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第1話 レベル1ポーターの追放
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冒険者ギルドの空気は、いつも澱んでいる。
昼下がりだというのに窓は半ば閉ざされ、差し込む陽光は薄く濁り、室内の埃を鈍く浮かび上がらせていた。安酒の酸っぱい臭いが鼻を刺し、脂ぎった男たちの汗が混ざり合い、鉄と革の匂いが床に染みついている。
依頼掲示板の前では、次の獲物を探す冒険者たちが肩をぶつけ合い、受付では書類を叩きつける乾いた音が絶えず響いていた。
欲望と焦燥と、剥き出しの射幸心。
それらが渦を巻く喧騒の片隅で、俺――ユキは、静かに自分の終わりを受け入れていた。
「ユキ。お前は今日限りでパーティをクビだ。この寄生虫が」
低く、それでいて妙によく通る声だった。わざと周囲に聞かせるために張り上げられた声音が、ざわめきを裂いて俺の鼓膜を打つ。
俺を見下ろしているのは、仁王立ちする男、マルス。Bランクパーティ『赤き流星』のリーダーだ。くすんだ赤毛を揺らし、茶色の瞳を細めながら、腰に下げた高価な魔剣の柄をこれ見よがしに鳴らす。鞘が床に触れ、乾いた金属音が響いた。
その瞬間、周囲の視線が一斉に集まる。
公開処刑。
そんな言葉が脳裏をよぎった。
俺の手元には、使い古された共有ポーション。ラベルの剥がれかけた瓶を一本ずつ確認し、残量を測り、次回補充の目安を帳面に書き込む。手は止めない。震えもない。ただ、決められた作業を淡々とこなす。
並べ終え、俺はゆっくりと顔を上げた。
「理由を、お聞きしても?」
声は平坦に。感情を乗せない。余計な波を立てない。
「理由だと? お前みたいに汗一つかかねぇレベル1が、俺たちと同じ報酬を受け取ってるのが気に入らねぇんだよ」
マルスは鼻で笑い、わざとらしく肩を竦める。
「……それに、エリナやサラがお前にベタベタすんのもな」
最後の一言だけ、わずかに声が濁った。
本音だ。
ヒーラーのエリナ。薄い茶髪を揺らし、青い瞳で常に周囲を気遣う少女。
魔術師のサラ。ダークブルーに見える緑髪を後ろで束ね、茶色の瞳に理知を宿す少女。
彼女たちは、戦闘中に必要な触媒や回復薬を一瞬で差し出す俺を信頼していた。素材の仕分けを正確に行い、消耗品の不足を事前に予測する俺を評価していた。前衛が倒れないよう、背後から支える役目。その重みを理解していた。
俺は前衛には立たない。
だが、前衛が倒れないように支えていた。
その信頼が、独占欲の塊であるマルスには耐え難い毒だったらしい。
(……やれやれ。またこれか)
胸元で鈍く光るステータスプレートに視線を落とす。
【ユキ:レベル1】
【職業:ポーター】
【スキル:アイテムボックス】
無力。
平凡。
いや、平凡以下。
だが、それは最強の隠密スキル《偽装》が作り上げた、精巧な虚飾に過ぎない。
本当の俺は、十数年前にリゼルド帝国に滅ぼされたアルトリア王国の王子。
ルキーユ・ルド・アルトリア。
燃え落ちる城。
血に濡れた石畳。
遠ざかる兵の怒号。
あの日、全てを失った。
そして転生特典――《経験値獲得量一万倍》。
呪いのような祝福。その効果により、俺の実力は神話級の四桁。レベルはすでに1600を超えている。土魔法を極め、地脈を読み、城壁を隆起させることも、地割れで軍勢を呑み込むことも可能だ。
本気を出せば、このギルドごと、この街クレセントを地図から消し飛ばすことすらできるだろう。
だが、そんなことをすればどうなる。
リゼルド帝国の密偵が動く。
暗殺者が放たれる。
フェルゼン王国に潜む亡命者の噂が広がる。
再び、平穏は奪われる。
だから俺は、レベル1を演じる。汗をかかない無能を装い、白い髪も目立たぬよう整え、茶色の瞳で地味な青年を演じ続ける。
生き延びるために。
「分かりました。……今まで、お世話になりました」
言葉に嘘はない。利用し、利用された関係だとしても、共に潜った時間は確かに存在した。
マルスは舌打ちをする。
「ずいぶん素直じゃねぇか。泣きついても無駄だぞ?」
「パーティの方針に従うだけです」
俺は《アイテムボックス》から共有装備を取り出す。予備の武具、保存食、野営用テント、魔物素材。床に傷がつかぬよう注意しながら、一つ一つ整然と並べていく。
雑に扱えば簡単に価値を落とす品だ。最後まで丁寧に。それがポーターとしての矜持だった。
やがて手続きは終わる。
俺はギルドの端にある硬い椅子へと腰を下ろした。背中に伝わる冷たい木の感触が、妙に現実味を伴う。
その瞬間、周囲から嘲笑が飛んだ。
「おい、見ろよ。あの幸運の寄生虫、ついに追い出されたぜ」
「レベル1でBランクに潜り込んでたんだ。いい夢見れただろ?」
「女に媚びてただけのガキだろ?」
笑い声が重なり、天井の梁に反響する。
だが俺は目を閉じる。
気にするな。
怒るな。
亡国の王子としての矜持は、復讐のためにあるのではない。それは、生き延びる平穏のためにある。アルトリア王国の血は、激情ではなく忍耐を選ぶ。
(さて……次の隠れ蓑を探さないと)
規格外の力を隠せる場所。目立たず、しかし一定の実力はある中堅パーティが理想だ。Sランクは論外。注目を浴びすぎる。
そう考えた、その時だった。
「――君、ポーターなんだろう?」
凛とした声が、空気を切り裂いた。
よく通る。それでいて、不思議と耳に優しい響き。
ぴたりと喧騒が止む。椅子が軋む音。誰かが息を呑む気配。重厚な金属が擦れる音が、静まり返った空間に長く尾を引いた。
熱風が吹き抜けたかのような錯覚。
俺はゆっくりと顔を上げる。
そこに立っていたのは――太陽だった。
燃えるように鮮烈な紅の赤髪を高く結い上げ、真紅の瞳が真っ直ぐにこちらを射抜く。銀の鎧は薄暗いギルドの光を反射し、まるで自らが光源であるかのように眩い。
Sランクパーティ『白銀の乙女』のリーダー。
王国最強の『剣聖』――アリア。
彼女は腰に手を当て、不敵に笑う。その視線に迷いはない。選別ではなく、決断の目だ。
「は、はい。そうですが……」
喉がわずかに乾く。
なぜ俺だ。
よりにもよって、最も目立つ存在が。
アリアは一歩踏み出す。鎧が鳴る。その音が、鼓動と重なる。
そして、満面の笑みで言い放った。
「ちょうど良かった! 私たちのパーティに来ないか!」
その声は、ギルドの隅々まで響き渡った。
視線が再び集まり、ざわめきが爆発する。
俺の平穏が、またしても音を立てて崩れ始める。
――よりにもよって、Sランク。
運命は、どうやら俺を静かに生かしてはくれないらしい。
昼下がりだというのに窓は半ば閉ざされ、差し込む陽光は薄く濁り、室内の埃を鈍く浮かび上がらせていた。安酒の酸っぱい臭いが鼻を刺し、脂ぎった男たちの汗が混ざり合い、鉄と革の匂いが床に染みついている。
依頼掲示板の前では、次の獲物を探す冒険者たちが肩をぶつけ合い、受付では書類を叩きつける乾いた音が絶えず響いていた。
欲望と焦燥と、剥き出しの射幸心。
それらが渦を巻く喧騒の片隅で、俺――ユキは、静かに自分の終わりを受け入れていた。
「ユキ。お前は今日限りでパーティをクビだ。この寄生虫が」
低く、それでいて妙によく通る声だった。わざと周囲に聞かせるために張り上げられた声音が、ざわめきを裂いて俺の鼓膜を打つ。
俺を見下ろしているのは、仁王立ちする男、マルス。Bランクパーティ『赤き流星』のリーダーだ。くすんだ赤毛を揺らし、茶色の瞳を細めながら、腰に下げた高価な魔剣の柄をこれ見よがしに鳴らす。鞘が床に触れ、乾いた金属音が響いた。
その瞬間、周囲の視線が一斉に集まる。
公開処刑。
そんな言葉が脳裏をよぎった。
俺の手元には、使い古された共有ポーション。ラベルの剥がれかけた瓶を一本ずつ確認し、残量を測り、次回補充の目安を帳面に書き込む。手は止めない。震えもない。ただ、決められた作業を淡々とこなす。
並べ終え、俺はゆっくりと顔を上げた。
「理由を、お聞きしても?」
声は平坦に。感情を乗せない。余計な波を立てない。
「理由だと? お前みたいに汗一つかかねぇレベル1が、俺たちと同じ報酬を受け取ってるのが気に入らねぇんだよ」
マルスは鼻で笑い、わざとらしく肩を竦める。
「……それに、エリナやサラがお前にベタベタすんのもな」
最後の一言だけ、わずかに声が濁った。
本音だ。
ヒーラーのエリナ。薄い茶髪を揺らし、青い瞳で常に周囲を気遣う少女。
魔術師のサラ。ダークブルーに見える緑髪を後ろで束ね、茶色の瞳に理知を宿す少女。
彼女たちは、戦闘中に必要な触媒や回復薬を一瞬で差し出す俺を信頼していた。素材の仕分けを正確に行い、消耗品の不足を事前に予測する俺を評価していた。前衛が倒れないよう、背後から支える役目。その重みを理解していた。
俺は前衛には立たない。
だが、前衛が倒れないように支えていた。
その信頼が、独占欲の塊であるマルスには耐え難い毒だったらしい。
(……やれやれ。またこれか)
胸元で鈍く光るステータスプレートに視線を落とす。
【ユキ:レベル1】
【職業:ポーター】
【スキル:アイテムボックス】
無力。
平凡。
いや、平凡以下。
だが、それは最強の隠密スキル《偽装》が作り上げた、精巧な虚飾に過ぎない。
本当の俺は、十数年前にリゼルド帝国に滅ぼされたアルトリア王国の王子。
ルキーユ・ルド・アルトリア。
燃え落ちる城。
血に濡れた石畳。
遠ざかる兵の怒号。
あの日、全てを失った。
そして転生特典――《経験値獲得量一万倍》。
呪いのような祝福。その効果により、俺の実力は神話級の四桁。レベルはすでに1600を超えている。土魔法を極め、地脈を読み、城壁を隆起させることも、地割れで軍勢を呑み込むことも可能だ。
本気を出せば、このギルドごと、この街クレセントを地図から消し飛ばすことすらできるだろう。
だが、そんなことをすればどうなる。
リゼルド帝国の密偵が動く。
暗殺者が放たれる。
フェルゼン王国に潜む亡命者の噂が広がる。
再び、平穏は奪われる。
だから俺は、レベル1を演じる。汗をかかない無能を装い、白い髪も目立たぬよう整え、茶色の瞳で地味な青年を演じ続ける。
生き延びるために。
「分かりました。……今まで、お世話になりました」
言葉に嘘はない。利用し、利用された関係だとしても、共に潜った時間は確かに存在した。
マルスは舌打ちをする。
「ずいぶん素直じゃねぇか。泣きついても無駄だぞ?」
「パーティの方針に従うだけです」
俺は《アイテムボックス》から共有装備を取り出す。予備の武具、保存食、野営用テント、魔物素材。床に傷がつかぬよう注意しながら、一つ一つ整然と並べていく。
雑に扱えば簡単に価値を落とす品だ。最後まで丁寧に。それがポーターとしての矜持だった。
やがて手続きは終わる。
俺はギルドの端にある硬い椅子へと腰を下ろした。背中に伝わる冷たい木の感触が、妙に現実味を伴う。
その瞬間、周囲から嘲笑が飛んだ。
「おい、見ろよ。あの幸運の寄生虫、ついに追い出されたぜ」
「レベル1でBランクに潜り込んでたんだ。いい夢見れただろ?」
「女に媚びてただけのガキだろ?」
笑い声が重なり、天井の梁に反響する。
だが俺は目を閉じる。
気にするな。
怒るな。
亡国の王子としての矜持は、復讐のためにあるのではない。それは、生き延びる平穏のためにある。アルトリア王国の血は、激情ではなく忍耐を選ぶ。
(さて……次の隠れ蓑を探さないと)
規格外の力を隠せる場所。目立たず、しかし一定の実力はある中堅パーティが理想だ。Sランクは論外。注目を浴びすぎる。
そう考えた、その時だった。
「――君、ポーターなんだろう?」
凛とした声が、空気を切り裂いた。
よく通る。それでいて、不思議と耳に優しい響き。
ぴたりと喧騒が止む。椅子が軋む音。誰かが息を呑む気配。重厚な金属が擦れる音が、静まり返った空間に長く尾を引いた。
熱風が吹き抜けたかのような錯覚。
俺はゆっくりと顔を上げる。
そこに立っていたのは――太陽だった。
燃えるように鮮烈な紅の赤髪を高く結い上げ、真紅の瞳が真っ直ぐにこちらを射抜く。銀の鎧は薄暗いギルドの光を反射し、まるで自らが光源であるかのように眩い。
Sランクパーティ『白銀の乙女』のリーダー。
王国最強の『剣聖』――アリア。
彼女は腰に手を当て、不敵に笑う。その視線に迷いはない。選別ではなく、決断の目だ。
「は、はい。そうですが……」
喉がわずかに乾く。
なぜ俺だ。
よりにもよって、最も目立つ存在が。
アリアは一歩踏み出す。鎧が鳴る。その音が、鼓動と重なる。
そして、満面の笑みで言い放った。
「ちょうど良かった! 私たちのパーティに来ないか!」
その声は、ギルドの隅々まで響き渡った。
視線が再び集まり、ざわめきが爆発する。
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