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裏切りのくノ一
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今日も、あの人が来ないかと待ちわびている自分に気付く。いけないことなのに。でも、想いを止めることは、もうできない。
亡き夫を裏切っている。いえ、それ以上に累代の主家を裏切っている。私の役目は「草」。主家に仇為す大名の家中を探るために夫と共に送り込まれた密偵、それが私。
くノ一として幼い頃から仕込まれてきた。だから、この躯で狙った男を虜にできたのは、むしろ誇りだった。
それなのに、堕ちたのは自分の方だった。あの人のことを想うと、胸の奥が暖かくなる。あの人がいないと、耐えようもなく寂しくなる。
まだ元服したての子供。そう侮っていたのが大きな過ちだった。躯を餌に、心を奪って上手く操ってやろう、そう考えて深入りしてしまった。気付けば、心を奪われていたのは自分の方だった。
あの人が、時折見せる目。寂しい目。誰ひとり信じられる者がいないのではないか、そう思わせるような孤独な目。
主家の正義を信じ、死ぬまで忠義に目を曇らせることがなかった夫とは全く違う目に、いつしか惹かれていた。この人の孤独を癒やしてあげたい。私と居るときだけは、こんな寂しい目をしないでいて欲しい。
だから、幸せだった。あの人が私を愛し、私に溺れ、私と居るときだけは孤独を忘れてくれたことが。
そして、それだからこそ、あの人が帰ったあと一層深く思い知る。自分の孤独を。あの人と私が結ばれていられるのは、今このとき、ほんのひとときであることを。
主家からは、あの人を殺すようにと命令が来ている。でも私はそれに逆らった。主家に送る書状には、あの人にはまだ利用価値があるから生かしていると書いている。猛毒の附子は用意してあり、いつでも殺すことはできるので、もっとも効果的な時期を狙っている、と。
嘘だ。私にあの人を殺すことなど、できるはずがない。
いっそ殺せたら、どれだけ楽だったろう。殺せば、あの人は永遠に私だけのものになる、そう思えたら、どれだけ楽だったろうか。
でも、それはできない。私にはわかる。あの人を失ったとしたら、その喪失感に私は耐えられないだろう。
だから、私はそのときを待っている。いつか、あの人が私の正体に気付くときを。
そうなれば、あの人は私を斬るだろう。
裏切られたと怒るだろうか。偽りだったと憤るだろうか。それとも、失ったことを悲しんでくれるだろうか。
どれでもいい。それでいい。それで、私はあの人の心に刻まれる……心の瑕として、永遠に。
時が過ぎ、たとえあの人がほかの女を愛するようになったとしても、決して忘れることのない、癒えることがない瑕として。
だから、私は待っている。あの人が、私を斬りに来るときを。
そして、そのときが来たら、私は何も言わずにあの人に斬られるだろう。
それは、何よりも甘美な瞬間ではないのか、と私には思えるのだ。
亡き夫を裏切っている。いえ、それ以上に累代の主家を裏切っている。私の役目は「草」。主家に仇為す大名の家中を探るために夫と共に送り込まれた密偵、それが私。
くノ一として幼い頃から仕込まれてきた。だから、この躯で狙った男を虜にできたのは、むしろ誇りだった。
それなのに、堕ちたのは自分の方だった。あの人のことを想うと、胸の奥が暖かくなる。あの人がいないと、耐えようもなく寂しくなる。
まだ元服したての子供。そう侮っていたのが大きな過ちだった。躯を餌に、心を奪って上手く操ってやろう、そう考えて深入りしてしまった。気付けば、心を奪われていたのは自分の方だった。
あの人が、時折見せる目。寂しい目。誰ひとり信じられる者がいないのではないか、そう思わせるような孤独な目。
主家の正義を信じ、死ぬまで忠義に目を曇らせることがなかった夫とは全く違う目に、いつしか惹かれていた。この人の孤独を癒やしてあげたい。私と居るときだけは、こんな寂しい目をしないでいて欲しい。
だから、幸せだった。あの人が私を愛し、私に溺れ、私と居るときだけは孤独を忘れてくれたことが。
そして、それだからこそ、あの人が帰ったあと一層深く思い知る。自分の孤独を。あの人と私が結ばれていられるのは、今このとき、ほんのひとときであることを。
主家からは、あの人を殺すようにと命令が来ている。でも私はそれに逆らった。主家に送る書状には、あの人にはまだ利用価値があるから生かしていると書いている。猛毒の附子は用意してあり、いつでも殺すことはできるので、もっとも効果的な時期を狙っている、と。
嘘だ。私にあの人を殺すことなど、できるはずがない。
いっそ殺せたら、どれだけ楽だったろう。殺せば、あの人は永遠に私だけのものになる、そう思えたら、どれだけ楽だったろうか。
でも、それはできない。私にはわかる。あの人を失ったとしたら、その喪失感に私は耐えられないだろう。
だから、私はそのときを待っている。いつか、あの人が私の正体に気付くときを。
そうなれば、あの人は私を斬るだろう。
裏切られたと怒るだろうか。偽りだったと憤るだろうか。それとも、失ったことを悲しんでくれるだろうか。
どれでもいい。それでいい。それで、私はあの人の心に刻まれる……心の瑕として、永遠に。
時が過ぎ、たとえあの人がほかの女を愛するようになったとしても、決して忘れることのない、癒えることがない瑕として。
だから、私は待っている。あの人が、私を斬りに来るときを。
そして、そのときが来たら、私は何も言わずにあの人に斬られるだろう。
それは、何よりも甘美な瞬間ではないのか、と私には思えるのだ。
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「たそがれ」の動詞化の用法。日暮れの薄暗くなり始めるころを指して「空が黄昏れる」や、人生の盛りを過ぎ衰えるさまを表現して「黄昏た人」などのように使用されることがある。
この物語はフィクションです。登場人物、団体等実際に同じであっても一切関係ありません。
それでは、小説「黄昏夫婦」をお楽しみ下さい。
読者の皆様の何かにお役に立てれば幸いです。
作家 蔵屋日唱
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