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冤罪スローライフ
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「着の身着のまま国外追放になった、と」
彼は今や珍しくなった伝書鳩で手紙を友人に送る。
救助要請である。
年の頃、四十代半ば。髪には白いものが混じりどこか疲れた色が顔に浮かんでいる。
彼は数時間前に、ずっと仕えていた職場から追い出された。
ついでに国外追放を言い渡されてしまったのだ。
「あー、空が青い」
街道沿いを歩きながら、のんびりと呟く。
黒のコートに通勤用に使っていたショルダーバッグ、バッグの中には何とか持ち出せたへそくりの入った財布。
妻に内緒で別の銀行で口座を作っておいて正解だった。
これが彼の持ち物の全てであった。
「頑張って働いてきたんだけどなぁ」
魔道高等学校を出て四半世紀近く、学生時代は荒れていたものの就職してからは部署移動などもあったが今の職場でずっと頑張ってきたのだ。
先輩の嫌がらせも、上司のよくわからない八つ当たりにも堪えてきたというのに、これである。
結婚し、子宝には恵まれなかった。それが原因なのか妻との関係は冷えきっていた。
それでも、こんなのは何処にでもある話だ。
しかし、である。
「疲れた」
この数時間。正確にはお日様が昇ってちょっと傾きつつある現在までの約八時間ちょい。
もうすぐ人生の折り返し地点だというのに、残りの一生プラス来世分のどたばたを経験した気がする。
話は、彼ーークリス・ヴェクター・ドラグノフは今日一日に起こったことを思い出す。
まず、普通に出勤した。
鞄には情報漏洩を防ぐため幻術や封印術式をかけた、新しい企画のアイディアやその他もろもろの重要書類が入っている。
朝礼の後、いつも通りの書類整理をしていると上司がやってきて、クビを告げてきたのだ。
理由を求めれば、問題事を起こす人間は要らないとのこと。
クリスはなんのことかわからず、詳しい説明を求めた。
しかし、それを聞く暇もなく今度は警察がやってきた。
何でも、クリスには性目的での婦女暴行ーーつまりはレイプ容疑がかけられていることを告げられた。
これが解雇の理由であった。
青天の霹靂である。
まったく身に覚えがない。
警察署に無理矢理連れていかれ、事情聴取と言う名の拷問が始まるかと思えば、罪を認めて国を出れば帳消しになるというツッコミどころ満載の提案をされた。
「証拠不十分で普通は釈放だろ」
呟いたところで記憶は止まらずに再生を続ける。
どうしてそんなものが警察署に届いていたのか興味はあったものの、しかしあまり深く考えずに受け取ったのは、妻からの手紙だった。
その内容は。
・犯罪者の妻になりたくないので離縁する。
・今後の生活資金もあるので、今回の件によって受けた心の傷への慰謝料として、家財一式全てもらっていく。
というものだった。
本当、埋蔵金を作っておいて正解だった。
しかし用意周到すぎる。
手際が良すぎる。
もう一度、空を仰ぐ。
快晴だ。
泣きたくなってくるほどの快晴だ。
妻とは見合い結婚だった。
子供は何度か作ったが、生まれてくることはなかった。
そして、仕事にかまけていたのもあるのだが、妻は他に男を作っていた。
クリスは冷えきっていたとはいえ、妻のように他に恋人を作るという不誠実は働いていなかった。
愛していたのかと聞かれればよくわからない。
浮気というか、不倫というか、不誠実を働かれて怒りを覚えていないということはどうでもよくなっていたのだと思う。
妻がクリスの表向きの財産を全てかっさらっていったのは、きっと遺産目当てだったのだろう。
両親が孫が生まれた時にでも使ってくれと遺していた、莫大なコツコツ貯金。
それを生前分与で、渡されていた。
結婚前の話だったので、絶対に必要になるまで使わないと決め、これも埋蔵金口座とは別の、友人に勧められて利子とか当時条件の良かった外国の口座を作って、そこにいれていた。
恐らく、今ごろ妻は給料と月々の引きおとしようの口座の残高をみて愕然としているに違いない。
家財の方は正直そこまで値打ちのあるものはないし。
異国の言葉で言うところの二束三文にしかならないだろう。
それよりも、である。
クリスは、自分に強姦されたという被害者を聞いて思わず笑いそうになった。
やんごとなき血筋の令嬢だというのだ。
ではどこの令嬢なのかと聞いたところ、警察官は教えられないと言ってくる始末。
怪しすぎる。本当に存在するのかそんな令嬢は。
エア彼女ならぬエア令嬢とは。
とりあえず、外国の口座があることはしばらく知られることはないだろうし、知られたところで、国家を挟むとなるとさらにめんどくさい手続きがまっている。
国際指名手配されていれば、話は別だろうが。
国の関所を抜けて、隣国の領へ入る頃にはすでに日は落ちていた。
しばらく穏やかな街道を、光源魔法で照らして進んでいくと、宿が見えてきた。
入れば、よくある一階が食堂兼酒場、二回が宿泊施設になっている宿だった。
幸いというべきか、部屋は空いていた。
両替もできるようで、助かった。
宿の受付で手続きを済ませて持っている現金の一部を両替する。
それから酒を頼んで、食事をして、部屋に入って待っていると、やがて空間が歪んで黒い甲冑姿の友人が現れた。
「久しぶりだな、クリス」
兜はしていなかったので、すぐに友人だとわかった。
「あぁ、久しぶりだなダチ公」
友人の名前は、リューリク・オライオン
学生時代からの付き合いだ。
昔は美男子と言われた美貌は、歳を重ねてさらに磨きがかかったようだ。
見事な黒髪には、クリス同様白いものが混じっている。
染め直しの時期なのだろう。この前飲み会をしたときは白髪はなかった。
「学生の頃のヤンチャはしてないんじゃ無かったか?クリス?」
「してなかったんだけどなぁ。今日は朝からツイてなかった」
「いたいけな少女を襲ったのがバレて嫁さんに財産全部とられるとか、すごい経験だよな」
「まぁ、表向きのお金だけだけど」
「お前、昔からそういう所は小賢しいよな」
「なにかしら先々の備えってのは大事だしな」
「悪知恵が働くっていうんだよ。それにしても、国はよくお前を手放したよな」
「うーん、たぶん。上層部にまで話はいってないな。
だからこそ、簡単に国外へ出られたわけだし」
クリスの職場は魔法開発研究所というお役所直属の機関である。
クリスはそこで事務職と研究員の二役をこなしていた。
というのも、彼には魔法に関してユニークな発想をしてそれを技術開発する能力があったのだ。
上層部は彼の才能を見込んで、しかしヘッドハントをおそれて彼を表向き事務員の立場にしていた。給料はそれなりにもらっていたので、クリスに不満はなかった。
彼が今まで開発してきた魔道技術はこの半世紀で、庶民にまで浸透するまでに至った。
その最たるものが魔法電話の開発だ。
それまで魔道士にしか扱えなかった魔法を、魔力のない一般市民にも使えるようにした道具の開発だ。
もちろん、彼だけの功績ではないが。それでも彼がいなかったら開発されなかった技術は多い。
そして、その能力故に国の闇の部分にクリスは多かれ少なかれ触れていた。
国家機密を握っている人間を外に出すバカはいない。
組織の上層部も、国の上層部もそれを知っているはずなのだ。
それを知らない人間が今回のことを仕組んだのだろうと思われる。
「んじゃあ、上層部からそのうち連絡くるだろ。わざわざ俺に助け求めなくても良かったんじゃ」
「まぁ、そうなんだけどさ。いつ来るかわからない連絡をぼうっと待つのもあれだし。なんか仕事あったらリューに紹介してもらおうと思って。
ほら、俺動いてないとダメなタイプだし」
「あぁ、なるほど。つってもなぁ、紹介できるのって冒険者用の採集依頼とあとは俺の山の管理かな」
「山の管理?」
「そ、俺の土地なんだけどさ最近色んな魔物が住み着きはじめてて。
それは別に良いんだけど、いや正確にはよくないんだけど。一番の問題はその魔物がけっこうレアなやつなんだよ。
そのレア魔物を狙って一部の冒険者が不法侵入してくるんだ。ボコるんだけど手が足りないし罠も全然間に合わないし。
二番目の問題は畑も作ってて、魔物が畑を荒らすんだ。この前なんて熊と竜が白菜とキャベツの美味しいやつ全部持っていきやがった。
俺も勤め人だから一日中山と畑の監視するわけにもいかないしさ」
「なるほど」
「もうひとつ問題がある。正直、お前の今までの給料の基準でいくなら、かなり少なくなるんだ。仕事量のわりに薄給なのはどこの百姓でも同じだよ。まだ採集依頼の方が稼げるだろうつっても個人的な考えでいうならどっこいどっこいだと思うが」
「ちなみに、山の管理の方はどれくらい出せるんだ給料?」
「日給でこれくらいか」
指をふってリューリクは紙とペンを出すと、金額を提示する。
「たしかに少ないな」
「色々管理費さっぴいて、残った金額で人件費を出すとなるとこれが限界なんだよ」
「ん?
ということは、山の管理費を給料として丸々渡して、俺がぜんぶやれば問題なくね?」
「いや、まぁそうなんだけどさ。お前帳簿とか」
「つけれるよ。一応事務職してたしそっちの資格もとったし」
「マジか。思ったより有能になったんだな。
でも全体で見れば、やっぱり薄給だろ?」
「まぁそうだけど。山でのんびり仕事も良いかな、と。この歳になって思えてきたんだよ」
「あぁ、流行りのスローライフってやつか。でもなぁ体力仕事だぞ。
デスクワークだったやつにできるかどうか」
「何事もやってみなくちゃわからないだろ」
「そりゃそうだ。あ、じゃあ研修期間ってことで最初の三ヶ月は始めに提示した給料で、仕事ぶりで三ヶ月以降は管理費を全部渡して仕事して貰うってのはどうだ?
国の上層部からの連絡がそれまでにくるだろうし、そうしたら研修期間だけで終わる可能性が高いだろ。
衣食住は完全に補償するってのでどうだ?」
衣食住の補償に、クリスは食いついた。
それから数日後。
山小屋であるから、だいぶ質素なその小屋の寝室で彼は死にそうな呻き声をあげていた。
「腕が、腕がぁ!」
「だから言ったのに。歳を考えろ」
「行けると思ったんだ。こんな数日遅れで筋肉痛がくるなんて、予想外だ」
「俺達アラフィフだぞ。気持ちだけ若くても体は老いてんだからな」
数日遅れでやってきた筋肉痛にのたうちまわるクリスにリューは、呆れていた。
「昔は五十人いや百人をむこうにまわしても余裕だったのに」
「何十年前の話だ」
不良というか、その地区の番を張ってた頃と同じ気でいたため、文字通り痛い目をみてしまった友人にため息しか出てこない。
真面目に大学に行っていれば今ごろ出世してそこそこの地位にいただろうに。
学歴が高卒止まりでは、ほとんど出世はみこめなかった。
安く使える有能な人材ということで、クリス本人は気づいていないようだがだいぶ良いように使われていたようだ。
国の魔法理論で、歴史に名を残してもおかしくない働きをしたのに、手柄のほとんどは彼の上司か上層部のものになっていた。
給料だけはそれなりだったので不満が無かったのは事実だろう。
あとはクリスに出世欲がなかったのもある。
一応、番を張っていた存在なので種類は違うが組織というものを理解はしていたのだ。
その右腕だったリューも色々骨を折ったものだ。
「こんなに腰に来るとは思ってなかった」
「畑の除草は基本手作業にしてるからな。初日のこともあるし」
「せめて除草剤使おうぜ、あと殺虫剤も」
「無農薬野菜って言葉のブランドがあるからそれも難しいんだよなぁ。
そのくせ虫ついてたらクレームになるし。消費者の我が儘と無知にも困ったもんだよ」
「魔法は?」
「お前初日のこともう忘れてるだろ。
あれがなかったにしても、どんだけ金かかると思ってる。まず設備投資と技術開発で首回らなくなるわ」
「いや、ちょっとした工夫で少し抑えられるかも。
許してくれるなら俺の小遣いで畑のすみに簡易実験場作って色々試したいんだけど」
「いやぁ、さすがにそれは悪い気がする。給料に見合わなさすぎる」
「いや、だから小遣いでやる遊びみたいなもんだし。なんなら畑の使用料を給料から天引きしてくれていい。衣食住が完全補償されてるからじっさいそんなに金使ってないし」
「まぁ、物は試しか。そこまで言うならやってみてくれ。ただし初日みたいなことするなよ」
許可がおり、思わずガッツポーズをしようとしてクリスはまた痛みに呻いた。
「それはそうと、国の上層部から連絡は?」
「その事なんだけどさ、俺、基本伝書鳩とか梟、あとは式を使って報連相してたんだよ」
「電話使えよ」
「機密保持には逆に重宝しててさ。とくに式は盗聴される危険もなかったし。で、式は職場のデスクの中だし、鳩はお前のとこ、梟は家財扱いになってるから嫁に没収されてんだ。家だとペット扱いだったし。
だから向こうから連絡とるの、まず無理だわ」
「おい」
「真面目に指名手配されるかもなぁ」
何せ、クリスは軍事機密に関する魔道技術の開発にも携わっていたのだ。
隣国の宿を出て消息不明となれば大騒ぎになるだろう。
「ちなみに、ここにあるこの魔法式は自衛のための大量殺戮術式だったりします」
適当な紙に殴り書きされた魔方陣の下書きを、指差す。
「今言うな!今!」
リューは、思わず拳骨を食らわせてしまった。
歩く殺戮術式と言うわけだ。
「いや、使う気はないよ。ただ脳内で、俺を嵌めた奴等の公開処刑を全国中継するのと引き換えにできるかなとは考えたけど」
「恐ろしいこと言うな!」
「考えるだけならタダだし」
「それは否定しない。でもあえて言わせて貰えば、表に積んである今日のノルマ程度で良いんじゃないか?」
小屋の前には筋肉痛を我慢してクリスが築いた、不法侵入者の冒険者パーティと自称勇者パーティの朝のノルマの山が出来ている。
これから役所につき出す予定である。
どんな肩書きがあろうがルールを破ってはいけない。ダメなものはダメなのだ。
最近の若い冒険者にはそういったモラルの欠如が目立っている。
リューは最初こそそういった者達を発見すれば、注意し、私有地から出ていってもらっていたがあまりにも、不法侵入される回数が多い上、注意書の立て看板は無視され罠も壊されるということが続いていたのだ。
中には再犯する者もいるし、注意して怒っても開き直って逆ギレしてくるし、地元の冒険者資格を持つ人間に冒険者討伐を依頼しても、渋い顔をされて動いてくれないので、猟友会の方に依頼をだしていた。
これは、被害を警察や役所に相談に行った時に提案された方法だった。
非会員でも、一般年会費を払えば定期的に猟友会が土地の見回りをしてくれるのだ。
本来は、野生鳥獣と魔物の保護、あるいは有害鳥獣と魔物の駆除、そして狩猟の適正化を活動の基本にしている公益団体である。
冒険者ギルドは田舎でも、町中にしかないことが一般的である。
依頼を出してもすぐに来てほしいのに中々来てくれなかったり、そもそも依頼を受けてくれないことが普通だったりする。
依頼も出せないことが多い。
と言うのも、退治する魔物の数を出さなければならないのだ。
例えばドラゴンの場合は最低五頭から討伐依頼が出せるが、この辺を荒らしているドラゴンは恐らく一頭。
嘘を書くと後々が面倒くさいことになるのは目に見えている。
その点、猟友会は融通がきいた。
一頭でもちゃんと仕留めてくれる。
ただ、最近は他の魔物と害獣被害が増え続けている上に、猟友会よりも冒険者の方が名前のブランドとして上のイメージがあるため成り手が少ないのだ。
つまるところ人手不足なのである。
そういった訳なので、ある程度は自衛が求められるのだ。
ちなみに、依頼を出しても冒険者が受けてくれない理由は、依頼料が安すぎるというのがある。移動手段などで必要経費が飛ぶので手元には小鳥の涙くらいしか稼ぎが残らないのだ。
近場での討伐依頼の方がはるかに稼げるのである。
さらに、都会とまではいかないがせめて町に出て、こんな田舎で終わりたくない、冒険者として華々しく活躍して『綺麗な仕事』がしたいという夢ある若者が
多いので、流出が止められるず労働力不足に拍車がかかっているのが実状だ。
「ボコボコにするのもたしかに手だよなぁ。
それにしても、最近けっこうスローライフが流行してんのに、どうしてこんなに人手不足なんだよ」
若い人材が出ていく一方で、国を問わず流行中のスローライフ。
それをするために、田舎へやってくる者もたしかにいる。
いるのだが、理想と現実のギャップに心を折られ都会へ出戻っていく。
やりたいのは家庭菜園クラスの畑でいい、こんな本格的なのは望んでいない、何よりも都会より人間関係が面倒くさいと帰っていくのだ。
中には、都会では就職ができないので、将来的に独立を視野にいれて農業を学びにくる者もいる。
しかし、大半が辞めていく。諦める。
都会基準、勤め人基準では、理解できない自営業農家ーー百姓の越えられない壁があるのだ。
「朝は日が上る前に動き出して、基本日が沈むまで働くのがデフォだからな。休憩時間があっても、労基法にひっかかりまくるから求人なんて基本出せないし。
仕事内容も、なんつーのかなその日一日分の仕事ってのが無いんだよ。
ここまでやったら終わり、じゃなくて日が沈むまでやれることは全部やる。
日が沈んだら終わりってのは、ここまでやったら終わりってやり方よりもモチベーションが下がるんだ。
ノルマをこなしてもこなしても終わらないんだよ。
聞いた話だと二時間で逃げ出したやつもいるらしいし」
理想の、のんびりスローライフと現実のハードモードスローライフのギャップに打ちのめされるのが大半である。
「マジか」
基本、色々楽しめる質のクリスからすると驚きの内容であった。
もう一つ付け加えるなら、後継者問題がある。
家をついでほしい、仕事を継いで家を守っていってほしという感情が先走り過ぎるのだ。
結果的に思春期の難しい時期に仕事を強制され、世の中は休みだというのに畑や田んぼで無給による強制労働。あげく、職業選択の自由が与えられない。
そんな家や田舎の考え方に嫌気がさして、出ていく若者が多い。
家を継ぐのが当たり前。冬場の出稼ぎ以外で他の仕事をするために出ていくなら縁を切られる、あるいは切るといった少々古くさい考え方が根強く残っている。
他所から嫁いできた女性達が、子供が成人すると同時に離婚して家を出ていくのもこの辺の考え方によるものだろう。
リューの住むこの集落では、やはり、町中から百姓に嫁にきた女性の四割近くが熟年離婚をする傾向にあったりする。
そもそも、嫁が来にくいというのもある。
ある程度、近年では魔道技術や科学技術による機械化が広まったと言ってもやはり作業するのは人間なわけで。
『年収は悪くなくても、嫁に苦労をかける男とは結婚したくない』というのが百姓の嫁不足最大の理由の一つだ。
あとは、よくある嫁姑問題だろう。
姑からの扱いを厳しいと取るかイジメと取るかによって別れる。
夫が守ってくれない。相談しても笑って流す。ムカつく。誰も味方がいない上奴隷のように働かされる。自分に甘く他人に厳しい自己チュー男が多い。等々、離婚してからはそんな不満を愚痴る女性も多いようだ。
後継者問題の一つには、男を産め産めとしつこく言われるのが嫌だという人もいる。
家を継ぐのは基本長男という考え方である。
「田舎の闇を見た気がする」
クリスの呟きに、リューは苦笑する。
「合う合わないも結局才能だしなぁ。正直田舎の噂話に関しては俺も思うところがあるし」
「へぇ」
「下世話な話が多いな。ゴシップ好きというか娯楽が少ないから仕方ないんだけど」
他人の不幸は蜜の味というやつだ。
当たり前だが、ただ呻いていたところで筋肉痛はひいてくれない。
雑談をして少しは気が紛れたものの雑談ばかりもしていられない。
「飯食ったら役所に表のあれを持っていって、今日は罠の点検に、草むしりか」
クリスの今日の仕事の予定を聞いて、リューは一つ提案してくる。
「今日は、仕事おわったら風呂連れていってやるよ」
「風呂?」
「銭湯」
「あぁ、銭湯」
「そう。車で一時間のとこにあるんだけど」
「遠っ!」
「いや、まだ近い方。あと源泉かけながし」
「え、それってけっこう高いんじゃ」
「年会パス持ってると銅貨六枚。持ってないと銅貨八枚」
「やっす!」
「泊まらないとそんなもんだ」
「泊まらないとって、宿泊施設があるのか?」
「そう、ここよりは町中にある施設だから旅人なんかがよく泊まってるっぽい」
田舎の洗礼はまだまだ続く。
彼は今や珍しくなった伝書鳩で手紙を友人に送る。
救助要請である。
年の頃、四十代半ば。髪には白いものが混じりどこか疲れた色が顔に浮かんでいる。
彼は数時間前に、ずっと仕えていた職場から追い出された。
ついでに国外追放を言い渡されてしまったのだ。
「あー、空が青い」
街道沿いを歩きながら、のんびりと呟く。
黒のコートに通勤用に使っていたショルダーバッグ、バッグの中には何とか持ち出せたへそくりの入った財布。
妻に内緒で別の銀行で口座を作っておいて正解だった。
これが彼の持ち物の全てであった。
「頑張って働いてきたんだけどなぁ」
魔道高等学校を出て四半世紀近く、学生時代は荒れていたものの就職してからは部署移動などもあったが今の職場でずっと頑張ってきたのだ。
先輩の嫌がらせも、上司のよくわからない八つ当たりにも堪えてきたというのに、これである。
結婚し、子宝には恵まれなかった。それが原因なのか妻との関係は冷えきっていた。
それでも、こんなのは何処にでもある話だ。
しかし、である。
「疲れた」
この数時間。正確にはお日様が昇ってちょっと傾きつつある現在までの約八時間ちょい。
もうすぐ人生の折り返し地点だというのに、残りの一生プラス来世分のどたばたを経験した気がする。
話は、彼ーークリス・ヴェクター・ドラグノフは今日一日に起こったことを思い出す。
まず、普通に出勤した。
鞄には情報漏洩を防ぐため幻術や封印術式をかけた、新しい企画のアイディアやその他もろもろの重要書類が入っている。
朝礼の後、いつも通りの書類整理をしていると上司がやってきて、クビを告げてきたのだ。
理由を求めれば、問題事を起こす人間は要らないとのこと。
クリスはなんのことかわからず、詳しい説明を求めた。
しかし、それを聞く暇もなく今度は警察がやってきた。
何でも、クリスには性目的での婦女暴行ーーつまりはレイプ容疑がかけられていることを告げられた。
これが解雇の理由であった。
青天の霹靂である。
まったく身に覚えがない。
警察署に無理矢理連れていかれ、事情聴取と言う名の拷問が始まるかと思えば、罪を認めて国を出れば帳消しになるというツッコミどころ満載の提案をされた。
「証拠不十分で普通は釈放だろ」
呟いたところで記憶は止まらずに再生を続ける。
どうしてそんなものが警察署に届いていたのか興味はあったものの、しかしあまり深く考えずに受け取ったのは、妻からの手紙だった。
その内容は。
・犯罪者の妻になりたくないので離縁する。
・今後の生活資金もあるので、今回の件によって受けた心の傷への慰謝料として、家財一式全てもらっていく。
というものだった。
本当、埋蔵金を作っておいて正解だった。
しかし用意周到すぎる。
手際が良すぎる。
もう一度、空を仰ぐ。
快晴だ。
泣きたくなってくるほどの快晴だ。
妻とは見合い結婚だった。
子供は何度か作ったが、生まれてくることはなかった。
そして、仕事にかまけていたのもあるのだが、妻は他に男を作っていた。
クリスは冷えきっていたとはいえ、妻のように他に恋人を作るという不誠実は働いていなかった。
愛していたのかと聞かれればよくわからない。
浮気というか、不倫というか、不誠実を働かれて怒りを覚えていないということはどうでもよくなっていたのだと思う。
妻がクリスの表向きの財産を全てかっさらっていったのは、きっと遺産目当てだったのだろう。
両親が孫が生まれた時にでも使ってくれと遺していた、莫大なコツコツ貯金。
それを生前分与で、渡されていた。
結婚前の話だったので、絶対に必要になるまで使わないと決め、これも埋蔵金口座とは別の、友人に勧められて利子とか当時条件の良かった外国の口座を作って、そこにいれていた。
恐らく、今ごろ妻は給料と月々の引きおとしようの口座の残高をみて愕然としているに違いない。
家財の方は正直そこまで値打ちのあるものはないし。
異国の言葉で言うところの二束三文にしかならないだろう。
それよりも、である。
クリスは、自分に強姦されたという被害者を聞いて思わず笑いそうになった。
やんごとなき血筋の令嬢だというのだ。
ではどこの令嬢なのかと聞いたところ、警察官は教えられないと言ってくる始末。
怪しすぎる。本当に存在するのかそんな令嬢は。
エア彼女ならぬエア令嬢とは。
とりあえず、外国の口座があることはしばらく知られることはないだろうし、知られたところで、国家を挟むとなるとさらにめんどくさい手続きがまっている。
国際指名手配されていれば、話は別だろうが。
国の関所を抜けて、隣国の領へ入る頃にはすでに日は落ちていた。
しばらく穏やかな街道を、光源魔法で照らして進んでいくと、宿が見えてきた。
入れば、よくある一階が食堂兼酒場、二回が宿泊施設になっている宿だった。
幸いというべきか、部屋は空いていた。
両替もできるようで、助かった。
宿の受付で手続きを済ませて持っている現金の一部を両替する。
それから酒を頼んで、食事をして、部屋に入って待っていると、やがて空間が歪んで黒い甲冑姿の友人が現れた。
「久しぶりだな、クリス」
兜はしていなかったので、すぐに友人だとわかった。
「あぁ、久しぶりだなダチ公」
友人の名前は、リューリク・オライオン
学生時代からの付き合いだ。
昔は美男子と言われた美貌は、歳を重ねてさらに磨きがかかったようだ。
見事な黒髪には、クリス同様白いものが混じっている。
染め直しの時期なのだろう。この前飲み会をしたときは白髪はなかった。
「学生の頃のヤンチャはしてないんじゃ無かったか?クリス?」
「してなかったんだけどなぁ。今日は朝からツイてなかった」
「いたいけな少女を襲ったのがバレて嫁さんに財産全部とられるとか、すごい経験だよな」
「まぁ、表向きのお金だけだけど」
「お前、昔からそういう所は小賢しいよな」
「なにかしら先々の備えってのは大事だしな」
「悪知恵が働くっていうんだよ。それにしても、国はよくお前を手放したよな」
「うーん、たぶん。上層部にまで話はいってないな。
だからこそ、簡単に国外へ出られたわけだし」
クリスの職場は魔法開発研究所というお役所直属の機関である。
クリスはそこで事務職と研究員の二役をこなしていた。
というのも、彼には魔法に関してユニークな発想をしてそれを技術開発する能力があったのだ。
上層部は彼の才能を見込んで、しかしヘッドハントをおそれて彼を表向き事務員の立場にしていた。給料はそれなりにもらっていたので、クリスに不満はなかった。
彼が今まで開発してきた魔道技術はこの半世紀で、庶民にまで浸透するまでに至った。
その最たるものが魔法電話の開発だ。
それまで魔道士にしか扱えなかった魔法を、魔力のない一般市民にも使えるようにした道具の開発だ。
もちろん、彼だけの功績ではないが。それでも彼がいなかったら開発されなかった技術は多い。
そして、その能力故に国の闇の部分にクリスは多かれ少なかれ触れていた。
国家機密を握っている人間を外に出すバカはいない。
組織の上層部も、国の上層部もそれを知っているはずなのだ。
それを知らない人間が今回のことを仕組んだのだろうと思われる。
「んじゃあ、上層部からそのうち連絡くるだろ。わざわざ俺に助け求めなくても良かったんじゃ」
「まぁ、そうなんだけどさ。いつ来るかわからない連絡をぼうっと待つのもあれだし。なんか仕事あったらリューに紹介してもらおうと思って。
ほら、俺動いてないとダメなタイプだし」
「あぁ、なるほど。つってもなぁ、紹介できるのって冒険者用の採集依頼とあとは俺の山の管理かな」
「山の管理?」
「そ、俺の土地なんだけどさ最近色んな魔物が住み着きはじめてて。
それは別に良いんだけど、いや正確にはよくないんだけど。一番の問題はその魔物がけっこうレアなやつなんだよ。
そのレア魔物を狙って一部の冒険者が不法侵入してくるんだ。ボコるんだけど手が足りないし罠も全然間に合わないし。
二番目の問題は畑も作ってて、魔物が畑を荒らすんだ。この前なんて熊と竜が白菜とキャベツの美味しいやつ全部持っていきやがった。
俺も勤め人だから一日中山と畑の監視するわけにもいかないしさ」
「なるほど」
「もうひとつ問題がある。正直、お前の今までの給料の基準でいくなら、かなり少なくなるんだ。仕事量のわりに薄給なのはどこの百姓でも同じだよ。まだ採集依頼の方が稼げるだろうつっても個人的な考えでいうならどっこいどっこいだと思うが」
「ちなみに、山の管理の方はどれくらい出せるんだ給料?」
「日給でこれくらいか」
指をふってリューリクは紙とペンを出すと、金額を提示する。
「たしかに少ないな」
「色々管理費さっぴいて、残った金額で人件費を出すとなるとこれが限界なんだよ」
「ん?
ということは、山の管理費を給料として丸々渡して、俺がぜんぶやれば問題なくね?」
「いや、まぁそうなんだけどさ。お前帳簿とか」
「つけれるよ。一応事務職してたしそっちの資格もとったし」
「マジか。思ったより有能になったんだな。
でも全体で見れば、やっぱり薄給だろ?」
「まぁそうだけど。山でのんびり仕事も良いかな、と。この歳になって思えてきたんだよ」
「あぁ、流行りのスローライフってやつか。でもなぁ体力仕事だぞ。
デスクワークだったやつにできるかどうか」
「何事もやってみなくちゃわからないだろ」
「そりゃそうだ。あ、じゃあ研修期間ってことで最初の三ヶ月は始めに提示した給料で、仕事ぶりで三ヶ月以降は管理費を全部渡して仕事して貰うってのはどうだ?
国の上層部からの連絡がそれまでにくるだろうし、そうしたら研修期間だけで終わる可能性が高いだろ。
衣食住は完全に補償するってのでどうだ?」
衣食住の補償に、クリスは食いついた。
それから数日後。
山小屋であるから、だいぶ質素なその小屋の寝室で彼は死にそうな呻き声をあげていた。
「腕が、腕がぁ!」
「だから言ったのに。歳を考えろ」
「行けると思ったんだ。こんな数日遅れで筋肉痛がくるなんて、予想外だ」
「俺達アラフィフだぞ。気持ちだけ若くても体は老いてんだからな」
数日遅れでやってきた筋肉痛にのたうちまわるクリスにリューは、呆れていた。
「昔は五十人いや百人をむこうにまわしても余裕だったのに」
「何十年前の話だ」
不良というか、その地区の番を張ってた頃と同じ気でいたため、文字通り痛い目をみてしまった友人にため息しか出てこない。
真面目に大学に行っていれば今ごろ出世してそこそこの地位にいただろうに。
学歴が高卒止まりでは、ほとんど出世はみこめなかった。
安く使える有能な人材ということで、クリス本人は気づいていないようだがだいぶ良いように使われていたようだ。
国の魔法理論で、歴史に名を残してもおかしくない働きをしたのに、手柄のほとんどは彼の上司か上層部のものになっていた。
給料だけはそれなりだったので不満が無かったのは事実だろう。
あとはクリスに出世欲がなかったのもある。
一応、番を張っていた存在なので種類は違うが組織というものを理解はしていたのだ。
その右腕だったリューも色々骨を折ったものだ。
「こんなに腰に来るとは思ってなかった」
「畑の除草は基本手作業にしてるからな。初日のこともあるし」
「せめて除草剤使おうぜ、あと殺虫剤も」
「無農薬野菜って言葉のブランドがあるからそれも難しいんだよなぁ。
そのくせ虫ついてたらクレームになるし。消費者の我が儘と無知にも困ったもんだよ」
「魔法は?」
「お前初日のこともう忘れてるだろ。
あれがなかったにしても、どんだけ金かかると思ってる。まず設備投資と技術開発で首回らなくなるわ」
「いや、ちょっとした工夫で少し抑えられるかも。
許してくれるなら俺の小遣いで畑のすみに簡易実験場作って色々試したいんだけど」
「いやぁ、さすがにそれは悪い気がする。給料に見合わなさすぎる」
「いや、だから小遣いでやる遊びみたいなもんだし。なんなら畑の使用料を給料から天引きしてくれていい。衣食住が完全補償されてるからじっさいそんなに金使ってないし」
「まぁ、物は試しか。そこまで言うならやってみてくれ。ただし初日みたいなことするなよ」
許可がおり、思わずガッツポーズをしようとしてクリスはまた痛みに呻いた。
「それはそうと、国の上層部から連絡は?」
「その事なんだけどさ、俺、基本伝書鳩とか梟、あとは式を使って報連相してたんだよ」
「電話使えよ」
「機密保持には逆に重宝しててさ。とくに式は盗聴される危険もなかったし。で、式は職場のデスクの中だし、鳩はお前のとこ、梟は家財扱いになってるから嫁に没収されてんだ。家だとペット扱いだったし。
だから向こうから連絡とるの、まず無理だわ」
「おい」
「真面目に指名手配されるかもなぁ」
何せ、クリスは軍事機密に関する魔道技術の開発にも携わっていたのだ。
隣国の宿を出て消息不明となれば大騒ぎになるだろう。
「ちなみに、ここにあるこの魔法式は自衛のための大量殺戮術式だったりします」
適当な紙に殴り書きされた魔方陣の下書きを、指差す。
「今言うな!今!」
リューは、思わず拳骨を食らわせてしまった。
歩く殺戮術式と言うわけだ。
「いや、使う気はないよ。ただ脳内で、俺を嵌めた奴等の公開処刑を全国中継するのと引き換えにできるかなとは考えたけど」
「恐ろしいこと言うな!」
「考えるだけならタダだし」
「それは否定しない。でもあえて言わせて貰えば、表に積んである今日のノルマ程度で良いんじゃないか?」
小屋の前には筋肉痛を我慢してクリスが築いた、不法侵入者の冒険者パーティと自称勇者パーティの朝のノルマの山が出来ている。
これから役所につき出す予定である。
どんな肩書きがあろうがルールを破ってはいけない。ダメなものはダメなのだ。
最近の若い冒険者にはそういったモラルの欠如が目立っている。
リューは最初こそそういった者達を発見すれば、注意し、私有地から出ていってもらっていたがあまりにも、不法侵入される回数が多い上、注意書の立て看板は無視され罠も壊されるということが続いていたのだ。
中には再犯する者もいるし、注意して怒っても開き直って逆ギレしてくるし、地元の冒険者資格を持つ人間に冒険者討伐を依頼しても、渋い顔をされて動いてくれないので、猟友会の方に依頼をだしていた。
これは、被害を警察や役所に相談に行った時に提案された方法だった。
非会員でも、一般年会費を払えば定期的に猟友会が土地の見回りをしてくれるのだ。
本来は、野生鳥獣と魔物の保護、あるいは有害鳥獣と魔物の駆除、そして狩猟の適正化を活動の基本にしている公益団体である。
冒険者ギルドは田舎でも、町中にしかないことが一般的である。
依頼を出してもすぐに来てほしいのに中々来てくれなかったり、そもそも依頼を受けてくれないことが普通だったりする。
依頼も出せないことが多い。
と言うのも、退治する魔物の数を出さなければならないのだ。
例えばドラゴンの場合は最低五頭から討伐依頼が出せるが、この辺を荒らしているドラゴンは恐らく一頭。
嘘を書くと後々が面倒くさいことになるのは目に見えている。
その点、猟友会は融通がきいた。
一頭でもちゃんと仕留めてくれる。
ただ、最近は他の魔物と害獣被害が増え続けている上に、猟友会よりも冒険者の方が名前のブランドとして上のイメージがあるため成り手が少ないのだ。
つまるところ人手不足なのである。
そういった訳なので、ある程度は自衛が求められるのだ。
ちなみに、依頼を出しても冒険者が受けてくれない理由は、依頼料が安すぎるというのがある。移動手段などで必要経費が飛ぶので手元には小鳥の涙くらいしか稼ぎが残らないのだ。
近場での討伐依頼の方がはるかに稼げるのである。
さらに、都会とまではいかないがせめて町に出て、こんな田舎で終わりたくない、冒険者として華々しく活躍して『綺麗な仕事』がしたいという夢ある若者が
多いので、流出が止められるず労働力不足に拍車がかかっているのが実状だ。
「ボコボコにするのもたしかに手だよなぁ。
それにしても、最近けっこうスローライフが流行してんのに、どうしてこんなに人手不足なんだよ」
若い人材が出ていく一方で、国を問わず流行中のスローライフ。
それをするために、田舎へやってくる者もたしかにいる。
いるのだが、理想と現実のギャップに心を折られ都会へ出戻っていく。
やりたいのは家庭菜園クラスの畑でいい、こんな本格的なのは望んでいない、何よりも都会より人間関係が面倒くさいと帰っていくのだ。
中には、都会では就職ができないので、将来的に独立を視野にいれて農業を学びにくる者もいる。
しかし、大半が辞めていく。諦める。
都会基準、勤め人基準では、理解できない自営業農家ーー百姓の越えられない壁があるのだ。
「朝は日が上る前に動き出して、基本日が沈むまで働くのがデフォだからな。休憩時間があっても、労基法にひっかかりまくるから求人なんて基本出せないし。
仕事内容も、なんつーのかなその日一日分の仕事ってのが無いんだよ。
ここまでやったら終わり、じゃなくて日が沈むまでやれることは全部やる。
日が沈んだら終わりってのは、ここまでやったら終わりってやり方よりもモチベーションが下がるんだ。
ノルマをこなしてもこなしても終わらないんだよ。
聞いた話だと二時間で逃げ出したやつもいるらしいし」
理想の、のんびりスローライフと現実のハードモードスローライフのギャップに打ちのめされるのが大半である。
「マジか」
基本、色々楽しめる質のクリスからすると驚きの内容であった。
もう一つ付け加えるなら、後継者問題がある。
家をついでほしい、仕事を継いで家を守っていってほしという感情が先走り過ぎるのだ。
結果的に思春期の難しい時期に仕事を強制され、世の中は休みだというのに畑や田んぼで無給による強制労働。あげく、職業選択の自由が与えられない。
そんな家や田舎の考え方に嫌気がさして、出ていく若者が多い。
家を継ぐのが当たり前。冬場の出稼ぎ以外で他の仕事をするために出ていくなら縁を切られる、あるいは切るといった少々古くさい考え方が根強く残っている。
他所から嫁いできた女性達が、子供が成人すると同時に離婚して家を出ていくのもこの辺の考え方によるものだろう。
リューの住むこの集落では、やはり、町中から百姓に嫁にきた女性の四割近くが熟年離婚をする傾向にあったりする。
そもそも、嫁が来にくいというのもある。
ある程度、近年では魔道技術や科学技術による機械化が広まったと言ってもやはり作業するのは人間なわけで。
『年収は悪くなくても、嫁に苦労をかける男とは結婚したくない』というのが百姓の嫁不足最大の理由の一つだ。
あとは、よくある嫁姑問題だろう。
姑からの扱いを厳しいと取るかイジメと取るかによって別れる。
夫が守ってくれない。相談しても笑って流す。ムカつく。誰も味方がいない上奴隷のように働かされる。自分に甘く他人に厳しい自己チュー男が多い。等々、離婚してからはそんな不満を愚痴る女性も多いようだ。
後継者問題の一つには、男を産め産めとしつこく言われるのが嫌だという人もいる。
家を継ぐのは基本長男という考え方である。
「田舎の闇を見た気がする」
クリスの呟きに、リューは苦笑する。
「合う合わないも結局才能だしなぁ。正直田舎の噂話に関しては俺も思うところがあるし」
「へぇ」
「下世話な話が多いな。ゴシップ好きというか娯楽が少ないから仕方ないんだけど」
他人の不幸は蜜の味というやつだ。
当たり前だが、ただ呻いていたところで筋肉痛はひいてくれない。
雑談をして少しは気が紛れたものの雑談ばかりもしていられない。
「飯食ったら役所に表のあれを持っていって、今日は罠の点検に、草むしりか」
クリスの今日の仕事の予定を聞いて、リューは一つ提案してくる。
「今日は、仕事おわったら風呂連れていってやるよ」
「風呂?」
「銭湯」
「あぁ、銭湯」
「そう。車で一時間のとこにあるんだけど」
「遠っ!」
「いや、まだ近い方。あと源泉かけながし」
「え、それってけっこう高いんじゃ」
「年会パス持ってると銅貨六枚。持ってないと銅貨八枚」
「やっす!」
「泊まらないとそんなもんだ」
「泊まらないとって、宿泊施設があるのか?」
「そう、ここよりは町中にある施設だから旅人なんかがよく泊まってるっぽい」
田舎の洗礼はまだまだ続く。
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