氷の君主は、紅の騎士と腹黒宰相に捕らわれ支配される

星野 千織

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第八話:崩壊への序曲は静かに

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 昼間の完璧な忠臣の顔は、夜の闇の中で無惨に剥がれ落ちる。
 ライオネルの荒々しい熱情は容赦なく俺を翻弄し、アシュレイは巧みな手つきで、俺の快感の扉を次々と開いていった。
  
 体は意志に反して反応し、羞恥と背徳が交互に胸を侵す。
 それでも抗えない快楽の波が押し寄せるたび、俺は夜の深みへと溺れていった。
 君主としての威厳は寝台の上でほどけ落ち、二人の強烈な執着の前に身を委ねるしかなかった。

「はっ……ぁ……っ、ライオネル……!」
「セレスティン様……っ、もっと、私の名を」

「ああ、陛下は、本当に美しい……ふふ、その汗で濡れた黒髪も、私どものものです」

 ライオネルに真下から突き上げられ、背後から伸びたアシュレイの指に喉を反らす。
 息が震え、声が滲み、二人の気配が俺を完全に挟み込んだ。

 二人の攻め方は対照的でありながら、不思議と噛み合っていた。
 互いの欲望を補い合い、逃げ場を奪うように――俺をゆっくりと支配していく。

 前世を含め、誰にも触れさせてこなかったこの身体は、彼らの手の中で徐々に淫らな快感に染められていった。
 拒めば拒むほど、彼らの獣欲は熱を増す。
 俺の息遣いは抗いの声から震える吐息へと変わり、全てが彼らの望む形へとなだれ込んでいく。

 その変化を、二人は楽しげに、まるで獲物を吟味するように見下ろしていた。

 君主としての威厳も、高潔な精神も、彼らの猛り狂う愛撫の前では無力だ。
 どうしようもなく追い詰められ、落とされ、そして――快楽に縫い止められる。

 俺が弱音を漏らせば、彼らは慈しむように抱きしめる。
 抵抗すれば、その分だけ激しく貪る。
 それが、この歪んだ関係の中で与えられた唯一の「安息」であり、同時に「地獄」でもあった。

 暗殺の恐怖は、二人の絶対的な守護によって意識の底へ追いやられ、
 未来への漠然とした不安さえ、彼らの支配が塗り潰していく。

 そして俺は、彼らの意図どおり――
 二人なしでは生きられない身体へと、じりじりと変えられていった。

 ◇

 朝が訪れ、彼らが俺の寝室から去ると、部屋はようやく静寂を取り戻す。
 残されるのは、身体の奥に沈む倦怠感と、昨夜の淫らすぎる記憶だけ。
 乱れきったはずのシーツも、俺のローブの痕跡も跡形なく片づけられ、まるで一夜の出来事が悪夢だったかのように整えられた部屋で――俺は毎朝、「冷たい君主」の仮面を被り直す。

 豪奢な執務室には、既に公文書の山が積み上がっていた。
 いつもと変わらぬ朝の光景。
 ライオネルは朝一番の巡回を終え、凛とした騎士の姿で報告書を差し出し、
 アシュレイは重要案件をいくつも処理した後のような平然とした顔で、今日の評議会の議題を説明する。

 ――まるで、夜の出来事など一度もなかったかのようだ。

 昼間の彼らは、完璧な側近として振る舞い、揺るがぬ忠誠と有能さを示してみせる。
 その姿が、逆に俺の胸に小さな疑念を生み始めていた。

(どうして、彼らは俺にここまで執着するんだ……?)

 ライオネルが訓練の進捗を、アシュレイが経済政策の報告を語る。
 俺は冷静に聞き流しているふりをしながら、内心では彼らの行動の理由を探っていた。

 彼らは帝国を支える二本の柱と言っていいほど有能だ。
 だからこそ、俺は彼らを拒絶しきれない。
 ――だが、それだけではない。

 前世の記憶が、俺の判断を確実に鈍らせていた。
 原作で彼らを「愛していた」という感情が、今も体の奥に根を張っているからだ。

 彼らの独占欲。
 俺がアーネストに向けた、あのわずかな微笑みにさえ燃やした嫉妬。
 夜毎の、理性を奪うほどの執着。

(……まさか。俺が『君主』だから、なのか?)

 ふと浮かんだ仮説に、胸がざわついた。
 君主──帝国の頂点。
 絶対権力と権威を象徴する存在。

 もし彼らが俺に向けるこの異常な執着が、
 彼ら自身の意思ではなく、
 原作という物語の“修正力”によって引き寄せられているのだとしたら。

 その考えは、俺の心に久しぶりの希望を灯した。

(そうだ……原作では、本来、アーネストが君主となり、彼らは主人公に魅了されていく)

 前世で愛読していた『アステルガルドの薔薇』。
 主人公は紛れもなくアーネストであり、その純粋さとカリスマで民を導き、帝国の新君主として即位する運命にあった。

 俺は、その原作の結末を知っている。

 ――もし、俺がこの玉座を明け渡し、アーネストに譲ることができれば?

 俺が君主でなくなれば、彼らの「君主への執着」は宙に浮く。
 俺を囲い込み、独占するための「正当な名目」を、彼らは失う。

 そうなれば、彼らの執着は弱まり、俺は解放されるかもしれない。
 この歪んだ牢獄から、抜け出せるかもしれない。

 小さな希望が、胸の奥でちろちろと燃え上がった。
 幾年も感じられなかった「安寧への道」が、ようやく視界に差し込んだ気がした。

 ――だが、その炎はすぐに冷たい現実に覆われる。

(だが……退位など、この帝国に前例がない。混乱は避けられない。それに……俺の身の安全は?)

 彼らが俺を手放すはずがない。
 君主でなくなっても、執着が消える保証などどこにもない。
 むしろ、君主という枷が外れ、より自由に俺を縛る可能性すらある。

 たとえ退位が成功しても――
 帝国の頂点に立っていた俺が、その後どこへ行けるというのか。
 貴族として? 平民として?
 そんな自由を、彼らが許すのか?

 考えるほどに、頭は重く沈んでいく。
 さっきまで「救い」だった希望は、すぐに「現実」という残酷な壁へと姿を変えた。

(……でも、このままでは……)

 君主としての重圧にも、彼らの歪んだ愛情にも、もう耐えられそうになかった。
 暗殺の恐怖は彼らの守りで消えたが、今度は彼ら自身が新たな恐怖となりつつある。

 それでも俺は――
 この地獄から抜け出すため、わずかな可能性にでも賭けてみたかった。

 数日間、俺はこの考えを何度も反芻した。
 公務中も、食事中も、そして夜、彼らに貪られている最中でさえ――
 俺の思考は「退位」という一つのテーマに囚われ続けていた。


 ◇


 そして、ある日の午後。

 執務室には、俺とアシュレイだけがいた。
 ライオネルは、急遽発生した北部国境の警備案件のため席を外している。

 今の俺には、二人を同時に相手取るだけの勇気はもう残っていなかった。
 だから――宰相であるアシュレイだけが残る、この一瞬を狙った。

 この機会を逃せば、次に二人きりで話せる保証はない。
 俺は迷いを振り払うように、静かに決意を固めた。

 手元の公文書から視線を上げると、アシュレイはいつもと変わらぬ完璧な微笑みを浮かべ、俺の指示を待っていた。
 その知的な紫の瞳は、俺のわずかな感情の揺れさえ見逃さないだろう。

(今だ……)

 俺は、息を深く吸い込んだ。喉が張り付いたように乾いている。
 心臓が、肋骨を内側から叩き割るのではないかと思うほど激しく脈打つ。
 君主として何千人もの兵を動かし、幾多の決断を下してきた俺が、今、たった一つの言葉を口にすることに、これほどの恐怖を感じるとは。

「アシュレイ……」

 俺はできる限りいつも通りの冷徹さを保って声を発した。

「は、セレスティン様。何かご指示が?」

 恭しい姿勢。
 完璧な側近の仮面。
 その視線が、まっすぐ俺の表情を射抜く。

 俺は、一呼吸置いた。
 そしてまるで独り言のように、あるいは彼の反応を探るように、ごく小さな声で、言葉を紡いだ。

「……君主を、退こうと思うのだが……」

 その瞬間、空気が変わった。

 アシュレイの完璧な微笑みが、一瞬、ぴくりと揺れる。
 その紫の瞳の奥で、何かが稲妻のように閃いたのを、俺は確かに見た。

 次いで浮かんだ表情は――あまりにも静かで、あまりにも不穏だった。
 口角がわずかに吊り上がる。
 それは歓喜にも、思惑にも見える、形容しがたい笑み。

「……それは、いかなる意味でございますか、セレスティン様?」

 アシュレイの声は――変わらず甘く穏やかだった。
 けれどその柔らかい音色の底で、彼特有の“計算の熱”が静かにうねり始めているのを、俺ははっきりと感じ取った。

 まるで新しい盤が音を立てて開かれた瞬間のように──
 彼の内側で、冷たく研ぎ澄まされた思考と、微かな狂気めいた愉悦が同時に走り出す気配がある。

 深紅の夕陽が差し込む執務室で、アシュレイの刃のような美貌はいっそう鮮烈な陰影を帯びる。
 その瞳の奥で、俺の想像をはるかに超える“像”を、すでに描き始めているかのように。

 その気配に気づいた瞬間、胸の奥がざわりと波立つ。
 彼の指先ひとつで、俺の運命など容易く傾けられる──
 そんな予感が、かつての記憶を伴って蘇った。

 また、彼の掌で踊らされるのかもしれない。
 そう思うだけで、心臓はひどく跳ね、呼吸が浅くなる。

 この選択が吉と出るのか、それとも取り返しのつかない凶となるのか。
 しかし──その不安の奥で、微かな光にも似た“希望”が確かに息づいていた。

 不安と期待。
 絶望と救い。
 その狭間で、俺の心はどうしようもなく揺れ続けていた。
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