193cmの孤高なお嬢様に「見つかった」ので、153cmの私は専属騎士(駄犬)に指名されました 。

猫野 にくきゅう

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第一章

第4話 嵐の教室と、秘密の代償

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 翌朝、凰華女学院一組の教室は、未だかつてないほどの熱気に満ちていた。

 登校し、磨き上げられた廊下を歩み、重厚な扉の前でひとつ呼吸を整える。指先に伝わる真鍮の冷たさを感じながら扉を押し開けた、その瞬間――数十対のまなざしが、音もなく私を射抜いた。

 それは柔らかな感嘆であり、湿った困惑であり、そして心臓を直に炙るような鋭い嫉妬の残り火だった。視線という名の矢が、四方八方から容赦なく降り注ぐ。

 並んで歩くルームメイト、東雲柚月さんの予見していた通りの展開である。

 昨夜、寄宿舎へ戻ってからというもの、彼女の穏やかな追及を逃れることはできなかった。女の園における情報の伝播は、地下を走る水脈の如く、音もなく、けれど確実な速度で隅々まで浸透していく。

 誰かが一滴を落とせば、翌朝にはすべてが満ちるのだ。

「……おはようございます、南藻さん」

 真っ先に駆け寄ってきたのは、比較的親交のあったクラスメイトたちだった。

 彼女たちの瞳の奥に宿る、落ち着きのない好奇の色。上気した頬と、微かに震える指先。扇子を握る手にこもる力。制服の襟元から漂う甘い香水の香りが、いつもより濃い。

 彼女たちの浮ついた挙動を目の当たりにした瞬間、昨日あの地下迷宮で起きた出来事は、熱に浮かされた夢ではなかったのだと、胃の奥が冷たく疼いた。

「おはようございます。皆様」

 震えそうになる声を喉の奥で押し殺し、私は淑女らしい微笑を丁寧に貼り付ける。唇の端を、ほんの僅かに上げるだけでよい。

 そう、昨日までと同じように。

「あの、小井縫さん……! 本当なの? フローラリアの、あのブラックリリーのサロンに招かれたというお話……」

「え、ええ……」

「昨日、あそこで何があったのか……皆、気が気ではありませんのよ。教えてくださる?」

 その言葉を合図に、教室中の乙女たちが一斉に動き出した。

 椅子の脚が床を擦る乾いた音。幾重にも重なる衣擦れのざわめき。薔薇、石鹸、瑞々しいシトラス……様々な香水が混ざり合い、濃厚な芳香となって私の机の周囲を包囲する。甘やかな匂いに、息が浅くなる。

「有栖川陽華さまに、双子のお姉さまがいらしたなんて……」
「それも、貴女を『妹』に指名されたなんて、何かの間違いではなくて?」
「『姿隠しの姫君』とまで謳われる貴女が、なぜ、よりによって外部生の貴女を……」

 羨望の溜息に混じり、氷の礫のような声が飛ぶ。

 二階堂亜美さんが、白磁のような手首を反らせ、握りしめた扇子をパチンと鋭く閉じた。その乾いた音が、空気を裂く。つり上がった瞳は、微笑の仮面を被りながらも、私を正面から射貫いていた。

「どのような手口を使われましたの? クラスの成績も最下層を彷徨い、特筆すべき取り柄もない貴女が、有栖川家のお姉さまをたぶらかすなんて……。何か、見苦しい卑怯な真似をされたのではありませんか?」

 ……おっしゃる通りですわ。
 睫毛を伏せたまま、私は心の奥底で深く首を垂れる。

 二階堂さんの指摘は、残酷なまでに正解を射抜いている。

 私はただ、地下迷宮という広大な密室で独り言をこぼし、最推し作家である月華さまの秘め事に触れ、あまつさえその豊かな「お胸」を指摘するという、不敬の極みのような挙動をしただけなのだ。

 本来であれば、即座に切り捨てられて然るべき存在。それが偶然の連鎖の果てに、学園最強のジョーカーの隣へと滑り込んだ。

「本当よね。小井縫さんに、そのような人を狂わせる魅力があるなんて、今まで誰も気づきませんでしたもの」

 投げかけられる嫌味の一言一言に、私は(全くですわ。私もそう思います)と、透明な相槌を打つ。

 ここにいる彼女たちは皆、この学院の誇り高き乙女であろうと、髪一筋の乱れさえ許さず、指先の所作を磨き、夜を徹して勉学に励み、評価という名の花びらを一枚ずつ積み重ねてきたのだ。

 それなのに、何の研鑽も積まず、校内投票(ルミナス・プリンセス)でも「ゼロ票」という背景同然の私が、月華さまの指先、その独占的な隣を与えられてしまった。

 彼女たちのプライドが、この不条理を許すはずがない。

 その時、騒がしい包囲網を割るようにして、一人の少女が私の前に立った。

 高橋琴音さん。

 一組の委員長であり、学年一位を不動のものとする、外部生たちの北極星。

「……静かになさい、皆様。見苦しいわよ」

 凛とした声音が、教室の空気を一瞬で塗り替える。喧騒は潮が引くように収まり、残されたのは、張り詰めた静寂だけだった。

 高橋さんは、眼鏡の奥に潜む知的な双眸を、真っ直ぐに私へ向ける。その視線は、責めるでもなく、蔑むでもなく、ただ事実を見極めようとする研究者のそれに近い。

「小井縫さん。正直に申し上げて、私は貴女を見くびっていました。けれど……貴女は『姿隠しの姫君』を見つけ出し、あまつさえそのお心に触れた。有栖川月華さまの峻烈な審美眼に適うだけの『何か』を、貴女は持っていたということでしょう」

 一歩、距離が詰められる。

 制服の襟元から、清潔なインクの香りがふわりと漂った。彼女がこれまで積み重ねてきた努力の匂いのように思えて、胸が締めつけられる。

「もしよろしければ、どのような心がけでお姉さまと接したのか、アドバイスをいただけないかしら?」

「あ、アドバイス……?」

 才女と名高い彼女に、祈るような眼差しで見つめられ、背中に冷たい汗が伝う。

 本当のことなど、口が裂けても言えるはずがない。「お姉さまの小説を執拗に読み込み、その胸の質量を真っ向から指摘することですわ」などと説けば、その瞬間に退学届を認める羽目になるだろう。

 私は、喉の奥に込み上げる震えを抑え込みながら、あらかじめ用意していた言葉を、ひとつひとつ丁寧に並べる。

「……ごめんなさい、高橋さん。私にも、本当によく分からないのです。お会いできたのも、ただの偶然で。……お会いしてすぐに、理由も説明されずに連れていかれました。そして、気づいたらそのまま。……パートナーを作るおつもりのなかった月華さまが、『事情が変わった』とおっしゃって……。きっと、誰でもよかったのだと思います。その時、たまたま、目の前にいた私を選ばれただけなのではないでしょうか」

「偶然……」

 高橋さんは、私の顔を凝視したまま、やがてふっと視線を逸らす。その仕草には、わずかな戸惑いと、理解しきれない感情の影が差していた。

「そう……。そんなに、悲しそうにしないで。……泣かなくてもいいのよ」

「……え?」

 その指摘に、私は戸惑い、頬へと手を伸ばす。

 指先に触れたのは、熱を帯びた皮膚を伝い落ちる、ひと筋の湿り気。

 ……あぁ、いつの間にか。

 私は、ただ事実を話していただけだった。月華さまの秘密を偶然に暴き、身代わりのような「妹」に据えられただけで、私自身は何ひとつ特別ではない。その残酷な現実を、改めてなぞっただけのはずだった。

 それなのに、瞳の奥が焼けるように熱い。喉の奥が詰まり、呼吸がうまく整わない。胸の内側で、何かが静かに崩れていく。

 教室中が、息を呑む静寂に包まれた。

 涙を浮かべ、小さな肩を震わせる一五三センチの無力な少女。その姿に、クラスメイトたちの鋭い嫉妬が、行き場を失った困惑へと形を変えていくのが分かる。

「皆様。もうこれ以上、無粋な追及は控えましょう」

 柚月さんが、そっと私の隣に立ち、温かな手のひらを肩に添えた。その体温が、凍りつきかけた心をじんわりと溶かしていく。

 内部生である彼女の慈愛に満ちた庇護は、嵐の中に灯る灯台のように心強い。

 詰めかけていたお嬢様たちも、私の涙に加虐心を削がれたのか、あるいは憐れみを覚えたのか、一人、また一人と労わりの言葉を残して離れていく。ざわめきはやがて元の席へと還り、教室には、いつもの朝の光景が形だけ戻ってきた。

 ……皆様、私よりずっと努力されていて、ずっと気高く、美しいのに。

 ごめんなさい。
 潤んだ視界の隅で、私はクラスメイトたちの真剣な眼差しに、心の中で謝罪する。

 私は月華さまにとって、決して「特別」ではない。

 けれど。

 私はこの偽装された「妹」という役割を、骨の髄まで完璧に演じなければならないのだ。

 ――月華さま。

 あの銀色の冷気を纏った、傲岸不遜な私の「お姉さま」。彼女の正体を守り抜くことは、私の、この平穏を装った学生生活を守ることに他ならないのだから。
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