元ライバルを娶る話

一樹

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 どれだけ傷ついているのか、見てみたかった。
 侍女たちはとても楽しそうに、野猿姫と噂されているエルの部屋の前までやってきた。
 部屋を荒らした犯人たちである。
 幸運なことに、部屋の扉が半開きになっていて中を確認することが出来た。
 戦場で活躍した鬼神だかなんだか知らないが、そんな奴でもさすがに傷つくだろう、もしかしたら泣くかもということを期待した。
 ワクワクしながら部屋の中を覗いた侍女たちは、しかし想像とは全く別の光景に目を疑った。
 離宮の主であるエルは美味しそうに焼き直したパンを頬張り、スープを飲んでいた。
 食堂で、ジンと過ごしている時のマナーはどこへやら。
 欠片も見当たらない。
 食事を終えると、食器を部屋の片隅に置く。
 かと思うと、部屋の片付けを始めてしまった。
 テキパキと片付けていく様は、とても手馴れている。
 なんなら鼻歌まで歌って上機嫌だ。
 それを侍女達は唖然と見るしかなかった。
 やがて、気が逸れたのか意地悪な気持ちが萎えたのか。
 おそらく両方だろう。
 彼女たちは部屋の扉を静かに閉めると、その場を去った。
 ただ、一人。
 最近配属されたばかりの新米の侍女は、気遣わしげにその部屋を振り返った。

 野猿であり、野蛮な人間の行動は理解出来ない。
 しかし、だからこそ王宮や離宮さそんな人間の居場所にはならない。
 そのことを思い知らせてやらなきゃ行けないのだ、と侍女達は信じていた。
 新米侍女だけは、乗り気になれず上辺だけ先輩たちに合わせていた。
 そして、ますます嫌がらせはエスカレートしていくのだった。
 しかし、如何にうまく嫌がらせをしていても、そしてエルがそのことをジンに伝え無かったとしても、そんな日々は長く続かないものだ。

 数日後。

「なにをしてる」

 急遽時間が出来たため、予定を変更してジンは離宮にやってきた。
 目当ては彼女が焼くと言っていたケーキだ。
 食べられないと諦めていたが、幸運なこともあるものだと足を運んだ。
 それだけではない、エルとのなんてことないお茶の時間も、多忙なジンにとっては心癒されるものとなっていた。
 その彼が目にしたのは、掃除でつかったバケツの水を被せられている、エルの姿だった。
 完全なる不意打ちに、侍女たちはおろかエル自身も狼狽えてしまう。

「うげ」

「うげ、とはなんだ。
 いや、それよりも、お前たち、なにをしてる??」

 侍女たちは顔を真っ青にしている。
 彼女たちの思惑がどうあれ、現状は侍女が仕えるべき主に危害を加えたということに他ならない。
 それも、次期国王妃候補にである。
 かなり重たい沈黙が場に降りた。
 その沈黙を破ったのは、エルだった。

「み、水遊び?」

 その言葉に、ジンと、エルに水を被せた新米侍女があっけに取られる。
 新米侍女は信じられないものを見る目で。
 ジンは、呆れたような視線をエルに向けたあと、新米侍女を見た。
 あからさまに新米侍女が体を震わせる。
 いや、ほかの侍女も体を震わせた。
 なにをしたのか、していたのか十分に侍女たちは理解している。
 それでもやめられずに、とうとうその行動が明るみに出てしまった。
 それだけといえばそれだけのことだ。
 これからどう罰せられるのか、それを考えて侍女達は怯えてしまう。

(最初からやらなきゃよかったのに)

 侍女たちの様子に呆れているのは、エル自身だった。
 ジンはいつ来るかわからない。
 いつかはこの日が来るとは思っていた。
 まさかそれが今日だとは思っていなかったが。
 さて、どうしたものかと考えを巡らせる。
 その間にも、さりげなくジンの視線から新米侍女を守るように前へ出た。
 ひとつエルが把握しているのは、この新米侍女だけは仕方なく、エルへの嫌がらせに加担していた、ということだ。
 ほかの侍女については、死ね、くらいには思っているが、この新米侍女だけは守らねばと思ったのだ。

「水遊び、だと?」

「えぇ、これでも戦場で培った運動能力がありますから。
 試しに掛けて見なさい、すべて避けてみせるから、と侍女たちと運動も兼ねて遊んでたんです」

 エルは、新米侍女のことを庇った。

「汚水でか?」

「汲んできてもらうのが、めんどうだったので」

 いけしゃあしゃあとそんなことを言ってのける。

「それを信じろ、と?」

「どちらでもいいですよ。
 私を信じるか。
 それとも侍女達に説明を求めて、そちらを信じるか。
 ジンさんは、好きな方を選んでください」

 その様子を、庇われた新米侍女はハラハラオロオロと見ている。
 そして、ジンがなにか言おうとした時、

 くしゅんっ!

 とエルがクシャミをした。
 まるでそれが合図だったかのように、庇われていた侍女が声を上げた。

妃殿下エル様
 濡れたままではお体に障ります。
 すぐお湯の準備を致しますので、こちらに」

「え、いやだいじょ」

 エルの返事を待たないで、その侍女は彼女を大浴場に引っ張っていった。
 残されたジンは、残った侍女たちを睨みつけた。

「どうやら、俺は人選を間違えていたようだ。
 お前たち、もう下がれ。
 今後の沙汰は追って知らせる」

 侍女達はさらに顔を青ざめさせた。
 しかし、ジンは無視して離宮の出入口に控えさせていた兵を呼んで、侍女たちを連れていくよう命令した。
 それから、自分も大浴場に向かう。
 この離宮はそもそも、今は滅んだ、いやジンが滅ぼしたセリザレーヌ帝国のものだった。
 離宮だけではない。
 王宮も、その他の施設もセリザレーヌ帝国が使っていたものをそのまま使っている。
 離宮に設置されている大浴場も、その亡き帝国の忘れ形見であった。
 ドラゴンの頭を模した石像の口から、湯が注がれている。
 浴場自体が贅をこらしたもので、ジンは苦手なのだが、エルには凄く受けがよかった。
 汚水を浴びせた新米侍女が、湯浴みの世話をしているのは分かっていたが、構わずジンは浴場に足を踏み入れた。
 湯船に浸かるエルと、その彼女になにか言われている新米侍女が湯けむりの向こうに見えた。

 有無を言わさず、侍女を下がらせる。
 それをまっていたかのように、湯船に浸かったままエルが口を開いた。
 ジンには背を向けているので、表情はよくわからない。

「夫婦とはいえ偽装ですよ。
 本当の夫でも無いのに、女の裸を見に来るなんて非常識ですね。
 それと、殺気、抑えてください。
 可哀想に、さっきの侍女怯えてたじゃないですか。」

「なんで、わざと汚水を被った」

「水遊びのことですか?」

「………」

「機嫌、悪いですね。
 そんなに私が水遊びをしてたことが、気に食わないんですか?」

「お前に」

「はい」

「最初に一太刀を浴びせるのは、俺だと思ってた」

「……そんなこと思ってたんですか」

「それを、こんな形でほかのやつに譲ることになるとはな」

「あのー、切羽詰まった感じで話されてるところ、残念なお知らせなんですけど。
 ジンさん、私に最初の一太刀とやらを浴びせたのは、さっきの侍女じゃないですよ。
 ウカノお兄ちゃんです。
 昔、すぐ上の兄とちょっとした悪戯をして、拳骨くらったことがあるんですよ」

 いつもの、のらりくらりとした受け答えに、ジンは盛大にため息を吐いた。

「俺が馬鹿みたいに見えるから、一太刀の話は忘れてくれ」

「そうですか」

「でも、答えてくれ。
 なんで、水を避けなかった?
 お前なら軽々と避けられただろ?」

「そうですねぇ。
 まぁ、一番下っ端の気持ちが理解出来たから、彼女に同情しちゃったんですよ」

 エルは末娘だ。
 つまり、上には何人もの兄と姉がいる。
 その中でも意地悪な真ん中の兄たちに、実家では散々な目に合わされてきた。
 先輩侍女たちに反抗できずにいる新米侍女を、昔の、子供の頃の自分と重ねてしまったのだ。

「だから、1回くらいなら胸を貸してあげるからって言って」

「汚水をかぶった、と?
 アホか」

「この一回きりですよ。
 私だって何度もしたくありません」

 そう言って、エルはさらに続けた。

「だから、あの子だけは見逃してやってください。
 ほかの侍女は、いい加減うざくなってたんで処理は任せます」

「いや、そういうわけには」

「なら、妥協案としてあの子には一時的に謹慎させて。それからまたここで働かせてやってもらえませんか?」

「……やけに肩を持つな?」

「言ったじゃないですか。同情したって。
 さっき私がクシャミをして動いたの、彼女だけでしたし。
 だから、あの子は信じられますよ」

 信じる。
 いまや大陸の覇者となった。
 なってしまったジンには、信じられる存在は貴重だった。
 ジンも、それなりに恨みを憎しみを買っている。
 そのために、暗殺されかけたのは両手両足の指では足りないくらいだ。
 あからさまな刺客もあれば、食事に毒を混ぜられることだってある。
 それは、この離宮でも変わらなかった。
 だから、ジンはエルが口にしたものか、エルが手作りしたものしか口にしなかった。
 エルは信じられる、数少ない存在だからだ。

「お前がそこまで言うなら許可しよう」

「それじゃ、この話はこれで終わりってことで。
 身体も温まったので上がるとしますか」

 言って、実家にいた頃の癖が出てしまった。
 エルはそのまま、実に自然な動きで湯船から出た。
 ジンは、ハッとする。
 しかし、気づいたときには遅かった。
 真正面から、エルの裸体をもろに見てしまったのである。
 健康そうな肌。
 ほどよく、くびれた腰。
 胸には形のいい膨らみがふたつ。
 体をふくタオルも侍女が用意するので、ここには無かった。
 ジンは慌てて、追い出した侍女を呼びに行く。
 その背を見て、エルも気づいた。

「あ、捻るの忘れてた」

 しかし、まぁ、いっかと思い直す。
 頭に血が昇っていると、判断力が鈍るのはよくあることだ。
 襲わずに侍女を呼びに行ったのは、とても紳士的な行動である。
 まぁ、襲われたところで返り討ちにするが。
 程なくして、新米侍女がタオルをもってやってきた。
 湯上りの後の世話をされながら、エルは新米侍女に確認する。

「ジンさ、陛下から今後のことについて、聞いた?」

 新米侍女が首を横に振る。

「そう。
 あとできちんとした連絡が行くと思うけど、君は謹慎処分になる。
 期間はまだ決まっていないけれど、そんなに長くないとおもうよ。
 その謹慎処分が明けたら、またここに来て」

 新米侍女の顔が驚きで固まってしまった。

「あの、でも、その」

「また、よろしくね」

 エルは言うと、侍女に笑顔を向けた。
 新米侍女は、こくん、と頷いた。
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