元ライバルを娶る話

一樹

文字の大きさ
7 / 11

しおりを挟む
 早朝。
 基本不規則な生活を送っているジンは、朝日が昇るかどうかと言う時間に離宮に帰ってくることがある。
 この日は丁度その日だった。

「あ、ジンさんおかえりなさい」

 やんわりと、好敵手だった頃には見せたことの無い笑みを浮かべ、妻が声をかけてきた。
 離宮には畑がある。
 花壇もある。
 それらを世話しているのは、このエルだ。

「ただいま」

 彼女との、このなんでもないやり取りはジンに懐かしさを与える。
 まだ、彼の周囲に家族がいて笑っていた頃を思い出す。
 世界はどんどん悪い方向に進んでいたのに、それでも家族さえいれば幸せだったあの頃を思い出す。

「……おつかれですね」

「まぁな」

「先に汗を流してきてください。
 ルカがそろそろ出てくる時間なので、食事の用意をさせますね」

「あぁ、頼む」

 家族が殺されて、無力を思い知らされた。
 だから、強くなりたいと思った。
 そして、家族を殺した、旧シルスフォード国の上層部の連中に復讐をした。
 そうして、ジンは国を手に入れた。
 そこから始まったのは、家族を奪った世界そのものへの復讐だった。
 そして、その復讐はいつしか快楽へと変わっていったのも、事実だ。
 強いやつと戦いたい。
 もっと。
 もっと。
 もっと、もっと、もっとだ。
 そうして破竹の勢いで快進撃を続けた結果、彼女と出会った。
 復讐を始めてから負け無しだったジンの膝を、地面につけさせた存在。
 彼女が新しい目標になった。
 屈服させたい。
 なんとしても、彼女の膝を土につけさせたかった。
 その背中を追いかけているうちに、復讐心はすっかり消えていた。
 そして、気づけば大陸を統一していた。
 さらに、なんと彼女と結婚までしている始末である。

 ジンは彼女に感謝していた。
 なぜなら、復讐に取り憑かれていた彼の心をそうと知らず救っていたから。
 それは、今もだ。
 多忙でありながら、帰る場所がある。
 待つ人がいる家がある。
 穏やかな時間を共に過ごしてくれる人がいる。

 けれど、彼女はどうやっても手に入らない。
 表面上は夫婦になったのに。
 彼女の心はどうしたって、手に入らない。
 疲れているからだろうか、今日はやけにそのことが気になって仕方なかった。

「……ジンさん。昨日話してくれた温泉旅行のことなんですけど」

 ジンの顔を観察していたエルが、そう声を掛けてくる。
 そういえば、遠出の提案をしたのだったとジンは思い出す。
 彼女が好きだという旅行と温泉。
 それに行こうと提案したのだ。
 昨日は、畑があるからという、遠慮もへったくれもない理由で断られたのだが。

「うん?」

「ジンさん、お疲れみたいですし。
 行ってもいいですよ」

 不意打ちのその言葉に、ジンが足を止めまじまじとエルを見た。

「いいのか?」

「はい」

「でも、畑は?」

「それなんですけどね。
 農業ギルドの職員が世話をすることを認めていただけたらな、と思いまして」

 つまり、離宮に農業ギルドの者を入れる許可が欲しい、と言うことらしい。

「それは構わないが」

「決まりですね!
 あ、その者の身分保障書をあとで提出しておきますので、確認をよろしくお願いします」

 やけに話が早いな。
 昨日の今日だというのに。

「いつの間に根回しをしたんだ?」

「話があってすぐにですね」

 手紙を書いて出したにしても、こんなすぐに根回しが出来るものだろうか?

「昨日、ジンさんお昼に帰ってきたでしょ?
 そのあとに、農業ギルドに頼んでおいた最新式の農機具と、追加発注しておいた肥料が届いてですね」

「ふむふむ」

「で、運んできてくれる方が、最近こちらに派遣された旧知の友人でして。
 旅行のことを話したら、なんなら畑の面倒みるよって言ってくれたんです」

「なるほど」

「農業ギルドとしても、王室とは繋がりを持ちたいので渡りに船だったらしいです。
 なので、お言葉に甘えようかと思いまして」

「そうか。そういうことなら、許可しよう」

「ありがとうございます!」

 そうと決まれば、あとは日程の調整だ。
 それからジンはさらに多忙な日々を送り、エルもエルでプランを考えたり、道の調査など下調べを徹底的に行った。
 あまり仰々しいのは、他の客にも迷惑なので護衛やお付きの者は最小限にすることになった。
 なんなら、お忍びということになった。


 さらに数日後。
 この日二人は早めに食事を済ませた。
 離宮内にあるジンの私室にて、旅行の打ち合わせをするためだ。
 横長のソファに並んで座り、旅行計画を立てていく。

「カイウェル元帥を護衛に?」

「はい!
 どうせなら幼い娘さんも一緒に、と思いまして。
 そうすれば、娘さんの世話役の方も同行することになりますし、こちらはルカがいれば充分でしょう。
 カイウェル元帥が断れば、他の候補者を推薦しますよ」

「何故、彼の娘を加えるのだ?」

「お忍びなんですよね、今回の旅行。
 なら、設定が必要だと考えたんですよ。
 カイウェル元帥が上司で、ジンさんが部下。
 二人は家族ぐるみで付き合いをしています。
 今回は、骨休みと称してお互いの家族の親交を深めるための旅行を企画、ということにするんです。
 娘さんの存在は、その設定に説得力をもたせられますし」

「しかし」

「彼にとっては好都合だと思いますよ」

「好都合?」

「えぇ、家族サービスが出来るんですから」

 それ、余計なお世話にならないだろうか?

「もちろん、それだけじゃないですけど」

「というと??」

「私としても交流を深めておけば、正室候補者の相談とか根回しがやりやすいんですよ。
 長老会と私だけだと、どうしても偏りが出ちゃうので。
 彼はジンさんとは長い付き合いです。
 なら、彼から見てジンさんにとって有益なお嫁さん情報や候補をあげて貰えたら、もっと選択肢が広がるかなって思いまして。
 今後のためですよ」

 その言葉に、怒りのようなものが込み上げてくる。
 疲れもあった。
 だからだろうか、それまでは出来ていた抑えが効かなくなった。
 おもむろに、彼女の肩を掴んで抱き寄せ、押し倒す。
 そして、

「ジンさ……?
 んぅっ、ふ、あっ!」

 唇を重ねた。
 容赦なく、深く深く口づける。
 エルは抵抗するが、初めてのことで彼女も動揺し、うまく押し退けられない。
 やがて、酸素不足でエルがくったりしたのを見計らって、重ねていた唇を離す。

「ふ、はぁ、はぁ、はぁっ」

 小さく息をつく度に、エルの胸が上下する。

「俺は、お前が欲しいんだ。
 他の女なんて要らない」

 エルの表情が、少女のものではなく、女のものになる。
 構わず、今度は見えている首筋に自分のものだという痕跡を落としていく。
 エルは、抵抗する。
 でも、うまく力が入らなかった。
 いつもなら足蹴に出来るのに。
 それなのに、彼の黒曜石のような瞳に熱っぽく見つめられてしまう、ただそれだけで抵抗出来なくなってしまう。
 自分が欲しい。
 それは、たまらなく嬉しい言葉だ。

「ジンさん、いやっ、やめて、んあっ」

 それでも抵抗する。
 けれど、彼のものであるという、赤い花弁が首筋に刻みつけられていく。
 その時だった。

「エル様、そろそろ湯浴みの時間ですよ」

 ルカが登場したのだ。
 同時にカッと、エルの目が見開き身体に力が入る。
 そして、思いっきりジンを蹴飛ばした。

「ぐはっ」

 ジンに構わず、エルは真っ赤な顔をしてバタバタと部屋を出ていった。

「え、あ、エル様?」

 ルカは部屋を出ていったエルと、蹴っ飛ばされたジンを交互に見て、さらに直前の光景を思い出し、何があったのかを察した。
 そして、彼女も顔を熟れた林檎のように真っ赤にして、ジンに一礼して部屋を立ち去った。

「し、失礼しました!!」

 パタン、と部屋の扉が閉まる。
 そして、ジンは自己嫌悪に陥ってしまった。

「なにやってるんだ、俺」

 疲れていたにしても、余裕無さすぎだろ。


 エルはエルで、廊下の途中で蹲ってしまっていた。
 そこにルカが追いついてくる。

「あ、あの」

 おずおずとルカが声を掛ける。
 すると、顔は真っ赤なまま、鼻声でエルは言ってきた。

「ルカぁ。ジンさん、めちゃくちゃ怖かった~!!」

「え、あ、はい」

 なんとなく察してはいたが、やはり初めてだったかとルカは納得した。
 自分と同い年の主人は、こういうことに不慣れなのだろう。
 ルカも男性経験は無いので、人のことを言えないが。

「戦場の時とは全然雰囲気違うんだもん」

 それはそうと、なんか、いつもより幼くなっている気がする。

「……今まで誰も、私の事そういう目で見てきたことなかったし。
 私、ちゃんとしたお姫様が輿入れするまでの管理人のつもりだったのに」

 かなり動揺しているのだろう。
 いきなりの本心の吐露に、ルカが困惑する。

「管理人、ですか」

「うん。だって、今まで戦場で殺し合いしてきた相手だよ?
 でも、利用できるから、そういう意味で必要だからジンさんに求められてるって思ってたのに」

「あ~、なるほど」

「だって、まさか、本当に女として見られてるなんて思わないでしょ?」

 ルカもエルの経歴は知っている。
 戦場で鬼神と呼ばれ、恐れられていたこと。
 大陸を統一し、覇者となったジンとは何度も何度も一騎打ちの殺し合いをしたこと。
 しかし、結局、ジンに白星を譲らなかったこと。
 戦犯として処刑されてもおかしくない程、手を血で染め上げたこと。
 戦争終結後は、処刑されることなく官僚としてジンのために尽くしてきたこと。
 そして、今は、そのジンに見初められ、好敵手とは違う意味で、唯一無二の存在となり彼の支えとなっていること。

「たしかに、そうですよね」

 ルカの本心は違うところにあるが、とりあえず同意しておく。
 女性同士の会話で同意するのは大切なことである。
 まず、同意、そして傾聴。
 これが基本だ。

「ねぇ、私、どうすればいいのかな?」

 初めて、年相応の女の子のような問いかけがされた。

「うーん。
 たぶん、今、エル様は初めてで驚いてる状態なので。
 今日はもう湯浴みをしたら寝て、明日起きてから考えた方がいいのでは無いでしょうか?
 ゆっくり寝て、頭がスッキリしたらご自分の心に向かい合えると思いますし」

「そ、そっか!
 寝るのは大事だもんね?!」

「えぇ」

 相手をしつつ、ルカは思った。

(これは、エル様も陛下のことを憎からず思っていたんでしょうねぇ)

 それを、かなり強引ではあるが今回のことで自覚しつつある、という事なのだろう、と。
 そう考えた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

記憶を無くした、悪役令嬢マリーの奇跡の愛

三色団子
恋愛
豪奢な天蓋付きベッドの中だった。薬品の匂いと、微かに薔薇の香りが混ざり合う、慣れない空間。 ​「……ここは?」 ​か細く漏れた声は、まるで他人のもののようだった。喉が渇いてたまらない。 ​顔を上げようとすると、ずきりとした痛みが後頭部を襲い、思わず呻く。その拍子に、自分の指先に視線が落ちた。驚くほどきめ細やかで、手入れの行き届いた指。まるで象牙細工のように完璧だが、酷く見覚えがない。 ​私は一体、誰なのだろう?

転生皇女はフライパンで生き延びる

渡里あずま
恋愛
平民の母から生まれた皇女・クララベル。 使用人として生きてきた彼女だったが、蛮族との戦に勝利した辺境伯・ウィラードに下賜されることになった。 ……だが、クララベルは五歳の時に思い出していた。 自分は家族に恵まれずに死んだ日本人で、ここはウィラードを主人公にした小説の世界だと。 そして自分は、父である皇帝の差し金でウィラードの弱みを握る為に殺され、小説冒頭で死体として登場するのだと。 「大丈夫。何回も、シミュレーションしてきたわ……絶対に、生き残る。そして本当に、辺境伯に嫁ぐわよ!」 ※※※ 死にかけて、辛い前世と殺されることを思い出した主人公が、生き延びて幸せになろうとする話。 ※重複投稿作品※

最愛の番に殺された獣王妃

望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。 彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。 手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。 聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。 哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて―― 突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……? 「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」 謎の人物の言葉に、私が選択したのは――

悪役令息の婚約者になりまして

どくりんご
恋愛
 婚約者に出逢って一秒。  前世の記憶を思い出した。それと同時にこの世界が小説の中だということに気づいた。  その中で、目の前のこの人は悪役、つまり悪役令息だということも同時にわかった。  彼がヒロインに恋をしてしまうことを知っていても思いは止められない。  この思い、どうすれば良いの?

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

彼は亡国の令嬢を愛せない

黒猫子猫
恋愛
セシリアの祖国が滅んだ。もはや妻としておく価値もないと、夫から離縁を言い渡されたセシリアは、五年ぶりに祖国の地を踏もうとしている。その先に待つのは、敵国による処刑だ。夫に愛されることも、子を産むことも、祖国で生きることもできなかったセシリアの願いはたった一つ。長年傍に仕えてくれていた人々を守る事だ。その願いは、一人の男の手によって叶えられた。 ただ、男が見返りに求めてきたものは、セシリアの想像をはるかに超えるものだった。 ※同一世界観の関連作がありますが、これのみで読めます。本シリーズ初の長編作品です。 ※ヒーローはスパダリ時々ポンコツです。口も悪いです。 ※新作です。アルファポリス様が先行します。

【完結】身分違いの恋をしてしまいました

金峯蓮華
恋愛
ナターリエは可もなく不可もないありふれた容姿の男爵令嬢。なのになぜか第2王子に身染められてしまった。殿下のことはなんとも思っていないが、恋人にと望まれれば断ることなどできない。高位貴族の令嬢達に嫌がらせをされ、悪い噂を流されても殿下に迷惑をかけてはならないと耐える日々。殿下からも、高位貴族令嬢達からの嫌がらせからもやっと解放されると思っていた卒業祝いの夜会で事件は起こった。 作者の独自の異世界のファンタジー小説です。 誤字脱字ごめんなさい。 ご都合主義です。 のんびり更新予定です。 傷ましい表現があるのでR15をつけています。

処理中です...