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第五話

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 ローランドはボサボサの黒髪で目を覆い隠し、さらに無精髭を蓄えているせいで一見は不恰好な男である。

 だが、それは仮初の姿だった。

 凛とした眉に、彫りの深い切長二重の目元。高く通った鼻筋と切れのある輪郭。

 本来ローランドは酷く無愛想であっても、ひとたび隣町を歩けば高身長かつ屈強な体躯も相まって、どんな女性も振り向かせるほど男前だった
 彼の凛々しく騎士にも似た精悍な顔付きは、栄えた隣町に住む多くの女達を一瞬で虜にしてしまったそうな。

「え、何あの人……どこの殿方かしら」
「背高ーい!」
「指輪してる? え、ないじゃん! ――」

 ところが、母に失望したことで女性が苦手になっていた彼は、執拗に女達から声をかけられたところで、相手にするどころか見向きすら出来なかった――。

『あいつは女に全く興味がない変わった男』

 周囲からそう思われるくらいが、普段から“父の形見である麦わら帽子”を目深に被るローランドには丁度良かった。

 いつしか体が成長するにつれ、美醜に無頓着な彼の顎には無精髭が生え始め、癖のある黒髪は肩まで伸びれば己の手で小刀を用いて雑に散髪していた――。

 そんな時。

 運命に導かれるように、ローランドはカミーユと衝撃的な出会いを果たすことになる。

 彼は無防備なカミーユを見た途端、生まれて初めて『命を賭してでも守りたい愛すべき女性』に巡り会えた感覚で心を支配された。

 結婚前の同棲生活ではローランドとて男。

 村に住む女達からも羨望の眼差しで崇拝すらされるカミーユと生活していれば、衝動に駆られそうになることは何度もあった。

「あ、あの……私、ローランドさんと一緒に寝ても構わないのですが」

「いや……え、遠慮しておく――」

 彼はひたすら耐え続けた。

 安心した寝顔で眠るカミーユの薄着がはだけて、大きな胸が溢れ落ちそうな姿を目にしても襲うことはしなかった。むしろ薄目を凝らして、彼女の肩まで優しく毛布をかけ直していたくらいである。

 もちろん、入浴を覗くことなどもない。

「毎日猟でお疲れでしょうし……お、お背中でも流しましょうか……?」

「それはありが……いや、き、気持ちだけ受け取っておく――」

 カミーユに結婚を受け入れてもらった夜。

 晴れて妻となった彼女と身体が一つになると、青い空に悠々と浮かぶ雲に包まれる感触に癒された。その心地のよい安らぎと安堵感は、ローランドの心底にある不安な心情すらも和らげていた。
 そして朝になれば、前日にあれほど疲れていた身体が嘘のように軽くなっているではないか。

 だが、本能の赴くまま彼女を抱いてしまい、カミーユが少し痛むような素振りを見せたことに気付いたローランドも、いささか後悔の念を覚えていた。

 それでも献身的に尽くしてくれる妻への愛は、日に日に募るばかり。反して、ローランドの心に巣くう罪悪感は愛情と伴って大きくなっていった。

 夕飯や入浴時、妻はよく子供の話題を楽しそうに語っていた。母性の塊かの如く柔らかな表情を浮かべる妻に対し、『早く子を宿らせてあげたい』と強く思っていた――。

 カミーユに結婚を申し込む前。

 質屋で結婚指輪を購入する際、店主に「どうしたら子供は出来るんだ?」と尋ねて返ってきた「数打ちゃ当たりますよ!」という端的な助言を頼りに実践してはみた。
 しかし、店主の言う割には子供が出来ないことに、ローランドは疑問を抱き始める。

 隣町の大通りを歩いていた時。

 装飾屋の前で何か気になって足を止めたローランドが、店先に並ぶ品を眺めていると、店を切り盛りする女性が少し震える声で話掛けてきた。

「お、奥様への贈り物をお探しですか? 店内にもたくさん種類は揃えておりますけど……」

「子供が欲しくてな。何かいい物はないか?」

 すると女性は「それならピッタリの品があります!」と張り切った顔で、そそくさと店内から“腕飾り”を持ち出してきた。

「この腕飾りなんかは如何でしょう? これは『奥様が妊娠して産まれるまでは旦那様が大切に持ち歩き、無事に出産できたら奥様へ贈る』という、安産祈願の“まじない”もかけたお守りなんですよ!」

「それをくれ――」

 ものは試しだと腕飾りを買って帰ったが、これまた効果は中々現れず、ローランドはいよいよ頭を悩ませた。

 カミーユは『子供は神様からの授かりもの』と言っていたな。ということは……夢を叶えてくれるよう神様に願えばいいのか。

 そこで、彼は考えに考え抜いて思い付いた――『カミーユとの結婚を叶えてくれた“あの泉”なら、願いを聞いてくれるかも知れない』と。

 しかし、それを心優しい妻に打ち明ければ『子供が出来ないことを気にしていたのか』と、余計な不安を煽ることになり得る。

 やはり黙っておくべきか。

 人と向き合うのが不器用な彼は、自身の悩みを解決する他の方法など思い浮かぶはずもなく、その日を境に一人きり――ただひたすら泉へ祈りを捧げるようになっていった――。

 片や、見目麗しいカミーユという娘の正体は一体何者なのか。

 彼女は――泉を守護する『妖精』だった。普段は人間に見つからないよう、息を潜めている存在なのである。

 ローランドと出会ったあの時。

 カミーユは泉で水浴びをしようと、全くの無警戒で人間界にその妖艶な姿を晒していた。彼女が水浴びをすることで泉は浄化されるため、前日の大雨で濁った泉を清めようとしていたのだ。

 そして、妖精界と人間界を結ぶ重要な役割を持つ『聖なる羽衣』という衣装は、“紛失してしまうと持ち主の記憶まで喪失する”という一大事に繋がってしまう代物。

 それがローランドの手によって盗まれ、記憶を失くした彼女は妖精界に戻れなくなってしまった――。
 
 他人からすれば、二人の生活は変わり映えしないもの。だがカミーユにとっては、ローランドと過ごす毎日は“かけがえのない輝く時間”だった。

 疲れて帰ってきた夫が自分の手料理を口一杯に頬張り、「美味しい」と言って砕ける笑顔を、ただ向かいで微笑みながら眺めているだけで良かった。

 寡黙な夫が時折見せる無邪気な笑顔には、カミーユの胸を“キュン”とくすぐる素敵な魅力まであった。

 最初こそ乱暴に扱われてしまった結婚初夜もある。

 しかし、夫は日を追うごとに肌で愛を表現するかのように、自分の柔肌を優しく抱き締めてくれるようになっていった。

 そんな彼の腕の中にいる間は――『夜明けなんて来ないで欲しい』と願うくらい、カミーユにとって“至福の極み”ともいえる優雅な時間だった。

 毎日一緒に湯船へ浸かりながら村で起きた出来事を話せば、夫は真剣に耳を傾けてくれた。

「それでね、子供達が私のためにお花を摘んできてくれたのよ!」

「そうか……みんなカミーユのことが、大好きなんだろうな――」

 自分の背中を受け止める夫の分厚い胸板や、腰回りを固める筋肉質な太もも。そして、胸下に巻かれる血管が浮き出る逞しい腕は、心をも守ってくれる“お城”のような安心感があった――。

「いってらっしゃい……早く帰ってきてね」

「ああ……行ってくる――」

 朝になれば、弁当を持って猟に出るローランドを見送るだけで胸が騒めいた。畑仕事をしている最中ですら、一時も夫の顔が頭から離れることはない。
 夕方になると、夫の帰りが待ち遠しくて仕方がなかった。その想いは何度森へ迎えに行こうか、家の中を右往左往しながら悩むほど。

 あの人が、恋しくて恋しくて堪らない。

 一秒でもいいからずっと一緒にいたい。

 例え会話がなくても、ただ彼の側にいて触れ合っていたい。

 カミーユにとってローランドは、骨の髄に至るまで己の全てを捧げられる存在となっていた――。
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