言祝ぎの子 ー国立神役修詞高等学校ー

三坂しほ

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すれ違い

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忘れもしない、13年前の冬。

空亡戦は激しさのピークを迎え、戦線へ駆り出されていたわくたかむの神職たちの顔には疲労が色濃く滲んでいた。

例年に比べてかなり質素な歳旦祭を過ごし、あれほど抗争が激化していた最前線も沖合の並のように静かになった。

宮司に許しをいただいて、神職たちには三日ほどの休暇を与え各々の家に帰らせた。皆が連日討伐任務に駆り出されており、正月休みどころか日々の休憩ですらままならない状況だったため、つかぬまの休息を家族と過ごせるようにしてやりたかったのだ。

残った数人で社を維持するのは難しいと判断し、その三日間は社を閉じることにした。残ったものたちも身を寄せ合い、互いの功労を労った。

あれは休暇を与えた三日目の朝、その日は一段と冷え込む日だった。底冷えする寒さで目が覚めてしまい、起きたついでに社頭の掃き掃除でもしようかと竹箒を持って外に出た。

朝日は登る直前で空は薄暗い。西の空には星がある。肌を突き刺すような澄んだ冷気に羽織の上から両腕を擦り本殿の前まで来た時、先客がいることに気付いた。

本殿に尻を向けてぼんやりと空を見上げて立っている神職に眉を顰める。「休みだからって流石に気が抜けすぎではないか」そう注意をしよう歩み寄り、その人物が隆永さまであることに気付く。


「りゅ、隆永さま?」


恐る恐る声をかけた。彼が自らの意思で外に出ている姿を見たのは十数年ぶりだった。


「真言、見ろ」


真ん中に芯が通った声だった。これまでの、まるで魂が抜けたかのようにただぼんやりと宙を眺めていた隆永さまはそこにはいない。

隆永さまの指先が頭上を示した。つられるように顔を上げ────息が止まった。

透明な水に墨汁を落としたような線が、空に何十何百と走っている。まるでしなだれ柳が風でなびくように、北東の空を中心におびただしい数の線が空に浮かんでいる。

見ているだけで身の毛もよだつようなこの感覚、間違いなくあれは。


「なんだ、あれ……」

「真言。今すぐ本庁に連絡して確認してくれ。悪い予感がする」


神職の勘は当たる、と昔からよく言われている。とりわけ隆永さまの勘は良く当たった。空を睨み続ける隆永さまに一抹の不安を覚えながらも、急いで社務所に戻って本庁へ電話をかけた。

何度かかけ直してみたけれど、どうやらあちら側の神職たちも異変に気付いて混乱しているらしい。5度かけても繋がらず、仕方なく諦め受話器を置いた。

あれは一体なんだ?

北東の空、鬼門の方角だった。飛行機雲のように尾びれを残して空を横切る黒い線、あれは残穢だ。

でもあんな残穢はこれまでに一度も見た事がない。まるで打ち上げられた花火が飛び散るように空に拡がっていた。

もう一度外に出る。隆永さまはまだ空を見上げている。隣に並んだ。残穢は先程よりも広がっているように見えた。


「状況は」

「本庁も混乱しているようで連絡が取れません。休暇中の者でひとり、自宅が本庁に近い神職がおりますので、様子を見てくるよう頼みました」

「そうか」


端的に答えた隆永さまは、踵を返して本殿へ向かって歩いていく。太陽が東の空から顔を出していた。朝拝の時間だ。

慌ててその背中を追いかける。嫌な胸騒ぎと拭いきれない不安だけが残っていた。



「たっ、たっ、大変です! 禰宜頭!」


ピシャンッと勢いよく社務所の扉を開けて転がり込んできた若い神職は、勢いを止めることが出来ずに鼻から中へ滑り込む。

いつもなら「扉は静かに開けろ!」と叱り付けているところだけれど、あまりにも勢いよく転んだ姿に「おいおい大丈夫か」と歩み寄る。

今朝、本庁の様子を見てきて欲しいと頼んだ下っ端の禰宜だった。


「それどころじゃないんすよ! 空亡がッ、あの空亡がついに祓除されたんすよ!」


鼻血を垂らした満面の笑みで顔を上げた禰宜に、思わず「は?」と聞き返した。

聞き間違いか? 今空亡が祓除されたと聞こえた気がしたんだが。


「だーかーらー! 空亡が祓除されたんですよ! 審神者さまと禄輪さまがとどめを刺したって噂っす! まだちゃんとしたことは分かんないんすけど、空亡が消えたのは間違いないって!」


己の聞き間違いではなかったらしい。得意げに語り始める禰宜の話に耳を傾ける。


「────ってなわけで、審神者さまはご自身の命と引き換えに空亡を滅して……」

「は? ちょっと待て、審神者さまが亡くなったのか!?」


禰宜の両肩を強く揺すれば「俺はそう聞きました」と答える。

なんということだ、思わずそう呟くと、何も分かっていない禰宜は「ホント凄いっすよね!」と私の言葉に同調する。

ちがう、そうじゃない。私は審神者さまを称えた訳じゃない。脳裏を過ったのは、神修にいらっしゃる芽さまだ。

芽さまにとって審神者さまは、姉のように慕い母のように甘えられる存在だった。一度実の母を失い、悲しみに暮れるなかやっと見つけたそれと同等の存在。

そんな彼女をまた失ってしまったら芽さまは。


「いやぁ、マジで審神者万歳!って感じっすよね~」


反射的に禰宜の胸ぐらを掴んでいた。


「……二度とそんなことを口にするな。人が一人亡くなっているんだぞ」


驚きの表情を浮かべた禰宜は言葉を忘れたように必死に頭を振って頷く。

カッとなっていたことに気づいて、ゆっくり手を離した。乱れた白衣はくえを整えてやってポンと禰宜の胸を叩く。


「とにかく宮司にその件を報告しに行こう。休みの日に悪かったな」

「いやいや全然! 実家でぐうたらしてただけなんで、むしろ給料貰えてラッキーって感じっす」


彼の明るさに幾分か救われた。

隆永さまは今朝から本殿に籠られている。祈祷中に声をかけるのは良くないが、この報告の方が優先事項だろう。


「隆永さまに報告しに行こう。今なら本殿に────」


ガラリと社務所の扉を開けたその時。

まるで目の前でカメラのフラッシュが焚かれたように、視界の全てが強い光に飲み込まれた。目の奥を刺すような強い光に咄嗟に顔を背ける。

ひ、と息を吸い込んだ直後、時間差にして1秒もなかったはずだ、落雷のような激しい爆発音が鼓膜を震わし、足裏から脳天までに突き上げるような衝撃が走る。

わけも分からずその場に崩れ落ちた。

キィンと耳鳴りがして音が遠くに聞こえる。「真言さん! 真言さん!」と私の肩を揺する若い禰宜。咄嗟に彼に張った結界は間に合ったらしい。

軽く頭を振りながら、手を借りて立ち上がる。点滅する視界がゆっくりと定まり始め、こめかみを押えながら社務所の外に出た。

次の瞬間、強烈な熱気が顔中に纏わりつき、熱風が喉から肺を焼き尽くす。咄嗟に顔を隠す。袖の向こうに広がる真っ赤な炎に言葉を失った。


「禰宜頭……! 宝物殿がッ!」


御神木を挟んで社務所とは対面にある宝物殿は、他の社とは違って神職以外の妖や人間でも入れるように常時解放されている。隆永さまの結界術によって厳重に守られているからだ。

その宝物殿が、真っ赤な炎に包み込まれている。天井が音を立てて崩れ落ちた。高音で木々が爆ぜる音が響き渡る。


「こ、これはどういう……」

「真言」


真横から声が聞こえた。今聞こえるはずのない慣れ親しんだ声だった。

弾けるように振り返る。目が合った。息が止まる。頭が目の前の情報に追いつかない。


「ただいま、真言」


目を細め微笑むその男。

きらきらと目を輝かせて己を見つめていた瞳は、光を失い絶望と不信の色で深い闇を作る。知っているはずなのに、そこに立っているのは私の知らない人間だった。


「芽、さま……?」


確かめるように名前を呼んだ。


「俺以外に誰に見えたの? 真言は面白いね」


ふふ、と肩を竦めて笑った芽さまは、振り返って燃え盛る宝物殿を眺める。


「よかった、宝物殿に真言がいたらどうしようって思ってたんだ。お前には世話になったから、逃がしてやろうと思って」


何を、言っているんだ? 芽さまは一体何を? いや違う、この男は誰だ? この男は芽さまではない。別の誰かだ。だって芽さまがこんなことを。


「おじいさまたちは母屋かな? 先に殺そうと思ったんだけれど、どこにもいらっしゃらないからさ」


まるで天気の話でもするように、その男は笑いながら尋ねた。

訳が分からない。分かりたくもない。一体自分の目の前で、何が起きているんだ。

男の手に刀が握られている事に気付いた。宝物殿の中でも厳重に保管されている刀剣、三種の神器のひとつ、國舘剣くにたちのつるぎ

鞘からぬらりと光る刀身が現れた。投げ捨てられた鞘が地面を転がる。男が僅かにこちらを見た。


「じゃあね、真言」


昔の記憶が脳裏を駆け巡る。小さな手が必死に私に伸ばされる景色だ。真言真言、と私を慕う小さな手、我儘に膨らむ頬、愛おしさが詰まった額、私を信頼する瞳。

どれほど辛くても、必死に涙をこらえて笑う子供だった。あの頃の顔に重なって見えた。この男は、まだ芽さまだ。


「芽さま! 駄目です、お戻りください! どうか、どうかッ!」


叫び声は届かない。熱風を吸い込みその場に崩れ落ちた。

遠ざかっていく背中、燃え盛る宝物殿、響く雷鳴、崩れ落ちる母屋。本殿から駆け出してきた隆永さまが見えた。刀身が炎を映し赤く燃え上がる。飛び散る赤は、火花か血飛沫か。

その日、ご実家であるわくたかむの社の宝物殿、本殿、母屋を襲撃した芽さまは、盗んだ國舘剣くにたちのつるぎで父親である隆永さまと祖父母を襲い姿をくらました。

その後本庁の庁舎をも襲撃した芽さまは、またたくまに重罪人として全国の社へと通達された。

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