を開け、その中に普通がいた。

「助けて!!」

 その甲高い音が耳から消え失せた時、女性は死んでいた。

 視界に映った手は赤黒く、私がやったのかと訳も分からず、この手を動かす者が私であるかを確かめる為、顔中に触れ気付く。

 私は、笑っていた。

 普通は、消えていた。


 熱が上がる。
 赤黒い肉塊へ吐いた。

 何故か、今日何も食べていない筈なのに、固形物が混じっていた。



 この真相に気付く事から逃げるように運転席へ戻り、アクセルを全開に踏み込む。
 目の前のガードレールに掠り、電柱へとサイドミラーがぶつかり大破する。

 そんなこと、どうでもよく、ここから、あの肉塊から逃げたかった。
 逃げても肉塊も共に着いてくるのに。









 気付けば知らぬ場所まで車を飛ばしていた。
 
 車中、蒸し暑く、死んだ生き物の臭いは熱され濃くなるも、逃がす事は出来ず、口は歪んで、耳には消えてなかった時の悲鳴がリフレインして、額から顎まで液体が流れている。

 その時拭った物が血か涙か汗かも、もう分からない。



 そして、ガソリンが尽き、車が止まった。

 アクセルを踏んでいただけなのに、酷く疲れた。
 臭いから逃げる為にドアを開け、そのまま地面に放り出され気付く。

 私は、海に来ていた。
 名前も知らない海に。

 落ちた砂浜の先、さざなむ海に、

 普通が、いた。

 追いかけた。
 罪もない、夢に富んだ若者を殺し、あまつさえその行為を終えた時笑っていた者が選ぶ普通は、海に飲まれ死ぬ。
 それしかない。

 ゆこうとするも、砂に足取られ、浅瀬で膝を付き気付く。




 水面に私が映る。

 私は、普通の人であった。


夕焼けが海を照らし、赤く染めていた。

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