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現国王の側妻であり、元敵兵であり、貧乏農家の末娘であるエルの朝は早い。
この三ヶ月でルーティンは、出来上がっていた。
ジンがいない日は、早寝早起きをして贈られてきた祝いの品を検品し、畑を作り、料理とお菓子を作り、離宮の中を自分の手でDIYをする日々を送っていた。
自分のことは自分で出来るように育ててくれた、母と姉と仲のいい兄たちには感謝しかない。
意地悪しかしてこなかった真ん中の兄たちには、嫌がらせに負けないメンタルを鍛えてもらった、ということにしておこう。
まるで労働者そのもののような生活を送っているエルに、侍女たちは冷ややかだった。
聞こえよがしに、
「なんで田舎者なんかに仕えなきゃいけないの」
「野猿はさっさと山に帰ればいいのに」
「陛下にはもっと相応しい方がいる」
「身の程知らず」
そう罵られるが全て無視する。
真ん中の兄たちで、こういう言葉による意地悪には慣れっこなのだ。
というか、もっと酷いことを言われてきた。
なので、罵ってくる侍女たちに関しては、語彙が少ないなぁとしか思わなかった。
そもそもエルは仕事で表向きジンと一緒になったのだ。
バラすと大事になるので言わないが。
念の為に嫌がらせで畑に悪戯をされないか警戒していたが、そんなことは無かった。
もしそんなことになっていたら害獣駆除用の罠が火を噴いていたことだろう。
侍女の誰かの腕や足が、いまのところ吹っ飛んでいないのはいい事だ。
太陽がようやく顔を見せ始めたという時間。
彼女はいそいそと畑に出かけ、手入れをする。
そうしていると、珍しく来客があった。
その頃には太陽はだいぶ高い位置にあった。
なぜか正面玄関ではなく、わざわざ畑で作業をしていたエルの所まできて、その客は声をかけてきた。
「あ、良かった人がいた。
そこのお前、ここの下女だろ?
エル妃殿下を呼んできてくれないか」
「……今は御屋敷におられませんよ」
言いつつ、顔を上げる。
エルと客の視線が交差し、二人同時に固まった。
「げっ」
エルが客がどこの誰なのかを認識して、嫌そうな声を出す。
「なんだ、お前かよ!!」
一方、客の方もそんなツッコミを入れた。
客は、ジンと交流の深い国、ヴァスカベルデ国の第一王子だ。
何度か戦場で、ジンの横にたっていたのを見たことがある。
戦場で、エルの首を取ろうと斬りかかってきたので蹴飛ばしたことは、1度や2度ではない。
「これはこれは、アルカディウス様ではないですか。
ご機嫌麗しゅう」
「うっわ、キモっ」
「…………」
「でも、ほんとだったんだな。
あいつの所に嫁いだってのは」
まだエルが側妻となったことは、簡単な発表しかされていない。
正式な婚姻の儀は正妻が決まってからというのもある。
だから、半信半疑の者もいるのだ。
なのでアルカディウスのような反応も、エルは納得出来た。
「それで、私に用とは?」
「あー、そうだった」
実の所、エルはアルカディウスが苦手だった。
意地悪な兄の1人、クロッサを思い出すから。
さっきのデリカシーの欠片もない言葉を、延々と浴びせてきた兄を思い出して、首を捻りたくなってしまうのだ。
「いやいや、その前にお前その格好なんだよ?」
「見てわかりません?
畑仕事してるんで、動きやすい格好をしてるだけですよ」
「動きやすい格好って」
農業ギルドで購入した、作業着が珍しいようだ。
とりあえず、農民としては普通の格好なので、これ以上なにかを言ってくるようだったら、農家に視察に行けと言うしかない。
「まぁ、いいや」
アルカディウスは、作業着にはなにも言わなかった。
本題に入る。
「単刀直入に言う。
お前、ここから出ていけ」
「はい?」
「お前がここにいると、いろんな奴らが迷惑するんだよ」
「離婚、離縁しろってことですか?」
「ま、そういうことだ。
話が早くてたすかる」
「しませんよ」
「は?」
「だからしませんよ。
私はジンさんとは別れません。
よくあるセリフですが、死が二人を分かつまでは、私はここから出ていきません」
きっぱりと、エルは言った。
そして、戦場の時浮かべていた不敵な笑みを見せつける。
「そうですねぇ。
ジンさんが別れてほしいって言ってくれたら別れますよ」
その笑みとともに吐かれたセリフに、アルカディウスは別の言葉を読み取る。
――別れさせたければ、ここから追い出したければ、殺してみろ――
もちろんこれはアルカディウスの幻聴だ。
しかし、それを聞いてしまうほどに、彼はエルに圧倒されていた。
「というか何なんです、いきなり。
不躾にもほどがあるでしょう」
「……っ!」
ギリっと、アルカディウスは悔しそうに唇を噛む。
「お前さえ」
「はい」
「お前さえいなければ、今頃は俺の妹が王妃になっているはずだったんだ」
「へぇ、馬鹿正直に言いますねぇ。
私への信頼と受け取っておきましょう」
「それだけじゃない。
お前、後ろ盾もなにもないだろ。
そんなんでアイツの、ジンの横にいつまでもいられると思ってるのか?」
権力もなにも持っていないんだから身の程を弁えて消えろ。
ジンの邪魔になる。
そんなところだろう。
エルは正確にアルカディウスの言葉の裏にあるものを読み取って、
「あはは」
思わず吹いてしまった。
「なにがおかしい!?」
「アルカディウス様は知らないんですね。
いや、まぁ知らなくて当然なんですけど」
お腹を押さえて、面白くてたまらない。
そんな風にひとしきり笑ったあと、エルはのたまった。
「私が言い寄った、みたいな前提で話してます?
まぁ、そうじゃなくてもいいですけど。
最初に求婚してきたのは陛下、ジンさんです。
この意味、わかりますよね?
つまり、私はあの人に求められたからここにいるんです。
それは、他の誰かが邪魔に思っても、ジンさんは私の事を邪魔に思っていない、何よりの証拠です」
そしてにっこりと、どこか嫌味ったらしくエルは笑ってみせた。
お前が邪魔に思っても、それがジンの意思だと思うな。
その意図はさすがに、アルカディウスに伝わったようだ。
「あ、そうだ。
妹君からの祝いの品がこの前届きました。
私の故郷にあるものをわざわざ送っていただきありがとうございました。とお伝えください。
実家の山にもありましたし、なんなら母が同じものを栽培していたんですよ。
フフフ、私、無学ではありますがそれでも知っていることもそれなりにあるんですよ」
アルカディウスは、先程とは違う寒気を感じた。
妹がなにかをエルに送り、それに対する皮肉か嫌味を彼女はアルカディウスにいったのだろう。
生憎、妹がなにを送ったのか把握していないので、微妙な返事しかできない。
「そ、そうか、よろこんでもらえたのなら、良かった」
「えぇ、ですが。少々配慮に欠けている贈り物でした。
私だから良かったものの、他の人に贈る場合は違う物を贈った方がいいですよ、とやんわり伝えてください」
ひんやりとした眼差しに、アルカディウスは生きた心地がしなかった。
そうだった。
こいつは、エルは奥に入ったとはいえ、牙をもがれたわけではないのだ、と再認識せざるを得なかった。
戦場で、ジンと殺し合いをしていた頃となにも変わらない。
さらに捨て台詞があるかなとも思ったが、そんなことはなく。
どこか肩を落として帰っていくアルカディウスの背中をエルは見送った。
「嘘をつくのも大変だ」
エルはそんなことを呟いた。
しかし、ひとつ変わったことがおこると、それは連鎖するようだ。
畑仕事を終え、食堂に行くと生焼けのパンと冷たいスープがテーブルに用意されていた。
気配を探る。
どうやら厨房にはまだ侍女たちがいるようだ。
きっと陰口をたたいているのだろう。
国や職場が違っても、そういう会話をする場所は決まっているものだ。
魔法で温め直すか、厨房を使うか悩む。
そして、自分用に改造した自室で温め直すことに決めた。
自室に戻る。
「あれ?」
部屋の異変に気づいた。
鍵が開いていたのだ。
まさか、と思い部屋に入る。
そして、
「あー、こう来たかぁ」
呆れと感心を半分半分に混ぜたような声が出た。
設備はそのままだ。
おそらく壊せなかったのだろう。
しかし部屋の中は、酷い状態だった。
エルが自分で持ち込んだちょっとした道具や服が壊され、ズタズタに引き裂かれていたのだ。
「やっぱり、鍵も自作すればよかったかなぁ」
仕事が増えてしまった、とエルはポリポリ頭をかいた。
幸い、というかおそらく意図的にジンが用意したものは壊されていなかった。
自分に関することは報告しない。
そのことが、虐めをエスカレートさせたようだ。
とりあえず、新しく増えてしまった仕事をする前に腹ごしらえだ。
エルは生焼けのパンを美味しくこんがりと魔法で焼き上げ、スープも同様に温め直して、
「いただきまーす」
エルは食事を始めたのだった。
はたから見たら、強盗にでも入られたかのような部屋で、エルは気にせす食事をする。
普通の令嬢だったなら、気に病んでいただろう。
しかし、この荒れた光景は、エルに少しだけ懐かしさを与えていた。
「実家を思い出すなぁ」
父と祖父が喧嘩をしたあとはよくこうなっていた。
父と母が夫婦喧嘩をしたあともよくこうなっていた。
それを兄弟姉妹総出で片付けたり、直したりするのだ。
偽装とはいえ、結婚したからだろうか。
まさか荒らされた部屋でホームシックに近いものを感じることになろうとは思わなかった。
いまのところ、最初にジンに言われた護衛の仕事はほぼ無い。
なので、畑仕事に離宮を自分好みに改装する大工仕事、さらには部屋の片付けと、いい暇つぶしが増えていく。
「あ、そうだ。あとで寝室も確認しておかなきゃ」
閨とも言うその場所を荒らすほど、侍女達が愚かでないと祈ろう。
「ジンさんから貰ったものは壊されてないし、たぶん大丈夫だとは思うけど、念の為に」
言いながら、これからの仕事の段取りを頭の中で行う。
あれやってー、これやってーと中々に忙しい。
夕方には侍女たちは控え室に引っ込むので、それまでに片付けを済ませて、今日はジンが帰ってくるので夕食を作らなければならない。
その献立も考えなくてはならない。
食材は定期的に届くようジンが手配してくれているので買い物に行かなくていい。
もう少しすれば野菜が収穫できるようになる。
そんなこんなで毎日エルは忙しなかった。
食事を終える頃には、アルカディウスとのやりとりすら頭の片隅には残っていなかった。
この三ヶ月でルーティンは、出来上がっていた。
ジンがいない日は、早寝早起きをして贈られてきた祝いの品を検品し、畑を作り、料理とお菓子を作り、離宮の中を自分の手でDIYをする日々を送っていた。
自分のことは自分で出来るように育ててくれた、母と姉と仲のいい兄たちには感謝しかない。
意地悪しかしてこなかった真ん中の兄たちには、嫌がらせに負けないメンタルを鍛えてもらった、ということにしておこう。
まるで労働者そのもののような生活を送っているエルに、侍女たちは冷ややかだった。
聞こえよがしに、
「なんで田舎者なんかに仕えなきゃいけないの」
「野猿はさっさと山に帰ればいいのに」
「陛下にはもっと相応しい方がいる」
「身の程知らず」
そう罵られるが全て無視する。
真ん中の兄たちで、こういう言葉による意地悪には慣れっこなのだ。
というか、もっと酷いことを言われてきた。
なので、罵ってくる侍女たちに関しては、語彙が少ないなぁとしか思わなかった。
そもそもエルは仕事で表向きジンと一緒になったのだ。
バラすと大事になるので言わないが。
念の為に嫌がらせで畑に悪戯をされないか警戒していたが、そんなことは無かった。
もしそんなことになっていたら害獣駆除用の罠が火を噴いていたことだろう。
侍女の誰かの腕や足が、いまのところ吹っ飛んでいないのはいい事だ。
太陽がようやく顔を見せ始めたという時間。
彼女はいそいそと畑に出かけ、手入れをする。
そうしていると、珍しく来客があった。
その頃には太陽はだいぶ高い位置にあった。
なぜか正面玄関ではなく、わざわざ畑で作業をしていたエルの所まできて、その客は声をかけてきた。
「あ、良かった人がいた。
そこのお前、ここの下女だろ?
エル妃殿下を呼んできてくれないか」
「……今は御屋敷におられませんよ」
言いつつ、顔を上げる。
エルと客の視線が交差し、二人同時に固まった。
「げっ」
エルが客がどこの誰なのかを認識して、嫌そうな声を出す。
「なんだ、お前かよ!!」
一方、客の方もそんなツッコミを入れた。
客は、ジンと交流の深い国、ヴァスカベルデ国の第一王子だ。
何度か戦場で、ジンの横にたっていたのを見たことがある。
戦場で、エルの首を取ろうと斬りかかってきたので蹴飛ばしたことは、1度や2度ではない。
「これはこれは、アルカディウス様ではないですか。
ご機嫌麗しゅう」
「うっわ、キモっ」
「…………」
「でも、ほんとだったんだな。
あいつの所に嫁いだってのは」
まだエルが側妻となったことは、簡単な発表しかされていない。
正式な婚姻の儀は正妻が決まってからというのもある。
だから、半信半疑の者もいるのだ。
なのでアルカディウスのような反応も、エルは納得出来た。
「それで、私に用とは?」
「あー、そうだった」
実の所、エルはアルカディウスが苦手だった。
意地悪な兄の1人、クロッサを思い出すから。
さっきのデリカシーの欠片もない言葉を、延々と浴びせてきた兄を思い出して、首を捻りたくなってしまうのだ。
「いやいや、その前にお前その格好なんだよ?」
「見てわかりません?
畑仕事してるんで、動きやすい格好をしてるだけですよ」
「動きやすい格好って」
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とりあえず、農民としては普通の格好なので、これ以上なにかを言ってくるようだったら、農家に視察に行けと言うしかない。
「まぁ、いいや」
アルカディウスは、作業着にはなにも言わなかった。
本題に入る。
「単刀直入に言う。
お前、ここから出ていけ」
「はい?」
「お前がここにいると、いろんな奴らが迷惑するんだよ」
「離婚、離縁しろってことですか?」
「ま、そういうことだ。
話が早くてたすかる」
「しませんよ」
「は?」
「だからしませんよ。
私はジンさんとは別れません。
よくあるセリフですが、死が二人を分かつまでは、私はここから出ていきません」
きっぱりと、エルは言った。
そして、戦場の時浮かべていた不敵な笑みを見せつける。
「そうですねぇ。
ジンさんが別れてほしいって言ってくれたら別れますよ」
その笑みとともに吐かれたセリフに、アルカディウスは別の言葉を読み取る。
――別れさせたければ、ここから追い出したければ、殺してみろ――
もちろんこれはアルカディウスの幻聴だ。
しかし、それを聞いてしまうほどに、彼はエルに圧倒されていた。
「というか何なんです、いきなり。
不躾にもほどがあるでしょう」
「……っ!」
ギリっと、アルカディウスは悔しそうに唇を噛む。
「お前さえ」
「はい」
「お前さえいなければ、今頃は俺の妹が王妃になっているはずだったんだ」
「へぇ、馬鹿正直に言いますねぇ。
私への信頼と受け取っておきましょう」
「それだけじゃない。
お前、後ろ盾もなにもないだろ。
そんなんでアイツの、ジンの横にいつまでもいられると思ってるのか?」
権力もなにも持っていないんだから身の程を弁えて消えろ。
ジンの邪魔になる。
そんなところだろう。
エルは正確にアルカディウスの言葉の裏にあるものを読み取って、
「あはは」
思わず吹いてしまった。
「なにがおかしい!?」
「アルカディウス様は知らないんですね。
いや、まぁ知らなくて当然なんですけど」
お腹を押さえて、面白くてたまらない。
そんな風にひとしきり笑ったあと、エルはのたまった。
「私が言い寄った、みたいな前提で話してます?
まぁ、そうじゃなくてもいいですけど。
最初に求婚してきたのは陛下、ジンさんです。
この意味、わかりますよね?
つまり、私はあの人に求められたからここにいるんです。
それは、他の誰かが邪魔に思っても、ジンさんは私の事を邪魔に思っていない、何よりの証拠です」
そしてにっこりと、どこか嫌味ったらしくエルは笑ってみせた。
お前が邪魔に思っても、それがジンの意思だと思うな。
その意図はさすがに、アルカディウスに伝わったようだ。
「あ、そうだ。
妹君からの祝いの品がこの前届きました。
私の故郷にあるものをわざわざ送っていただきありがとうございました。とお伝えください。
実家の山にもありましたし、なんなら母が同じものを栽培していたんですよ。
フフフ、私、無学ではありますがそれでも知っていることもそれなりにあるんですよ」
アルカディウスは、先程とは違う寒気を感じた。
妹がなにかをエルに送り、それに対する皮肉か嫌味を彼女はアルカディウスにいったのだろう。
生憎、妹がなにを送ったのか把握していないので、微妙な返事しかできない。
「そ、そうか、よろこんでもらえたのなら、良かった」
「えぇ、ですが。少々配慮に欠けている贈り物でした。
私だから良かったものの、他の人に贈る場合は違う物を贈った方がいいですよ、とやんわり伝えてください」
ひんやりとした眼差しに、アルカディウスは生きた心地がしなかった。
そうだった。
こいつは、エルは奥に入ったとはいえ、牙をもがれたわけではないのだ、と再認識せざるを得なかった。
戦場で、ジンと殺し合いをしていた頃となにも変わらない。
さらに捨て台詞があるかなとも思ったが、そんなことはなく。
どこか肩を落として帰っていくアルカディウスの背中をエルは見送った。
「嘘をつくのも大変だ」
エルはそんなことを呟いた。
しかし、ひとつ変わったことがおこると、それは連鎖するようだ。
畑仕事を終え、食堂に行くと生焼けのパンと冷たいスープがテーブルに用意されていた。
気配を探る。
どうやら厨房にはまだ侍女たちがいるようだ。
きっと陰口をたたいているのだろう。
国や職場が違っても、そういう会話をする場所は決まっているものだ。
魔法で温め直すか、厨房を使うか悩む。
そして、自分用に改造した自室で温め直すことに決めた。
自室に戻る。
「あれ?」
部屋の異変に気づいた。
鍵が開いていたのだ。
まさか、と思い部屋に入る。
そして、
「あー、こう来たかぁ」
呆れと感心を半分半分に混ぜたような声が出た。
設備はそのままだ。
おそらく壊せなかったのだろう。
しかし部屋の中は、酷い状態だった。
エルが自分で持ち込んだちょっとした道具や服が壊され、ズタズタに引き裂かれていたのだ。
「やっぱり、鍵も自作すればよかったかなぁ」
仕事が増えてしまった、とエルはポリポリ頭をかいた。
幸い、というかおそらく意図的にジンが用意したものは壊されていなかった。
自分に関することは報告しない。
そのことが、虐めをエスカレートさせたようだ。
とりあえず、新しく増えてしまった仕事をする前に腹ごしらえだ。
エルは生焼けのパンを美味しくこんがりと魔法で焼き上げ、スープも同様に温め直して、
「いただきまーす」
エルは食事を始めたのだった。
はたから見たら、強盗にでも入られたかのような部屋で、エルは気にせす食事をする。
普通の令嬢だったなら、気に病んでいただろう。
しかし、この荒れた光景は、エルに少しだけ懐かしさを与えていた。
「実家を思い出すなぁ」
父と祖父が喧嘩をしたあとはよくこうなっていた。
父と母が夫婦喧嘩をしたあともよくこうなっていた。
それを兄弟姉妹総出で片付けたり、直したりするのだ。
偽装とはいえ、結婚したからだろうか。
まさか荒らされた部屋でホームシックに近いものを感じることになろうとは思わなかった。
いまのところ、最初にジンに言われた護衛の仕事はほぼ無い。
なので、畑仕事に離宮を自分好みに改装する大工仕事、さらには部屋の片付けと、いい暇つぶしが増えていく。
「あ、そうだ。あとで寝室も確認しておかなきゃ」
閨とも言うその場所を荒らすほど、侍女達が愚かでないと祈ろう。
「ジンさんから貰ったものは壊されてないし、たぶん大丈夫だとは思うけど、念の為に」
言いながら、これからの仕事の段取りを頭の中で行う。
あれやってー、これやってーと中々に忙しい。
夕方には侍女たちは控え室に引っ込むので、それまでに片付けを済ませて、今日はジンが帰ってくるので夕食を作らなければならない。
その献立も考えなくてはならない。
食材は定期的に届くようジンが手配してくれているので買い物に行かなくていい。
もう少しすれば野菜が収穫できるようになる。
そんなこんなで毎日エルは忙しなかった。
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