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おつかい
捌
しおりを挟む日中だけれど今日が休日なのもあって、鬼脈は沢山の人と妖で賑わっていた。
「恵衣くんお待たせ。ごめんね、お会計混んでて」
出入口で待っていた恵衣くんに小走りで駆け寄り謝る。文句を頂戴するかと身構えたけれど特に何も言わず、ひとつ頷き「次行くぞ」と店の外に出た。
数時間前に鬼脈に入った私たち。
恵衣くん付き添いの元、盛福ちゃんと玉珠ちゃんに頼まれた買い物リストを着実にクリアしていく。
「他にもまだあるんだろ。先に飯にするぞ」
「あ、じゃあ瑞祥さんにオススメしてもらった定食屋でもいい? 角煮定食が美味しいんだって」
「場所わかんのか」
「うん、住所もらったから」
買い物袋を片手に寄せてポッケからスマホを取り出そうとモゾモゾしていると、恵衣くんは無言で私の買い物袋を取り上げる。
もしかして気を遣って持ってくれた……?
「あ、ありがとう」
「早く調べろ。重い」
慌ててスマホで住所を出した。電柱に書かれた住所と照らし合わせると、すぐ近くにあるらしい。
この道真っ直ぐで、歩いて五分くらいだと思う。
そう伝えると、また無言でひとつ頷い恵衣くんは荷物を持ったまま歩き出す。
慌てて「自分で持つよ!」と手を差し出せば、一瞥して無視される。どうやら店まで持ってくれるつもりみたいだ。
嬉しいしありがたいしとても助かるのだけれど、文句もなく無言でついてきてくれたり荷物を持ってくれたり、普段の恵衣くんなら絶対に有り得ない好意がこうも続くと少し不気味というか……かなり怖いのだけれど。
帰ったらとんでもなく長い文句を言われるんだろうか、なんて不謹慎なことを考え頭を振った。
瑞祥さんおすすめなだけあって、定食屋は昼前にもかかわらず既に列ができていた。
別の店にする?と聞こうとしたけれど、私が口を開くよりも先に最後尾に並んだ恵衣くん。意外な行動にまたもや目を丸くする。
恵衣くんなら"飯を食うためだけに並ぶなんて非効率的だ"なんてこと言いそうなのに。
本当に帰ってから特大の文句を言われるんじゃないだろうか。それなら今小出しにして言って欲しいのだけれど。
「良ければご覧ください」と店員がメニュー表を持ってきた。礼を言って受け取った恵衣くんが「ん」と私にそれを差し出す。
「あ、ありがとう。恵衣くんは見ないの?」
「角煮が美味いんだろ」
「……恵衣くんって人のおすすめとかちゃんと
信じるんだね」
「お前今自分がどれだけ失礼なこと言ってるか自覚あるのか」
思わずポロッと盛れた本音に慌てて口を塞いだ。
回転率がいいのか10分と待たずに店内に入った。結局私も角煮定食を選び、お冷を持ってきた店員さんに恵衣くんが「角煮定食ふたつお願いします」とすかさず注文する。
なんというか……スマートだ。
上品に手を拭いた恵衣くんはお冷の水を一口飲んで、ちらりと私に目を向けた。
「……なんだよその顔」
怪訝な顔した恵衣くんに小さく笑いながら首を振る。
思えば恵衣くんと休みの日に一緒に遊んだのはこれが初めてだ。休みの日はこんな感じなんだなぁ、と初めて知った一面に思わず頬が緩む。
なんでもなーい、と少しおどけたふうに肩を竦めれば、これまた意外にも恵衣くんは「なんだよ」と小さく笑ってコップに唇をつけた。
今なら雑談でも乗ってくれそうな気がする。
「恵衣くんって休みのは日はこうやって出かけたりしないの?」
「そんな暇があるなら自主練するか本庁で勉強する」
恵衣くんらしい回答に苦笑いを浮べる。
「息抜きしたいなぁとか思わないの?」
「思わん。そんな時間必要ないだろ」
なんというか、そんなに毎日気を張っていて疲れないのだろうか。
私は嫌なことがあったり辛いことがあれば気持ちを切替えるためにも遊びに行って息抜きをするけれど、恵衣くんは滝行や瞑想をしてそうだな。
「まぁ、兄さんが生きていた頃は何度か家族で出かけたこともあったが」
「お兄さん……怜衣さんだよね」
角煮定食が届いた。煮汁の甘く香ばしい匂いとツヤツヤした脂の乗った豚肉に食指が動く。いただきます、と丁寧に手を合わせた恵衣くんを見習っていつもよりもちゃんと手を合わせる。
箸で突いただけでもほろりと崩れるお肉をパクリとひと口、すぐに口いっぱいにじゅわりと広がる肉汁に思わず頬を押えて悶絶する。
恵衣くんもお気に召したのか、デフォルトになっている眉間のシワが解けていた。
「家族でお出かけは、どこに行ったの?」
白米を咀嚼していた恵衣くんはちらりとこちらに視線を向けて、沢庵を口に放り込む。
「別に大した場所には行ってない。両親の仕事に付き添って、その帰りにこうして飯屋に寄るくらいだ」
「そんなに小さい頃から勉強してたんだ。期待されてるんだねぇ」
「社交辞令はいい。両親が期待してたのは間違いなく怜衣兄さんにだ。あの人たちが俺なんかに期待するはずがない」
初めてお兄さんの話題が上がった時も、同じようなことを言っていた。
自分の能力を過大評価せずストイックに研鑽できるところが恵衣くんのいい所だし、お兄さんが優秀だったのもよく分かるけれど、恵衣くんだってクラスで一番頭がいいし十分優秀の類だ。
ご両親だってきっとその努力は認めているはずなのに。
「そんなことないと思うけどな」
「お前だって見てただろ。一年の観月祭の日、俺が父さんに殴られてたの」
触れない方がいい話題だと思って避けていたけれどずっと気になっていた出来事だ。
恵衣くんも私に見られて屈辱的だっだろうと思っていたので、恵衣くんが自らその話題を持ち出したことがこれまた意外だった。
「怜衣兄さんは高一の頃には、もう既に正階を取っていたし観月祭の月兎の舞や神話舞の奏者にも選ばれていた。兄さんと同じことができない時点で、両親は俺のことを諦めてるんだよ」
いつもの冷静な表情でそう続ける。
つまりあの日恵衣くんがお父さんに手を上げられていたのは、成果が出せないことを叱られていたってこと?
「俺だって、いくら待てども成果を出さない奴はすぐに見限る」
そう呟き味噌汁を啜った。
何をどういえばいいのか分からず言葉に詰まらせていると恵衣くんは小さく息を吐いた。
「出来損ないの俺じゃなくて、優秀な兄の方が死ぬなんてな。両親だって俺が────」
次に恵衣くんが何を言おうとしたのかが分かった、言葉よりも先に咄嗟に体が動いた。
突然身を乗り出して手首を掴んだ私の行動に驚いたのか、恵衣くんの手の中からカランと箸が転がり落ちた。
「おま、いきなり何ッ」
耳を赤くして慌てる恵衣くんの瞳を必死に覗き込む。
「言祝ぎを口にして」
いつも皆から言われ続けてきた言葉を、私が恵衣くんに伝える日が来るなんて思ってもみなかった。
一瞬ハッとした顔をした恵衣は、「……まだ何も言ってないだろ」と決まりが悪そうに目をそらす。
きっと私が止めなければ、恵衣くんは「俺が死んだ方が良かった」と続けていた。
恵衣くんらしくない呪が強い言葉だ。
でも思い詰めて言ったようには聞こえなかった。つまり恵衣くんはずっと心の中でそう思っていて、ふとした拍子に漏らしてしまったのだろう。
一体何年そう思い続ければ、普段通りの表情でそんな言葉を口にできるんだろう。
そんなの、あまりにも悲しすぎる。
「絶対に自分を諦めるようなことは言わないで」
少し驚いたように肩を震わせた恵衣くんはちらりと私を見上げてまた目を逸らす。
「だからまだ言ってないだろ」
「言おうとしてたってことでしょ……?」
負けじと言い返せば言葉を詰まらせて少したじろぐ。数秒の沈黙、そして恵衣くんは「……失言だった」と目を伏せる。
滅多に見せない弱りきった表情から、恵衣くん自身も己が言おうとした言葉に戸惑い、深く反省しているのが伺えた。
「私は、完璧じゃないところも全部、恵衣くんらしくて素敵だと思う」
口は悪いし態度も悪いし、仏頂面で無愛想。ごめんねもありがとうも下手くそで、真面目なのかと思ったら喧嘩早い。
けれど不器用な奥にある優しさや、優秀と呼ばれるまでの努力。ちょっとズレているところがあって、最近同級生に毒されて不真面目になりつつあるところ。
『惨めったらしく俯くのはやめろ』と泣きそうになって俯いていた私に手を差し出してくれたところ。辛い時に一人でいると、必ず探しに来てくれるところ。
最初は苦手だった部分もあったけれど、今ではそれ以上にいい所を知っている。全部が全部、恵衣くんらしいと思える。
「私は、恵衣くんがいなければ悲しい」
ふと出た言葉はただ単に励ましたい気持ちだけで並べた言葉ではない、私の素直な気持ちだった。
恵衣くんがいなくなってしまったら。
想像するだけで体の内側に見えない何かが重くのしかかり胸が不安にざわつく。息が詰まるような焦りとひりつくような痛み、手足は冷たくなるのに目の奥がやたらと熱くなった。
握る手に力を込める。
「わ、悪かった。俺の失言だった。もう二度と言わないと約束する」
どこか気まずそうに焦ったような顔でそう言う。
「だから頼む、そんな顔するな。お前にそんな顔されると、どうしていいのか分からなくなる」
今度はとても困った顔をした恵衣くんが激しく目線を泳がせながら私の手を解こうとした。
そこで自分が今にも泣きそうな顔をしていることに気が付く。
「ほら、もういいだろ。冷めるぞ、食え。俺のもやるから」
逃げるように手を引いた恵衣くんは自分のお皿から角煮をひとつ摘んで私のお皿に放り込む。
好意の一欠片なのだろうけれど、食べ物で泣き止むほど単純で純粋だった時期はもう通過している。恵衣くんは一体私のことをなんだと思っているの?
貰えるものは貰っておくけれども。
どこか気まずい空気を感じながら、私たちは残りの角煮をつついた。
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