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妖狐の願い
参
しおりを挟む翌日のお昼前。
社務所の裏はよし、そう心の中で呟く。
きょろきょろと辺りを見渡しながらひとつ頷くと、また歩き出した。
社務所、授与所の裏を回って歩いていると、神楽殿側から歩いてきた三門さんと合流する。今日はいつもの浅葱色の袴の上から狩衣を着て、烏帽子をかぶっている。神事用の装いだ。
「大丈夫だった?」
「はい、誰もいませんでした」
三門さんはぐるりと辺りを見回して「それじゃあ、僕らも外へ出ようか」と微笑んだ。
今日はもうひとつのお社、『おもてらのお社』を開ける日だ。
そして私たちはおもてらのお社を開けるべく、その準備を進めていた。
おもてらのお社を開けると自動的に表と裏のお社が閉ざされてしまうらしく、そこにいた人は七日間の間出てくることができなくなるらしい。だから見回りをして、誰もいない状態にしなければならないのだ。
ふたりで階段を降りて行くと、紙垂の張られた鳥居の前に沢山の人が集まっていた。開始祭を見に来た表のお社の参拝客たちだ。
「ねえねえ、もうお社に入っていいのー?」
このあたりに住んでいる子どもたちが、三門さんのもとに集まってくる。
「まだ駄目だよ、七日間出てこれなくなっちゃうよ?」
「それ言い伝えでしょ!」
「ほんとは違うんでしょー?」
子どもたちに合わせて屈んだ三門さんは、苦笑いを浮かべてその小さな頭を撫でた。
立ち上がった三門さんに小さく頷く。鳥居の下に用意していた机の上から大幣を手に取り三門さんに渡した。
「さあ、始めようか」
儀式は滞りなく終了し、社頭は多くの人で溢れていた。本殿の前には簡単な舞台が設置され、芝居が行われている。桃色の着物を着た私と同い年くらいの女の子が、舞台に立っていた。
「今年の娘役は、渡辺さんのところの詩子ちゃんだって」
「来年は高校生でしょう? 大きくなったのねえ」
芝居を見ながら参拝者が話している。三門さんからも「見ておいで」と言ってもらっていたので、隅に座って干渉していくことにした。
舞台は平安時代、平民の娘と貴族の男が恋に落ちる話らしい。身分違いの恋に苦しむ少女が神に祈り、そこにユマツヅミさまが現れる。ユマツヅミさまから与えられた三つの試練を乗り越えた少女はその願いを聞き入れられ、クロガネモチの実をすり潰した紅を与えられる。その紅をぬって男に会いに行った少女は、無事添い遂げることができたという話だった。
なるほど、この話をもとに『結紅』が授与されるようになったのか。
芝居が終わり、娘役の女の子に話しかけに行く人の流れから逃れて歩いていると、おばあさんがふらふらとした足取りで歩いているのが見えた。慌てて側に駆け寄る。倒れそうになる寸前で、ぎりぎり支えることができた。
「だ、大丈夫ですか……?」
青い顔をしたおばあさんが苦笑いで私を見上げる。
「ごめんなさいね、ちょっと気分が悪くて」
苦しそうに息を吐くおばあさんを支えながら、ベンチのある木陰へと移動する。
袂から手ぬぐいを取り出しおばあさんの手にそっと握らせれば、おばあさんは申し訳なさそうに笑った。
「ありがとう、少し楽になった気がするわ」
「お水、入れてきます」
そう言ってくるりと振り向けば、三門さんがこちらへ歩いてくる姿が見えた。駆け寄って事情を説明すれば、三門さんがおばあさんに歩み寄る。
「あれ、三田さん?」
近寄るなり三門さんが驚いたように名前を呼べば、おばあさんが顔をあげる。
「あら……? 三門くん」
「こんにちは。顔色が悪いけれど大丈夫? 社務所で横になっていく?」
おばさんの前に膝を付いた三門さんが、自分の手をおばあさんの手にそっと重ねて何かを呟いた。すると青かったおばあさんの顔に赤みが戻っていく。
「大丈夫よ、三門くんが来てくれたからか、少し元気になったわ」
三門さんがほっと息を吐く。
「そちらの可愛らしい巫女さんが、ここへ連れてきてくれたの」
後の方に立っていた私と目を合わせたおばあさんが、柔らかく微笑んだ。
「あれ、三田さん、麻ちゃんと会ったことがないの?」
不思議そうに目を瞬かせた三門さん。私とおばあさんは顔を合わせて首を捻る。
ここへ来た数日を思い出してみるが、やはりこのおばあさんと会ったのは今日が初めてだ。
「……おかしいなことが起っているね」
少し険しい顔を浮かべた三門さんが、かろうじて私にも聞こえるくらいの声でそう呟く。
「……三門さん?」
「ん、いや、なんでもないよ。三田さんは僕が送って行こう。麻ちゃんは留守番をお願いね」
私がひとつ頷いたのを確認すると、おばあさんに手を貸しながら三門さんは歩いていった。
その背中を見送ってから本殿の前に戻ると、溢れかえっていた人たちが少し減っていた。町の公民館へ移動して打ち上げのようなものがあるらしい。挨拶してくる人たちに会釈しながら歩いていると、御神木の下に人影が見えた。
あれ、あの人って……。
ぼんやりと御神木を見上げるその男性に近づき、そっと声をかけた。
「────三田さん」
「ん? ああ、この間の巫女さんだ。こんにちは」
我に返ったように目を瞬かせた三田さんは、私に向かって柔らかく微笑んだ。
「母を迎えに来たんだけど、見当たらなくて」
うん? と首を捻って、思い当たる節があった。先ほどのおばあさんだ。
「もしかして、三田さんは三田さんの、あれ……?」
「ああ、僕の名前は三田時生です。時生でいいよ」
少し赤くなりながら、頭を下げる。
「えっと……三田さんは体調が良くなかったみたいで、先ほど三門さんがお送りしました」
私がそう言った途端に時生さんは険しい顔をした。
「ここ最近ずっとなんだ、だから今日も開門祭へは行かない方がいいって言ったんだけど」
ふと、そう言えば三門さんも同じようなことを言っていたなと思い出す。
「教えてくれてありがとう、母さんたちを追いかけるよ」
そう言い歩き出した時生さん。しかし数歩歩いて、はたと足を止める。
「そう言えば、結眞津々実伝説のお話って、最近変わったの? お祭りの様子も、なんだか昔とは違うみたいだ」
三門さんに聞いておきますね、と返事を返せば嬉しそうに頷いた時生さん。今度こそ振り返らずに、早足で去って行った。
「おやおや、これは。巫女さまに神使さま方、今日は大変おめでたく」
みくりとふくりを両腕に抱き、昼間かと思うくらいに明るく賑わう社頭を歩いていれば何人もの妖からそう声をかけられた。みくりが少し威張ったように「おめでとう」と返し、ふくりも嬉しそうに尻尾を振るので、私もなんとなく頭を下げる。
満足げに笑った妖が去っていき、私は思わず尋ねた。
「あの、どうして『おめでとう』なの……?」
「何を言っておる、門が開いたからに決まっているだろう!」
ふん、と鼻を鳴らしたみくり。余計に疑問が増える。
みくりの言う『門』は、おもてらのお社の門のことだろう。しかし門が開いたことが、どうしておめでたい事なのだろうか?
私が首を傾げていれば、ふわあ、とひとつ欠伸をしたふくりがおもむろに口を開く。
「妖たちはおもてらのお社が好きだからね。社の門が開く日は、妖にとっては特別な日なんだよ」
「そうなんだ……あ、三門さん」
妖たちに囲まれている三門さんを見つける。様子を窺っていると目が合って、笑顔で手招きされる。
「あっ、巫女さま! おめでとー!」
「こんばんは、巫女さま。おめでたい日だね!」
三門さんの側にいた子供たちがわっと駆け寄って私の背中を押す。
「こんばんは麻ちゃん、疲れてない? 大丈夫?」
歩み寄るなり心配そうに眉をひそめた三門さんに、慌てて「大丈夫です」と返す。
昼間の開門祭が終わってからたっぷりお昼寝をさせてもらって、さっき起きたばかりだ。
そっか、と安心したように息を吐いた三門さんに微笑む。
「なにか、私にお手伝いできることはありますか……?」
「うーん、実を言うと門を開ければ僕たちはいつもと同じで、ほとんどすることがないんだ。だから、一緒に祭りを見て回ろうか」
私の腕からみくりを抱き上げた三門さん。みくりげ迷惑そうに身を捩り、その腕から飛び出す。
「おいっ、私は飼い狐ではないのだぞ! いつまで抱きしめる気だ、鬱陶しい!」
「だって寒いしさ」
そう唇を尖らせた三門さんを「喧しいわっ」と怒鳴りつけたみくり。背中の毛を逆立てると、颯爽と走り去っていった。
思わず腕に抱いていたふくりを見下ろす。
「私は構わないよ。麻の腕は暖かくて心地いいからねえ」
ほっと胸をなでおろせば、三門さんは楽しげに笑った。
「三門の旦那、やもりの素揚げ買っていきなよ!」
「……それはちょっと遠慮しとこうかな。代わりにそこのいか焼きをみっつお願いね」
強面の角を生やした妖が「はいよ」と私たちにひとつウィンクすると、手際よく袋にみっつ詰めて渡した。親し気に話す様子からして顔見知りらしいが裏の社では見かけたことがない。そんな妖が他にもたくさんいて、「開門祭」には多くの妖が来ていた
いか焼きを頬張りながら、いつも以上に活気のある参道を歩く。普段見かけない屋台もたくさん出ていて、なんだかワクワクする。
「麻ちゃん、見てあれ。すねこすりとのふれあいスペースだって」
「すねこすり……?」
「可愛い妖だけど、ちょっと厄介なんだ。よし、行ってみようか」
そう言いながら私の手を引いた三門さんは、張られた柵の中にはいる。続いて中に入った途端、見た目は猫だけれどウサギのような垂れた耳をした妖たちが足元にすり寄ってきた。私の足にぐいぐいと体を押し付けてきる。その勢いに目を白黒させていると、バランスを崩して尻もちを付いた。
「ご、ごめんねふくり。大丈夫?」
咄嗟に腕に抱いていたふくりに尋ねれる。
「大丈夫だよ。早速転ばされてしまったねえ」
ふくりがおかしそうにそう言った途端、先に入った三門さんが私の隣に尻もちを付いた。あはは、と楽しそうに声をあげて笑っている。
「すねこすりは人の脛にまとわりつく幽世の生き物だよ。まとわりつかれたら最後、大体の人の子はすっ転ぶ」
ふくりはじゃれてくるすねこすりにされるがままの状態でそう言う。
「だ、だから厄介なんだ……」
尻もちを付いてもまだ足にまとわりつくすねこすりの背中をそっとなでる。ふわふわの毛並みに頬が緩んだ。
厄介だけど、ちょっと可愛いかも。
暫くすねこすりと触れ合って、ふくりがすねこすりによじ登られて潰れそうになったタイミングで私たちはスペースの外に出た。先ほどと同じように、屋台を楽しみながらぶらりぶらりと歩いていると、遠くから三門さんの名前を呼ぶ小さな影がふたつ、こちらに近付いてくる。
「三門さま、ねえ三門さま、聞いてよ! こいつ、人間に憑いたんだよ!」
「なんだよ、放せよ兄ちゃん! 違うもん、知らないもんっ」
兄弟の妖狐だろうか。茶色の耳を生やしおそろいの青い着物を着た子供がふたり、三門さんに走り寄った。手を引っ張られてきたのはどうやら弟の方らしい。ふくれっ面で掴まれた腕を振りほどこうともがいている。
三門さんがふたりの前にしゃがみ込む。
「こいつ、最近全くおれと遊ばないから、何してんのかなって後をつけたんだよ、そしてらさっ」
「言うなばか! 兄ちゃんのばかーっ」
「いてっ、何すんだよこのとんちき狐!」
号泣しながら兄の着物を引っ張りぽかぽかと背中を叩く弟に、今度は兄が反撃に出る。もみあいになる寸前で、三門さんがふたりの首根っこを捕まえて引き離した。
にっこりと笑う三門さんに、ふたりの顔が強張る。
「……僕と君たちのお母さんと、どっちが怖いか知ってるよね?」
二人はすっかり耳を後ろに倒して尻尾を足の間に入れた。ほぼ半泣きで何度も頷く。
お母さんよりも三門さんの方が怖いんだ……。
三門さんはひとつ溜息を零し、二人を開放して向き合った。
「人に憑いたって、どういうことだい?」
「こいつ、人間の家に出入りしたんだよ!」
三門さんが「本当なの?」と弟の方に尋ねる。
「で、でも憑いてないっ。油揚げ貰っただけだもん!」
唇を突き出して強気にそう言った弟の狐。三門さんはその額をツンとはじく。
「確かに憑いてはいないね、でももし君のその妖力で、君に優しくしてくれた人を傷つけてしまったらどうする?」
じっと目を見つめてそう言った三門さんに、その子は目を見開いた。
「陰陽師の力が妖に害を与えるように、妖の力が人に害を与えることもあるんだよ。君はまだ、お母さんのように変化が上手にできないだろう? それはまだ、力が上手に扱えていないということ。人と仲良くするな、とは言わないよ。でもそれだけは忘れないで」
はい、と顔を顰めて頷いたその子の頭を撫でた三門さんは、今度は勝ち誇ったような表情を浮かべるお兄ちゃんの方に向き直る。その子も弟と同じように、額をつんとはじかれた。
「それからお兄ちゃんもね、弟と仲良くすること。大切な家族に手をあげちゃいけないよ」
ふたりの目を見ながら「分かった?」と尋ねた三門さん。ふたりは顔を見合わせて、そしてひとつ頷いた。
「さあ、行っておいで。『お星さん昇った遊びましょ』」
突然歌い始めた三門さん。妖狐の兄弟の瞳が輝く。
「『妖狐こんこん』」
「『こんばんは』!」
三門さんに続けて歌った子供たちは満面の笑みを浮かべると、手を取り合って走って行った。
「人も妖も、子どもがわんぱくなのは一緒だね」
その背中が見えなくなって、三門さんはやれやれと肩を竦める。私は思わず小さく噴き出した。
ふと、先ほど三門さんと子どもたちが歌っていた歌が気になり、口を開く。
「あの、バサンが何とかって、一体なんですか?」
「妖のわらべ歌だよ」
わらべ歌? と聞き返し、三門さんはひとつ頷くとすうっと息を吸った。
────お星さん昇った 遊びましょう 妖狐こんこんおはようさん お月さん沈んだ また明晩 提灯小僧とはよ帰ろ お日さん照った ねんねこりん 目目連の子守歌
赤ちゃんをあやすような柔らかく優しい声が旋律を奏でる。柔らかな布に包まれたような心地よい声だった。思わず目を瞑って、聞き入ってしまっていた。
「妖たちはこの歌が大好きなんだよ」
目を細めた三門さんの横顔をぼうっと見つめる。
なんだろう、この気持ち。ずっとずっと昔に、その歌を聞いたことがあるような気がする。胸の中を温かくさせて、でも少し切なくて、泣きたいような微笑みたいような、そんな不思議な感覚が胸の中に広がっていく。
今までそんな気持ちを感じたことなんてなかったのに、どうしてかここへ来てからはたまに胸が苦しくなって、ふと涙が出そうになる。
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