夢魔はじめました。

入海月子

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おじいさんのアドバイス

夢魔はじめました。

 朝、肌寒くて目を覚ました。
 このところ目覚めと共にあった温もりがない。

 そっか、昨日、ライアンがもう触らないって言って離れて寝たんだった。

 でも、横を見ても、ライアンはいない。

「ライアン……?」

 慌てて起き上がって、部屋を見回すけど、彼の姿はない。
 でも、荷物が目に入って、ほっとする。

 置いていかれたかと思った……。

 そう思って、ふと気づく。
 こんな面倒な女なんて置いていっても不思議じゃない。
 ライアンは隠れ蓑になるって言ってくれたけど、それ以上に面倒なことが多いはず。
 ただでさえ夢魔であることを隠さないといけないのに、狙われやすかったり、泣いたり我慢させたり面倒くさいことこの上ない。
 普通だったら、とっくに処女を奪われて、性の捌け口にされてるか、見捨てられてるかもしれない。
 彼は命を救われたというのを義理堅く感じてくれてるみたいだけど、限界があるよね。

 ライアンがいないと、途端に行き詰まる私。
 でも、いつまでも彼にすがりついてるわけにはいかない。
 嫌われてしまう前に、彼から離れないと……。
 改めてそう思った。

 カチャッ

 ドアが開いて、ライアンが入ってきた。
 部屋のど真ん中で立ち尽くしていた私を見て、目を見開いた。

「ごめん。よく寝てたから飯を食べてきたんだ」
「おはようございます」

 私は意識して笑顔を作って挨拶した。
 彼はそれに応えず、じっと私を見て、「置いていかないから安心しろ」と言った。

 私は泣きそうになりながら頷いて、「顔を洗ってきます」とその場を離れた。




 宿を後にして、乗り合い馬車に乗り込む。
 早めに出たので、座席はまだ半分くらいが埋まってるというところだった。
 ライアンは私を壁側に座らせて、自分もその隣に腰掛けた。
 どんどんお客さんが乗り込んできて、座席がいっぱいになると、馬車が出発した。

 私達はまだぎこちなく、黙って進行方向を見ていた。
 その雰囲気に耐えられず、話しかけてみる。

「そういえば、シュトラーセ教国に行くのに、どれくらいかかるんですか?」
「あぁ、だいたい1ヶ月ほどだが……」

 そう言って、ライアンは地図を見せてくれた。
 手書きっぽい地図はいろいろ書き込みがあって、年季が入っていた。

「ここが今いるペゴンだ。その前にいたリンドがここ。これから向かうレーベンがここ」

 確かに、リンドとペゴンはそんなに離れてないけど、レーベンはその倍近く離れている。
 時間がかかるはずだわ。

「で、ここがシュトラーセ教国の国境だ」

 ライアンは指で道を辿って、ずっと遠くの場所を指差した。
 途中に大きな河や山があるようだ。
 それを越えていかないといけないのかな?
 まだ行程の1/4も来ていない。

「こうやって行くか、こっちを行くか、大まかに二つの道があるんだ。山を越えるのと迂回するのと」
「迂回すると、ずいぶん回り道になりますね」
「そうだ。だから、エマさえよければ、山を越えるルートで行きたい」
「私は大丈夫です。ライアンについていくだけですから」
「助かるよ」

 彼がにっこり笑った。

「お前さん達、シュトラーセ教国まで行くのかい?」

 向かいに座ってたおじいさんが話しかけてきた。

「はい。俺達、新婚旅行がてら結婚の祝福を受けに行くんです」
「ほー、いいのう。新婚さんか……。その割にはぎこちないが?」

 しまった!
 私はギクッとして焦ったけど、ライアンは動じず、さらっと返した。

「いやー、昨日俺がバカなことをして彼女を怒らせちゃって…」
「怒ってませんよ!」

 ライアンが頭を掻く。
 私は慌てて否定した。

「女の『怒ってません』は鵜呑みにできないからのう。気をつけるんだよ、兄ちゃん」

 おじいさんはニヤリと笑った。
 ライアンは苦笑した。

「なにがあったか知らないが許してやりなよ、奥さん。男っていうのは単純でバカな生き物なんだから、いちいち目くじら立ててたら、これからの結婚生活がきついぞ?」
「だから、私は怒ってなんか……」
「そうかい、そうかい。それなら夜はたっぷり旦那さんに甘えてやりな。夫婦円満の秘訣だよ」

 おじいさんは訳知り顔で頷いた。

 夜は甘えて……?
 つい想像してしまって、私はボンッと赤くなった。

「おっ、照れとるのかのう。めんこいのう」
「そうなんだ。俺の奥さんは初心でかわいいんだ」

 おじいさんとライアンがそう言って笑うから、私は恥ずかしくてうつむいた。

「ところで、これから先、大きな街とかあるんですか?」

 話を変えようと、ライアンに聞いてみた。
 大きな街だったら、私が隠れて暮らす余地はないかなと思ったのだ。

「ここから一番近くて大きいと言えば、アーデルトの街じゃな」

 ライアンの代わりにおじいさんが答えてくれた。
 地図の場所も指してくれる。
 ちょうど、こことシュトラーセ教国との真ん中にそれはあった。

「しかし、若い女性は近寄らない方がいいかもな……」
「どうしてですか?」

 意味深に言うおじいさんに引き込まれて問うと、おじいさんは声を潜めて言った。

「アーデルトには何年か前から夢魔が住み着いてると言われておってな、夜毎、若い綺麗な女性が襲われているんじゃよ。と言っても、夢魔だから、襲われた女性も見つけられた直後はうっとりしておって、我に返って青褪めるというパターンじゃが」

 夢魔!?
 ライアンと私は顔を見合わせた。

「心配せんでいい。奥さんは優しい旦那さんが守ってくれるじゃろ」
「あぁ、そうだな」

 ライアンが私の肩を引き寄せた。
 でも、ポーズだったのか、すぐ離して、おじいさんの話を促す。

「若い女性が狙われるということは、その夢魔は男なのか?」
「そうらしいのう。すこぶるつきの美男ということで、襲われた女性の中にはそいつを慕って出奔した者もいるそうじゃ」
「へー、じいさん、詳しいな」
「こう見えて、ちょっとした商会の取りまとめ役をしておったでな、いろんな情報が入ってくるのじゃ。もう引退したがな」

 おじいさんはちょっと胸を張った。

「それならこの国周辺の情勢とか詳しいか?シュトラーセ教国まで安全に行けるか、ちょっと心配なんだ」
「あぁ、もちろんじゃ。商人のネットワークと未だに繋がりがあるからのう」

 そう言って、おじいさんは退屈しのぎにいろいろ詳しく教えてくれた。

 まずこの国……エルミドール公国は、シュトラーセ教国の庇護下にあるから、世情は安定していて、そのままエルミドール公が治めているらしい。
 交易が盛んで、シュトラーセ教国への巡礼の通り道にもなっている。
 そして、シュトラーセ教国は強力な宗教国家で、シュトル教のパラド教皇を頂点に周辺国にまで睨みを利かせているそうだ。
 この周辺国はほとんどがシュトル教を国教にしているから、教皇に逆らえないんだって。
 ここまでが常識的なことだそうだ。

 私は不審に思われないように、黙ってふんふんと相槌を打つ。

 隣のグランデルブルク王国は、ライアンの出身地だけど、今、その国は紛争の真っ只中で、国王派、王太子派、官僚派が三つ巴になって争っていて、国が荒れに荒れているらしい。

 そっとライアンを伺うと、つらそうに目をつぶって、首を振った。

 彼は騎士だって言ってたけど、何派に仕えていて、どうしてここにいるんだろう?
 シュトラーセ教国に向かっているのも、何かの役目があるのかな?
 刺客というのは別の派閥の追っ手なのかも。

「ここだけの話……王太子が幽閉されたという噂もあるんだ」

 おじいさんが声を落として言った。
 それを聞いても、ライアンは顔色を変えない。
 知っているのか、ポーカーフェイスなのか……。

 そのまた隣のレミントン王国が交戦的な国で、紛争中のグランデルブルク王国にちょっかいをかけるために官僚派を密かに支援していて、国家をひっくり返そうと企んでいるらしい。

 ライアンの国ってば、かなり大変なことになってない?

 私が慰めるようにライアンの手をそっと握ると、彼はにこりと微笑んだ。

「なんだい、グランデルブルクに縁でもあるのかい?」

 私達の様子を見て、おじいさんが聞いてきた。

「知り合いがいるんだ。無事だといいが……」
「そうか。今は国境も封鎖しているから情報も断片的にしか入ってこないしのう。心配じゃな……」

 おじいさんは同情するように、ライアンを見た。




 そんな感じで、おじいさんが話し続けて、周りの人もなんとなくそれを聞いていて、質問してみたり感想を言ったりして、おじいさんは大活躍だった。

 気がつくと、陽はすっかり登り、休憩所に着いた。

「30分で出発するので、乗り遅れないように注意してください」

 御者に言われて、皆、急いで馬車を降りる。

 私達も降りて、まずトイレに行く。

 この馬車でも女性は、私と中年夫婦の奥さんとそのおばあさんしかいなかった。
 そもそも、若い女性が旅に出ることは少ないらしい。
 ライアンが私達を新婚旅行中の夫婦に設定したのもそういう意味があったみたい。

 トイレを出るとライアンがいて、休憩所に行くかと思ったら、外のちょっと外れに連れていかれた。

「嫌かもしれないけど、念のため補給しとかないと……」

 そう言って、ライアンはぎこちなく私の頬に手を当てると口づけた。
 唾液が流し込まれて、すぐ口を離された。
 それがとても義務的な作業のようで、私は悲しくなった。

「ごめん。やっぱり嫌だったか?」
「違います!私、ライアンに触れられて、嫌だって思ったことなんてありません!」
「じゃあ、なんでそんな泣きそうなんだ?」
「だって、ライアンが………」

 いつものようにキスしてくれない……と言いかけて、はっとする。
 恋人でも夫婦でもないんだから、当たり前じゃない!

「なんでもありません!」

 私は赤くなって、視線を逸らせた。
 そんな私を見て、ライアンは困ったように微笑んだ。

「俺、昨夜からエマに触れないように気をつけてて気づいたんだけど、今まで気軽に触りすぎてたな。ごめんな」
「だから、嫌じゃないって言ってるのに!ライアンのバカッ」

 私はいたたまれなくなって、休憩所に向かって、走り出した。

「あ、こらっ、一人で行くなって!」

 ライアンが追ってきて、すぐ捕まる。
 腕を掴まれて、慌てて離された。

 もう本当に必要最小限しか触れる気がないのね……。
 それがさみしいと思うなんて、おかしいわよね。

 手を離されたのをいいことに、また走り出す。

「おっと、お嬢ちゃん、男から逃げてるのかい?」

 ニヤニヤしたゴツい男の人に急に腕を掴まれた。

「違います!離してください!」

 私が抵抗する間もなく、ぐっと身体を引き寄せられると、男の手が強引に剥がされた。
 ライアンだ。
 彼が男の手を捻りあげて、手を離した瞬間に、私を抱き寄せてくれたのだ。

「なんだ、この優男が!」

 男が怒気をあげて向かってこようとしたけど、ライアンを見て、息を呑んだ。
 威圧感がすごい。
 もしかして、ライアンってすごく強いの?

 男はライアンの顔を見て、自分の捻られた腕を見て、腰にある剣を見て、「ケッ」と唾を吐いて、立ち去った。

「ごめんなさい……」

 男の後ろ姿を睨んでたライアンに謝ると、ぱっと手を離して、私を解放した。

「危ないから一人で行くな」
「わかりました。ごめんなさい」

 ライアンのお荷物にしかならない自分にガッカリして、その後は大人しくライアンの後をついていった。

 休憩所で急いで昼食を取ると、また馬車に乗り込む。

「なんだ、またケンカしたのかのう?」

 私達の様子を見て、おじいさんがあきれたように笑った。

「若い時は意地を張りがちだが、そんなに意地を張ってもいいことはないぞ?意地を張ってるうちに取り返しのつかないことになることもままある。そうなったら後悔してもしきれないぞ?」

 おじいさんが諭すように言ってくれるけど、そんなんじゃない。

「私は別に意地なんて……」
「ちゃんと素直な気持ちを告げとるかい?男と女のすれ違いはだいたいそこから始まるんじゃ」
「素直な気持ち……?」

 私はライアンを見上げた。
 素直な気持ちを言っていいの?
 でも、私達は夫婦でもなんでもない。

「おじいさん、いいこと言うじゃないか!私も口下手なこの人と散々揉めたよ。なんでわかってくれないんだってね。そのまま言えばいいだけだったのにね」

 話を聞いてたらしい中年夫婦の奥さんがうんうんと頷いた。

 そのまま言えばいいだけ……。

 経験値の高い人の言葉は厚みが違う。

 確かに、さっきはちゃんと自分の気持ちを言わずに『ライアンのバカッ』って言って、逃げちゃったな……。
 でも、どうしたいのか、どうすればいいのか、自分でもわからないんだもん。

 あ、それをそのまま言えばいいの?

「エマ……なにかあるなら言ってくれ。ちゃんと聞くから」

 ライアンが私を見つめた。

「あら、奥さんにだけ言わせるのはずるいわよ?あなたもちゃんと言いなさい。素直な気持ちを」
「俺も、ですか?」
「もちろんよ!」

 おばさんにすかさず言われて、ライアンはタジタジになる。
 横にいるおばあさんもそうだそうだと頷いていた。

「わ、わかった。エマ、宿でじっくり話そう」
「はい」

 おばさんの勢いに押されてるライアンがおかしくて、ふふっと笑った。

「最後はかわいく甘えるんだよ?こんなかわいい奥さんに甘えられたら、旦那さんはメロメロになるしかないんだから!」
「わかりました。ありがとうございます」

 露骨なおばさんのアドバイスに笑って返すと、ライアンがギョッとしていた。
 甘えるのは置いといて、少しは思ってることを聞いてもらってもいいかな?

「お手柔らかに頼むよ」
「いやいや、徹底的に攻めるのがいいよ」

 情けない顔をするライアンをみんなが笑った。

 それから、周りの人に口々に夫婦の心得をアドバイスされたり、この先で行った方がいい場所を教えてもらったりして、おしゃべりをしているうちに、レーベンに着いた。





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