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第三十二話 壊れた絆
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初めてロイを怖いと感じた。
「なんて酷いことを」
それだけを残して私は独り城外に逃げ出した。アンナが後ろから追いかけてきたが、それを振り切るように走り出す。姿をくらます様に庭園に入り込み、隠れるように納屋に辿り着いた。
庭師が使用する納屋は特に誰もおらず、ごちゃごちゃとした景観が隠れるのに丁度いい。中に入って、小さな椅子に腰かけると、頭に輝く髪飾りをテーブルに捨て置く。
解けた髪も汚れた靴もめちゃくちゃな有様だ。しかもここに来れば嫌でもフェリドを思い出してしまう。以前ここで会った時はこんな風になるとは思っていなかった。今でも思い出すと心が痛くなる。
――バラが本当は欲しかったんでしょ?
内なる声に嫌気が指す。フェリドの真心を先に踏みにじったのは私だ。あの女性さえいなければ、今日は彼とお茶をしたかった。今頃はもっと仲良くなれたかもしれない。
突っ伏した机の先に視線が泳いで息を呑む。
――これは苗木?
以前に見たバラの苗が床に置かれている。そういえば、不自然なほどこの納屋の温度は温かい。ここがフェリドの言う“温室”だと理解するのに時間はかからなかった。咄嗟に身を起こして立ち上がる。昨日の今日で彼に会うなんて耐えられない。慌てて納屋を出ようとした所で、あの女に出くわしてしまった。
「あら、ティアラ様、どうしてこちらに?」
昨日の姿が嘘のようにはつらつとした表情でクローディアがいる。泣きはらして一夜を過ごしたと思ったが、モルワードに対する愛情も大したものではなかったようだ。
「少し、散歩をしていただけよ」
王女が侍女も連れずに一人で散歩は設定に無理があるかもしれない。しかも髪は解けて、ドレスも所々薄汚れている。
そうですか、と彼女は礼をするがきっと気付かれている。その不躾な視線がすべてを物語るようにジロジロとこちらを見つめている。
「貴方こそどうしてここに?」
無遠慮な視線に嫌気が指して問いかける。すると彼女は思い出したように顔を緩めた。
「ここのバラの様子を見に来たのです。思い出の花がこんなに美しく蘇るなんて思っていませんでしたから」
にこやかに辛辣に言葉にされて、私は何も言えなくなった。クローディアの為のバラ、そんな事はとっくに知っている。なのに私は落胆をしている。フェリドはもともと彼女の愛を示す為にこのバラを育成した。彼女を心から愛しているから、ずっと栽培をやめなかった。
「どうされました? 具合が悪そうですわ?」
覗きこむ顔は相変わらず妖艶で美しい。その事実が無性に苛立たせる。
「何でもないわ、私に構わないで」
彼女の身体を押して逃れようとする。体制を崩して彼女がふらつくのが目に入り、咄嗟に手を差し伸べた。しかしその手をすり抜けて彼女が倒れていく。
「大丈夫か?」
彼女を受け止めたのは後ろ手にいたフェリドだった。
「どうして彼女を押した? そんな子供みたいな真似、アンタらしくないじゃないか」
フェリドは呆れ顔で、小言を続けている。クローディアを抱きとめ、彼女を庇い、挙句に私を戒めようとする。それだけで私の心をかき乱すには充分だった。溢れた感情の蓋は外れて、黒いものがなみなみと流れ込んでくる。
「偉そうに説教なんてしないで。貴方なんて私の足元にも及ばない身分のくせに!」
思いもしない言葉が口から出る。フェリドを蔑み、軽蔑の言葉で彼を傷つける。その言葉にフェリドの顔が固くなっていく。
「そりゃ王女様からしたら俺なんてゴミに等しいだろうさ」
すべてが壊れる音が聞こえる。がらがらと砂のように崩れる感情は、とても儚くて悲しい。
「気まぐれに助けた俺に飽きたから、そんな言葉を吐くのか?」
耳に手をあてて、リクシオンの耳飾りを無理矢理に引きちぎろうとする。彼の耳が大きく伸ばされ、血が流れても彼は手を離さなかった。
「馬鹿なことは止めなさい! 不利益になるのは貴方よ」
つとめて冷静に彼に言い聞かせるはずだったが、彼は反抗的な態度を改めない。過去、モルワードとやり合ったのも納得できた。彼は自分を偽ってまで我慢をしない。己の信じる道をただ進んでいく気性なのだ。
「もとより愛も忠誠も誓っていない。こんなものいつでも返してやる」
フェリドの本音に体が熱くなる。これは怒りか悲しみか区別はつかない。
振りかざした手がフェリドの頬をぶった。
「外せば貴方もクローディアも命の保証はしない」
相手の急所をつく酷い言葉だ。物凄い剣幕にフェリドは手を止める。ぶたれた頬をさするように撫でて、彼の表情が大きく歪んだ。
「結局アンタも同じだったのか」
クローディアの手を取って彼は無理矢理に歩いていく。その背中に躊躇はなかった。完全に私を拒絶した態度に足元がふらつく。寄りかかるように壁にもたれて、その場に座りこんでしまう。
「どうして私はあんなこと……」
訳もわからずただ涙が流れた。壊れた蛇口のように幾度も流れて止まる気配がない。大切なものを失う瞬間はあっけない。守りたいと思った人を貶めて傷つくなんて滑稽だ。
視界の隅にはバラの苗が置かれ、変わらず美しい花を咲かす準備を整えている。しかしきっともう綺麗だとは思えない。
とめどなく溢れる涙の理由を放棄して、私はただ恨めしく苗を見つめるしかできなかった。
初めてロイを怖いと感じた。
「なんて酷いことを」
それだけを残して私は独り城外に逃げ出した。アンナが後ろから追いかけてきたが、それを振り切るように走り出す。姿をくらます様に庭園に入り込み、隠れるように納屋に辿り着いた。
庭師が使用する納屋は特に誰もおらず、ごちゃごちゃとした景観が隠れるのに丁度いい。中に入って、小さな椅子に腰かけると、頭に輝く髪飾りをテーブルに捨て置く。
解けた髪も汚れた靴もめちゃくちゃな有様だ。しかもここに来れば嫌でもフェリドを思い出してしまう。以前ここで会った時はこんな風になるとは思っていなかった。今でも思い出すと心が痛くなる。
――バラが本当は欲しかったんでしょ?
内なる声に嫌気が指す。フェリドの真心を先に踏みにじったのは私だ。あの女性さえいなければ、今日は彼とお茶をしたかった。今頃はもっと仲良くなれたかもしれない。
突っ伏した机の先に視線が泳いで息を呑む。
――これは苗木?
以前に見たバラの苗が床に置かれている。そういえば、不自然なほどこの納屋の温度は温かい。ここがフェリドの言う“温室”だと理解するのに時間はかからなかった。咄嗟に身を起こして立ち上がる。昨日の今日で彼に会うなんて耐えられない。慌てて納屋を出ようとした所で、あの女に出くわしてしまった。
「あら、ティアラ様、どうしてこちらに?」
昨日の姿が嘘のようにはつらつとした表情でクローディアがいる。泣きはらして一夜を過ごしたと思ったが、モルワードに対する愛情も大したものではなかったようだ。
「少し、散歩をしていただけよ」
王女が侍女も連れずに一人で散歩は設定に無理があるかもしれない。しかも髪は解けて、ドレスも所々薄汚れている。
そうですか、と彼女は礼をするがきっと気付かれている。その不躾な視線がすべてを物語るようにジロジロとこちらを見つめている。
「貴方こそどうしてここに?」
無遠慮な視線に嫌気が指して問いかける。すると彼女は思い出したように顔を緩めた。
「ここのバラの様子を見に来たのです。思い出の花がこんなに美しく蘇るなんて思っていませんでしたから」
にこやかに辛辣に言葉にされて、私は何も言えなくなった。クローディアの為のバラ、そんな事はとっくに知っている。なのに私は落胆をしている。フェリドはもともと彼女の愛を示す為にこのバラを育成した。彼女を心から愛しているから、ずっと栽培をやめなかった。
「どうされました? 具合が悪そうですわ?」
覗きこむ顔は相変わらず妖艶で美しい。その事実が無性に苛立たせる。
「何でもないわ、私に構わないで」
彼女の身体を押して逃れようとする。体制を崩して彼女がふらつくのが目に入り、咄嗟に手を差し伸べた。しかしその手をすり抜けて彼女が倒れていく。
「大丈夫か?」
彼女を受け止めたのは後ろ手にいたフェリドだった。
「どうして彼女を押した? そんな子供みたいな真似、アンタらしくないじゃないか」
フェリドは呆れ顔で、小言を続けている。クローディアを抱きとめ、彼女を庇い、挙句に私を戒めようとする。それだけで私の心をかき乱すには充分だった。溢れた感情の蓋は外れて、黒いものがなみなみと流れ込んでくる。
「偉そうに説教なんてしないで。貴方なんて私の足元にも及ばない身分のくせに!」
思いもしない言葉が口から出る。フェリドを蔑み、軽蔑の言葉で彼を傷つける。その言葉にフェリドの顔が固くなっていく。
「そりゃ王女様からしたら俺なんてゴミに等しいだろうさ」
すべてが壊れる音が聞こえる。がらがらと砂のように崩れる感情は、とても儚くて悲しい。
「気まぐれに助けた俺に飽きたから、そんな言葉を吐くのか?」
耳に手をあてて、リクシオンの耳飾りを無理矢理に引きちぎろうとする。彼の耳が大きく伸ばされ、血が流れても彼は手を離さなかった。
「馬鹿なことは止めなさい! 不利益になるのは貴方よ」
つとめて冷静に彼に言い聞かせるはずだったが、彼は反抗的な態度を改めない。過去、モルワードとやり合ったのも納得できた。彼は自分を偽ってまで我慢をしない。己の信じる道をただ進んでいく気性なのだ。
「もとより愛も忠誠も誓っていない。こんなものいつでも返してやる」
フェリドの本音に体が熱くなる。これは怒りか悲しみか区別はつかない。
振りかざした手がフェリドの頬をぶった。
「外せば貴方もクローディアも命の保証はしない」
相手の急所をつく酷い言葉だ。物凄い剣幕にフェリドは手を止める。ぶたれた頬をさするように撫でて、彼の表情が大きく歪んだ。
「結局アンタも同じだったのか」
クローディアの手を取って彼は無理矢理に歩いていく。その背中に躊躇はなかった。完全に私を拒絶した態度に足元がふらつく。寄りかかるように壁にもたれて、その場に座りこんでしまう。
「どうして私はあんなこと……」
訳もわからずただ涙が流れた。壊れた蛇口のように幾度も流れて止まる気配がない。大切なものを失う瞬間はあっけない。守りたいと思った人を貶めて傷つくなんて滑稽だ。
視界の隅にはバラの苗が置かれ、変わらず美しい花を咲かす準備を整えている。しかしきっともう綺麗だとは思えない。
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