言祝ぎの子 ー国立神役修詞高等学校ー

三坂しほ

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調べ物

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「────はい、深く息吸ってー」


放課後、もとい学年閉鎖後の調薬室。

丸椅子に半ば無理やり座らされた恵衣くんの前には聴診器を耳にかけた亀世さん。

恵衣くんの後ろにはその肩をがっちりと抑え込む慶賀くんと、それを取り囲むのは一年の私たちに聖仁さんに鶴吉さんだ。


「はーい、ちょっと服捲りますね~」


慶賀くんがおどけた声で恵衣くんの服に手をかける。バチン、と痛そうな音が響いて慶賀くんは頬を押えて蹲った。


「ただの悪ノリだろ!? 本気で殴ることねーじゃん!」


目尻に涙を浮かべてそう抗議する慶賀くんにフンと鼻を鳴らす。


「慶賀うるさい。ちょっと黙れ」

「亀世パイセンまで……ひどい……」


しくしく泣き真似を始めると余計に睨まれて、慶賀くんは肩を落として隅で静かになった。

放課後の調薬室には亀世さんが勝手に作った合鍵で侵入した。

豊楽先生は合鍵の存在を知っているらしいけれど、他の教室で爆破されるよりも消化設備が整っている調薬室で爆破される方がまだマシという事で黙認しているのだとか。

言われてみれば確かに他の教室に比べたら、針金入りの窓だったり壁が分厚かったりやたら消火器が多い。

亀世さんは診察を続けた。

数時間前の「解剖させてくれ」発言は薫先生の「あははっ、流石に教え子バラバラにされるのは黙認できないんだけど~」の一言で叶わなかった。

チッ、と舌打ちした亀世さん。

本気で解剖しようとしていたらしく、思わず両腕を抱きしめた。

折衷案として、こうして調薬室で恵衣くんの診察をすることになったのだ。


「……よし、とりあえず終わり」


バインダーにさらさらと何かを書き込んだ亀世さんが恵衣くんにそう声をかける。

心の底から嫌そうな顔をした恵衣くんは乱れた服を整えた。


「何か分かった?」

「いや。今のところ恵衣は喉の炎症以外の症状がない。陶護先生の言う通り、ただの風邪という可能性も捨てきれないから何とも言えんな」


そっか、と聖仁さんは分かりやすく肩を落とした。


「まぁそう気を落とすな。自由にできる生きた検体がここにいるんだ」

「亀世さん、それ完全にアウトな発言です」


冷静なツッコミが入り、「ははっ、冗談だよ」と笑う。

冗談に聞こえる冗談を言って欲しい。

恵衣くんなんて絶句してその場に固まってしまった。


「とりあえず毎日診察は続けるぞ。恵衣、お前悪化したから入院になりました、とか勘弁しろよ。私が自由にあれこれ出来なくなるからな。気合で治す心構えでいろ」


恵衣くんの代わりに「そんな無茶な……」と心の中で呟く。


「にしてもどうすっかな。今までは自由に文殿に出入りできたけど高等部も閉鎖になったから、俺らが出入りしようとしたら入口で止められるぞ」


鶴吉さんが腕を組んで難しい顔をした。

確かにそうだ。これまでは学校内や社頭の施設は自由に使えていたけれど、自宅待機となった今は自由に部屋の外に出ることが出来なくなる。


「校舎の鍵がかかるわけでもないし、いつも通り忍び込めば問題ないだろ。教師の目が多くなるのが少し厄介だが」


そっか、学校は閉まらないんだ。

でも先生たちの見回りも増えるだろうし────。


「あっ」


声を上げた私に皆は不思議そうな顔で振り向く。


「嬉々先生の研究室……!」

「うわっ、そうだった!」


明日、嬉々先生の研究室へ忍び込もうと話していたのをすっかり忘れていた。

学校が休みなら授業もない。となれば嬉々先生は研究室に籠るだろうし、忍び込む隙もない。


「もしかして皆、嬉々先生の研究室に忍び込もうとしてたの? 無謀だなぁ」


苦笑いの聖仁さんに私たちは肩を竦めた。


「どうして嬉々先生なんだ? 確かに存在そのものが怪しい人だけどな」


腕を組んで私たちを見回した亀世さん。

私たちはお互いに顔を見合わせて、授業終わりに嬉々先生と会った時のことを伝えた。

すると「ふむ」と顎に手を当てた亀世さんは、顔の前でパチンと指を鳴らした。


「よし、今から行くか」


え?と声が揃った。



────いいか、よく聞け。水曜日の昼休みに教員は週一の定例会議があるんだ。なんで昼かって? 泊まりがけの任務に出てる教員は朝から出勤できない可能性があるから昼なんだよ。ていうか今はそんな事はどうでも良くて。で、その定例会議が丁度10分前に始まったんだよ。昼休みは40分、会議が終わるまで残り30分。だったら、仕掛けるなら今だろ。

調薬室でそう言った亀世さんは「潰せる疑惑は早いうちに潰すべきだろ?」と悪い顔で笑い、私たちを嬉々先生の研究室へ向かわせた。

熱がないならお前も行け、とおしりを蹴飛ばされた恵衣くんも鬼の形相でついてきている。


「亀世さんは行かないんですね」


私は残る、と手をヒラヒラさせて私たちを見送った亀世さんを思い出しながら調薬室を振り返る。

今から行くか、と言い出したのは亀世さんだったから、てっきり皆で忍び込むつもりなのだと思っていた。


「あー、あいつは昔から立案担当。実行が俺なんだよね。亀世のやつ頭は回るけどかなりの運動音痴だからさ」

「亀世って昔から運動のセンスは壊滅的だよね。本人もそれ自覚して、最近は実行側には来なくなったし」


聖仁さんが何かを思い出して小さく笑う。


「そそ。この前も珍しくついてきたかと思ったら案の定逃げ遅れて陶護センセーに捕まって、罰則喰らったわけだし」


鶴吉さんが頭の後ろで腕を組んでため息を吐いた。

亀世さんってそんなに運動音痴だったんだ。


「鶴亀パイセンって顔も性格も言霊の力もそれなりに似てるのに、頭脳と身体能力だけ綺麗に別れたよね~」

「おい慶賀、つまりそれは俺が馬鹿って言いたいのか? アアン?」


鶴吉さんにヘッドロックを決められた慶賀くんがギャッと楽しそうに悲鳴を上げる。

馬鹿やってないでさっさと歩く、と聖仁さんが二人の頭を叩いた。


「母ちゃんの腹の中で呪と言祝ぎで割れなかった分、身体能力と頭脳で割れたんだよ。俺は悪くねぇやい」


不貞腐れた顔をした鶴吉さん。

ケラケラと笑うみんなに、私は「うん?」と首を傾げた。


「呪と言祝ぎで割れなかった……?」


いまいち意味が分からない言葉にそう繰り返す。


「……っと、そうか。巫寿ちゃんって高校からこっちだもんな。知らねぇか」

「どういうことですか?」

「俺らがちょっと特別な双子って事だよ」


ヒヒ、と亀世さんと全く同じ悪い顔で笑って片目を閉じる。

いっそう困惑して首を傾げた。


「言霊の力は言祝ぎと呪のふたつの要素から成り立ってるだろ? で、その力は生まれた瞬間から、なんなら母ちゃんの腹の中から俺たちの中に宿るんだけど……双子の場合、99パーセント"割れる"」

「割れる?」

「言霊の力のふたつの要素が割れる。つまり一人は言祝ぎの要素だけを有した言霊の力、一人は呪の要素だけを有した言霊の力を持って生まれちまうって事だ」


呪の要素だけ……?

呪の要素しか有さない言霊の力なんてものがあるのだとしたら、それはかなり危険なはずだ。

私たちが持つ言霊の力は使いたい時にだけ使える、というような便利なものでは無いのだと入学したての頃に薫先生から聞いた。

それは血液みたいなものでずっと体の中を巡っていて、どんな時にでも私たちが発した言葉には言霊の力が宿っているらしい。

無意識下において言霊の力の行使した場合その効果は微々たるものだけれど、それでも他者に影響を与えないため呪と言祝ぎの要素が均一になるように、もしくは言祝ぎの方が勝るようにコントロールする力を幼少期から身につける。

それが呪の要素しかないということは、コントロールは無意味、発した言葉が全て呪いの言葉に転じるということ。ただ言葉を口にするだけで、相手を傷つけてしまう可能性があるということだ。

「俺らは言祝ぎと呪が割れなかった超特別、超例外な双子って訳よ────っと、お喋りはここまでだな」


鶴吉さんがニヤリと笑って前を見据える。

つられて目をやると、廊下の曲がり角を「神職の作法と心得」の担当教員であるまねきの社の神職さまが現れた。

うわ、と顔を強ばらせた泰紀くんたちに「馬鹿! 平然としてろ!」と鶴吉さんが窘める。


「お前ら、ここで何してるんだ!」


案の定私たちを見るなり眉を釣りあげてズンズンと歩み寄ってくる。

ひええ、と慶賀くんが廊下の柱の影に隠れた。


「分かってんな、お前ら。亀世の指示通り行くぞ。プラン其の壱────"優等生"! 行け! 聖仁と来光!」


押し出された二人は苦い顔をしながら私たちの前に出る。


「高等部も閉鎖になって自室待機だと言われただろう! どうして出歩いているんだ!?」


恨めしそうに振り返った聖仁さん。「は、や、く、い、け」と口パクで伝える鶴吉さんに深くため息をついて額に手を当てる。

失敗しても文句言わないでよ?

と呆れ気味に目で私たちに訴えると、来光くんを連れて先生に歩み寄った。


「すみません、先生。どうしても授業内容で分からないところがあって」

「お前たち二人が?」

「…………はい」


微妙な間があった。


「しかし今は学校に来ちゃ行かん。自室待機が明けてからにしなさい」

「それが無理なんです先生。僕たちどうしてもここが分からなくて夜しか眠れなくて。ね、聖仁さん」

「そうだね、夜しか眠れなくて」

「そうか……夜も眠れないほど────うん?」


すかさず来光くんが亀世さんから持たされていた教科書をバッと先生の顔の前に広げた。


「ここです、ここ! この神職奉仕活動における心構えの第七章十六節の"神事と妖のこころ"ってところで……」

「わ、分かった! 分かったから少し離してくれ、近い!」

「え、近頃老眼気味で見えにくい? なら外に出ましょうか。ちょうど太陽も出てますし」


さあさあさあ、と二人は先生の顔に教科書を押し付けたまま先生の背中をぐいぐいと押す。

そして聖仁さんが振り返ると「20分、それが限界」と口パクで伝えてきた。

親指と人差し指で丸を作った鶴吉さんは小声で私たちに「行くぞ!」と囁くと、忍び足で廊下を進み始めた。




「────じゃ、俺外見張っとくな。何かあったらノックするから」


そう言って泰紀くんは「よろしく」と私たち二人の肩を叩く。

恵衣くんの顔を恐る恐る伺うと、もはや何も感じさせない無表情でそれがよりいっそう怖い。

ごくりと唾を飲み込んで目の前の扉を見上げる。

【玉富嬉々】と書かれたネームプレートがはめ込まれたそこは、間違いなく嬉々先生の研究室だ。

ここまで来るために、皆頑張ってくれたんだ。なんとしてでも何かしらの結果を持って帰らなきゃ。

先生たちの足止めのために途中で別れた聖仁さんや鶴吉さん達のことを思い出す。

聖仁さんたちと別れたあと、今度はまねきの社の景福巫女頭に遭遇した。

その時は心臓が止まるかと思ったけれど、慶賀くんがお手製の目くらましの煙玉を投げたおかげでなんとか私たちは逃げることが出来た。

囮役を指示されていた鶴吉さんと共に今頃校舎内を駆け回っている頃だろう。

意を決してドアノブに手をかけた。


がちゃり、と音を立てて開いた部屋の中へ素早く身を滑り込ませる。

険しい顔で深いため息をついた恵衣くんも私に続いて中へ入ってくる。

静かに扉を閉めて暗闇の中電気のスイッチを探り当てると、ヴンと低い音を立てて蛍光灯にあかりが灯った。

畳張りの六畳くらいの部屋だった。四方の壁は天井まで届く大きな棚で覆われており、古い書物やよく分からない置物、瓶に詰められた何かの塊、とにかく沢山のもので溢れかえっている。

畳の上にもいくつも積み重なった本の塔があって、足の踏み場はほとんどない。


ここが、嬉々先生の研究室……。


その時、がっと肩を掴まれて驚き振り返ると恵衣くんは私の顔の前にスマホの画面を突きつけた。


【おい、もういいだろ。俺は戻る】

「あっ、待って! もう少しだけ手伝って……!」


恵衣くんはチッと大きな舌打ちをするとズンズンと部屋の奥に入って棚に手を伸ばす。

はあ、とわざとらしく大きく息を吐くとじろりと私を睨んでまたスマホの画面を叩きこちらに差し出す。


【お前、反対側。さっさと動け】

「あ、うん……!」


慌てて上履きを脱いで、畳の上に上がった。


改めて棚を見上げた。

一つ抜き取れば崩れ落ちそうなほどギチギチに詰まった本の数々に、御札が貼られた怪しげな壺。触れれば呪われそうなお面なんかもある。

照明は着いているけど全体的に部屋の中は薄暗く、なんだかじめっとした空気だった。


「……うん?」


棚の隅々まで見ていると、本と本の間に草の束のようなものが無造作に挟まっているのを見つけた。

本棚に草?

不思議に思って手を伸ばしたその瞬間、横から白い腕が伸びてきて私の手首をガッと掴む。

ヒッ、と息を飲んで振り向けば、険しい顔をした恵衣くんが私の手首を掴んでいた。


「び、びっくりした。恵衣くんか」


ばくばくとうるさい心臓を抑えてふうっと息を吐く。

恵衣くんは空いた片手でまたスマホを高速打ちすると画面を私に差し出した。


【お前は馬鹿か? それ藁人形だぞ。死にたいのか?】

「藁……ッ!」


思わず声を上げて手を引いた。

触らないように本をどかして棚を覗き込む。胸に錆びた五寸釘が打ち込まれたそれは、紛れもなく藁人形だった。


「あ、ありがとう……!」

【面倒をかけるな面倒くさい】


返す言葉もない。ごめん、と肩を落とした。

訳の分からないものには触らないようにしつつ、任された棚はざっと一通り確認した。

何か今回の件に繋がりそうな物は見つけることが出来なかった。そもそも私には用途が分からないものばかりだったので、全く戦力になっていないと思うけれど……。

嫌々付き合ってくれているけれど、私よりも丁寧に物色する恵衣くん。

まだもう少しかかりそうなので、もう一度やり直そうかなと奥の壁に歩みよって、コツンと文机の足を蹴飛ばしてしまった。

バサバサ、と音を立てて机の上の書物が崩れ落ち、ギョッと目を見開く。背中で大きな舌打ちが聞こえてより一層身を縮めた。

両手を広げて慌ててかき集める。

もう、ほんとに最悪だ。そもそも私が嬉々先生の研究室を調べようって言ったのに全然役に立ててない。

情けなさにため息をこぼしたくなるのをグッと堪えて散らばった本や書類をせっせと一箇所にまとめる。

そこでふと、この古びた物の倉庫のような場所にに使わない、一冊のノートが紛れ込んでいるのに気がついた。私たちが板書を写しているノートと同じ、罫線が引かれたシンプルな白いノートだ。

手に取って表紙を確認する。ただ表紙には【参拾漆】とだけ書かれている。

さんしゅう、うるし……?

いや違う、これは多分大字かんすうじだ。今ではあまり見なれないけれど、歴とした数字表記の仕方。授業で使う教科書や巻物にも度々出てきた。

これは参拾漆さんじゅうしち、三十七。

でも一体、どういう意味が……?

そっとノートの一ページ目を開ける。綴られた見慣れた文字は、嬉々先生の筆跡だった。

内容は全く分からなくて、ただ時折「被呪者」「作用」「解呪方法」なんかの言葉が辛うじて拾い上げれた。

被呪者────呪いをこうむった者。

どくん、と胸が嫌な感じに高鳴る。

嬉々先生は呪いを専門に研究している人だ。自分でまとめたノートを持っていたって可笑しくない。

分かってはいるけれど、疑心は確信に変わり始める。

そっとページを捲った。左側は白紙だから最後のページだろう。文字の書かれたページを上から流し読む。ある1行に目が止まった。


────被呪者の症状、連日の高熱、嘔吐、食欲不振、失声。


思わず身を乗り出した。

だってこれは、この症状は。


────予測できる憑物、呪、不明。


「不明」の文字を指でなぞり、自分の体から力が抜けていくのがわかった。


不明、不明……?

だって嬉々先生は何か知っているような口振りだった。今回の一件で、何か分かっていたんじゃなかったの?

もう一度ノートに齧り付いた。上から一字一句見逃さないように見返す。けれどやはり最後は「不明」の文字で締めくくられているだけだった。

なんで、どうして。そうだもう一度、もう一度最初から見れば────!

ぐっと眉根を寄せたその瞬間、背後でガタンッと激しい音がして思わず「きゃっ」と悲鳴をあげた。

振り返るために体を捻ろうと少し腰を浮かしたその時、制服の首元を後ろから上に強く引っ張られる感覚がして引きずられるようにして立ち上がる。

首が締め付けられて息がつまり思わず涙が滲む。

隣から呻き声が聞こえて何とか目だけ動かして見れば、恵衣くんの制服の首元を掴む細くて白い腕があった。


「嬉々、先生……ッ」


不揃いの長い前髪から、鋭い瞳が私を睨んだ。






「きゃっ!」

「……ッ」


掴まれていた首元が荒々しく離され、体はバランスを保てず放り出された。自分の悲鳴と同時に、自分の肩が誰によって受け止められる。


「びっ────くりした! え、何?」


頭上からそんな声が聞こえてきつく閉じていた目をそっと開けると、驚いた表情のくゆる先生が私を見下ろしていた。


「薫先生……!」

「恵衣も巫寿も、嬉々までお揃いで。あはは、珍しいメンツじゃん。一体何事?」


はっと当たりを見回せば、そこは薫先生の研究室だった。

私、嬉々先生の研究室にいて、それで突然首根っこを掴まれて部屋から引きずり出されて……。

それで薫先生の研究室まで連れて来られたんだ。


「ふざけるのも大概にしろお前は生徒に一体どういう教育をしているんだ」


淡々と、だけれど反駁する隙間も与えない口調で嬉々先生は薫先生を睨んだ。


「……ねぇ嬉々が激おこプンプン丸なんだけど、君ら何したの?」


薫先生は口元に手を当てて私たちに問いかける。全くひそめれていないその声はもちろん嬉々先生にも届いたようで、部屋の温度が二三度は下がった気がした。


「ごめんごめん、ちゃんと言い聞かせるから許して。俺らの仲でしょ」


嬉々先生は何も言わなかった。代わりにスっと目を細めて冷たい瞳で私たちを見下ろす。


「椎名巫寿京極恵衣、文殿清掃三ヶ月の罰則だ」


それだけ言い残すと、音を立てて扉を閉じた。


「あはは、君らほんっと罰則が好きだねぇ」


薫先生はどさりと椅子に腰かけた。

あまりにも一瞬のことに呆然と閉まった扉を眺めた。


「巫寿! 恵衣! どこだーっ!」


ふと扉の外から泰紀くんが私たちの名前を呼ぶ声がして慌てて立ち上がり顔を出した。

「うおっ巫寿!?」泰紀くんは薫先生の研究室から顔を出した私に驚いた顔をした。

その手には嬉々先生の研究室に脱ぎ忘れてきた私たちの上履きが握られていた。


「お前らどこ行ってたんだよ! 黙って置いてくなんて酷いじゃねぇか!」

「ごめん嬉々先生見つかって……って、泰紀くんこそどこにいたの!」

「え? え~っと俺はその……ちょっと便所に……」

「泰紀くん……」


どうりでおかしいと思った思ったんだ。

研究室の外にいた見張り役の泰紀くんが見つからず、私達だけが嬉々先生に捕まるのは変だ。


「へへ、悪ぃ」


肩を竦めた慶賀くんに額を押えて深く息を吐いた。



【みんな今どこー?こっちは捕まった~】【一回集まろうか】囮になってくれた皆からそんな連絡が届き、薫先生に許可を貰って研究室に集まることになった。

「皆ごめーん、もれなく全員罰則になっちった」

「仕方ないよ。こっちも罰則だし。聖仁さんが罰則だなんて前代未聞だよ」


最後に帰ってきた慶賀くんと鶴吉さんのペアもしっかり罰則を頂戴したらしい。

景福巫女頭に追いかけ回されたんだし、仕方ないだろう。


「皆お菓子食べる? のり塩とコンソメどっちがいい?」


のり塩!と声が揃って薫先生は笑いながらお皿を出した。

お茶を飲んでひと心地着いたところで「で、首尾は?」と亀世さんが身を乗り出した。


「それがさ、俺がウンコ中に嬉々先生が戻ってきて、巫寿達が捕まってぉ」

「え、なに? 君たちまさか嬉々の研究室に入ったの?」


ベッドに転がって漫画を読んでいた薫先生が半分だけ体を起こして私たちを見た。

叱られると思ったのか、慶賀くんは唇をとがらせて「だって」と続ける。


「だってこの前、俺たちにすっげぇ意味深な事言ったんだぜ? こんなに何の手がかりもなきゃ、疑いたくなるだろ!」


薫先生はベッドの上に胡座をかくとため息をついた。


「君らホントに嬉々こと疑うのが好きだね。まぁ嬉々にも疑われるような原因はあるんだろうけど……」


原因、という言葉に声を上げた。嬉々先生の研究室で見たものの事を思い出したからだ。

みんなの視線が私に集中して、恐る恐る言葉を紡ぐ。


「あの、私見たんです。嬉々先生がおかしなノートを持ってるのを……」

「おかしなノート?」

「内容は難しくて分からなかったんですけど、"被呪者"とか"呪"とか沢山書かれてて」


私がそう言った途端慶賀くんが「ホラー!!」と興奮気味にその場で足踏みした。


「あ、でも今回の件については不明って書かれてたから、証拠にはならないかもだけど……」

「でも嬉々先生がこの件について調べてるって事は確定だろ!? つまり関わってるってことだろ!?」


だよな!? と身を乗り出して鶴吉さんに尋ねる慶賀くん。


「あはは、話飛躍し過ぎ。それに巫寿が見たのは嬉々の研究ノートだよ。表紙に大字で数字書いてるやつでしょ?」


どうしてそれをと目を丸くすると、薫先生は肩を竦めた。

慶賀くんはちぇ、とつまらなさそうに唇をすぼめるとどさりと椅子に腰かけた。


「薫先生、しかしそのノートがただの研究ノートだと言うのは事実かどうか分からないだろ。それこそ薫先生の思い違いかもしれない」


亀世さんは顎に手を当ててそう言うと、見定めるように顎を引いて薫先生を見据えた。


「あははっ、とことん疑うね」


薫先生は懐から和柄の巾着を取り出すと、その中から金平糖を手のひらに出して口へ放り込む。

はい、と来光くんが手を挙げて口を開いた。


「薫先生と嬉々先生って、どういう関係なんですか?」

「ただの学生時代のクラスメイトだって前に言ったでしょ」

「ただのクラスメイトを、すごく必死に庇うんだな?」


亀世さんのその一言に、薫先生は笑顔を張りつけたまま固まった。そのまま数十秒固まって、そして「もー……」と首の後ろに手を当てて天井を見上げる。

そして言葉に迷うように、ぽつりぽつりと呟いた。


「君らと一緒だよ。慶賀と泰紀、聖仁と瑞祥みたいな」


薫先生は長く息を吐いて俯きがちに答えた。



「────親友の一人だったんだ。……だからまあ、その名残で嬉々のことは分かる。嬉々は犯人じゃない」



どこか懐かしそうで、とても寂しそうで。何かを悔いるように、誰かに怒るように。

薫先生はそんな声で『親友』という言葉を口にした。



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