193cmの孤高なお嬢様に「見つかった」ので、153cmの私は専属騎士(駄犬)に指名されました 。

猫野 にくきゅう

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第一章

第2話 地下迷宮の『月』と、禁断の指摘

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 敗因は、髪の長さ。

 そう結論付けた私は、志保先生に深々とお辞儀をして、逃げるように教室を後にした。お嬢様学校の生徒らしく、背筋を無理に伸ばし、顎を引き、歩幅を抑えてゆっくりと廊下を進む。

 窓から差し込む夕陽が、飴色に磨き上げられた床へと斜めに流れ込み、私の影を細く長く引き延ばしていた。

 教室から漏れる楽しげな笑い声は、次第に距離を伴って遠ざかり、やがて重厚な校舎の壁に吸い込まれていく。静寂の中で、私のローファーが鳴らす乾いた靴音だけが、規則正しく、そしてどこか虚しく響いていた。

 私の短いスカートの裾が、歩くたびに頼りなく揺れる。
 その軽やかさが、かえって胸の奥に残る敗北感を際立たせた。

 向かう先は、私のお気に入りの場所――
 図書館だ。

 重厚な石造りの外観は、夕陽を受けて鈍く光り、人を容易には寄せつけない威厳を湛えている。館内へ足を踏み入れれば、途端に空気の密度が変わる。磨き込まれた床と高い天井、静謐(せいひつ)という言葉では足りないほどの深い沈黙。

 私はその圧倒的な壮麗さに胸を満たされ、思わず小さく溜息を漏らしながら、重い扉の内側へと身を滑り込ませた。

 しかし、今日の本命は華やかな一階の閲覧室ではない。

「……地下迷宮(ラビリンス)への入室をお願いします」

 冷ややかな大理石のカウンター越しに係員へ告げ、学園指定の携帯端末を提示する。

 この端末は地図を表示するだけでなく、発信機として私の居場所を常に監視する役割も持っている。小さな画面の向こうに広がる青白い光が、私の存在を学園の管理下に縛り付けていることを、改めて思い知らせる。

 地下深くに広がる広大な書庫――
 通称「地下迷宮」。そこは、このデバイスなしでは足を踏み入れることすら許されない、まさに知の深淵なのだ。

 鉄製の重い扉を押し開け、軋む音を背に受けながら、螺旋階段をゆっくりと下りる。

 一段下りるごとに気温が下がっていく。

 頬を撫でる空気は次第に冷たさを帯び、ひんやりとした冷気と、インクと埃、そして古い紙の甘い匂いが混じり合い、私の鼻腔をくすぐった。その匂いは、時間そのものが熟成したかのように濃密で、胸の奥まで染み込んでくる。

 そこには、地上の喧騒が嘘のような、死のごとき静寂が広がっていた。

 剥き出しの木造の梁が床に深い陰影を落とし、背表紙の革が呼吸する音さえ聞こえそうな本棚が、迷路のようにどこまでも続いている。照明は最小限で、灯りと影の境界が曖昧に溶け合い、視界の奥へと吸い込まれていく。

 ほとんどの生徒は係員に本を運ばせるため、この場所に人影はない。

(……最高。この孤独、この静けさ。まさに読書狂(ビブリオマニア)の聖域だわ)

 私は湿った空気を胸いっぱいに吸い込み、心臓の鼓動がゆっくりと落ち着いていくのを感じながら、お目当ての棚へ向かって歩き出す。

 探しているのは、古い時代に書かれた女学生同士の濃厚な友情を描いた小説……いわゆる「エス文学」の稀覯本(きこうぼん)だ。

 紙質の違い、装丁の癖、背表紙の擦れ具合。
 そうした細部を確かめながら進む時間は、私にとって至福そのものだった。

 ふと、棚の一角で『月光』という金文字のタイトルが、薄暗闇の中で妖しく光った気がした。

 その言葉が、私の脳内にある最新の情報を呼び起こす。

(あ、そうだ。『月光淑女』先生の新作、そろそろ更新されている時間じゃないかしら)

 私が今、最も熱を上げている覆面Web百合小説家。
 その耽美で、時に容赦のない加虐的な文体は、私の貧弱な精神をいつも心地よく打ちのめしてくれる。読み終えたあとに残る甘い痛みが、癖になるのだ。

「……月光淑女というペンネームは、ひょっとして、この本から取ったのかしら?」

 それは、ただの独り言だった。
 誰もいない、自分だけの空間だと信じ切っていたからこその、無防備な呟き。

 だが。

 私の背後で、濃厚な甘い香り――
 月下香(チューベローズ)の香りが、ふわりと漂った。

「――あなた、なんで私のペンネームの由来がわかったの?」

「ひゃっ!?」

 背筋が凍りついた瞬間、背後から肩を強く掴まれた。「がしっ」という、華奢な指からは想像もつかない、逃げ場を塞ぐような確かな力。

 心臓が喉から飛び出るかと思った。

 慌てて振り返ると、そこには――
 見上げるような巨躯が、漆黒の壁となってそびえ立っていた。

「……え?」

 視界が、黒一色に染まる。

 腰まで届く、濡れたように黒く艶やかな髪。
 フローラリア特有の、ふんだんにレースがあしらわれた黒いロングワンピース。けれど、その人は美しくも冷たい、銀色の光を背負っているように見えた。

 静謐で、どこか現実味のない、圧倒的な質感。

「あ……有栖川、陽華さま?」

 憧れの、太陽のようなお姉さま。
 けれど、目の前の彼女が纏っている空気は、昼間に見た「太陽」とは正反対の、肌を刺すような凍てつく「月」の冷気だった。

「私は陽華ちゃんではないわ。間違えるなんて、失礼な子ね」

 声音は低く、チェロの音色のように腹の底へと沈み込む。

「言われてみれば、雰囲気が……」

 彼女は私を離さない。
 それどころか、逃がさないようにさらに、白く細い指先に力を込める。爪が、制服の生地越しに私の肩肉へ食い込む。

 一九三センチという規格外の身長。

 一五三センチの私は、首が痛くなるほどに見上げなければ、その顔を見ることすらできない。圧倒的な「高低差」による圧迫感に、私は哀れな小動物のようにすくみ上がった。

「いい加減なことを言わないで。いいこと? 私が『あなたはこの学園に相応しくありません』と言えば、それだけで普通科の生徒は退学になるのよ」

 彼女の切れ長の瞳が、冷徹に私を見下ろしている。

「心して答えなさい。陽華と私の違い……。初めて会ったはずのあなたに、私の何がわかるって言うの?」

 退学。

 無慈悲に宣告されたその二文字に、頭の中が真っ白に染まる。思考の回路が焼き切れたように、言葉が出てこない。喉の奥が乾き、冷たい空気が肺を締め付ける。

 けれど、ここで沈黙することは死と同義だ。「嘘や誤魔化しは通用しない」と、背筋を駆け上がる本能的な恐怖が警鐘を鳴らしている。

 私は必死に、目の前に佇む彼女と、昼間に遠くから仰ぎ見た陽華さまの姿を脳内で比較する。

 薄暗い地下迷宮の冷気の中で、彼女の輪郭を目でなぞる。
 白磁のような肌、射貫くような瞳。確かに、陽華さまと瓜二つだ。

 けれど何かが、何かが決定的に違う。

「えっと……」

 乾いた唇から、掠れた声が漏れる。

「言いなさい」

 冷徹な命令。
 私は小刻みに震えながら、混乱した頭で唯一ひっかかった「事実」を、祈るように口にしていた。

 それしか、出てこなかったのだ。

「……陽華さまと比べると……その」

 私の視線は、彼女の顔から下へ、シルクの生地を押し上げ、今にも零れ落ちそうなほどに盛り上がった豊かな曲線へと吸い寄せられていた。

 私の貧相な胸とは比較にならない、暴力的なまでの質量。

「お胸が、かなり、大きいです」

「…………」

 永遠とも思える静寂が、地下迷宮を支配した。
 湿った空気の流れさえ止まったかのような、重苦しい沈黙。

 彼女は一瞬、きょとんとしたように目を丸くし、長い睫毛を数回瞬かせた。

 それから、私の肩に食い込んでいた細い指先からふっと力が抜け、彼女自身もゆっくりと自分の胸元へ視線を落とす。

 そこにある豊かな質量を確かめるように。

「……確かに、そうね」

 彼女はふぅ、と小さく艶のある吐息を漏らした。

「まあいいわ。退学は許してあげます」

 先ほどまでの肌を刺すような殺気が、嘘のように霧散していく。地下迷宮の空気が再び静まり、紙の匂いが穏やかに漂い始める。

「私のペンネームを知っていたということは、貴女……私の小説を読んでいるの?」

「はい、いつも楽しみにしてます」

 私が答えると、彼女はどこか満足げに、優雅な微笑を浮かべた。
 氷の女王が、ほんの一瞬だけ見せた少女のような表情。

「そう。私の名前は有栖川月華(ありすがわ つきか)。陽華ちゃんの双子の姉よ。覚えておきなさい」

 有栖川家の、もう一人の令嬢。
 そして、私の最推し作家である『月光淑女』。

「……有栖川、月華さま」

 私がその名を呼ぶと、彼女は「ええ」と短く頷いた。

 黒いドレスの裾が翻り、チューベローズの残り香が私の鼻先を掠める。
 それが、私の平凡な学園生活が、終わりのない迷宮へと変貌した瞬間だった。
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